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2006年4月27日 (木)

かすみ草の時代

20060426img_0918 ■4月26日、フローレ21営業企画室長の松山誠さんの案内で15~18時すぎまで、都内の生花店3カ所を訪問しました。いそがしいなかありがとうございました。とても勉強になりました。その松山さんから開店日のイケアの話を聞きました。イケアのカタログももらいました。その表紙には、奥の棚にかすみ草の花が飾ってあります。それもかすみ草だけで、、、、、すばらしいと思いました。

■花職人Aizuの湯田浩仁さんのコメント、、、、、についてですが、、、、「パブリックな視座(視点)」とは、、、、、たとえば毎日の生活特に生業たる花き生産を記録する、、、、というのはプライベート、、、個人的なことです。その一部を編集してウェブログ(WEB LOG、略してブログ)、インターネット上に「公開」する場合、「公(パブリック)」的自主抑制が働きます。公序良俗に反すること、つまり書いてはいけないことが出てくる、、、、非公開の自分だけの日記やメモには書いても、ネット上で公開する日記には編集意図が出てくる、、、、発表する意図がある、、、、ということです。

 つまりパブリック、、、公的に、、、公というのは役所(役場とか政府、地方自治体)を指すものではなく、民衆(生活者)自身による自発的、感覚的な心性が働くことを言います。

 畑で働いた感動や気づいたことを、社会(パブリック)に向けて発表することを意味しています。生産団体案内や品種案内という基礎的事項を掲示するウェブサイト(ホームページ)は、必要条件なのですが、それを動かしている人間の息づかいを伝えるのが、日々の活動からくる発見を、読者(インターネットの向こうにいる人々)に働きかける作業は、極めて私的であり、かつ公的である、、、、ということを言います(菅家理論ですが、、、)。

 尾瀬リンドウ時代のパブリックとは、地域の隣人生産農家に「栽培を勧めて産地化」するというパブリックです。つまり「ひとりよがり」な栽培ではなく、地域全体の「稼ぎ」に関することを公開・支援してきた、、、、ということで一時代の地域の経済活動が成り立つことをいいます。それが農産物一般論ですが、競合産地が出てきたり、近隣産地競合となると、突如・閉鎖的になってくる、、、、とたんに衰弱してくる、、、、という歴史があります。パブリック、公的開放を持つ視座がないと産地は衰弱するのです。かすみ草サミットを全国各地で開催する、、、、、のは、品目産業そのものの活力を低下させないための取り組みです。そのことに気づいてくれた産地が苦労して準備して大会を主催してくれています。

 一人でできること、できないこと、地域の将来像、次の世代、そして「オオムコウ」という「パブリック(公的世界)」を意識して、個人生活が営めるかどうか?という意味で、コメントに書き込みました。生産団体の活動をウェブ上で公表していくというのは、とても重要な意味、、、、外から見られている視線を意識して活動を律する、ことを言います。

 しかし、農作業の労苦を売ることはだめだ、、、、というのは上条さんの意見です。

 苦労の言葉、、、より具体的な作業内容のほうが、よいと思っています。たとえば、朝早く起きて仕事したので疲れた、、、より朝4時から夜11時まで今日は仕事した。その内容で読み手は理解できます。そしてネット上では時制表現(時間の表現)が古いと価値が無くなるので、昨日はこうだった、、、、というより、4月26日はこんなことがあった、、、、と書きます。明日、、、、というより4月28日は、、、、と書きます。読み手が共時的に読んでいるとは限らないからです。昨日、おととい、、、、昨年、という時制の表現は、読み手の立場に立ってみると、古い記事だな、と読み飛ばされてしまいます。

■イケアの表紙は、脇役たる家具(脇役の花・かすみ草)、、、、主役は生活者(ヒト)。古い曲ですが、さだまさしに「主人公」という曲があって、その詩的世界を表現しています。

※写真はクリックすると拡大します。下線の引かれた文字はクリックするとリンク先記事に移ります。クリックというのは、マウスポインタ(矢印)を合わせて、ボタンを押します。

 

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