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2006年5月31日 (水)

20万枚の写真

20060530img_6111  先達を訪ねた。

 2006年5月30日(火)は、午後に会津若松市内で『会津学』第2号に掲載するための対談が行われた。奥会津書房の編集長遠藤女史、私で話しを聞いた。福島県立博物館の学芸員の佐々木長生さん(民俗学)に仲立ちしていただき、お話を聞きたかった鷲山義雄さんを紹介していただいた。

 3月16日に福島県立博物館で開かれた木曜講座「馬と信仰」のなかで、会場からの発言として、鷲山さんが話しをされたことが、とても良い話しだった。それで、鷲山さんの80年を聞きたくなったのだ。20060530img_6097

 現在、自宅で民具館という集まってきた民具を公開展示している。3年前に私設の展示館として会津若松市中央通りも、駅前に近いところ(リオンドール脇)に開館した。そこも見せていただいた。(写真は使い込んだ鎌・カマ、、、砥石で刃を研ぐ、、、ここまで減るのは滅多にないと教えて下さった)。

 これまでに撮影した写真は、20万枚。そのなかから編集して、民俗写真誌を十冊ほど「自費出版」してきている。なぜ出版する、公刊するのか?という点と、これまでの歩みをうかがった。そして馬の話しも。ご自身は70歳になってから自動車の免許をとったらしく、それまでは公共交通機関と徒歩で写真を撮影し会津の村落をくまなく歩いた。理科の教師をしていて、退職し、現在八十歳。自動車何台も購入できるほど、写真と出版費用に充てた、という。20060530img_6094

 鷲山さんは、馬頭観音の石碑の撮影に夢中で、かかりきりで歩いていたころ、柳津町の只見川に沿ったA集落で馬頭観音の石碑の撮影をした。そして碑文などをノートに書き写していたところ、畑仕事から帰る手ぬぐいをかぶった50~60歳のご婦人に声をかけられたという。

 「それはオライ(我が家)で建てた馬頭観音だ」という。20060530img_6174

 昔、只見川沿いの細い道を、馬の背中に荷を積んで歩いてきたら、馬が脚をすべらせて、荷物を積んだまま只見川に滑り落ちた。思わず、引いていた手綱をオレは離してしまった。そした馬は水に沈んでいって、荷を背に積んでいるので泳ぐことができずに、首から上だけ出したまま鳴いて、、、流されていった。何にもできずに見送るしかできなかった」のだという。

 その場所に、暮らしを助けてくれたこの馬のために石碑を建てたという。

 今日(5月31日)は、その対談の原稿を起こしの校正をして昼前に、三島町宮下の奥会津書房に届けた。それと補正した図版等を含め、完全に会津学の原稿の作成作業は完了した。あとは編集に任せる。第1回の校正刷りで語句、誤字をチェックすれば、8月はじめに出版となる。

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※歩く巨人・民俗学者の宮本常一氏は戦後に撮影した写真は10万枚。鷲山さんは20万枚、、、、

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 明日、6月1日の午前は三条市の中越から4名来村。取引先バイヤー。

 2日の16時頃は、TFC浅草橋生花の植草氏が下郷町経由で来村、宿泊する。

 3日の夜、4日の午前は、10名の来村者の応接。20060530img_6130

 5日は午後2時より圃場巡回(公開)、3時より定例会(懇談会・大田花き松永氏を囲む)。夜は会津若松で懇談会がある。

 

 

 

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