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2006年4月20日 (木)

ai-byaku-show

  鈴木克彦先生の聞き書き集『松山物語』(福島県立博物館研究紀要第20号所収、2006年3月刊)を読んだ。母語(地元の方言)でいきいきと語られています。地元にいても忘れてしまった表現をいくつか気づきました。

 一時、昭和村の中学校の先生でもあった鈴木先生は、松山のはずれに家を建てている。昨年から福島県立博物館に異動となり、博物館の仕事で聞き書きを行った、ようだった。そのフィールドが昭和村の松山という集落であったのは、とてもよかったと思う。

 108ページに「あい・びゃくしょう」というのが出てくる。鈴木先生は「相百姓」という漢字をあてている。松山集落の話者は次のように語る、、、

「松山は、村人のまとまりがほんとうによいところです。このかげには、やせた土地、貧しい村、みんなが協力しあわなければ暮らしていけない、という理由もあったのだろうと思います。この土地(松山集落)に昔から伝わる言葉に「相百姓(あいびゃくしょう)」というのがあります。これは、みんなが互いに助け合わなければ生きていけないという意味がこめられた言葉です。そんなことから、松山という土地はみんな仲がよく、団結力もあるのだと私は思います」(大正14年生まれ、Kさん)

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 僕が作詩・作曲したうたに「ブナの声が聞こえる」というのがある。長大作なのですが、その詩的世界がいちばん好き、、、、いつも聞いて涙を流している、、、、という鈴木克彦先生。特に、国道401号の博士峠を自動車で通るときに、標高1000mの峠の昭和村側のブナ林に道路がさしかかるといつもこの歌を思い出す、という。

 4月20日に上記報告書(抜き刷り)をいただいたときも、また同じ話しをされました。なぜ会うたびにこの話しをしてくるのか、、、、を考えています。先生の実家は福島県の白河市に近い塙町。こんにゃく栽培地帯です。こんにゃくは芋は3年かかるといいます。それは中学生と同じで、3年かかる、ということを話していました。医食同源とすれば、こんにゃくの無機質的な無栄養というような素材を食す、というのは3年間の時間を食べるということなのだ、、、、あのゲル状のこんにゃくの主体性のなさには哲学的意味が含まれています。鈴木先生に勧められた1冊(講談社現代新書・こんにゃくの日本史)。406149833901

 ブナ~の曲は演奏しないけれど、4月29日の19時に北会津・下米塚の村山栄司邸土蔵で佐藤孝雄氏と日光市公演5月3日用の10曲の公開リハーサルをしますから、、、、とお誘いしました。どなたでも参加できます(無料)。ただ場所は込み入っていて、難しいです。

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