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2006年5月の投稿

2006年5月31日 (水)

商品開発のための産地交流

 20060531img_6187 現在ほど、「商品開発の意義」が問われている時代はない。

 なぜなら、モノがあふれて、モノだけでは、価値観を失っているからだ。

 商品開発機能とは、たとえば直接アフリカのケニアのかすみ草農場に出向いて、日本向けのサイズ・品質・規格で、数量を確保し、日本でもプロモーションと品質管理を訴求しながらバケット低温輸送するなど、そうした一連の開発輸入というのは、よく目に見える商品開発の行為だ。そうしてある実需者向けの素材が定着していく。こうした商品開発行為の場合、限定した利用者向けにその規格を実現する。

 ケニアより近いけれど、国内産地には大きな障壁・カベがある。いまだ細い流れだが、着実に理解者が増えてきている。消費者に接している花売り場の若い担当者が、現場の人たちが会津の山奥の私たちの村を訪ねてくれるようになった。

 一方、日本の花き生産は、不特定多数の業種向けに万能な機能を求められ、結果、誰が実需者か、、、、つまり誰に買ってもらっているのか、、、、逆に言えば誰に売っているのかが見えない構図を良しとしてきた。そこがいちばん価格の低下を招く要因となっている。

 商品開発は、小売店の先の消費者、、、、業務需要であれば装飾業の人たちにと、限定利用をスタートとして、そして規格・納期を詰めていく。その仲立ちが卸売業である。ところが、実需者については、商社やウェブ等での生産者から見えにくい流通(じつは利用者が限定され用途が見える流通)、、、、セリ販売ではなく、市場の輸送分配機能を利用して納品する、販売価格の決済に使う機関としての位置づけが高くなっている。納品は定価だ。あるいはゆるやかな価格変動を持つ固定価格だ。固定価格になると、品質が求められる。高品質というのではなく、最低品質の確保である。花持ち期間の明示、切り前の明示等が付随する。20060531img_6176

 商品開発のなかで、かならず販売者は生産者に会うため、農山村を訪ね、どのような販売をしたいから、どのような納期、価格、品質かを明確に検討する。そして今年の取り組みがはじまる。

 昨年から産地公開を昭和花き研究会でははじめている。ことしは要機関の卸売業の担当者が量販店バイヤー、小売店を案内して、ほぼ6月の期間を通して来村される。明日からそれがスタートする。出張不在時以外は、すべて私がその来村社にあった生産現場を案内し、昭和花き研究会でできること、できないこと、両者で取り組むべきこと、課題の解決のために懇談を畑・圃場でする。

 昨年6月は3回にわけて産地公開を開催した。ときに50人を超え、参加者から不満があった。それをことしは解消する。効率的開催というのは「行事消化事業」であり、目的を失ってしまっている。来村される方々の希望を聞き、こちらの都合も理解してもらい、あらたな素材に価値を生み出すための作業で、取引先全社に5月7日付け文書を送付して回答書を得ている。それに詳しく事情を示した。それを受けて、明日から来村される方々への応接がずっと続く。生産者にも実需者の必要としている規格や品質、納期、染色等への加工などの必要性を理解していただく。行政機関、普及機関にも担当者は紹介する、、、昨年がピークだった日本の人口が減少に転じた、、、産地も縮小に向かっている時代に相互理解できる生産をめざしたい。

 なお、三島町のかすみ草が開花し、ピュアスプリングの出荷は6月4日(日)から開始し、5日(月)の仙台での販売からスタートする。集荷は第1が8時、第3が9時。出荷量がまとまってくるのが19日。生育そのものは10日の遅れのままである。7月中旬から多品種出荷、大量出荷となるが、それまでは流れは読めない。

 各種出荷資材は1日以降入庫してくる。オランダからの輸入バケット1万箱は6月中旬に新潟港着。エルフは発注後、SCレンタル(新日本流通)は7日頃から入庫。

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 6月1日(木)午前、新潟県三条市(株)中越、石丸社長が量販店バイヤーを案内。4名来村。

 6月2日(金)午後、TFC浅草橋生花・植草部長来村、18時より、村内しらかば荘で懇談会。

 6月3日(土)夜、4日午前、10名圃場等案内(東京より一般)

 6月5日(月)午前より圃場案内し、13時昭和村野尻中向の新・集荷所施設説明、矢ノ原高原の圃場を経由し、14時昭和村大字小野川字大岐(おおまた)の大岐センター前から同地区の圃場巡回。15時より大岐センターで懇談会。記念講演は来村社の大田花き・松永剛氏。午後からの公開事業には他産地、関連業者(種苗・肥料・資材等)が参加する。現在30名。17時解散。

 6月6日(火)宇都宮花き・山野井氏来村。

 6月7日(水)、上京。都内3市場訪問。JAハイナン杉山部会長らと来年2月のカスミサミットの件で。

 6月8日(木)午前、埼玉園芸より山下氏が量販店バイヤーを案内し来村。

 6月10日(土)午前、中央花卉・斧田社長、中谷さん来村。

 6月12日(月)午後7時30分からエコファーマー有機質肥料等についての学習会(大岐センター)。多木肥料・市位技師。竹内君。

 6月13日(火)上京。午前10時・都内池袋、花良品本部で阿部社長と7月のかすみ草フェアについて内容を協議する。5年目。午後から農水省講堂で生販交流会で事例報告。

 6月15日(木)福島県立博物館、奥会津書房、会津学研究会(8月20日の公開ゼミナールの内容検討、聞き書きの進め方協議、8月発刊の会津学の内容決定について)

 6月17日(土)から18日(日)全国花卉仲卸会総会に参加・宮崎市。

 6月19日~広島市・花満、仲卸店頭でカスミフェアを検討中。

 6月20日(火)JFMA総会、MPS国際セミナー(都内市ヶ谷法政大)

 6月24日(土)~25日(日)かすみ草栽培体験生受け入れ

 

 

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吸血処理

 20060530img_6123 ハバキという昔のスネ当てがある。脚に巻く。山の仕事、農作業から足首から脚を守った。ほとんどが各家庭で作られたものだ。

 2006年5月30日、会津若松市中央3丁目の鷲山義雄さんの私設・民具館で見た中で、いちばんの感動したのがこの逸品だ。

 手製のハバキを作り、冬の猟で取り、食糧としていたノウサギの鮮血のなかに漬け込んで、繊維が吸血し、そして固まり、刃物を通さない堅さを持つ、というもので、会津に近い、福島県郡山市の山間地で採集されたものだった。私は、こうした処理法があることと、それをきちんとすくい上げた眼力にも驚いた。

 脛巾、福島県郡山市T地区で、昭和47年2月9日に鷲山さんにより採集されたものだ。

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20万枚の写真

20060530img_6111  先達を訪ねた。

 2006年5月30日(火)は、午後に会津若松市内で『会津学』第2号に掲載するための対談が行われた。奥会津書房の編集長遠藤女史、私で話しを聞いた。福島県立博物館の学芸員の佐々木長生さん(民俗学)に仲立ちしていただき、お話を聞きたかった鷲山義雄さんを紹介していただいた。

 3月16日に福島県立博物館で開かれた木曜講座「馬と信仰」のなかで、会場からの発言として、鷲山さんが話しをされたことが、とても良い話しだった。それで、鷲山さんの80年を聞きたくなったのだ。20060530img_6097

 現在、自宅で民具館という集まってきた民具を公開展示している。3年前に私設の展示館として会津若松市中央通りも、駅前に近いところ(リオンドール脇)に開館した。そこも見せていただいた。(写真は使い込んだ鎌・カマ、、、砥石で刃を研ぐ、、、ここまで減るのは滅多にないと教えて下さった)。

 これまでに撮影した写真は、20万枚。そのなかから編集して、民俗写真誌を十冊ほど「自費出版」してきている。なぜ出版する、公刊するのか?という点と、これまでの歩みをうかがった。そして馬の話しも。ご自身は70歳になってから自動車の免許をとったらしく、それまでは公共交通機関と徒歩で写真を撮影し会津の村落をくまなく歩いた。理科の教師をしていて、退職し、現在八十歳。自動車何台も購入できるほど、写真と出版費用に充てた、という。20060530img_6094

 鷲山さんは、馬頭観音の石碑の撮影に夢中で、かかりきりで歩いていたころ、柳津町の只見川に沿ったA集落で馬頭観音の石碑の撮影をした。そして碑文などをノートに書き写していたところ、畑仕事から帰る手ぬぐいをかぶった50~60歳のご婦人に声をかけられたという。

 「それはオライ(我が家)で建てた馬頭観音だ」という。20060530img_6174

 昔、只見川沿いの細い道を、馬の背中に荷を積んで歩いてきたら、馬が脚をすべらせて、荷物を積んだまま只見川に滑り落ちた。思わず、引いていた手綱をオレは離してしまった。そした馬は水に沈んでいって、荷を背に積んでいるので泳ぐことができずに、首から上だけ出したまま鳴いて、、、流されていった。何にもできずに見送るしかできなかった」のだという。

 その場所に、暮らしを助けてくれたこの馬のために石碑を建てたという。

 今日(5月31日)は、その対談の原稿を起こしの校正をして昼前に、三島町宮下の奥会津書房に届けた。それと補正した図版等を含め、完全に会津学の原稿の作成作業は完了した。あとは編集に任せる。第1回の校正刷りで語句、誤字をチェックすれば、8月はじめに出版となる。

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※歩く巨人・民俗学者の宮本常一氏は戦後に撮影した写真は10万枚。鷲山さんは20万枚、、、、

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 明日、6月1日の午前は三条市の中越から4名来村。取引先バイヤー。

 2日の16時頃は、TFC浅草橋生花の植草氏が下郷町経由で来村、宿泊する。

 3日の夜、4日の午前は、10名の来村者の応接。20060530img_6130

 5日は午後2時より圃場巡回(公開)、3時より定例会(懇談会・大田花き松永氏を囲む)。夜は会津若松で懇談会がある。

 

 

 

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2006年5月30日 (火)

変わる産地

20060529img_6000_1 4月15日よりウェブサイトがはじまりました。実数の出荷情報や、産地のアピールを行う、と明記されています。ウェブサイト内のリンクの4人の生産者ブログも注目。共撰生産部会のウェブサイトと、その出荷生産者のブログをきちんと位置づけた構成として、これは、先駆的です。 →→→ 北海道・月形の花 

■6月13日の霞ヶ関・農水での交流会の目玉は、福岡のT.I.Uです。吉田室長のオススメ。生産者のウェブサイトのあり方として店頭で利用できるPOP等をダウンロードできます。→→→そして「初恋草」のT.I.U.フラワーウェブ

■そして、1家族で頑張ってる仕事人のお手本は、アンケート結果を掲載しています。→→→花日記管理人の千葉・草花園

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2006年5月29日 (月)

帰宅

 20060529img_5974 2006年5月29日(月)19時30分から、大岐センターで拡大役員会(昭和花き研究会)を開催した。終わって帰宅した。

 出荷開始時期を間近に控え、各取引先からの要望事項を集めた資料は役員に事前送付しておいたので、今日の会はスムーズに進行した。6月1日から7月末までの出荷の戦略と、品質課題の克服、市場営業計画(出張)、産地視察受入内容等、カスミフェアなどを決定した。行事やサミットへの参加、7月3日~の大田市場、板橋市場でのかすみ草展示・フェアも決定した。経費の支出や判断をともなうことについては協議を終えたので、あとは現場での対応が代表の私に一任された。20060529img_5987

 少しではあるが、かすみ草のピュアスプリングの開花がはじまっており、6月5日(月)の販売から出荷を行えるようになりそうだ。2日(金)には、現在寒いので間に合わない、とした。少量の出荷で1週間となる予定だ。まず仙花から出荷をスタートする。

 モーダルシフトの取組も行うことに決めた。1昨年試行していたが、昨年は実施できずにいた。今年は、7月中下旬の時期に福岡花市場行きと、姫路生花行きをそれぞれJRクールコンテナでの貨車輸送で、輸送時の二酸化炭素削減をめざす。1社150箱の販売力のあるところ、そしてその会社向けに封印して輸送されるため、出荷量の多い時期に向く。1昨年には温度・品質とも、市場側(福岡花市場)の協力も得られ結果は良かった。1昨日の郡山運送会津営業所との協議でも、モーダルシフトの取組について協力が得られることになっていた。20060529img_5985

 

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2006年5月28日 (日)

終わりに

 午後8時。会津学2号の原稿を、ひとまず書き終えた。編集者と相談するが、いちおう、

 「記憶の森を歩く~山に生きた人々の暮らしを地名から聞く試み~」とした。

 図版8枚、本文57,600字。400字換算で144枚。ディスプレイの画面はA4で、400字4枚、1200字で、36枚分。実際の本だと2段組で、100ページ前後になる。

 さて、集落の田植え休みも終わり。明日からは通常の農作業に戻る。頭も切り換える。6月の農水省交流会、全国仲卸会の原稿は明日から構成を考える。まずは今日の食事としよう。

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おわりに

 時代により、年代により、人により様々な経験の物語が語られる。それをあらためて、聞き書きノートからパソコンのキーボードを通じて入力し、プリントアウトして読んでみると、、、、いまから過去にさかのぼる記憶の森に分け入った感がある。それは積み重なったとても豊かな時間である。
 いまは故人となった人もいて、もう少し通って話しを聞いていれば、この核心に迫れたと思うこともある。ただ試みとしても、記憶の森の出来事を文字にして人びとにお返ししなければならない。編集、表現のしかたが難しい。しかし、その森にはいま見えない大きなブナやカツラの木がそびえている。ウサギもたくさん走っている。
 もう、あれから、まとめてみると二〇年もかかってしまった。かつて教えられたことを、私一人のものにしておくことだけはできない。

  地名のまとめかたとしては、本文で紹介した昭和六十三年刊の南会津郡南郷村教育委員会の『南郷村地名調査書』に、その聞き書きで出てきた、来歴や出来事、生活の体験を附すると良い。図版の作り方としては、登山家や釣り人に共有されているものとして、平成四年作成の藤島玄編集『越後三山・只見集成図』(新潟県湯之谷村発行)は多色刷りで沢名が克明に記入されている。これも今後参考になろう。

 これまでに聞いたこととりあえず『会津学二号』の原稿として、位置づけまとめてみた。試みであり、ご批判をいただきたい。ここからを、はじまりとして奥会津に暮らす人々を再び訪ね歩く端緒としたい。(二〇〇六年五月二十八日)

参考文献
『新編会津風土記』『金山谷風俗帳』『東北民俗誌会津編』『昭和村の歴史』『金山町史』『南郷村史』『三島町史』『本郷町史』『会津只見の方言』『会津舘岩村民俗誌』『会津の峠』『角川日本地名大辞典・福島県』『コンサイス・日本地名辞典第3版』

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記憶の森へ

 Img_5936_1 昨夜は未明、零時を回った。25時帰宅。1昨日は23時30分。2夜連続で花の関連での懇談会と、その後、飲み会があった。衣類にはタバコの煙のにおいが染み付く。私は飲まないが、、、昨夜会話した内容、相手から聞いたことを朝にあまり覚えていないことがある。相手から聞いた話だ。あらためて記憶をたどりはじめると思い出すのだが、、、

 メモを、ノートを取りながら話を聞いていると(聞き書き)、そのすぐ書いた文字を目で見て、耳から聞いた言葉と手でかいた文字で記憶していることを思う。聞きに徹するから、ノートをとりながら、考えるためにノートを取っていることに気づく。

 ノートを取らない会話、、、話を聞き、こちらが話すことが多くなるので、話したことだけ覚えていることが多い。

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 「記憶の森へ」と、すべく、タイトルを考えた。

 山に暮らす、普通の人びとの話を聞いていると、その人の経験したこと、かつて聞いてきたこと、言い伝えが「地名」のインデックスで、つぎつぎと出てくる。その地名は地図には載っていない。その人の地名でもあり、共有した地名でもある。

 人と共に地名は消える。体験と記憶を抱えたまま人は消えていく。受け渡す人もなく、である。それまで千年余の記憶が、土地とともにあった記憶が消える。一人の人が抱えているものはとても重い。なぜか、時に、話を聞いていて、自ら、それを受け取ったと感じるときがある。そうすると書けなくなる。書いてはいけないことを渡されるのは、書くことはできない。でもそれがないと文脈が通じない。また書けなくなる。

 一人の人が経験したことは、集落から沢を登る、尾根にたどり着く。背負った山菜・キノコを背負って下り降りる。その行程のなかで何か出来事や、あるいは聞かされた物語を思い出す。

 大切なことは、家に帰ってから、家族に、地域の人々にそのできごとを話すことで、人びとの記憶に残っていく、、、、ということだ。経験は話すことで共有化されていく。そのインデックスが地名、、、場所の呼び名、その地域の呼び名である。あえて地元の言葉(方言)のままカタカナで表記している。

 時代により、年代により、人により様々な経験の物語が語られる。それをあらためて、ノートからキーボードを通じて入力し、プリントアウトして読んでみると、、、、いまから過去にさかのぼる記憶の森に分け入った感がある。それは積み重なったとても豊かな時間である。

 いまは故人となった人もいて、もう少し通って話しを聞いていれば、この核心に迫れたと思うこともある。ただ試みとしても、記憶の森の出来事を文字にして人びとにお返ししなければならない。編集、表現のしかたが難しい。しかし、その森にはいま見えない大きなブナやカツラの木がそびえている。ウサギもたくさん走っている。

 もう、あれから、20年もかかってしまっているのだから。教えられたことを、私一人のものにしておくことだけはできない。

 

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なんのために

 20060526img_5811 思考が止まっている。

 今日は風雨が強まったから、デスクワークにします。

 この数日、なんのために書くのか?ということを自分に問い、でも締切があり、執筆を進めているが、書けない。書いたものを何度か読み返した。書いているときの発見、そのときに受けた感動は、文章から第3者には伝わらない。

 でも、今日は仕上げよう。

 まず、構成を大幅に変えてみる。

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 卸売市場の担当者を迎えに行った5月27日に、JR猪苗代駅にあったカレンダー(→)

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 朝から10時まで、編成直し、加筆して、400字112枚、44,800字まで書いた。

 あとは、もう一回、最初から読み直して、最後にまとめを今日中に仕上げる。

 必要から、追加作図(トレース)を2枚行う。

 なんども書いては、手直し、プリントして、読んで、赤を入れて修正し、入力しなおし、プリントして読む。プリンタの用紙が無くなってしまった。昼の食事のときに用紙買いに。

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 1996年12月に、ジャワ島のジョグジャカルタ市を訪ね、ボロブドール遺跡とプランバナン遺跡を見た。ユネスコが復元作業をしていた。プランバナンは崩れた石を積み直し、かなりの時間をかけていた。

 2006年5月27日、そのジョグジャカルタ近郊で地震が発生し、メラピ山が噴火している。被害は拡大している報道だ。

 そもそもボロブドール遺跡そのものが、過去の火山噴火により埋まって、最近に土中から発見された経緯がある。火山の行方が気になる。

 ジョクジャカルタは過去のジャワの王都で、京都市と姉妹提携している。

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2006年5月27日 (土)

お手植えの

 20060527img_5967 宮西氏、お手植えのかすみ草。60~70日後に開花します。昭和村大岐の岩下の上圃場で。

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 オランダの母の日→→→P&CJ

  ピンクのかすみ草→→→ブルーム

 →オープンキッチン・レストラン風?

