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2006年5月28日 (日)

記憶の森へ

 Img_5936_1 昨夜は未明、零時を回った。25時帰宅。1昨日は23時30分。2夜連続で花の関連での懇談会と、その後、飲み会があった。衣類にはタバコの煙のにおいが染み付く。私は飲まないが、、、昨夜会話した内容、相手から聞いたことを朝にあまり覚えていないことがある。相手から聞いた話だ。あらためて記憶をたどりはじめると思い出すのだが、、、

 メモを、ノートを取りながら話を聞いていると(聞き書き)、そのすぐ書いた文字を目で見て、耳から聞いた言葉と手でかいた文字で記憶していることを思う。聞きに徹するから、ノートをとりながら、考えるためにノートを取っていることに気づく。

 ノートを取らない会話、、、話を聞き、こちらが話すことが多くなるので、話したことだけ覚えていることが多い。

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 「記憶の森へ」と、すべく、タイトルを考えた。

 山に暮らす、普通の人びとの話を聞いていると、その人の経験したこと、かつて聞いてきたこと、言い伝えが「地名」のインデックスで、つぎつぎと出てくる。その地名は地図には載っていない。その人の地名でもあり、共有した地名でもある。

 人と共に地名は消える。体験と記憶を抱えたまま人は消えていく。受け渡す人もなく、である。それまで千年余の記憶が、土地とともにあった記憶が消える。一人の人が抱えているものはとても重い。なぜか、時に、話を聞いていて、自ら、それを受け取ったと感じるときがある。そうすると書けなくなる。書いてはいけないことを渡されるのは、書くことはできない。でもそれがないと文脈が通じない。また書けなくなる。

 一人の人が経験したことは、集落から沢を登る、尾根にたどり着く。背負った山菜・キノコを背負って下り降りる。その行程のなかで何か出来事や、あるいは聞かされた物語を思い出す。

 大切なことは、家に帰ってから、家族に、地域の人々にそのできごとを話すことで、人びとの記憶に残っていく、、、、ということだ。経験は話すことで共有化されていく。そのインデックスが地名、、、場所の呼び名、その地域の呼び名である。あえて地元の言葉(方言)のままカタカナで表記している。

 時代により、年代により、人により様々な経験の物語が語られる。それをあらためて、ノートからキーボードを通じて入力し、プリントアウトして読んでみると、、、、いまから過去にさかのぼる記憶の森に分け入った感がある。それは積み重なったとても豊かな時間である。

 いまは故人となった人もいて、もう少し通って話しを聞いていれば、この核心に迫れたと思うこともある。ただ試みとしても、記憶の森の出来事を文字にして人びとにお返ししなければならない。編集、表現のしかたが難しい。しかし、その森にはいま見えない大きなブナやカツラの木がそびえている。ウサギもたくさん走っている。

 もう、あれから、20年もかかってしまっているのだから。教えられたことを、私一人のものにしておくことだけはできない。

 

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