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ホトトギス

 20060527img_5962 2006年5月27日(土)午前晴れ、強風。昭和村大岐の岩下でホトトギスが初鳴き。カッコウに引き続き、東南アジアより渡り来鳥。

 昨日、1000m博士峠のブナ林では春蝉は鳴かず、また抜け殻もなかったが、地面はブナ実を掘ったあとばかりだった。

 春蝉は集落近辺で晴れると鳴く。

 今日は奈良布は町場の子弟が来て田植えが盛り。

 大岐は今日は田植え休みだ。

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2006年5月26日 (金)

圃場巡回

 20060526img_5869 会津地方の切り花を生産している農家のハウスをいくつか見ました。

 とても勉強熱心です。脱帽です。

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曇天

 20060526img_5837 2006年5月26日(金)曇り。雨になりそうな雲。

 昭和村大岐の岩下圃場で定植作業をしました。

 地区の田植えはほとんど終わりました。今夜は会津若松市内で懇談会に参加します。

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確認

 20060526img_5853 昨夜(5月25日)、8時すぎ、20年前に聞き取りをした方の、子ども家族の住む家をたずねた。内容の確認ということもあったが、ご両親の消息を訪ねた。大正4年生まれのおばあちゃんは3年前の12月3日に亡くなったそうだ。明治45年生まれのおじいちゃんは、94歳でまだ元気でいるから、山の家をたずねてみてくれ、、、ということだった。

 『会津学1号』をお渡ししてきた。そして2号に掲載を検討して書いている原稿の写しを置いてきた。

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2006年5月25日 (木)

私のLスタイル

 今日の花きネットで紹介されていました。→ つくり手と会う スタイル・ストア

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生き物を見て考える

20060525img_3043 ■イデエリの湯の出る窪。湯出っど貧乏するどって、ベエゴ(牛)の頭、のめて(埋めて)きたじゅうだ。(1986年1月25日 大岐 祖母・菅家トシに聞いた話)

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 大岐集落の後ろにはクイナという山があり、そこからソデキボウ、イデエリという2ほんの沢が集落まで水を運んでいる。その流水を掘りで各家に引いて上水とした。

 漢字に当てるなら、沢のそれぞれは、袖窪、出入というのだろう。出入(イデエリ)というのはもとの道路(街道)が集落のこの沢の左岸についていて、中津川に抜ける道であった。集落に出入りする沢に、このイデエリというのはつけられる。下流の琵琶首集落、上流の見沢にもある。

 イデエリには魚がいない。沢ガニ、山椒魚だけで、秋にもイワナはのぼらない。

 ソデキボウはイワナがのぼる。

 イデエリは湯が出ているから魚がのぼらない、と言われている。硫黄分がしみだしているからだ、ともいう。

 冬に山に入ってみるとよくわかる。暖かく、そこだけ雪が溶けている。

 たいがいこうした雪消え場所には、普通、ヤマドリや小獣類が植物を食べに、あるいは水飲みに来るのだが、全く足跡がついていない。

 同じところは博士山のオゴンザワ(黄金沢)の最上流の木地挽きのデゴヤ(出小屋)のあった奥のほうにもある。大量の積雪があり、沢が埋まってしまう博士山山頂尾根付近でありながら、クマやヤマドリが、この場所には近づかない。足跡が無いことでわかる。

 沢筋の、ほかの雪の消え場にはたいがいヤマドリがいる。動物が水飲み、あるいは植物を食べに通う。

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祖母トシ(故人)は、大岐のイデエリには牛の首を埋めて、温泉が出ないようにした、という。

オゴンザワの湯の出るところにも牛の首を埋めたと、菅家ワグリさん(故人)から聞いた。

牛の首を埋めるマジナイがあったことがわかる。そして、湯が出るとそこの地域は貧乏になる、というのも共通している。

掘れば貧乏になる、、、、決して掘ったりするな、という禁忌、禁止で村人を縛る。ムラが貧乏になるから、将来への開発の制限だ。安全な水、危険な水(硫黄を含んだ温泉)という分けだけでなく、その場所は集落の裏手の「要(かなめ)」であったり、博士山と王博士のふたこぶやまの中心という「かなめ」であったりしている。

訪れる未来も、山を大切にする、利用していいことと、してわるいことを伝える仕組みが考慮されている、、、だれかがそれを解明することだろう、、、、それを受けた。

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一方で、もともと温泉がわき出しているところはどうだろうか?

舘岩村湯ノ花では、

■温泉、湯の利用はトチノミの灰汁だしで湯に浸けた。流水のより早く灰汁がぬける。共同浴場は三十四人の共有だ。利用している人で掃除している。正式に集落に加入していない人は除く。一年のカカリ(経費)を払わない人は酒を買う。

といい、アクだしに利用している。Img_5746

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木灰を確保することは山の暮らしでは重要なことだった。木を燃やすことは、アク(木灰)を生産することである。金山町上野沢(沼沢沼の近く)では、

■ツッツメ(つっつめ)という燃えない丸太、太い丸太を燃やして、アク(木灰)をとった。

●アクがたんにぇくなっから、アク抜きに使ったアクを、また、ユルイ(いろり)に入れ、乾かして使った。

-----20060525img_3010

 さらに昭和村大岐では木を大切に節約する。

■節約することを「カボイガダ」(庇い方)という。たとえば、木をかぼう。風呂を木を焚いて湧かす。二晩でたてけえすところを、三晩にして「木をかぼう」。

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 温泉が出るところは、風呂のための、この薪(まき)を焚かなくともよいので、木灰の生産量は少なくなるが、流水のかわりに温泉にてアクだしの最後の工程をするとよくアクが抜けた、という。

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樹木の利用

 20060517img_5089_2 植物の利用、、、、ひとつの樹種に利用を限定しない、という向き合い方は、取り尽くさないという利用方であり、有限である自然への賢明な対処の仕方だ。そのかわり人間力が試される。樹種の見立て、利用時期、暮らしのどこで使うか、、、、自然、、つまり山から取り出したものは、長く使う、そして繰り返し使う。細くする、、、薄くする、というのは有限のものから多くのものを生み出す技である。

 必要な樹木は名前がついていて、自生地の場所もわかっている。その採取時期も決まっている。制限(トメヤマ、ヤマノクチ)もある。

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1987年3月17日 昭和村大岐の父・菅家清一に聞いた話。大岐(博士山山麓)での樹木の利用法。Img_0322

■ドロブはアオギリのこと。高い山にある。ここら(大岐)では、クイナのシカブチ、ワンナザアの上のほうだ。二、三本ある。あとはハカセにある。学校あたりに植わってるアオギリのことだ。

■オコシカタ。マガリヨキ。

■モワダ。六月から七月はじめごろ、山を歩って探して皮をむいておく。ブドウも同じ。

■シオジ。ヤチッケ(谷地、湿地)んどごに育つ。昔、見沢なんかに、まっすぐで、ずないやづが、いっぱいあった。

■サルオガセ。夜に高い山さバンドリ(ムササビ)撃ちに行くと、風にゆさゆさしった。日の中(日中)見っと青い。竹色している。ハカセにはブナに昔はサルオガセがあったが、今はあんまねえ(あまり無い)。

■ホウキマユミ。ホウキにする。シバボウキ。少しやわい。オラはシバボウキはモミジどがで作る。昔は川端にあった。秋、春、ほとんど春に、葉のでない、ほきないうちに取る。春に五、六本取っておくと一年間に合う。今はコマユミとかゆうのか?三年ぐらいのものを取る。オンツアジイ(彦蔵)はよく取った。

■バラ。バラの実は下剤だ。種にも毛ばかりついている。トゲのないものは、サデミとか、ザルの縁(ふち)に使う。トゲなしバラは数は無い。

■クロモジ。香水に売れた。畑小屋あたりでは、取って売ったんねえか。

■マンサク。炭焼きしてたとき、炭俵の丸俵に使った。丸いスゴのなかの縁にしていた。じなじなどっで、昔は丸い炭俵だった。白炭・赤目とか焼いた。黒消しは普通の黒炭。

■キワダ。ちぃっちぇ、かじけたやつだ。胃の薬。終戦後、黄色い染め物にした。昔から使ってたんねえが?染め物はいつでもよい。薬には六月頃、内皮を取る。皮が二枚になっている。生きている皮と、役のたたない皮。外と内の皮がはがれっときが六月頃。

■アブラッポ。コシアブラのことだ。昔、山形のほうから来て、渡って歩って、何か細工物を作ったあぞ。新芽は、ここでは喰わない。木をなんとかと煮っと、白く、色がそのまま。リオウ(硫黄)焚いた。下駄になんか、作ったことがあったんねえが?

■ヤチタモ~育ってはやい。ホンタモは、ここでは見たことはない。

■ミズナラ。炭焼き、大きくなると樽材。ビール樽として出した。赤味だけ使った。ビール樽、戦前から終戦後盛んであった。野尻のババコウ(馬場孝二)は一年、二年で何千万円も儲けた。伐って、カンナかけて、荒加工して出荷した。柾でないとできない。柾目が三本とおっていないとだめ。白い部分の生きているところはだめ。固まって落ち着いているところ、赤味だけを使った。赤味はいつでもよい。川口だが、玉梨だがの人が死んで、ババコウ、我が一人でやって、ずむねえ儲けた。昭和二十年代、ハカセのハタヤマあたり、ちっとやっていた。トモミあんにゃだち、職人だから。

■モワダ。六月に皮剥いで、田んぼとかの水に入れた。腐らせて、中のいい皮を取って、荷縄、カゴとかに冬に加工していた。シナノキのこと。旧暦でサツキ(五月・田植え)が終わった時に取る。

■ソネ(尾根)にいっぱいあるが、名前は知らない(イヌシデを見て)。

■アオキ

■アジサイ

■コブシ

■ミズノキ。今では枝を取ってきて、一月十四日の団子さしに使う。大きいのはヘラ、シャモジ。こけしにも使う。普通、木は葉のないときに取る。木のため。夏はだめで、十一月から四月に伐る。カンジキに使う竹も、夏に伐ったらだめ。

■ウジコロシ。夏、押し切りで細かく刻んで、便所に入れていた。ヤギにくれれば死んだ。口からあぶく出して死ぐ。

■サワナシ。実を秋に採って、酒を造ったりする。子どもの頃は、学校帰りに喰った。奈良布、チジッパラにあった。

■バアライチゴ。黄色な実。サツキ(田植え)終わって、カッチキカリ(苅敷刈り)のころなる。いちばん早く実がなる。秋にはソバイチゴってのがある。赤い実なる。

■ニワトコ。

■ハシパミ。秋に実を採って腐らかして、中のあれだけ、からからにして喰った。子どものころ、喰った。

■ハノキ。大きくなると鉛筆の木に売れていた。土地が肥えている。ハノキダチ。どうしてもサワメに多い。二種類ぐらいある。ハノキ出ているところでやせているところはない。そういってカノヤキ(焼畑)なのんときゆった。

■コクワ。つるは、カンジキにする。ナガ・カン。ツメカンジキともゆう。実はクマの大好物。ヤマドリ、ウサギ、バンドリが喰う。

■シオジ。材料ねえとこでは屋根材。家にはタンスや卓など家具材。硬いし、ケヤキのように目が出る。

■ミネバリ。ミズネのこと。

■シバザクラ。細い、白い花が咲く。実は食べる。

■サクラ。スキーの材料にする。スキーにはハナノキも使う。音響用材。皮はナタのあたりに巻く。きがいて傘のふちどめ。菅傘のとめ。外皮を取る。

■ナナカマド。実はクマの好物。鳥類が喰う。今は生け花。

■シラカバ。皮を火付けに使う。ゆるい(いろり)の火付け、特に山小屋なんかで使う。ほんとうにいいのはガンビの皮だ。ガンビは皮をむくとサイハダッカア。
 ヒカゴどって、昔伐った太い松の木の根の腐ったやつと混ぜて、夜のドジョウブチなんかの灯りに使う。ドジョウブチは春、雪無くなっとすぐやる。ドジョウはすぐぶたないとだめ。横からみるから白く見える。昔、コウモリ傘の骨(鉄)三十本くらい一竹棒さいて作った。

■イイズク。オデエシサマの木ってもゆう。十一月十二日、オデエシサマ、昔やってた。イイズクの木は、炭焼きの帰りにおだって、持ってきておいて、オデシサマのハシとツエ、三本作って神様にあげもうす。二本は箸だが、一本は杖だが、それは楊枝だってゆう人もいる。あとはオデエシサマは片足悪いから杖一本作って上げ申して、その足跡を消すように雪が降る。

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木をかばう

20050617tb この20年間の聞き書きノートをもとに、パソコンに向かって、集中して『会津学2号』(7月末刊)の原稿を書いています。聞いたことを入力して、いくつか編集・分類して、、、、という作業が終わり、本文を書きます。図面、、、作図はトレースして出しています。教わったこと、聞いたことを出版する、という行為は書物で後世に残す作業でもあり、話者との信頼も大切。出版というのはパブリッシング、、、、公的営みです。

 この3日間で1時間しか眠っていない。カンヅメです(漫画家が旅館やホテルに詰め込まれて締切前に徹夜で原稿を書くこと)。

■5月24日も午後より晴れ、終日、原稿を書いた。パイプハウス建てもあと少しになっている、、、原稿の締切で、なかなか考えがまとまらず、書けずに、気ばかりあせる。パソコンのディスプレイ画面で、A4版で20ページは書いた。1ページは1600字(400字×4枚)。400字で80枚。32,000字。
 あと1本、書かなければならない。本多勝一は、原稿1本で400字詰め原稿用紙で100枚は書く、ことを言っている。4万字だ。

 1997年に出したイヌワシの本のときは60万8千字書いた。400字詰めで1520枚(本文1040枚、残りは資料編)。40日間、病院にカンヅメになって書いた(交通事故で骨折し入院していた)。あれから10年。

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 節約する、、、ことを「かばう」という意味の「かぼう」というのが昭和村大岐と舘岩村湯ノ花の語りから出てきた。

 木を節約するため、木を割った薪(まき)で風呂を焚くのですが、新湯(あらゆ、荒湯)といって新しく汲んだ水を焚くと薪が多くいる。それを2日目も焚くと、たてかえし、といってわずかな薪で湯が沸く。そして水を汲みかえる。それを3日目も汲みかえずに薪を焚くと、薪の節約になる。風呂の水質の問題はあろうが、時にそうして薪を節約した。それを木をかぼう、という。薪が減らないようにする。

 木をかぼう、木をかばうというのは、誰の立場でに何を大切にしているのか?というのがわかる。20050617tx

 舘岩村ではコメの減りを少なくするため、トチの実をアクだしして混ぜる。それを「コメかぼい」という。ダイコンの葉を乾燥させて、コメに混ぜるカテメシもよく食べられた。

■節約することを「カボイガダ」(かばい方)という。たとえば、木をかぼう。風呂を木を焚いて湧かす。二晩でたてけえすところを、三晩にして「木をかぼう」。(1986年1月25日 昭和村大岐 祖母・菅家トシに聞いた話)

■トチモチ(栃餅)は、「コメかぼい」どいう。昭和のはじめのころまで、秋上げは三斗五升で一俵。六から七人家内で一冬喰った。
 大正期までは耕地整理をはじめ、コメがとれはじめた。大正の十二・十三年ころ開田した。湯ノ花で田ができたのは百年たらずと言われている。塩ノ原と熨斗戸は田どころだ。 うちのジサマはよく「コメは塩ノ原から持ってくっからいい」といっていた。Img_1391

 トチはトチガユ。灰汁に入れ煮たものを、米入れかゆにして喰った。トチモチは、ヤマノクチの日だけで、一から二俵も拾った。留山になっていて、ヤマノクチは、お彼岸のお帰りの日がヤマノクチで、その日から拾える。トチとカヤノミがそうだった。

 昔から温泉がある。湯の利用はトチノミのアク(灰汁)だしで湯に浸けた。流水のより早く灰汁がぬける。共同浴場は三十四人の共有だ。利用している人で掃除している。正式に集落に加入していない人は除く。一年のカカリ(経費)を払わない人は酒を買う。(1990年10月15日、舘岩村湯ノ花の星昭太郎さん(昭和二年生まれ)から聞いた話)

■イシクラにトチクボがある。タカモリにもトチがいっぱいある。粉をいって、「トチッケイ」をよく食べた。ツッツメ(つっつめ)という燃えない丸太、太い丸太を燃やして、アク(木灰)をとった。アクがたんにぇくなっから、アク抜きに使ったアクを、また、ユルイ(いろり)に入れ、乾かして使った。トチは何俵も拾ってた。(1986年2月16日、金山町上野沢 若林武喜さんから聞いた話)

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※ひとつのものを、大切にして、工夫して食べる。

(1990年10月15日、舘岩村湯ノ花の星昭太郎さん(昭和二年生まれ)から聞いた話)

■カブといえば赤カブだが、種類はひとつしかない。種で一年は赤、二年目種は赤くなっとこど、ならないとこある。土を嫌う。ここでしか赤くならない。
 種は農協が川衣の人に委託していいものを選んで採ってもらってる。塩ノ原、熨斗戸は良くない。昔は自家採取していて、春に採った。
■昔の食べ方は、カブ漬け、煮ても食べた。ご飯を少し入れカブ雑炊。そばがきが中心。煮たカブを温めてそばを入れて練りつぶす。カブの葉っぱの菜(な)は、干し葉にしてカテメシにするし、おつゆのミとした。
■ぜいたくな漬け物として身欠きニシンとカブ漬け。身欠きニシンは三センチくらいに切って、カブと一緒に入れた。葉っぱと茎を少しづつつけて、丸ごとつけて八十八夜の雪溶けたあとに食べるものだった。
■ダイコンは丸漬けが長持ちした。茎葉を少し付ける。丸漬けダイコンを千切りにして、納豆や豆腐でよごして食べるととてもうまい。
■切り漬けダイコン、古くなって酸っぱくなったダイコン漬けを煮てカラシを入れて食べる。

(1986年2月16日、金山町上野沢 若林武喜さんから聞いた話) Img_8079

■アザキダイコン。今年は二反歩ばっかやっぺど思ってる。神代のダイコン。オオシウワノ、コグリヤマウワノへんにある野生のダイコン。そのタネをこいてきて、田(畑)にまいた。花は六月に紫のが咲いてきれいだ。荒らしてしまうと出ないが、耕すとまだでる。ソバに負けない。とうがたっても食べれる。とってすぐ水につける。空気にあたると硬くなる。からい、硬いので福神漬けの材料にはよい。

●(バサマ)アザキダイコンは、外皮が固くて百年も腐んね。弘法様のお授けだ、なんていう。食糧難のころ(戦中・戦後)、カテにしてよく喰った。タネになる前に、おひたしにして喰ってもよい。20050617hj

■カライモ。ブタイモともキクイモともいう。七月ごろ、ひまわりより少し小さな、似た黄色の花を咲かせる。福神漬けに入れる。

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不思議なこと

 科学的に解明できないことでも、否定せずに自然のなかでは存在を理解する。柔軟さ。その意味を考える。

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金山町上野沢、若林さん。

■キツネの嫁入りは、二人でみたな。遠くに鍋の底に火あたったような火が、ずっと横一列に、ちょうちんのように並ぶ。何キロメートルもつながる。ノマザワ(沼沢)からマツデンにかけて出た。道路開発のため、このごろは無くなってしまった。いまより昔の方が見えた。

■キツネの嫁入りは、下のジイサマ(爺様)、炭焼きしてっとき、よく見たっていう。

■天狗の木返しは小さい頃によく聞いた。ここ二十年、三十年は聞いてみねえな。そう戦後はそんなにきかねえな。ばさーっつ、年中あった。三尺以上の木が倒れる音がする。

■天狗岩はある。

●上野沢(上沼沢)にヤマノカミある。イボガミサマは一週間で、良く直す。今でも、遠くがら、イボガミサマどごにあんだべって来る人ある。イボガミサマには「イボ、もいだら、イボのかずほど、アズキ持ってくっから」っておがむ。数を間違えるとだめだ。

■アマヌマ。ここ(上野沢集落)から二キロメートルぐらい行ったとこにある。紫の藻がある。サンスクミ、ネズミ・黄色のガマ(カエル)・ヘビがある。

●アマヌマ、その沼の脇にトチがあった。よく拾いに行った。藤の花が咲く頃行ったら、気持ち悪い。

●アマヌマってあって、この前の水害で抜けて、小っちゃくなった。三十メートルくらい。美しく、気味悪くて、五分といられない。

●アマヌマは雨よばりしたどき、大蛇が沼沢(沼沢湖)さ、ずしりずしり行った。

●炭焼きに来ていた人。炭焼いて、木倒れて、痛くした(怪我をした)ことある。医者嫌いで、神様頼んで、おがんだら、アマヌマの上にイシミヤ(石宮)がある。明神さま。その石宮がつぶれかけている、石宮の台が割れて、ツルが生えている。そのツル(煎じて)飲めば直る、ってゆわっちゃ(言われた)。
 そして息子と二人で、石宮を探してみると本当にあった。

※アマヌマ→雨沼→天沼

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昭和村大岐

■昔、ナデツカレ(雪崩突かれ)にあって、死んだどっで、団子こしゃってあげもしたら生き返ったどって、団子をオカラクにした。助かったので観音様を建てた。正月十六日はオカラク観音講。団子は玉のように丸く作り、熱い湯でゆでる。オカラクは平らで形は丸くするがぬるま湯でナマとする。朝、オカラクを丸めたり、イモをむいたり、夜はウタヨミをする。家内中分(家族の数)のオカラクを持ってくる。おなご・こめらはみんな行った。

■オワズレ(御患い)。オワズレの日、お月様の月食には、オカラクなんのこっっしぇで(作って)おがんもうした。天道様(太陽)のオワズレ(日食)。天道様とか、お月様とか、人間が病気しねえように、代わって病気してくれやんだど。バサマ(婆様)ゆいゆいした(よく言った)。

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2006年5月24日 (水)

地名物語

 一九八六年一月二五日 大岐で、祖母・菅家トシから聞いた話。

■ガンザブ。ガケでおっかねえところ。オレ(トシ)は知らないが、テッポウブチてえの話を聞いでっと、その言葉が、よく出てくる。

■ノソ。のそ。意味はわかんね。

■バゲモノ。岩がごろごろして、おっかねえところ。バゲモノ沢に昔は橋が架かっていて、その下で博打ぶって、罰金を取られて、罰金橋という。

■風穴(ふうけつ)がある。あなっぽからカッカッと息出してっから、おっかながった。親父(清次)は、家さ来て病気になっちまった。肺炎。真っ青になって歩って来た。小野川のクマ医者が看にきて、クマ医者が疫病だって言いふらしたがら、みんなよってつかなくなった。クロガサアの風穴にはムジナがいる。

■オライの親父(トシの夫・清次)は、「あれは人がいえぞ(yeh-zo)」っていう。ちょっくら、そこらで人にはじめて会って話すと「あれは人がいえぞ」どなって、オレとバサマ(婆様・トメ)は「ちょっくら会って、そうだによぐわかるもんだ」どってだあわあや。そして「あれは大学出だがら」となる。

■よくあの、昔はヒロ、大岐はミヨシ姉、一軒きりだったあど。そうしっとムジナ来て、バサマ(婆様)オウミ(麻績み)してっとこさムジナ来て、ムジナのきんたま、八畳敷きどって、ゆるい(いろり)ぶちに広げてる。なにほどきついバアサマで、桑の木の焼いたのぶっつけだあだど。そしたらキンキーンどって逃げでったあだど。あどおっかけでいったら、ムジナ穴に丸まっていて、それひっつかめたあだど。なにほど、きつい、たいしたバアサマだった。
 ビワ(琵琶首)さ、泊まりに行くとき、ヤリ(槍)突いて泊まりあるいでだあど。ヤリはどこにもあった。バゲモノでたら使う。

 フカサアのマガリットの木の上から、ヌケックビだがなんだが「よいチャノコが通る」どって見ていただと。チャノコはお茶菓子のことだ。人を喰うとしたんだべ。
 「にしゃだちのチャノコになってらんにぇ」どって、グッツグッツとヤリ突いて通っただど。そなくれいのきつい人であった。

 セツヨウエイ(節の用意)どって、宮下とか黒沢の方へ買い物に昔は行ってだ。昔は何ほどバカにしらっちゃだわい。魚(塩引き)とられとられした。

 昔、オラはバアだぢから聞かされた。オハツどって七つのどきに死んだ。オハツの親はオツルバアどって、ミヨシがいから嫁に来た。オツルバアに「バア、昔語れ、昔語れ」どって、昔聞いてた。こたつにあたって、ちっちぇころ聞いた。

■昔はキツネだの、タヌキだの人をバガにしたあだわい。気持ちがへだなあになっちまあだべ。
 イデエリさ、キノコ採りに行ったら、ちょこっと下に行ったら、わがんなくなっちまった。山に迷った。上がってみて、松の木など見て、上さ行って、木だっこ(切り株)ぶっけえってだ(倒れていた)。「これ道だ」そして歩いてった。

 オレとオワバア、クイナさ行った。わかんなくなった。向こう、向けえ山みたら、奈良布の田とか家が見えた。オレ、へたなふうになったって、オワバアに言った。
 ハカセのハタさ、ワラビ採りに行った。そしたら「ツー」(ツヨシ姉)は、チジッパラ見て、「あそこ、どこだべ」どって正気になんねえしまった。

■小野川の文宗の親(僧侶)、お日待ちに大岐に来っと、よくオライさ泊まった(オライは彦蔵宅でトシの実家)。昼はどこ、ヨーハン(夕飯)はどこ、どっで決まってた。オライのジサマ(爺様・清次)は好きだから、そしっと昔かたりはじまる。あれも(清次)昔好きでよぐ、聞きに行った。ほんに、おもっしぇどって、よぐ聞いたんだが。

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2006年5月23日 (火)

聞き書き

 塩野米松氏、、、日刊イトイ新聞

 高校生の聞き書き→2月21日、読売新聞

 東京の林業家と語る→聞き書き 山の親父、、、

 聞き書き学会、、、、北海道にできた。ペンと耳のロゴマークは秀逸。

 

 越後三条職人聞き書き

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会津盆地のかすみ草が開花へ

 20060521img_5539 2006年5月は気象庁発表で平年の70%しか日照が無いそうだ。

 ここにきて、かすみ草の開花が遅れている。

 他生産団体の様子を聞いてみた。

 JA会津みどり洋花部会のかすみ草(新鶴)の菊池さんは、ホワイトロードが開花した、という。出荷は今週末から来週からのようだ。

 琵琶首の鈴木俊彦さんもホワイトロードを琵琶首集落南部で冬期間ハウス管理してきたが、まだ開花していない。もうすぐ咲きそうだ。

 昭和花き研究会では、三島町川井地区の角田亀好さんのピュアスプリングから開花していくが、まだ開花していない。早ければ6月2日頃から出荷が可能になるかどうか?は今後の日照量次第だ。でも少量での出荷だ。

 厳寒、豪雪だったため、今年は昭和花き研究会の草丈はピュアスプリングは70cmが中心となる。6月中はこの品種で出荷する。

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D-WORK

  20060522img_5700 2006年5月23日(火)曇。午後から雨の予想。今日は朝4時からデスクワークにした。たまった提案資料や原稿などをカンヅメになって仕上げる。午前11時まで5月29日の昭和花き研究会・役員会資料(7ページ。事前送付15名宛)を作成した。これから食事をして、サミット資料集の原稿を出す。午後は七夕フェアの企画書。終わり次第会津学の原稿を書く。

 5月15日回答期限で取引先卸売市場に求めた今期の要望書を入力した。A4で5枚あった。自分で入力する意味は、その寄せられた内容を考えるために。複写し役員への配送手配は夏季雇用している事務の方に明日お願いする。要望内容を共有化し、対応に結論を出す。ただ、、、いまだに回答書が届かない市場もある(5社)、、、、これは担当者名の確認(異動等もあるので)、、、、本会から市場担当者に文書が送達しているか?その脈絡の確かめの意味もある。本会からの文書が担当者の手元に届かない、、、という事もチェックしている。

 昨日から取引先から電話が多くなっている。

 早ければ出荷は、6月2日(金)。量的にまとまるのは19日から。羽田空港に届けるためには量的に必要で、早ければ12日。輸送会社、航空便の会社には今日連絡した。

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サミットの連絡

 7月13日、14日のかすみ草サミット (由仁町のウェブサイトより)

 第2次募集の締め切りは5月末日です。200名は申し込み済み。

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5年後

 20060521img_5594_1 5年後は2011年。その間に花き卸売市場の委託販売手数料の自由化を含む。どのように変わるだろうか?

 政府が主導しているエコファーマー制度は、申請時点で5年後の経営計画を含む。たとえば「かすみ草」で5年後だ。これは「トルコギキョウ」でも同じ5年後。

 つまりその品目で5年後の経営計画が無い産地は、あるいは生産者には申請できない。逆に言えば、その品目で生きていく意思表示のできる産地である、という自主的なものだ。取り組み姿勢の表現のひとつである。

 ひまわりを5年後も栽培する、、、、という人なら検討すべきだ。今年はひまわりを作るが、価格が安ければ別な草花を作る、、、、という場合には該当にならない。ここが、花きでのエコファーマーの少ない要因だ。つまり刹那主義・市場単価主義で品目を変える産地が多いからだ。複数品目であっても、単品ごとに長期的な経営計画を持っている場合、それは申請可能だ。20060521img_5534

 しかし、3大品目などの場合、投入化学肥料・薬剤への技術的対応ができなければ、その申請も不可能である。それ以前に投入したものの記録(記帳)が行われていない。

 仙花では2005年より宮城県内のバラのエコファーマー表示での店頭販売の支援を行っている。昭和花き研究会と花職人Aizuが鮮度保証販売の花材提供をしているホームセンターの店頭。加えて宮城県内のトルコギキョウのエコ取得の販売もはじめている。

 → 仙花 エコ販売

 日本の農山村で主力となっている人々は70歳代に入っている産地が多くある。この数年で出荷数量の激減が予想されている。農山村をくまなく歩いている仕入調達の卸売市場の担当者は、その実態から、輸入の手配をはじめている。これは市場の経営上しかたのないことだ。5年後の計画が出せない産地が多くある事実を重く見たい。認定農家も5年後の自主経営計画を出すことで取得できる。これさえなかなかすすまないのは制度云々ではなく、農業の未来が暗いわけでもなく、農業構成年齢が超高齢化で維持していることを示す。20060522img_5718

 当地も、雪どけが終わり、パイプハウスを建てる時期になっているが、体力的にそれができない、、、、つまり生産の持続が難しいので、新苗の購入をキャンセルする、、、、という生産者が他生産団体で数名単位でている。越年の株を出荷してかすみ草を止める、、、、という時代に主産地でも入ったことは、昨年の販売結果(販売戦略)が転換点であったことを意味する。補助金に頼った生産には生産を持続する希望が無い。その影響はこの9月から出る。7月13日、14日の北海道由仁町でのかすみ草全国大会(サミット)では、そのことが明らかになる転換点の大会となる。特に全国への出荷をしている産地の体力が課題だ。今大会の主題は地産地消なのだ。20060522img_5693

  品目主産地では、原油高と卸売市場価格の低迷(店頭価格ではない)から離農するか、野菜生産に転換する花き生産者がではじめている。あるいは大規模農園は自己破産(倒産)している。こうした迷った場合に、農業そのものを辞めるという離農の選択は賢明だ。

 私は営業等で各地に行く。あるいは各地から都内の講演会・セミナー等に集まってくる各地のリーダーと話す機会が多くある。立ち話とか、ほんの挨拶程度の場合でも、そのときいつも聞くことがある。「いまいちばんの課題ななんですか?」、、、、離農者が増えている。専業でその産地のその品目の後継者だと思われる人々が農業を辞めている。

 昨年秋から、花作りを辞めて、農業そのものも辞めて、、、つまり離農してサラリーマンになる農家が増えている。農業は土日の野菜作、自分のための農業に切り替える人が増えている。競争に勝つ、負けるという次元ではなく、人生の選択なのだ。とてもよいことだと思う。残った農業者が勝ち組ではない、ところが日本の現況を示している。離農した人が勝ち組になる、、、、不思議な産業界が農業世界。だから、別な尺度で意味を自ら問うことがなければなし崩し的に、農業は滅びると思う。

 エコ申請できる体力を持った農家しか5年後には残っていないという事態も想起されるのだ。昭和花き研究会でも5年後のことを、昨年から2カ年かけて議論してきた。2001年から顧客は卸売市場ではなく、消費者であることを発見したから、鮮度や品質に取り組み店頭での対話を開始してきた。その結果がエコの取り組みであり、今後のMPS-Q(クオリティ)やGAP(農業適正規範)の取り組みだ。取り組みや資格取得が目的ではなく、自らの将来ビジョン(将来展望)をその制度で自己監査する、ためのもの。時代の要請との産地の整合性を図るためのものだ。産地は天候や市況、外部要因が低迷の原因とすることが多い。、、、構成員の老齢化(高齢化どころではない)とか、将来構想を描けない理由が内部に存在することを認めたくないのだ。零細経営でも皆、きちんとした将来構想を持っている。規模ではない。また年齢でもない。そうすれば自ずと開けてくる世界がある。 (菅家博昭)

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 ジョンレノンの絵手紙→競売へ(時事通信5月23日)

   ベイビイズ・ブレスも良いと思う。→ あかちゃんの手 きいちご葉

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思うに、、、

 20031102se それを必要としている人に、必要なものが届かない、もののあふれた時代。

 花売場の店頭に立つと、よく言われる。

 「だって、かすみ草は、それだけを売っていない。スーパーに行けば、花売場では、何かの花のおまけでパックされているか、花屋さんでは奥のガラスケースの中のさらに奥に新聞で包んでしまってある。それを下さいと言う勇気はない。値段も高そうだし」

 あるいはインターネットでも販売しているというけれども、ネット利用者の大半は現在のところ男性だ。

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 なかなかの慧眼です。→→→ 新しいプレーヤーの登場 

  売ってる者ではなく、買っている人を観察する。展示品ではなく参集者を見る。若い人が多い→→→社長のコラム バラ

 市場のランク付け。この観察眼。→→萌木商店5月22日 スプレーバラ

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かすみ慈愛

 柳津町に斎藤清の版画館がある。

 1991年に製作された「かすみ慈愛」というのがある。ピンクのかすみ草は当時は露地栽培のレッドシー(紅海)。露地なのでだれでも見れた。

 かすみ慈愛、、、は平成14年の人気1位なのです。

 → 100選

 → 斎藤清美術館

 → 額絵 小さな写真↓は大きな絵が見れます

 → かすみ慈愛の版画

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2006年5月22日 (月)

メナグリ

 20060522img_5759 2006年5月22日(月)晴れ。夕方の畑、、、具体的には17時頃になると、涼しくなり、蚊の集団が顔の周りにまとわりつく。直射日光が弱まる、日陰に入るとすぐ出てくる。今日は、汗をかいているので蚊を呼ぶ。口からはき出す二酸化炭素に蚊は反応して寄ってくる。

 ハエのような形状の、この黒っぽい小さな蚊は「メナグリ」(目殴りの意味だろう)とよんでいる。今日は、顔に50匹ぐらいでまとわりつく。朝早く出るし、夕方になると出る、曇雨天でも出てくる。

 朝は朝露のため長靴を履いているから良いが、夕方は足首をよく蚊に刺される。登山用具で足下を固めるスパッツというもの、、、脚絆のような、、、あとは手首をまもる「てさし」も必要になる。

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 我が家(昭和村大岐)は携帯電話は通じない。有線電話で、留守電照会で、夜に聞いてみると、24日開催の午後の会議が中止になった、そうで、上京そのものを中止することにした。20060522img_5752

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 日本の釣り文化を守る、、、5月28日

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かすみ草論

  マツヤマさんのかすみ草理論(5月22日)

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  今朝の大岐のモトコ姉、「オレも年取ったから、今年がからむしも最後だ」って言ってた。

 帰宅して母に聞いたら、いままでカラムシ焼きとヒキに来て手伝ってくれた織り姫体験生OGが来ないのだという。だからだろう、ということだ。

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 朝の圃場の脇でサシバが2羽。1羽はカラス2羽に追われていた。繁殖期に入っている。午前の境の沢圃場ではカッコウとエゾハルゼミが鳴いている。畑の中央にある水たまりにはカエルの卵と、オタマジャクシ、ヤゴ、アメンボ、そしてミズスマシ。水面に落ちたバッタの子どもをミズスマシが捕獲して食べた。2006年5月22日は晴れ。

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焼畑へ

 20060522img_5698 2006年5月22日(月)晴れ。快晴ではなく、薄雲がかかったため今朝の気温低下は6度で止まった。霜は無い。晴れ渡ると放射冷却で降霜となり遅霜の害も出る。

 朝の仕事から朝食に帰るとき、大岐の高畠(たかばたけ)の「カミッテンデイ」と呼ぶ台地でモトコ姉(あね)が、からむし畑の草むしりをしていた。除草具(草掻き)で手で草を引き抜いている。「からむしの芽が出始めた。草むしりが終われば、夕方、天気が良ければ明日にでも畑を焼きたい」と言っている。20060522img_5721

 縄文時代から利用してきたカラムシ(繊維)。昭和村では6百年とも8百年続く畑での栽培だ。肥沃な上畑を利用する。宿根植物で5~8年で植え替えするが、毎年春に芽を出す。除虫と除草、芽を揃えるため、カヤ(茅)を敷いて火を付け焼畑をする。その灰が肥料となる。からむし焼きは、霜が降らなくなるという小満(今年は昨日の5月21日)の日に行う習わしだ。

 畑の隅に白い花を咲かせた桃の木が植えてある。畑の隅に植えた木というのは「畑隠居の木」という。隠居とは引退したという意味で、通常老成すると隠居し若い人に家の運営、農作業の段取りと責任を任せる。しかしいつもそばで見守るのが隠居(いんきょ)だ。20060522img_5714 現代日本の農山村では本来は隠居すべき年齢になった人々が「鍬頭(くわがしら)」として第1線で稼いでいる。会津藩は少年兵の白虎隊や、老人による編成隊、、、そして先の第2次大戦の日本でも老人・婦人まで動員して戦う、、、、という時代があったが、農山村はいまだそのままの世界だ。

 大岐ではからむしと麻織物が近世江戸時代の暮らしを支えた作物であった。からむしは7~8月に繊維として乾燥させ軽くして越後山脈を越えて小千谷とか十日町に送られ、そこで布に織られた。越後上布である。20060522img_5734

 麻(アサ)は、繊維にして冬の間に布地とし、これは会津・関東に蚊帳地として販売した。

 強い繊維の麻を縦糸に、繊細な硬い繊維を横糸にして冬に織る布は「カタヤマ」といい、これは会津田島町に出して、そこで藍染めされ「カミシモ(裃)」となる。田島祇園祭の党屋衆が着用した裃は多くが昭和村(当時は野尻郷)産だ。

 さて、「畑隠居の桃が満開となったらカラムシ焼き」である。20060522img_5719

 ハウス建てとか、田植え、そしてかすみ草を植えるための畑作り、、、、堆肥を配り、有機質の肥料を条に蒔き、ビニルマルチを掛ける。梅雨となると畑が湿りすぎ、マルチかけの機械・管理機が入れなくなるので、土の乾燥度と、天候を見ながらの作業だ。

 かすみ草の苗を植えるが、マルチ内の土壌水分の適度さ、土の密集具合により乾燥度が異なり、生育やその後の管理に大きな影響がでる。露地雨除け栽培なので、雨水に頼るので、マルチ掛けが重要な作業である。

 植物は植えれば一人で育つ。20060522img_5746

 パイプハウスは決められた時間、自分が働いて建てなければ終わりが来ない。時間を費やした分、形が見えるが、あと一息だ。5月末までにハウスを建て終える。1町歩、、、、のハウスはまた5ヶ月後の10月中下旬から11月にすべて解体する。

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朝の開始

 2006年5月22日(月)昭和村大岐。3時台に起床してPCを前に作業をしている。

 朝一番で仕事に出た人は4時20分。軽トラックのエンジン音。薄明かりだ。

 田植えが終わったので、今日は4時30分に家を出て、ハウス建てに専念。今週は2~3社の卸売市場から圃場視察に来る。その応接の仕事がある。水曜には東京出張。その分の、自分の家の仕事を進めておかなければならない。

 30分でも作業量は違いますね。

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2006年5月21日 (日)

寒い、、、霜か?

 2006050121ond 2006年5月21日(日)21時。外気温は相当低くなっている。明日朝は降霜かもしれないので、ハウスのビニルは全部閉め保温体制にした。

 5月1日に設置したデータロガー(デジタル温湿度記録計)よりパソコンでデータを吸い上げた。21日までのハウス内平均気温は19.6度。地温はそれよりプラス1度高。ただ外気温の振幅は7度から47度まであるが、地温は10度から30度の間で移行している。

 データロガーは、出荷品につけて市場で回収し宅配便で送ってもらうために、よく使用している。輸送温度帯のチェック(コールドチェーン)のためだ。

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田植え

 20060521img_5554 2006年5月21日(日)晴れ。気温10度(朝)→20?度

 田植えをしている。田んぼの泥の中は、足をくるぶしくらいまで泥に入り暖かいが、渡る風はとても冷たい。北風。耳がとれるほど冷たい。昼前には少し風もなぎ、体もようやく暖まった。と、昼前から川向こうのコナラ林でエゾハルゼミが鳴き出した。

 田んぼはカエルの声が満ちていて、ステレオ、、、左右から響く声がする。

 機械で植えた後を手直しするために手苗を持ち、、、はじ植えや、石で苗が浮いている所など直す。20060521img_5604

 ゴム長はひざまでの長いものだが、1984年に買ったもので、、、、まだ持っている。年に数日、田植えの時に使って、あとは天井(母屋の2階の倉庫)にしまってある。昭和花き研究会を設立した年、、、、22歳の時からずっと使っている。22年間。

 水田は半分を転作(つまり水稲を強制的に止め)し、排水して水を乾かし、畑にして、かすみ草を植えている。今日の田植えは2枚の田。1枚は2反5畝(にたん・ごせ)。25アール。長さが80mある。幅は約30m。それが2枚。午前中に1枚を植えた。あと午後で夕方まで終わる予定。20060521img_5614合計5反歩(50アール)。東京ドームのグランドの面積が13,000平方メートルなので、我が家の水田は東京ドームの約半分をかすみ草にして、残り半分に水稲(イネ)を植えている、、、

 水田の泥、、、、、ペースト状の上に、ヒルが結構多くいて、緑から茶色と色がいろいろで、3cmから5cm。アメンボも多くいる。カエルの卵も結構ある。カルガモ(野生)が上空を行き来し、伝書鳩の白い1羽が迷って水田脇の土手にずっといる。カラスは土手でミミズ類を探して食べている。水面の反射光で結構また顔が焼けそうだ。

 母は70歳になった一昨年から、田植えには出ていない。足腰が弱くなったからだ。父が田植機で植え、私が補植と「おかまわり」だ。

 狭い農道を苗を運んで何度も軽トラックで行き来したが、栃木や埼玉県内のナンバーの4WD車が行き来して、通行を妨げ、仕事にならない。魚釣りや山菜採りに来ている。今日は博士峠も多くの車が路肩に停めて山菜採りだ。農道に入るのは止めてほしい。20060521img_5586

 今日は日曜で、少し上流の田んぼでも会津若松に行っている息子たちが来て、彼らの祖母・祖父と一緒に田植えをしている。私と父が10時に「イップク」(休憩)していると、そこからスイカが届けられた。

 そういえば一昨日、柳津町の水田で、、、田植え、、、乗用田植機に、小さな子ども(たぶん孫)を4人乗せている人がいた。

  田んぼの仕事はあまり好きではないが、泥に足を入れて、腰をかがめて左手に苗の束、右手で苗を泥の中に植えていると、何も考えることもなく半日がすぎる。「無心」になっている自分を発見する。雑念は無い。それで一日が終わり、また明日が来る。それが農の暮らしだ。20060521img_5584

 夕方、2枚の田んぼの田植えが終わった。昔なら「まぐわ(馬鍬)洗い」、、、そして「さなぶり」なんだが、、、、、という。

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2006年5月20日 (土)

検索経済

20060521img_5517  2006年5月20日(土)、夜。久しぶりに書店に。文庫本でグーグルの本がいくつか出ている。「検索経済」という語句があった。

 子どもに聞いたら、数年前、中学生の時に『虫師』は購入して読んだ、という。1~6巻まで所持しているそうだ。

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やまびこ

 木霊(こだま)→やまびこ→ウスタビガのまゆをヤマビコという。→→→福島県ウスタビガ

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春蝉(せみ)

 20060520img_5485 2006年5月20日(土)。雨。そして小雨。上がる。曇り。空気中の湿気が多い。20度から22度に。暖かい感じだ。

 大田というところでハウス建て作業。11時50分頃、少しの陽ざしがあったとき、滝谷川左岸のワンナ沢でエゾハルゼミが鳴き出した。曇ったら鳴き止めた。今年はじめて。

 同じ時刻、作業をしている対岸の新田の尾根から1羽のサシバが、はばたかず、ソアリング(旋回飛翔)。カエルは水の入った田んぼで鳴き出している。午前中は県道の舗装でヘビを見た。

 雨上がりの畑(もとは水田を転作)のハウス建ては、昨年のパイプ孔に水がたまり、それを鉄筋棒で差し込み孔の確保をするのだが、そのとき泥水が出てきて腕やメガネにかかる。深さを一定にして開けた土の孔にパイプの根元をさして、肩の高さを均一にとり、天井部の直管を金具で固定する。20060520img_5434

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■ 朝取り花の直行便がバージョンアップしています。→ フローレ21

■ 6月3日・4日の来村者が10名→自由学校

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のそ

20060520img_5460  博士山の西麓、昭和村に、聞き取り調査で出てきた同じ沢の地名が2カ所ある。

 のそ

 ノソ、no-so

  それぞれに1本の沢の名前である。これがわからない。意味がである。

 キンノキザワ(桐の木沢)とか、トチクボ(栃窪)、、、、谷の形状、沢や窪という地形を示すものにその沢の特徴ある植物を加えている。桐の木を取った沢、栃を拾ってきた沢(拾い続けるために名をつけ、採集開始日の山の口の日を決める、その日前には入っては行けない)

 果たして「ノソ」という名前は何をいっているのだろう。

 

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時間の創造

 前述書209~211ページ。( )は読み手の私の感想など。20060519img_5404

 他者との関係のなかに存在しているとき、その他者と共同で私たちは時間を創造している。この時間は、はじめに客観的な時間があり、それを消費していくという個人的な時間とは異なっている。

 他者と一緒に、どんなふうに時間を作っていくのか、ということだと思うのです(ここで私は、ショーザフローレと店頭フェアを思い出した。IFEXとか、JFMAとかJELFAとか)。

 いまの都会の生活は、ひたすらお金を消費し、つまり貨幣を売り、ひたすら時間を消費する生活。つまり貨幣も時間も、底をつくまで消費するようになった。だからすごい不安が出てくる。底をついたらどうしようか、という恐怖。お金が底をつくことを破綻としてみているし、自分の時間が底をつくことはみたくない。20060519img_5403

 時間の消費は苦しい。

 ところが都会を離れて農山村に行ってみると、そこの高齢者には時間の消費者という感じが全然ない。他者との関係のなかで生きている。

 自然と一緒に時間をつくり、畑や山や村の人たちと一緒に時間をつくりながら暮らしている。だから時間は減っていかない。いつでもつくりだしているだけなのですから。(ここで私は、いつも働く、ぺろっとしてるわけにはいかない、、、、ただいるわけにはいかない、、、、ということを思う)。20060519img_5391

 他者と共同した時間の創造者になっていかなければならないのではないか?そう考えたとき、時間を創造する「場所」が再び視野に入ってくる。共同体という場所での時間の創造。そして他者との関係がつくりだす場所のなかで、どうやって共同の時間を作っていくのか(産地フェアは卸売市場の担当者・加工業者・バイヤー・生産者・消費者が店頭に一同に集まる場所を、共有することが大切だな、と思う)。

 生産者と消費者が結びつくということは、共同で、作物をつくり、それを使う時間を創造していくことでもある。共同で時間をつくりながら、相互的な交通のルール、習慣をつくっていく。この過程のなかで貨幣も用いられる。それができたら貨幣は権力としての近代的な貨幣ではなくなり、やりとりされる作物は、労働時間量によって価値を与えられた近代的な商品でもない。これまで貨幣や商品の地位を引き下げてきた。20060519img_5344

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 135ページ

 「半商品」としての商品には、使用価値の文化が生きていた。それが可能になったのは具体的な関係のなかでつくられたり、流通したりした商品だったから。

 たとえば職人は仕事を頼まれると、何時間かかったとか、コストに対して利益率が何パーセントかといった計算はあまりしていない。結果的に赤字になったとしても、具体的な関係のなかで依頼された仕事に応えていくことを優先させた。つまり使用価値がまず念頭にあり、具体的な関係がそれを求めさせている。20060519img_5395_1

 こうして生産行為としての労働は、文化的営みとしての労働という面をも、あわせもつようになる。

 有用性というのは、文化的なもので、関係のあり方によって価値量が大きくなったり、小さくなったりする(ここで、私は、フェアトレードのことなど、、、思い出す)。

 都市の賃労働に従事していても、賃労働の論理を超えたものをもって働いていると感じるときのほうが、働いている者はずっと幸せ。

 私たちは自分の労働量に見合った収入が上げられるかどうかなどどうでもよくなって、ただそれをしたいから、そうしなければいけないと思うから、その労働をするようになってしまうことがある。たとえば、農地、周囲の山や川という具体的自然と関係を結びながら働こうとするとき。

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 119ページ。

 半商品とは、市場では商品として通用し、流通しているけれど、それを作る過程や生産者と消費者との関係では、必ずしも商品の合理性が貫かれていない、商品。

 お金でやりとりされてはいるが、その面だけではみることができないものが半商品。

 たとえば、芸人や職人の世界。たとえば芸人は商品として売る、お金をもらうためにのみ芸をしているわけではない。自分の追求する芸の世界がある。20060519img_5274

 たとえば職人。自分の誇りにかけて依頼されたものをつくる。自分の納得するものをつくる。そのためにたいへんな日数をかけ、日当計算をすれば赤字になってしまうこともある。消費者もただ商品を買いに来ただけではなく、そういう職人のつくるものだから手に入れたいと考えている。つまりここでも商品でありながら、生産者も消費者も商品の論理だけで動いていないという関係が成り立っている。すなわち半商品の世界がある。

 「商品にあらざる商品」、商品のかたちはもっているけれど生産者と消費者の間に売り手と買い手だけでは割り切れない、文化的な関係が成り立ってる。

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 136ページ20060517img_5089_1

 つくり手はあくまで、使用価値の源泉みたいなものしかつくれない。ところが使用者だけでも使用価値は生まれない。つくり手が必要になる。つまりつくり手が源泉をつくり、受け取り手が使用価値を発生させる。しかも使用価値の量はさまざまな条件やつくり手と受け取り手の関係で変化する。このような関係的価値、つまりそのものがあらかじめもっていた固有の価値ではなく、関係のなかで生まれ、関係とともに変容する関係的価値が使用価値なのです。だから文化的な価値だともいえる。

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優れた経営とは

  2006年5月19日(金)夕方、自動車のブレーキ修理を待つ間に、ディーラー事務所で、哲学者の内山節『創造的であるということ(上)農の営みから」(農文協の人間選書254、2006年3月刊、1700円)を読んだ。20060519img_5209

 いくつか自分が考えている世界と重なるところ、違うところ、学ぶところがあった。著者は、なぜそのように思索し結論に至ったのか?を考えながら読んだ。以下本書より

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 農の思想については、アメリカには農民はいない、産業があるだけだ、としている。農業は産業であるべきか?という問いだ。労働についても考えている。

 「半商品」の思想を提案している。商品から半商品への転換をだ。そこに地域農業の可能性を見ている。

 無事、ということを言っている。

 時間価値、そして地域・ローカルな思想から、思想と風土・思想と技・思想と文化でまとめている。

 第2次大戦後に日本は農村の民主化ということが、農業協同化論が近代化であるような取り組みをしてきた。しかし国営化・協同化をすすめた旧ソ連などの農業の失敗もあって、農業は家族単位で営まれるのがいちばんよいのではないか?という考え方が強まってきている、という。20060519img_5221

 家族経営と、結(ゆい)のようなかたちで伝統的に創り出された協同労働、助け合いの結合が、営農のうえでは、もっともすぐれたかたちだろう。

 かつては家の技術であったものを、地域の技術として受け継ぎ、継承させながら、そのなかに新しい農民をも受け入れていく努力が必要になる。家の継承なき農業と農民の時代を考え出さなければならない。

 日本の伝統的な家には「居住空間」としての居間と、「仕事空間」の土間、「接客空間」としての客間がそろってこそ家であった。それは分けられないものとして存在していた。20060519img_5225

 農地もまた同じ空間、仕事空間でもあり、生活の場でもあり、近所や誰かたずねてきたときの接客空間になる。接客といっても村人のコミュニケーションが中心。生活・労働・接客が分離できないかたちで連続的に実現しているからこそ、地域社会が成り立ち、農家の労働が結などの地域の協同労働に支えられる。

 そこに農村風景がつくりだされた。風景とは半分は自然がつくりだし、あと半分は農村の暮らしの長い時間的蓄積がつくりだした。家の中に一歩入ったとき、そして農地や山の姿のなかに、生活と労働と接客が一体となりながら築かれてきた農民の知恵や技術が感じられる、そのとき、そこに農村風景を感じる。

 第1に農民の営みはどこまで拡大できるかを考える。農業という産業があっても、農民の精神の習慣は存在しなくなる。20060519img_5330

 第2に、現代的な生活と労働と接客が一体となった暮らしとは何かも考える。ここに都市と農村、山村との交流が入ってくる。都市の人々を接客することではない。生活・労働・接客が分離できないかたちで一体化している世界のなかに、都市と農村・山村の人々の交流をつくりだす必要性がある。

 別な視点からみれば、貨幣の獲得に寄与しない農業があってもよいことを示している。お金にはならないけれど、土を耕し、作物を育て、その行為を通して自然と人間の相互の助け合う関係を築きながら、生活・労働・接客が一体となった場をつくる、、、そのことを楽しく営んでいく農業があってもよい。(クライン・ガルデンや市民農園)人々が農の営みを生活のなかに回復していこうとする動きは強まる。454005308601_1

 

 

 

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2006年5月19日 (金)

マツヤマ新聞、再開

20060519img_5243  来村時に借りた「虫師」、1巻読み終えました。想像力を必要とする本でした。でも半分くらいからその世界に入り込めました。幕間の小さなコラム・イラストが楽しい。

 2006年5月19日、、、、会津のことが二題、紹介されています。こだまの秘密、壊れたかごのゆくえ→ 虫の域?

→ カムカムフルーツ

→ カムカム果実

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 草花園がフローレ21大田店でフェア→→→フローレ2120060519img_5207

 → 草花園

 → 大田フローレ:オオシマ店長ジャーナル

   →→AFM 高級ひまわり

 → 風花の花屋だより

 → ズッキー

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 → 長崎の染色師、吉村さん、 タマゴ・ブルー登場(大森花き)20060519img_5232

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 今日は、夕方、自動車のブレーキの修理のために時間を費やしました。擦過音は無くなりました。九十九里のキーキーバンと同じ様相で一週間たいへんでした。

   最後に雪の消えた畑の脇の里山、、、コナラの林ではカタクリが満開、キクザキイチゲやミズバショウも、蝶も昆虫も出ています。

  →ウスタビガ(やまびこ)

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ワカメとカスミ

 20060519f21p2 2006年の5月18日に花きネットブログに紹介されていた、ワカメとかすみ草のブーケ。

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 大作の登場です。

 2006年5月19日のフローレ21のフロレッタちゃん!721号は、同社・営業企画室長の松山誠さんによる編集号で4ページ。午前2時47分にメールマガジンで届きました。2~4ページまで昭和花き研究会のエコファーマーや、奥会津の山菜、ゼンマイなどの意味についてレポートして下さっています。さっそく今日、全会員に今号のフロレッタちゃんは配布します。→昭和花き研究会

 17日に早朝から取材して帰京しまとめる、というのは速報なのですが、やはり視点・構図・まとめかた、、、、は花き業界では秀逸なライターだと思います。528人が読んでいます。1ページは花日記リンク集の紹介です。こちらは登録者が100名と多いですね。草花園のダイスケ氏は今日朝から大田フローレ21の店頭(大田市場仲卸街)で店頭フェアに立っているようです。2回目(年目)。

 →→→フロレッタちゃんは、購読制(無料・登録)20060517img_5055_1

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 千葉・折原園芸にはJELFA(FAJ)チームが取材に。フラワーショップに掲載されるようです。

 浜松のPCガーベラには吉田室長が訪問、6月13日に霞ヶ関で会いましょう。

 室長といえば、世田谷の宮西室長は、店頭で消費者と対話を開始しています。お近くの人は、是非、お花を買って下さいね。軽トラ日記とは、社有車の幌付き軽トラで世田谷を行商して歩く現代の商人の宮西室長のことです。

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 アカショウビンは南方より夏に渡ってくるヤマセミやカワセミの仲間です。昭和花き研究会ではヤマセミのマークを商標登録としています。奥山の清流に棲む大型の鳥類で、川魚を捕って生きています。

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宇宙はここにある

  → 矢野TEA's Garden

 小学館のビーパルから、かつて『森の標本箱』を出したことがある作者。

 2006年5月10日付けで『テーブルガーデン~テーブルで育てる小さな森』が発刊された。多くのアイディアがあふれている。店頭での陳列やPOP、産地のウェブサイトのあり方など、1枚の絵、写真から転用できるイメージが多くある。

 小さくする、、、、というのはとても日本的で、宇宙を手のひらに抱くことになる。

 たぶん、カミ(創造主、神、八百万神)になる視点を持つ、、、、ことになるのだろう。疑似体験。

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■ 畑の辞書→野菜作り用語

  → やさいのひみつ

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2006年5月18日 (木)

紫色の花

20060518img_5155  2006年5月18日(木)、午前中、三島町川井の圃場のかすみ草にかん水(水やり)。その後、新日本流通(株)の井尻さんが来県していて本年のレンタルバケットの旬別使用計画を打ち合わせた。

 午後は、会津若松市城東町の福島県立博物館の公開講座に参加した。近世の絵画がテーマで、聞いていていろいろと文化政策について考えることがあった。自分のかすみ草産地としての文化政策として置き換えて、藩主の立場で絵や絵師のあり方など、イメージした。幕府の絵師は、「奥絵師」というらしく、、、「奥」がつくとエライのだろう?大奥とか、、、、「奥」会津とは、会津の山奥という意味だが、ある意味で、自然と接する最前線である。

 博物館で、赤坂憲雄館長と昼食時に話す機会があり、先日のカワグルミの箕(み)、、、つまり皮箕のことを話した。館長は箕の研究をしている。「カンケさん、その箕はどうやって置かれていましたか?どのようにして置くかが重要なのですよ」という。20060518img_5141

 アイヌ民族は箕は女性なので、恥ずかしがるから、きちんと置き方が決まっているのだそうだ。

 鈴木克彦先生がまとめた「松山物語」(松山誠物語ではありません。念のため。昭和村松山集落の人々からの聞き書き集)の「トチハカリ」(栃量り)について引き出したすばらしい報告であることを話した。鈴木先生には6月15日(木)の18時より、会津学研究会で、今回の「松山物語」ができるまでの事例報告してもらうように依頼しました。三島町宮下の奥会津書房にて。20060518img_5168

 会津盆地では桐や藤など、紫の花が咲き始めている。季節は初夏へ。昭和村はまだ春。藤棚のあるブレンダ、、、も藤が咲いているでしょうね。ウワミズザクラの白い穂状の花もきれい。聞き取り地名の図は6枚トレース分を奥会津書房に渡し作図作業を依頼した。

 今日も、皮箕(カワグルミ樹皮で作ったミ)をなぜ見せてくれたのかを考えている。

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■6月13日の農水省・花き対策室の生販交流会の事例報告者が決定した→→→農水関連記事(PDFファイル)

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商品政策MDをどうするか?

  → リテイルウェブ 日米展示会相違と集約度 5月2日

 → 5月3日、MD、ストーリー、カテゴリー

 → つけもの大学

 → 就農支援・グッドテーブルズ(ヤマケン)

 → 植物のしくみ(メモ)

 → ヤマエ生花 台湾のトルコギキョウ PDF

 → 

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 生産地、特に大規模共選産地が荷先を絞り込む。出荷先の卸売市場を絞り込むと、荷物が入荷しなくなる中小の卸売市場は仕入れ先確保、そして卸売市場自体の経営のために輸入品、あるいは開発輸入を行う、、、、というのは野菜卸売市場が経験してきた法則だ。大きな市場から小さな市場は購入する(あるいは転送)という構図から、仕入れ先市場が国外の卸売市場に拡大していく、、、、結果として商品MDが豊富になっていき、国産の主品目(ベーシックアイテム)が崩れていく、、、、、多品目供給が足かせとなって、国内産地は衰退していく、、、、芯が無くなる、柱が無くなるのだ。その品目を引っ張る責任産地(主要・大規模産地)はトップランナーとして迷わずに走って欲しい。

 → 日本農業市場学会

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オケ論

 青山フラワーマーケットでシャクヤク・フェアがはじまる。長野県のJA中野市産。5月22日から札幌・東京・大阪・福岡の、初の全国一斉の開催だ。34店。

 → 花は見るもの 

 → オケづくり  売場に残った10本の花をどのように飾るのか?井上さんのオケ技術論。

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 → オーガニックな、千葉県 三宅花卉園 5月7日

 → 正義のミカタの推薦する 大手町カフェ 

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 → JFMA理事会では福井先生が隣に座った。いろいろ話しを伺った。その福井先生のウェブサイトの最新話題は、サンフローラの新栽培技法のトルコギキョウは草丈150cm。技術革新を見ます。さすが大分県は進んでいます。 → コラム 5月17日

  → 大分県 サン・フローラ(トルコギキョウ) ウェブ

 5月12日のコラムでは、以下のような適切な提案をされています。

 これからは,「生産に徹して良品質の切り花を生産する」ではなく,消費需要を常にマーケティングして消費者の望む切花を生産するとともに,常に新たな需要の開拓をし続けることが重要になってきていると思います。

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 2月に開催されたPOP展示の農水花き対策室の生販交流会、その応募作品が花普及センターで読めます。おきたま、花職人Aizu、中澤蘭園も載ってます→→→ 花普及センター 店頭で利用できます。

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 気温が高くなると水の管理、植物の管理、基本はあまり難しくなく、清潔にすることだけです →→ 仙花のコラム・地元産に期待すること 5月2日

 慣れるまで仕事が増えたように思いますが、実は、受注が増えます。オケ(ばけつ)の話し。 → 富樫さんのウェブログ 5月15日

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 いつも通る旧・北会津村のさくらんぼ農園の隣の道ばたのシャクヤクのつぼみが毎日大きくなってきている。先日、昼にランチタイムのカレーを食べるためにたずねた会津若松市のトンカツ屋には3輪の深紅のシャクヤクが飾ってあった。

 トイレにも切り花が飾ってある。花瓶の水も朝の開店前に交換されている。

 そして、別な水盤には、モルセラが生け花風に、剣山(けんざん)に活けてあった。

 金属製の剣山は、たぶんにすぐれた、繰り返し使える東洋的思想の道具(花生け具)です。ハリハリは、ちょっと怖いけれど、プラスティック製のものもホームセンターでは出ています。銅製などは、金属イオンが水の劣化を防いでいるのではないかと、、、、

 剣山→菊印剣山 70年の歴史と手作り 

 剣山→ はなかざり

 PDFファイル、、、、いけばな活性化試案

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 すすんでる花の岐阜県は、花飾りサポーター

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2006年5月17日 (水)

かすみ草物語

2002年の調査より→→→わたしのかすみ草物語

 北海道由仁町で、7月13日、14日に開催される、かすみ草サミット事務局のJA由仁町の高橋浩さんと電話で話しました。現在まで約210名の参加申込があるようです。

 昭和花き研究会からは会長の菅家博昭、副会長の本名敬、副会長の寄金洋史の3名が参加します。全国から生産者、研究者、そして卸売市場などの取引先からも多く参加があります。

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樹皮利用の文化

  20060517img_50552006年5月17日(水)曇り。

 かすみ草のエコファーマーのにはどのような現場の対応があるのか?(まだ申請準備中、5月中に申請します)を調査に来たフローレ21の松山誠さんを、早朝の博士峠から昭和村に入り、大岐集落のハウス群を見ました。その後、柳津町を経由して会津若松駅まで送りました。

 柳津町大字琵琶首集落はゼンマイ収穫が盛ん。軒先、庭先、道端で稲藁(いなわら)のムシロを並べてゆでたゼンマイを並べて干す作業をしている。手で揉んでいる。山から自生しているゼンマイを取ってきた人、栽培したゼンマイを利用している人もいる。JR会津若松駅を12時1分発には時間があるので、復路は、3カ所ほど車を降りて地元の人の話を聞きました。 20060517img_5059天気がよいと3日くらいで干しあがる、という。

 みな庭先、外で仕事をしていました。

 スカリとよぶ手製のカゴ(籠)に採ったばかりのゼンマイが入っている。ゼンマイの綿を取っている婆様(ばさま、おばあさん)に使っている道具の話を聞いた。綿を取ったゼンマイはメケとよぶ竹製の底の平らな容器に入れていた。目の混んだザル、、、これはマタタビ製、、、、すべて爺様(じさま、おじいさん)が作っている、という。

 「どっから来たか?」と聞かれた。

 松山さんをさして、この人は「東京 から」と応えた。20060517img_5087_1

 婆様は言葉を切り替え、標準語近い言葉で僕らの質問に応えてくれた。

 綿取り作業にいそがしく、手を止めると迷惑だと思ったので、お断りしたのだが、手を止めて、歩いて玄関に入り「樹皮で作った箕(ミ)」を持ってきました。

 「写真撮っていいよ」

 「オライ(我が家)のジサマ(爺様、これは女性、つまり婆様からみて夫の爺様ではなく、2代前の爺様を言っていた)がカワグルミ(サワグルミ)の木の皮で作ったもんだ」20060517img_5089

 「家の中に入れておくのは、外に置くと、天道様(太陽光)にあたって皮がむけっちまあからだ(皮が割れたり、削げたりする)」

 つまり、手製の箕だが、直射日光にはあてないように管理している、、、、わけだ。とても大切にしている、、、、というのがわかった。

 樹皮を利用した文化は縄文時代やアイヌ民族の文化につながるものだ。

 「そのままで、そこに置いていいがら」と婆様が言ったが、20060517img_5091

 その言葉を聞いて、写真を撮った箕を玄関の日陰に置いて、玄関の戸を閉めた。

 使わないときに、樹皮製の箕は、直射日光にはあてない、ことをいま聞いたからだ。

 松山さんは、駅までの車中で「昨年10月下旬に花職人Aizuの湯田浩仁さん宅をはじめて訪問したあとに、山形県米沢市の博物館でゼンマイの綿を利用した繊維で作った糸や布を見たが、綿なんかそんなに大量に取れないのにどうしてこんなゼンマイ織りが出来るのか?と思ったそうだ。それが今日、昭和村からの帰り道の柳津町の琵琶首の集落で行われている作業をみると、どの家も庭先でゼンマイもみをしていて、「一大産業だ」と思って、綿も大量に取れるんだと実感した、、、、という。私たちにいろいろ話してくれた婆様は綿は畑の肥やしとして(堆肥として)入れる、と言っていた。20060517img_5099

 なぜ、わざわざ、ゼンマイの綿取りの最中に、、、、私たちのために、作業の手を止めて立ち上がり、家に戻って樹皮製の箕を持ってきてくれたのかを、ずっと考えている。私は今日はじめて会った婆様だ。

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 庭先で仕事をする意味→→収穫物の公開

 朝8時、昭和村に向かう博士山のブナ林内でツキノワグマを見ました。今日はその森でずっと「気配」がしていました。少し遠く「がさごそ」と落ち葉を踏む音を何度か聞いたので、、、、カッコウの鳴き声も今日、ブナの森ではじめて聞きました。南からの渡り鳥です。 

 残雪にクマの足跡を見て、その後、「エゾハルゼミのブナ」と呼ぶところで松山さんはクマの糞を発見、、、、いつか会うな、とこの春から思っていたので、右向き後ろ姿のクマを見て、写真を撮って、今日は、すぐ国道舗装道に松山さんと降りて帰りました。クマは夢中で昨年秋に豊作だったブナの実を雪どけで出た落ち葉から探して食べていました→→→猟師の目配り

 1995年に書いた記録より→→→博士山麓に暮らす人々に学ぶ(菅家博昭)20060517img_5028

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生産方針

 エコファーマーは有機無農薬栽培ではない。現行の作業を見直し、不要なコストを低減することを通じ、自然素材の堆肥や有機質主体の肥料、減農薬で土を大切にしていくという取り組み。現行農法と有機農法の中間に位置する。

 課題は、そうした生産を採用したからといって、出荷する切り花の品質が高まるわけではない。しかし、不要な施肥体系を土壌分析を行い、施肥量を適正に計画することが大切なのだが、眼目としては生産される「商品仕様書」の見直し、再構築に目的がある。

 切り花自体を不要な長いサイズにしないことなどを考えるためには、用途や仕向先に合わせたジャストサイズでの栽培を目的とするため、施肥量を見直し、結果として減量した施肥体系を取る、旬を考えた栽培にする、、、代替の対応、、、、たとえば殺虫剤を使用しないように虫が入らないような細かい編み目の素材でハウスを被覆する「ネットハウス」にする、虫取りの粘着板を下げる、、、、、昭和花き研究会では5年以上も前からやっている通路に不織布の「通路マット」を敷くことで除草剤をハウス内には使用しない、、、、草取りの労力低減、、、、昨年から定植後の植穴に「モミガラクンタン」を施用することで雑草防止と、露地栽培時に雨水の土砂はねによる植物葉への泥付き防止とし病害を防ぐことなど、、、、、堆肥を使用する(自家堆肥は成分分析をする)、、、、、

 これまで行ってきた体系をきちんとエコ基準に合わせて見直し、そのことで、土を大切にして永続的に経営ができるような、コストダウンをはかることが目的である。石油を原料とした化学肥料に比べ、自然素材由来の有機質肥料の場合、肥料単価が高くなるが、その分、施肥の改善(たとえば全面に散布していたものを、作物を植える場所に1条まきにするなど)、、、、様々な改善が可能だ。

花のエコファーマー

福島県のエコファーマー

福島県エコ農産物

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2006年5月15日 (月)

物語は生まれるか?

 20060515img_4934_2 先述書より。58ページ。

 豊かさとはさまざまな物語が生まれていくことだ、というように考えています。

 自然の物語、

 人間の物語、

 自然の偉大さに気づいたときの物語、

 出会いの物語、

 技を身につけていく物語、

 村や街の物語、

 死を迎えたときの物語、

 ・・・・・・・

 物語がたえず生まれ、語り継がれていく。そんな社会のなかに、豊かさは芽生えているのではないか。20060515img_4914

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 私カンケ宛に、首都圏のお花やさんから、今日(5月15日)届いたメールより。5月14日のマザーズ・ディの小さな物語を、すくい取って届けてくれました。ありがとうございます。

■昨日の午後は少し店頭に立ち、買われるお客様の様子を観察しました。母の日の商品を買われる人達は皆、優しい顔をしていて、嬉しそうです。
母という存在が、老若男女問わず特別な存在であることがわかります。

100円握り締めた、小1くらいの男の子が、大勢のお客さまにまぎれ悩んでいました。
これで買えるものはないですか?の問いに、胸が熱くなりました。

金額ではなく、思いが大切な事を知らされ、無いですよと言えば、この少年の思いが無駄にされてしまうので、思わず、「赤カーネーションとかすみ草」の小さな花束を差し出し、「内緒だよ・・」と渡しました。

受け取った100円が暖かく、とっても重く感じたのでした。

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 昭和花き研究会ウェブサイト

 「今」思考している→ナガオカ日記5月10日

 効率だけが効率でない→社長のコラム5月15日

 夏目房之助→僕の手塚起源論について5月16日

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かすみ草のなかの宇宙

 19941010toshi2 内山節(たかし)著『創造的であるということ(下)~地域の作法』から、まず、下巻が届いた。

 84頁(ページ)→「小さく生きる」とは「深いものをみながら生きる」ということでもあり、「その小さな世界の奥にひろがっている大きな世界をみる」ということ。つまり、「作法」のなかに表現されているその地域で暮らした人々の思想を考えたり、「総有」の世界がつくりだした人間たちの思想を考える。そこにある論理化できない思想をつかむ。合理性だけではとらえられない思想を、自分のイメージのなかに取り込んでいく。

 (86ページ) 自分がそれ(農作業)をすることによってわかる世界がある。その世界は「小さな世界」だけれど、その「狭い」世界に深くかかわっていくとき、合理的な統一性などなく、それぞれの世界が星の数ほどに展開している世界というものが見えてくるようになってきました。

 (75ページ) かつての暮らしにおいては、労働や生活、楽しみ、文化というものが、境界線をもたないかたちで展開している、ということでした。

 働くことのなかに生活があり、そのなかに楽しみもあるし文化もある。

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写真は1994年10月10日、昭和村大岐で。年の差は80歳。世代は4代離れる。明治生まれの曾祖母と、大正・昭和を経て平成元年(昭和64年)生まれの曾孫(ひまご)。

大人=1人役

老人=0.5人役

子ども=0.5人役

※老人+子ども=2人役

 

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ただいない(perori-zeni)

 20060515img_4813 先の1990年のノートを見直していて思った。

 そういえば我が家のトショバア(年寄婆、曽祖母のこと)、バサマ(婆様、祖母のこと)も、野良仕事が無いときは家の中で針仕事か、麻を績(う)んで、つないだ糸にしてオボケ(苧桶)に重ね入れていた。

 これはどこの山村でも同じだ。この冬、2月末にフローレ21の松山誠さんと訪ねた会津田島の田部の湯田浩仁君(花職人Aizu)の家に行ったときも、お婆さんが一時帰宅だといって、泊まりに行っていた子どものところから帰ってきた日だった。聞くと「ただいらんにぇがら、針仕事の道具を取りに来た」という。

 「ただいらんにぇ」(何もしないでいることはできない)、、、、、

 奥会津、、、昭和村を歩くと、良く聞いてきた言葉がある。いつも居間で仕事をしている。その仕事は「稼ぎではない」、、、つまり現金収入になる仕事のことではない。自分自身や家族、親族のための仕事のことだ。これらは、80歳を超えた人々、十分に老人、爺様(じさま)、婆様(ばさま)なのだが、体がきくうちは、仕事を続ける、という。寝たきり(死ぬ直前まで)になるまでは、これまで続けてきた仕事は、採算とか稼ぎとか無関係で、毎日する、というのが日課。それは健康法とか、ぼけ防止とかいう矮小なことではなく、昔から人間とは「そういうもの」だったと思う。

 「なんにもしてねがったら、としとっちまあべ」(何もしていなかったら、年取ってしまう)

 年寄りは、皆そういっていた。充分に加齢していても、そういいきる。

 自分のための時間などは無く、すべて家族のための時間である。それがずーっと昔から続けてきたことだ。福島県立博物館の研究紀要(2005年)が、この春に出た(2006年3月)。そこに「松山物語」という鈴木克彦先生が昭和村松山集落に暮らしてきた人々からの「聞き書き」が紹介されている。それを読んでも、生きることは、すべて家族のためにする暮らしだったことが記されている。

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 さて、我が家のバサマ(婆様、祖母)から1986年1月25日に聞いたのは以下のことである。こたつに入って雑談のなかで聞いたことである。オウミ(麻績み)をしていて、今年は針仕事では刺し子を作るといっていたあとのことだ。奥会津では、何もしないで、ただいることを「ぺろっと、している」という。

 「ぺろっとしてると、ペロリシェニじゅう、とられんだ。ぺろっとしてらんにぇえだ」

 ※ペロリシェニ、、、、、perori-zeni

 何もしないでただいると、「ペロリ銭」を課税されるから、ただいるわけにはいかない、という意味だ。課税というのは当然、オカミ(政府・幕府・藩)からのことを指す。何をしないでいても農民には課税がある、、、、という皮肉を含めた鋭い伝承で、仕事を続けられる自分の健康や家族のための自主的で積極的ないみでの仕事(針仕事や麻績み)のことをいうのだが、それもしていないと徴税がある、、、、という自虐的な風刺の効いた言葉だった。(菅家博昭)

 

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2006年5月14日 (日)

90歳の母の仕事

20060512img_4685  1990年10月19日(金)晴れ。

 15年ほど前のこの年、私は稲刈り後の、農閑期に縄文時代の遺跡の発掘調査に従事していた。福島県南会津郡のとある温泉のある集落。家からは遠いので、民宿に合宿しながら発掘していた。このころはとても一日の時間が長かった。

 この地区のE遺跡をM調査員と私、地元教育委員会のH室長、調査のための作業に2名の女性。先日に出てきた縄文時代中期の大木10式の磨り消し縄文のある土器、、、埋甕を実測して取り上げる。土器内から骨片が出た。器高は70cmある。

 定時で作業を終了しM調査員と、集落内にあるT公共温泉に入る。地域の人が入る小さな混浴の温泉だ。 

 そこで話をした、90歳の婆様(ばさま・おばあちゃん、のこと)のことを、紹介する。当時90歳は1900年(明治33年)頃の生まれだ。いま生きていると106歳になる。

 「オレは、民宿K屋の前の店の婆(ばあ)だ」という。

 「オレは、家でテレビ見たり、朝日新聞に目を通している。なんで?っか、というと、東京にいる子どもや、二人の孫が事故にあったりしてねえかを毎日、見てんの。それがオレ(婆ちゃん)の毎日の仕事だ」20060512img_4752_1

 やさしく笑って話してくれたが、子や孫を毎日、遠く離れても想うのが「仕事」と言い切った。テレビや新聞が報じる事故報道に目を通して、我が子や孫の名前が無いことを祈っているのだった。

(菅家博昭1990年10月のノートより)

 2006年5月14日(日)母の日によせて

 

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寒い日

 20060515img_4821 2006年5月14日(日)。雨が上がり、曇りに。ハウス内でフラワーネットを1棟張る(沢口ハウス)。その後1棟、ハウス建て。日中でも12度と寒かった。

 父母はかすみ草の定植をした(大田下圃場)。

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「束」(たば)STYLE

 井上社長の日記より→ たばスタイルの店

 →→→東急沿線での新業態を開始 (ローズ・アベニュー → 5店を改装 )

 青山FM 南青山本店(新)→ハクノ氏?が執筆!!!

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 大衆業態のサービス → 商業界メッセージ5月9日

 主役交替へ → クロリスの日記(板橋花仲卸)

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 シャクヤクの季節へ→5月15日より大田市場で展示(JA中野市) 

 ※7月3日からは七夕の「かすみ草」展示が予定されています。

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2006年5月13日 (土)

かすみ草クラッチ

 ジルとかすみ草のクラッチ、、、、、岩橋さんの仕事より(一会カルペディエム)

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在宅はすぐ日が暮れる

 20060512img_4786_1 2006年5月13日(土)。もう午後6時半になる、室内が暗くなったので蛍光灯に電気を点ける。在宅でのデスクワークは、すぐ一日が終わる。しかしまったく手作業の作図作業ははかどらない。いくつか電話があったりして休憩することがあったが、今日は集中した一日だった。こうした集中したデスクワークの日はいつもそうだが、記憶に残らない一日だ。

 交通事故で病院で半年過ごしたときもあるが、痛みがあるときは長い一日で、回復期の一日はとても短い。退院まぎわはワープロ(ノートPC・一太郎)持ち込みで、『イヌワシ保護1000日の記録』を執筆したが(500ページ、2段組、、、、通常なら1000ページ分)、その毎日はとても短かった。朝が来て、考えたことをキーボードでタイピングしてすぐ夜が来た。今日もそれと同じだ。集中してデスクワークすると、トイレ(小用)にも行っていないことにいま気づいた。1食は昼に食べただけだ。

 室外での、つまり野良での一日はとても長い(仕事にすぐ飽きてくる)。それを比べると、在宅でのデスクワークを1とすると、屋外での農作業は5くらいの長さだ。

 デスクワークはやった仕事が見えないから、時間がとても短い。生産量がとても少ない。野外での仕事は形が見える。過ごした時間分だけの何かしらの見えるものがある。たとえばハウスだと20間(36m)1棟を5棟建てたとか、100株1畝(うね)のかすみ草の芽欠き2畝やったとか、、、、きちんと時間だけやると野外作業ははかどる。

 時間の流れ方(感じ方)には、明らかに違いがある。

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 拙著は新刊は僅少で定価3150円、絶版になりつつあります。アマゾンで中古が15,000円。すごい高値だ。5倍になっている。某社の株以上の値上がりだ。

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バケツの外・底のこと

 Fl0400172 花の仕事で生産者は水揚げや前処理に繰り返しプラスティック製のバケット(水桶)を使う。その洗浄は、中性洗剤でスポンジたわし(ブラシはダメ)で手洗いし、よく乾燥させる。

 乾かしたバケットを重ねるときは、外周、底(外)もよく洗う。そうしないと、清潔な内壁に重ねたバケットの外周・底の土やごみ・バクテリアが落ちて付いてしまう。

使用したバケットは重ねても、内外とも洗浄したら重ねない、、、、

 合理的には乾燥させる壁状の乾燥器具があったり、外周と内周をスポンジたわしで洗うイスラエル製の洗浄機などがある。ブラシはプラスティック内壁を傷つけるので、スポンジたわしか高温蒸気による洗浄が好ましい。Fl040010

バケット内壁のバクテリアチェックをしてバクテリアがついていなければよいわけだ。

使う水は塩素殺菌した水道水。殺菌剤といっても殺菌効果はほとんど無いので(抗菌効果)、、、バクテリアを増やさない程度なので、原水のバクテリアが少ないことが条件。そして繁殖を妨げる温度(低温)。

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雨の日は

 20060513img_4798 2006年5月13日(土)、本格的な雨となり、ハウス建て止めて、デスクワークに切り替えた。

 年に1冊の刊行を目標として発足した雑誌『会津学2号』(会津学研究会・奥会津書房扱い)のための原稿に添付する作図をしている。1986年から個人でずっと会津各地の小さな地名の聞き取り調査をしている。教えていただくのは狩猟経験のある老人。山を知っているからだ。すでに故人となった人も多い。

 2.5万分1地図にトレーシングペーパーを貼り、沢を太いマーカーで黒く描き出す。その上にもう一枚トレーシングペーパーを重ねて、0.1mmのマーカーで沢の名前や地名、岩の地名などを手書きする。午前中に2枚書いた。集中して2時間に1枚。20060513img_4805 あと3枚だと夜遅くまでかかる。でも締め切りが5月末なので、図だけ先行入稿しないと間に合わない。スキャナで読み込み、2枚目の手書き地名をディスプレイ上で製字する(編集部)。

 地名のあるところは、話者が行ったことのある、あるいは自然と交渉した経験のあるところだ。そのことで行動範囲や自然への働きかけ、歴史的事件などを読み込む。人間はどのようにして自然とつきあってきたのか?を考える素材、きっかけを作るための端緒が地名を聞くことで、話者と共通の認識を得るための手法で、あらたな地域調査の手法の開発を目的としている。

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 昨日は夜に母の日の量販店の花売り場をいくつか見た。そのときに買ってきた弁当で、 さて遅い朝食兼昼食兼夕食にしよう。同じく買った、デザートはミネオラと、エコファーマー認可のJAたのふじトマトだ。今日はカンヅメになって原稿の添付する作図を終えるのが、人生の目標とする。

 

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ないものが多い専門店

 20060512img_4740 作図の必要から会津若松市内で、このところ、トレーシングペーパーを探してきた。ホームセンターの文房具売場も充実しているし、紙類も多い。

 やはり売れない商品は置かれない、、、、紙番で透過率が異なるので、紙の厚みは重要なのだが、ほとんどの店には置いていないか、あっても1種でA4サイズのみ、、、、

 銀座の伊藤屋に行くしかない、、、、のか?

 20代に縄文時代の遺跡の発掘調査の報告書用の土器や石器の実測図をトレースしていたときには、まだまだ豊富なトレーシングペーパーが会津若松市内でも入手できた。

 店も増えて、売場も増えて、、、、たぶん花の売場も、このような状況なのだろう、、、、ないものはない。かつてあった標準品・ベーシックアイテムは、すでに何もない。

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 岐阜県で地滑り、、、、

 さて、5時になるので、今朝も畑に行こう。

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たこ焼き

 Sekkyaku001_1 先月開店した会津若松市のGMSは、江戸時代に『会津農書』を著した佐瀬氏の生家近くにあります。そのGMSに入っているテナント(店)の「たこやき」が食べたいので、連れて行って欲しいと高校3年の子どもから携帯電話にメールが入った。

 さっそく並んで購入した。人を並ばせる東京流の接客で、作業手順をガラス越しに見ていると、作業性はとても悪いものだった。おなじことは入店している他店(ファストフード)でも同じだった。

 待たせる接客、、、、つまり外目には人垣が人気店の演出という無料の広告宣伝になる、並んだ人に、その製造過程をガラス越しに見せる。そこまではよいのだが、オーダーしてトッピングする素材をテーブルを対面2カ所に分けておいて1個の皿にふりかける素材がとても時間がかかる、、、、時間がかかるのは人間が移動するので、その作業性の悪さも並んでいて見ていてイライラ、、、、店員の対応はよいのですが、その作業流れの悪さ、、、、仕様があるので、、、、、 チェーンストアの場合、こうした作業も計算された指示に基づくものなので、個店では変えようがないのかもしれませんが、改善の余地は多いようです。

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 20060509img_4024 フォレスト出版から『はじめての接客』という良書が出ている。木暮衣里さんの著書。2004年刊。139ページに、お会計と商品の受け渡しは、「テキパキ・スピーディ・そしてていねいに」というのがあり、商品説明や応接で人間的な魅力を含め、接客しても、最終段階のレジで不満足になることのないように言っています。スタッフのチームワークを言っています。

 産地フェアで市場での商品説明、仲卸や小売店・量販店の店頭に立つ生産にかかわる人は是非読んでおいていただきたい本です。接客の常識を知っていて、別な対応を取るということと、何も教育を受けないで、あるいは社会の常識の個人学習をしないで店頭にたつことは違います。本書は電話の応接のしかたもあり、ほんとうに良書です。私はこの「接客」本と、548ページある『平凡社版 気象の事典』(3800円、2002年版)は、トイレに置いてあり、この2カ年、出張不在時以外は、毎日、繰り返し見ています。1300円。

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写真は田植えの進む会津盆地西のJR只見線。根岸駅付近。奥の丘陵は、薬用人参栽培地帯。

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2006年5月12日 (金)

生販で事例報告へ

 20060512img_4689 2006年5月12日(金)午後、都内霞ヶ関の農水省花き対策室長の吉田さんから、電話がありました。

 6月13日に農水省講堂で開催される第3回の花き生産者と販売の交流会での事例報告の依頼でした。承諾しました。内容についてメモを送り、20分の事例報告内容を詰めることになりました。

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 イスラエルのダンジガー社はかすみ草の世界の育種と苗の供給の最大手。そのニムロッド氏が大分県を訪問中。 (株)ミヨシが案内。

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 5月12日(金)は朝、三島町川井のパイプハウスのかすみ草にジョウロで手灌水。その後、奥会津書房で8月までの会津学研究会の日程と内容の協議。昼に昭和村にもどり、ハウス建て1棟。午後3時に栃木県小山市にある営業所から住化農業資材の柿沼君が来家。供給苗の品質について5月8日、10日の会員からの意見を伝える。来週、全ハウスを巡回したい、という。夕方に三島町役場をたずね1万分の1地図を提供いただき、会津学研究会の地名調査資料とする。郡山運送会津若松営業所をたずね鈴木所長と懇談。午後7時、会津パッケージを訪問し、内寸等段ボールの変更等を打ち合わせる。宝文館書店をまわり定期購読の書籍を受け取る。20060512img_4752

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 日陰の畑の隅の雪はあるものの、ほぼ圃場の雪は消えました。

 コナラが新葉を展開してきた標高の400m地帯ではゼンマイ収穫が進んでいる。道端でむしろを広げゆでたゼンマイを干す・もむ作業が行われている。

 菜の花も咲き出した。

 最近ミネオラというオレンジをよく食べています。20060512img_4786

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 岐阜大福井先生はキク生産の「お花屋さん」の報告。文末に福井の雑感としてコラムがあり、消費者が望むものを作る仕事の大切さを言っています。花仕事人はよくよむべきでしょう。

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2006年5月11日 (木)

品種Gメンの母の日

20060511img_4646_1  2006年5月10日、大田市場花き部に、品種権の関係で立ち入り調査があり、中国産4種がサンプリングされた。

 →→→産経新聞5月10日

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地域の作法

 2006年5月8日の日本農業新聞書評欄(5ページ)。

 JA直販事業の現場にもかかわったことのある、元・協同組合経営研究所研究員の今野聡氏が哲学者・内山節の近著を紹介している。今野氏の論文は購読していた『協同組合研究』で何度か読んだことがある。

 内山節著『創造的であるということ(上下)』(農文協、各1700円)。各巻についている副題は「農の営みから」と、「地域の作法から」

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カムカム果実

20060509img_4256  2006年5月10日(水)、今月は2回目となる夜に生産者に集まってもらい、エコファーマー申請のための書類の9割を整えました。単品目・半年の自然下での栽培の場合はまとめやすいですね。ただ地味がそれぞれに違うので土壌分析と自家堆肥の分析にあった設計(施肥量)は時間がかかりました。

 昭和花き研究会では、かすみ草生産でのエコファーマーの取得後は、かすみ草生産でのMPSジャパンのMPS-ABCと、かすみ草生産流通での適正前処理+レンタルバケット+低温流通+品質保証でのMPS-Qの取得をすることで合意を得ていますし、そのための生産手法見直し(環境配慮方式でコストダウンする)のためのエコファーマーの取得と位置づけています。後半の品質管理については2002年から取組が行われほぼ終了しています。

 農業生産では、GAP(適正農業規範)がクローズアップされてきていますが、ひとりよがりな生産ではなく、理解されやすい取組が行われないと、これら基本要件の取得が目的化してしまいます。20060508img_4091

 エコファーマーやMPS-ABCやMPS-Q、、、あるいはGAPの取得は基本条件であって、そのうえでどのような営業政策、商品政策を提案していくか、どうしたチャネルを利用して誰と取引していくのか、ということが目的となります。最終顧客である消費者あるいは装飾現場では、はじめてその美的要素、個人による選択が可能になります。そこまでの仕組みは本来、当然あるべき基本形でありシャドーワークとなります。顔が見えなくとも、基本要件がきちんと整うかどうか?その点、エルフバケットを使用してFAJなどが勧めてきた鮮度(花持ち・鑑賞期限の技術的蓄積)は、国内における標準になることを予見させます。顔の見えない産地であっても、基本要件をまず整備する先取性(じつは先取ではないのですが)を目的化せずに、それを基本として次に行うことでの独自性を考える時代になっています。日本では関連業態がとても多いため、コストダウンすべき見えない仕事の場所での誤った独自性を、生産や産地の個性として目的化した30年間だったと思います。20060509img_4301バケット低温流通のための施設整備のなかで、生産地の集荷所にようやく「花持ち試験室(テストルーム)」や「開花室(オープニング・ルーム)」が整備されることが標準化してきました。 単なる予冷施設という機能から、品質保証できるための基盤としての自主監査のための機能を持つ、ということです。その設置だけでは価値を生みません。それを販売と商品政策に生かす取り組みを行うことが目的なのです。

 ただし、共通化した基盤の次に来る商品の差別化のなかで、組織や資本による腕力(営業力)で、以下に上げるような「文字による誤解を生むような商品化」が進むと、結果として消費者を遠ざけることになると思います。

 便利店(コンビニ)の店頭に酸素水やガス・イン・ウオーターの国産機能水が並ぶようになっています。特殊な訴求を持つフルーツ原料とする飲料も出てきています。

 レモンの27倍のビタミンCフルーツである「カムカム」使用、、、、ということを明記した飲料水、あるいはこの「カムカム」を添加したものが添加されています。ビタミンC強化されているわけではなく、ビタミン量の栄養成分の表示もなく、果汁は1%とあるだけで、、、、、つまり27倍のビタミンCが添加されているわけではない、、、、、、非常に誤りやすい字句による購買意欲を持たせる表記が出てきています。Img_0680

 日本緑茶飲料がカテキン含量で機能性を高めようとしたことに似ています。

 国内の花き仕入れの現況については、いま書店の店頭に並んでいる『フローリスト』2006年6月号の、板橋市場の仲卸・自由が丘フラワーズの横山社長のコラムが、きちんと言い当てています。品薄でも高値がでなくなった構図は、こだわりの多い仕入れ者である生花店が、仕入れ計画書による単価を超えた商品での仕入れには代用品でまかなう通常な仕入れが、「通常」となってきていることを示しています。Img_0451

 セリという機能(価値付け、需給調整)は必要なこととして、法人が仕入れを起こすことが多くなった現状では、相対取引が全体の7割になっているところも出てきています。2日前、1日前販売とういうのは、相対取引であり、長期の予約相対、短期のスポットを含め、ある商品仕様に対する定価販売(時期による価格変動があっても)であるため、納品要件が求められます。商品仕様書の厳守が、あらたな機能の付加を求めているのです。新たな機能の付加というのは、基本条件の、つまり花持ち性を含めた生産履歴(採花日を含む、切り前も)と選別規格等の明確な提示ということになります。付随して監査機能が生じます。この監査機能を卸売市場が主体的に負っているのがオランダで、そのことに対しての手数料も取得するのです。Img_0465

 さて、朝の5時になるので圃場に行きます。

 

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2006年5月10日 (水)

共撰産地の行方

 20060508img_4216 PCガーベラのような完全共撰、JA出荷というなかで、生産者が輪番制で営業を行う、、、、というのは異例中の異例という扱いです。このように運営できる産地はまずないでしょう。提案力もすぐれています。

しかし、、、一般的な議論として、共撰産地には個性がない、営業が無い、、、、

 個性がないことが特徴、、、、つまり売り手によりブランド化ができる産地、、、、という無印無表情の良さが、これまでの時代に合っていたのだと思います。

 売り手が、いかにその特徴を引き出し、自らが仕入れ基準・仕入れ仕様を主体的に形成して顧客に提案できるか?という点で、すぐれた商材ではないかと思います。

 対話しなくとも出荷してくれる面倒くささのなさ、、、、が最大の良さではないでしょうか?

 この数年の議論に逆行するような意見をあえて述べてみます。

 売り手の力が問われている、、、、ということではないかと思うのです。価値を作るのは中間業者である、、、、ということです。

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生育調査

 2006年5月10日(水)晴れ。三島町川井地区で、昭和花き研究会主催のあぜ道講習会をした。金山駐在の県・小林先生にも同行いただいた。ピュアスプリングの生育を見た、また越冬株の管理も。

 昼から曇りになるが、会津盆地は風が強まる。気温は26度ある。

  夕方から岩下下の2棟のハウスを建てた。博士峠の気温は15度であった。ブナが1000mまで開花。

 夜7時から、昭和村下中津川の昭和村公民館1階和室で、エコファーマー申請を行う。昭和村地区の会員に集まってもらうよう月曜に告知している。

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わかりかた

 20060506img_3417 『本』2006年5月号(講談社、80円)。このところ、巻頭の大澤真幸の「ときの思考」が連載20回になった。この写しは一時、マツヤマさんに差し上げたりした。さて、巻末には、禅宗の曹洞宗の開祖・道元の『正法眼蔵』をよむ特集がずっと組まれている。会津地方には北陸に本山がある曹洞宗(そうとうしゅう)という仏教の一派の寺が多い。昭和村にも曹洞宗門徒は多く、我が家もその檀徒である。

 菅野覚明・宮川敬之 往復連載『眼蔵』をよむ 第一部「仏性」巻の第36回は「無仏性が成仏に直結する」(菅野覚明)。

 64ページに、

 もし仏性を財を成すための元手のようなものと捉えるなら、修行は財産を殖やすための事業、成仏(悟り)とは積み上がった財産に相当する。この場合、仏とはさしずめ宇宙一の大金持ちということになろう。道元が否定するのは、まさにこの元手(仏性)→事業(修行)→財産(成仏)という構造そのものである。Img_3931

 元手→事業→財産というプログラムに乗っかって仏道をもとめる「十聖三賢」は、そのそも、仏性をどう位置づけるかという捉え方そのもの(仏性の道理)を誤っている。というのも、悟りというのは、そもそも所有される財産のようなものではないからだ。

 悟(さと)りは、何かをすることによって得られた知識ではない。

 したがって、悟りを可能ならしめるところの仏性もまた、莫大な財産(知識)を得るための元手となる知識や能力などではない。

 悟りとは、正しく知ることである。Img_4075

 それは、知られたものではない。だから、悟りは、知ること、知る働きを離れて別にあるわけではない。その意味で、悟りとは、わかる営み、わかり方そのものである。そのような悟りを可能にするもの(仏性)もまた、正しく知ることと別のところにあるわけではない。正しく知ることを成り立たせているのは、正しく知るその営みに他ならないからである。、、、、、、(略)、

 正しく知る営みとしての修行の形においてのみ存立する。そこで道元は、仏性と悟りとは、修行という形で一緒に成り立つ(仏性かならず成仏と同参するなり)と言うのである。

、、、(略)すなわち、仏性とは「無」なのである。

 悟りを、手に入れた財産のようなものとしてとらえていたなら、「仏法」は到底今日まで伝わることはなかっただろうと道元は言う。

---菅野氏は東京大学教授・日本倫理思想史専攻

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陽殖園

 11454 2006年6月号の『たくさんのふしぎ』(259号、福音館書店)は、北海道滝上町の陽殖園の「夢の庭づくり」で、武市さんの14歳から続けてきた庭の物語です。

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 『花時間』2006年6月号(角川書店)。175ページには、ポコン&クリザール・ジャパンの米田裕史社長が「水の伝道師」として紹介されています。

 →→→オランダからの最新ニュース(コンテナ海上輸送など)

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『フローリスト』2006年6月号(誠文堂新光社)。15ページはかすみ草ミリオンスターを使ったブーケ。花阿弥ブルーメンシューレ福岡の井上博登氏。

22~23ページは、ニューヨークスタイル・ウェディングとして前谷裕一氏。かすみ草を主役として使っている。

42~43ページはレン・オークメイドさんが、かすみ草マイピンクを使用した6月のネスト・デザイン。

昨年10月に世田谷花きで開催されたデモの写真が57ページに掲載。髪飾りにはかすみ草。

99ページには世田谷ステージ。宮西陽郎さんのコメントが掲載されています。

112ページはジェンテの並木容子さんのコラム。「幸せの笑顔に満ちた花屋さんに」。並木さんは『花時間』6月号で大分県のメルヘンローズを訪問。

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低空で畑の上を

 20060509img_4371 2006年5月9日(火)晴れ。午後。タカ類が一斉に降下した、忌避行動、、、と思ったら、轟音とともに、両側にミサイルを積んだヘリコプター。そしてジェット機。

   家の玄関では、ツバメ2羽がさかんに行き来している。巣を造りたい、という行動。父が巣台を打ち付ける、と言っている。

20060509img_4386

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2006年5月 9日 (火)

晴れ

 20060509img_4270 2006年5月9日(火)。晴れ。24度。ハウス建て日和だ。「ひき」「はってきた」人は多い。「ひき」とは「肩こり」。

 昨夜の昭和花き研究会・定例会で、本年の販売方針を決定したので、夕方は会津若松市の輸送会社営業所で本年の輸送協議を行う予定(午後4時30分)。

 現在、取引先各社より来週月曜までの締切で本年出荷への要望・担当者変更等の回答を待っている。すぐ返答いただいた市場から優先出荷することになっている。

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2006年5月 8日 (月)

ヘビ

 20060508img_4177 2006年5月8日(月)。昨日は雨、午前中も雨、昼前から晴れ。標高900mほどの小さな峠道で昼下がりに、道路を左から右へ横切る(山から谷へ)ヘビを1頭、見ました。アオダイショウ。

 5月4日も小野川集落から博士峠に行ったところで1頭、死んだヘビを見たのですが、これはすぐに死骸は無くなっていました。

 肉食のヘビは地域のキーストーン種です。地中から水中、水際、樹上まで昆虫・両生類・鳥類のヒナ・幼獣までをまんべんなく食べています。そのヘビをトビやノスリなどの猛禽類(タカ類)が食べます。また人間もマムシなどを採って食べます。焼酎に生きたまま浸けてマムシ酒にして薬酒として飲みます。これらヘビを食べることは、地域の自然をまんべんなく間接的に食べるようなものです。

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山中の巨石群

 Img_3236 このところ散策を続けているブナ林の山中には、巨石が転々とある。それは沸騰した穴があいたような火山岩。その生い立ちを考えて、調べている。第三紀の火山、、、つまり古い火山である博士山。その北麓には新しい火山群である「砂子原火山」次いで、「沼沢火山」が生成していることがわかった。

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採集

458821031909  アマゾンから届いた。すごい本だ。

 赤羽正春著『採集~ブナ林の恵み』(法政大学出版会、2001年刊、3000円)。シリーズ、ものと人間の歴史103

 集水域として新潟の日本海に流れ込む積雪地域の源流部の村の聞き書きだ。三面川(新潟の奥三面)、荒川上流の五味沢、金目(山形)、飯豊山系北部(山形)の小玉川

 著者は2006年春に『鮭・鱒ⅠⅡ』も同じシリーズより出版している。1952年長野県生まれ、明治大学卒、同大学院修了し、新潟県の教育公務員である。奥三面遺跡発掘にも携わった。

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 山間地域では、伝統的な文化を絶やさないように守り、その上に新しい文化を創造する。都市部では、変動する社会の中で、守り続け、創り続ける地域文化とは何かを追い求める。哲学者・内山節の言葉だ。

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2006年5月 7日 (日)

砂子原カルデラ

 118a_g_0 奥会津地方の柳津町砂子原一帯が、「砂子原カルデラ」として砂子原火山であったことが、最近の調査で明らかになってきている。これまでの認識を新しくするものだ。西山温泉付近で奥会津地熱発電所の開発に伴う新知見からの調査の進展と思われる。これにより噴火等による環境改変についても考慮することが求められる。

 同隣接域ではカルデラ湖を持つ活火山の沼沢火山がある。爆発的噴火で生産されたテフラと呼ぶ火砕物の調査から、詳細な内容がわかり、沼沢火山噴出物に先行して3回爆発した砂子原火山・カルデラが形成されたようだ。

 砂子原カルデラは1992年地熱学会で水垣桂子氏が「奥会津地域の小型カルデラと熱源」、1992年に日本地質学会、1993年に地質学雑誌等に発表された。

 関陽児「奥会津地熱系~」論文PDF17ページ 1996年

 砂子原カルデラの地熱開発、金や硫化水素ガスなど、、、地質調査総合センター

 地下温度分布(PDF 64ページ)1996年

 

 ★1999年12月『地質調査所月報』に、山元孝広は「福島-栃木地域に分布する30-10万年前のプリニー式降下火砕物:沼沢・燧ヶ岳・鬼怒沼・砂子原火山を供源とするテフラ群の層序」について述べている。→→→PDFファイル25ページ分

 山元らは、「福島県沼沢湖周辺のカルデラ群の重力構造」についても重力異常、残差重力図、重力基盤の解明をしている。→→→PDFファイル

 2004年には河川水の同位体空間分布も

 20060508img_4041 ★★2004年の『地学雑誌』113(1)に東京都立大の鈴木毅彦らが「東北南部、会津地域周辺における中期更新世テフラの層序と編年」を発表している。→→→PDFファイル(24ページ)

 これによれば砂子原カルデラは最長26万年間に3回。7~4万年間隔で砂子原カルデラが爆発し、その後、沼沢火山が5~6万年間隔で三回爆発した(最後は約5000年前の縄文時代前期末)。

 ★砂子原カルデラ (福島県柳津町)約22~29万年前に噴火

118_g_0  沼沢火山 (福島県金山町)約5000年前、約5万年前に大規模噴火、11万年前にも噴火。

 1995(平成7)年より運用している三井金属などが開発した奥会津地熱。対策を講じているものの、いまでも北東風となると地熱発電の排気ガスの硫化水素のにおいが昭和村大岐地区にも漂ってくる。いわゆるおならのにおいだ。地下の圧力を抜くので、地震も頻発した。周囲ではネズミや鳥類が少なくなっている。

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エクスペリエンスな5月

20060506img_3187 ■谷口正和氏、アナログイマジネーション(5月1日)

■室長ブログ①、雨の九十九里は、白里想雨(5月5日、フローレ21らしさの発見、社内仕入情報共有)

■富山花まつでのレンさんのアレンジ(かすみ草)4月30日

■ナガオカ日記、5月2日、デザインの本

20060506img_3832 ■盛岡タイムスは木村さん情報、、、、シナシナPOP 5月5日

■フロレッタちゃんの再利用法、、、、T J 5月6日

■スタッフ(店員)向けの学習会、、、、花の仕事屋日記5月3日

■内容充実な室長ブログ②、、、人間関係への種まき、、、軽トラ日記(世田谷花きの宮西室長)

20060506img_3196 ■生産プロフィールと取引先、、、鹿児島県経済連

イズミヤ総研

エフピコの売場提案

吉田繁治

■風力は良いとは言えませんが、ホールフーズの戦略(米)

20031106pnk1s半農半×的暮らし

ファーマーズ・マーケット

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■内山節→豊かな森のために(2005年)

臨床自然学、社会デザイン学

■群馬 一郷一学

 コミュニティーには、人と人のコミュニティーと、人と自然が、ひとつの空間を共有することによって生まれるコミュニティーとがある。現在の社会は、そのどちらもが、こわれかかっている。それは社会現象のなかにも現われてきていた。農山村の過疎化はなおつづいている。そのうえ、いまではどこの都市でも、中心市街地の空洞化がすすみ、さびれていくかつてのニュータウンの問題も深刻になってきた。こうして、地域の空洞化という問題が、農村、都市を問わず、社会の一般現象になってきた。
 人間たちが何となく所在を失なって生きている現実と、地域が空洞化していく過程には、共通する原因がひそんでいるのではないだろうか。コミュニティーがこわれていく、あるいはコミュニティーが未成立であるという原因が。
 「一郷一学」は、このような現実をみすえるところから提唱されたのではないか、と私は思っている。
 コミュニティーは、つくりだすものではなく、生まれるものである。人と人、人と自然がひとつの空間=社会を共有し、そこに共有された世界を感じるとき、この世界のなかに生まれているのがコミュニティーである。それがコミュニティー形成のむずかしいところで、人と人が協同して自分たちの地域をつくろうとし、人と自然が協同して地域を支えるとき、そこに自然につくられていくのがコミュニティーなのである。
 とすれば、コミュニティーが生まれていく核になるものを、創造することはできないか。この「核」を、地域の人々が共有できる「価値」といってもよいし、地域の自然と人間が共有する「価値」と表現しなおしてもよい。共有できる「価値」を地域、地域に創造しながら、それをコミュニティーが生みだされる「核」にしていく。この「核」づくりが、「一郷一学」である。

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訪花昆虫

20060506img_3708 2006年5月6日。昼。標高750mの大岐の湿地。誰も訪れない大湿地で、ミズバショウが何万株咲いているだろうか?

 湿地に降りてみると、揮発性の花の臭いがする。花には1種類の昆虫が集まっていた。多くの花にこの昆虫が訪れているので、受粉に関係するのだろう。

 湿地の周囲にはまだ雪があり、白の中に茶褐色のヨシの枯れ野、そこに緑の葉と白い後背、黄色の花房。20060506img_3671

  周囲が山に囲まれた沢の合流部の湿地なので、風の抜け道がなく、ミズバショウの一斉に咲いた臭いがたまっている。一斉に咲く、、、、という意味を考える。風淀。

 湿地を湿地としているのは周囲のブナ林で、ようやく新葉を開かせる。

-----20060506img_3923

 下北通信22

 ミズバショウの花と種子

 クマによる種子散布

 サトイモ科 アンスリウムのなかま

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2006年5月 6日 (土)

サクラサク

20060506img_3659   2006年5月6日(土)、晴天だが、昼より曇りに。3日、4日、5日と晴天が続き、20度を超えるようになった。

 今日6日、岩下の山桜が咲き始めた。柳沢峠の川谷にも行ってみたら、斜面の上のほうの山桜が咲き始め、ブナがうすみどりの新葉を展開、ミズバショウが盛りになっていた。ようやく水田の雪も「水ぐみ」、あと数日で水田の雪は溶ける。

 今日6日、カラマツの新葉が出始めた。 20060506img_3762

 明日から雨の予報なので、今朝も1000mの山に入って残雪のブナ林を歩いてきた。オオルリが苔むした岩の上で鳴いていたが、こちらに気づかない。昨夜から今朝の熊の足跡が多くあり、すれちがいで同じ場所を見ているようだ。4日から連続3日間、朝から山を見ている。脚の筋力がもどりつつある。

 今日は、普通のカラスが雪解けのかすみ草圃場での水浴びを見たが、昼近くにカワガラスの巣を見つけた。水棲昆虫を食べるカワガラスはとても賢い小鳥。水に潜れる鳥はヤマセミとかカワセミ、、、、タカ類ではミサゴがいる。20060506img_3702

 午前は最後となる促成栽培のかすみ草苗の定植だったが、今の定植となっては促成ではない。作業が全体で2週間遅れている。

 午後は、半分雪の溶けた畑に、半分だけハウスを建てる。岩下。斜面(大きな土手は、まま、という)に雪が残るため、川際の雪が溶け土が乾いたところでハウスを建てる。あとは消え次第、建てる。

 この時期、長靴の中、足が暑くなるのが、唯一の苦労。体は力仕事に慣れてきた。手のひらの皮も厚くなってきた。20060506img_3818

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2006年5月 5日 (金)

仕事も、

 20060505img_3140 2006年5月5日(土)。晴れ。午後はハウス建て。大田下3棟目。4棟目はビニル被覆、明日、かすみ草定植。午後2時40分、、、、今年はじめてカエルが無く(大田東の堀)。喰丸峠の山桜咲き出す、昭和村の野尻川沿いの桜咲く、役場前のお寺で7分咲き。我が小野川地区、、、大岐はまだ。

 小さな背丈のブナは一部で葉を展開しはじめた。「ほきる」という。20060505img_3117

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クマ

 20060505img_2356 2006年5月5日。晴れ。

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ミズナラ

 20060505img_3174 2006年5月5日、晴れ。20度超え。

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ブナ

20060505img_2876  2006年5月5日、晴れ。大岐地区の裏山で、ブナの実が雪の上で発根していた。

→→→ 森の写真は

 

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母の日ウィークのかすみ草

 かすみ草を使った母の日のギフト、、、、、各サイトを見ています。

■ デフィール・スタイレン 3点にかすみ草が使用されています。(レン・オークメイド氏・千恵氏、カネトウ氏、田辺氏)

■ 盛岡の木村さん(緑の風)に5日に教えていただいたかすみ草使いギフト→→→ジェーン・パッカー

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2006年5月 4日 (木)

残雪中の作業

 20060504img_2212 2006年5月4日(木)は、午前中に山を歩き、昼は小野川地区主催の「博士山水芭蕉まつり」の行われる博士峠のしらかばと水芭蕉の杜に父母と行った。晴天に恵まれ、国道401号・博士峠も7~18:59の間は通行可能なので、催事開始以来では、たいへんなにぎわいとなった。数年前からはじめた催事。博士峠の頂上の積雪は3mほどある。水田も土手が出ただけで雪は残っているため、作業ができないので、地区の人々も多く参加している。 20060504img_2186

 午後は、大田上1棟、下1棟のパイプハウスを建てた。雪は溶けつつある。消え間、あるいは除雪しておいたところの雪の消え間のハウスを建てる作業を続けている。近日、最終の促成栽培(無加温)のかすみ草を定植する予定。

 作業を終えて、今日は、会津若松の家に行き、午前中に歩いた記録作業と地図を作る作業をした。20060504img_2286

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裏山をあるく

 20060504img_2085  2006年5月4日(木)午前、73歳の父の案内で堅雪の裏山を半日歩いた。3日(水)の午後2~4時は、二人の弟が父について裏山を歩いた。いつ死ぬかわからない年齢になったので、自分の家の山林境界を教える、のが目的だ。

 3日に私は日光市に行くことになっていたので、弟らには、ビデオとカメラで記録をするよう依頼し、4日には、その足跡を再度追って父に案内してもらい裏山を歩いた。道があるわけではないので、雪上を、尾根筋を中心に歩き、境界となる枯れ木、巨木、目印をひとつひとつ聞いた。20060504img_2027

 標高730mの集落後背地から、標高929m(クイナ山頂)までの間、比高約200mの間に尾根筋からブナ自然林、ナラ林、杉を植林した人工林まである。1km四方であるが、実際に歩いてみると、広大である。自分の山林(自然林)から飲み水を引いている。山菜も出る、熊も鳥獣もいる。

 一緒に歩きながら、その場所、その樹木で記憶を引き出すのが目的なのだが、当地の開闢以来の千年ほどの歴史といっても、それを聞けるわけではない。父の記憶にあるのは明治時代に生きた人々から教えられたことと、自分の世代の体験である。それを手がかりに古い時代のことを洞察する。20060504img_1955

 明治時代まで使われていた古道が、きちんと残っていた。夏は草や柴で見えない道型も雪に押されて、U字形にほりこまれた道があった。馬車は通れないが、背に荷をのせた馬をひいて歩けた道だった、という。

 本来、燃料用の薪(まき)はナラを使うが、集落後背地のブナを薪として切った尾根も新たな発見だった。それは遠い昔のことで、父たちの時代ではない。20060504img_2149

 山杉、、、、金山町の三条、、、、越後山脈の御神楽岳の杉のことを言うが、「三条杉」「やますぎ」という古来の、たぶん秋田杉(天然杉)と近似のものらしい、根本から分枝する杉で直立し巨木になるものが3カ所にあった。天然のものか、手植え(人工)のものかわからないが、種類が異なるという。

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わさび海苔

 20060503img_1746 2006年5月3日(水)午前11時20分。栃木県日光市猪倉の泉福寺本堂前の仮設テントのディレクターズチェアに佐藤孝雄君と並んで座っていた。

 「これ、食べて下さい」と57歳の男性が近寄ってきた。

 15cm×10cmの大きさで深さ3cmほどの透明のタッパー容器に入った真っ黒なペースト状の海苔だった。男性は後で知ったのだがS氏という。

 「葉わさびの茎葉を細かく切って入れて自分で作ったんです」と笑顔だ。

 今日のコンサート主催者のテントで昼食のおにぎりとみそ汁、漬け物、、、細かく切って軟らかく煮たタケノコには鰹節と山椒の緑葉がのっていた。そこにS氏はそれを持ってきた。20060503img_1899

 僕は、口にした割り箸を回転し反対にして、元のほうでそのわさび海苔をすくい取っておにぎりに付けて食べた。おいしかった。礼を言った。

 「箸はそのままで食べていいですよ、持ち替えずとも、、、、」そういってS氏はテントから去っていった。彼はPAやマイクのセッティングのため道を挟んだ本堂のほうに参拝客をかき分けて戻っていった。

 11時30分から5つのバンドが各20分程度演奏をする。僕ら「なかよしバンド」、今日は佐藤孝雄君と二人だが、2番目と最後の2回の演奏で、待つ幕間の出来事だ。昭和村は朝8時に出て舟鼻峠・山王峠・鬼怒川経由で約2時間で日光市猪倉についた。すでに田植えがはじまっている。泉福寺は平地から丘陵がはじまるところの中腹にあり、花の山となっていて今日がお寺のおまつりのようで駐車場はすべて満車状態で千人を超える人が参詣を兼ねた散歩に出ているようだった。20060503img_1835

 コンサートを終えて、後かたづけをして、器具をすべて車に乗せて、寺から10分ほどの大沢駅前のライブハウスダディズ・カフェ打ち上げが午後3時30分から行われた。出演バンドのうちロックの「楽Live楽団」が毎月第1土曜の夜に出演して、拠点としているところで、坂庭省悟が最後のコンサートを行ったところだった。坂庭は「花嫁」の作者で、すでに亡くなっている。昭和村にも何度も来て佐藤君らが主催して公演をしてもらった。

 下野かんぴょう団の代表と話した。秋田出身。ギター屋だ。

 主催者のサムシングの皆さんとも話した。20060503img_1885

 出演はしていなかった裏方のS氏が最後に私と佐藤君の座っているところに来て、いろいろと話しをしてくれた。

 昨2005年11月に会津若松市の栄町教会でのなかよしバンド25周年のコンサートに来てくれたのだということだった。今日の主催者の一人よりなかよしバンドのCDを借りて聞いて、「青いトラック」がいちばん良かったという。それで、それを直接、ナマで聞いてみたい、というのが昨年11月の来場の動機だったという。20060503img_1901

 S氏ご自身、栃木県北部の寒村の出身だということで、現在はその集落は無くなったそうだ。S氏が最後の1軒で、子どもの時の友達は、時折やってくる脚の不自由な郵便屋さんだった、そうだ。その人が来るのをいつも楽しみにしていた、、、、、その道は砂利道で時折自動車が通と砂ぼこりが舞い上がる、、、、、それが「青いトラック」を聞いてよみがえったのだ、という。

 その詩を書いた人なら、自分の感性に近い人だろうと思ってコンサートのために会津若松まで足を運んだ、という。そして今日、地元で演奏がある、、、、20060503img_1697

 佐藤孝雄君と午後7時少し前に打ち上げの会場を後にして2時間かけて昭和村に漆黒の峠を越えて帰着した。いくつか話しをしてきたのだが、やはり最後にS氏から聞かされた物語の重さに、僕らは圧倒されてしまった。

 素人の僕らが20数年ライブ活動をして、作った楽曲は300を越えるが、正面からうたを聞いてくれる人の普通の人々の存在。いつも普通の庶民に僕らは励まされて生きていることを強く感じる。花売場の店頭に立って感じるのも、そのことだ。いつも来客やスタッフの立ち居振る舞いから、仕事をする意味を考え、そして生きる希望と勇気をもらう。でもそれは自ら時間を作って自分の体をそこに運ばなければ感動は無い。メディアを通じて知ったことと、体験の中で気づいたこと、体験のなかで知ること、考えることは全く違うのだ。いつもメディアには解説者がいて、聴衆は考えることをしない。現場では解説者はいない、指揮官もいない、自分で考え、感じるしかないのだ。20060503img_1718

 コンサート終了後の打ち上げ(反省会)会場でS氏が僕らのところに来て、彼の生い立ちを聞かなければ、ただの「わさび海苔」で記憶にも残らなかっただろう。僕は佐藤孝雄君と帰路の車中で2時間、今日の一日を会話するなかで、「わさび海苔」を手作りして持参してきたそのS氏の想いを、その意味をようやく悟ったのだ。   (福島県昭和村大岐1723,農業・菅家博昭)

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2006年5月 3日 (水)

野口賞、輸入の流れ

■2006年5月3日の朝のニュースで、アフリカを訪問している小泉首相はガーナで「野口英世賞」の創設を提案した。福島県会津、、、、猪苗代の出身。千円札の人。

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■アイリスオーヤマが中国上海から観葉植物の輸入を始める、国内での拠点は佐賀県で温室を取得、、、→→日経地域ニュース5月2日

 (記事写)アイリスオーヤマ、観葉植物の輸入販売事業に本格参入

 生活関連用品製造卸のアイリスオーヤマ(仙台市、大山健太郎社長)は観葉植物の輸入販売事業に本格参入する。このほど第1号となる自社温室を取得したのを皮切りに、工場隣接地に順次温室を整備し、ホームセンター(HC)向けの出荷拠点とする。手入れの簡単な商品とすることで団塊ジュニア世代などの需要を取り込み、3年後には年間売上高30億円規模の事業に育てる。

 3月に鳥栖工場(佐賀県鳥栖市)近隣に床面積約4000平方メートルの温室をJA佐賀経済連から取得した。取得金額は明らかにしていない。同温室は同経済連が育苗センターとして建設したものの、遊休化していた。アイリスではこうした温室は全国に点在しているとみて、今後全国8工場のうち3工場程度の近隣で物件選定を進める。

 中国・上海近郊の農場でベンジャミンやワイヤープランツなどの観葉植物を委託生産。上海―博多間を約27時間で結ぶ高速貨物船を活用し、通関、検疫を含め約3日間で自社温室に搬入する。 (2006年5月2日、日経・東北)

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 このニュースが意味するところ、、、、、農水省(農林金融公庫)関連の融資・スーパーL資金等による大規模施設の建設後に返済ができずに自己破産、倒産する大規模生産農家が出ている。そうした施設の転売先が、このように輸入の拠点になっていく、、、、ことは多く出てくると思われる。また破産した生産者は中国や東南アジア、オランダに転居し、そこで日本向け輸出を行う、、、、という構図になってきている。

 特に、小売り部門を持つ流通業が、製造部門たる生産施設を取得することは、今後大きな流れになるようだ。ただ難しいところも多くある。国内生産はコストが高くなるからだ。現在の仕入れ値、あるいは生産での出荷できないロス率を考えると、国内の生産には無駄が多い。

 

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2006年5月 2日 (火)

北の当別・井野さん

 5月3日より世田谷、5日より札幌に、かすみ草の出荷がはじまるそうです。→→北海道当別町 井野農園(JA北石狩・当別)

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生態民俗学

 20060502img_1680 2006年5月2日(火)、やっとアマゾンから1987年の新刊書籍が届いた。

 野本寛一著『生態民俗学序説』(白水社、1987年)12,000円 全613ページ。

 昨年8月から探していた論考は299ページにあった。

 「ゼンマイ前線を追って」として、

 南会津郡只見町の調査事例が掲載されている。特筆すべきはゼンマイ採取暦と行動範囲である。写真のマトリクスがそれであり、雪溶けを追って低地から高地へ、どの谷にも、どの沢にも、、、、標高500mから800mまでの山塊をうまく分けて採取し、1カ所で、再萌芽を待ち3回採取する。20060502img_1650

 また、先日にはインターネットで古書店から古本を購入した。

 野本寛一著『焼畑民俗文化論』(雄山閣出版・1984年)。定価17,000円で購入価格は12,000円。

 日本国内の250人におよぶ古老からの聞き書きによる焼畑文化の集成。

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リバプール

 20060502img_1677 2006年5月2日(火)雨、寒い日。11度。

 NHKラジオ16時。ビュッフェ131。ゲストは立松和平氏がビートルズをリバプールに訪ねる旅、、、として語っていた。詩歌に歌われた場所には霊性、聖性がある、、、、ストロベリーフィールズやペニーレイン、、、その聖地巡礼、、、行ってみてもそこには何もないことが言葉の力。歌枕の地を訪ねる松尾芭蕉のことを思う。

 心の聖地にふれあう旅。

 アクロス・ザ・ユニバース

 写真は会津若松市松長団地の桜吹雪。

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消える風景

 20060502img_1578 2006年5月1日(月)19時30分、NHKテレビ。クローズアップ現代。「日本の風景が消えていく」(2235)を見た。福島県南会津町(旧・舘岩村)水引集落の茅葺き(かやぶき、、、ススキ)屋根の民家から放送された。ゲストは隣県栃木県の立松和平氏。国谷裕子キャスター。

 ほかに山形県飛島、青森県の廃村での取り組みなどが紹介された。

 舘岩村の水引では、役場から出されていた茅葺き再生の葺き替え助成が、財政難から無くなったことを紹介していた。舘岩村は浅草発・鬼怒川温泉経由の東武線の会津への接続乗り入れ「会津高原」として観光で売り出した村だ。下郷町の宿場街大内集落の保存とともに、舘岩村は前沢集落の茅葺き保存、村内の風景を維持しようと努力してきた。茅葺きの葺き替えには700万円かかり、300万円が茅代という。20060502img_1631

 青森県の事例は、ボランティアでそのススキ(茅)を刈り取り、集め、廃村を復活させようとしている、、、いずれも女性が中心となっている。

 舘岩村、南郷村、伊南村は、田島町と合併し3月に南会津町となった。その首長選挙が行われ4月30日に新町長(元・田島町長)が決まった。さてどのように施策していくのだろうか?南会津郡は檜枝岐村(尾瀬)と、只見町、下郷町と、南会津町になった。20060502img_1665

 会津北部は喜多方市に周辺町村(熱塩加納村、塩川町、山都町、高郷町)が吸収された。会津盆地南部は会津美里町に(本郷・高田・新鶴)。会津若松市は北会津村と河東町を吸収している。事実上経済的に破綻している自治体が増えているなか、合併特例の期限が2006年3月末で、昨年からここまで新自治体が誕生した。20060502img_1664

 新聞やテレビの報道はこの4月より「××市◎◎地区」と、◎◎集落名が直接出てくる時代になった。▲群×町大字◎◎であったところが、集落単位の時代となっている。いずれ近世江戸時代の藩域に集約され、会津市集落名の時代になる。藩単位の自治、旧村単位の学区である。

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5月1日 奥会津・大岐

20060501ka2img_1506 2006年5月1日撮影。気温14度。雨。昭和村大岐。4日には博士峠の水芭蕉祭り、、、だが、まだ博士峠は通行止めのまま(積雪)。

 雪は急速に溶けています。河川は、雪の深みのある青く緑の水を流しています。20060501img_1542 雪代(ゆきしろ)。昔は春の増水で、日本海からマス(鱒)が遡上、、、、ダムができたいまでは、わずかなイワナが沢にのぼるくらい。

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2006年5月 1日 (月)

乾燥・塩蔵という保存

 20060501img_1465 2006年5月1日、前年の春に採ったゼンマイ。乾燥しているものを水でもどす。秋に採ったキノコは塩漬けになって保存されているが、これも水で洗う。

 春の山菜のアサヅキは、少し細い野生ネギで、これも香味。歯ごたえのアクのないコゴミが出るのはもう少し先のことになる。雪が無くならなければ桜も、ブナの新葉も出ない。20060501img_1464

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ふきのとう

 20060501img_1571 2006年5月1日(月)雨の一日となった。この3日間で30cmほど雪が溶けている。やっと水田の土手の土が出てきた。

  最初に見えた土の上に出てくるふきのとう。アサヅキ。寒さに強い植物だ。福寿草も金色の花を咲かせる。

  ふきのとうを水でさらして、細かく切って、味噌で少し味付けして、毎日食べている。野の獣のように。苦みが、春の味。20060501img_1573

 1棟のハウスにかすみ草苗を定植。1棟のハウスにフラワーネットを張る。1棟のハウスを建てる。1棟のハウスに灌水。今日の一日。促成栽培の生育状況調査も行った。あと1棟ハウスを建て、定植すれば春の促成栽培分は一段落。

 ときに、げっぷが出ると、「ふきのとう」のにおい。20060501img_1463

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