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2006年5月22日 (月)

焼畑へ

 20060522img_5698 2006年5月22日(月)晴れ。快晴ではなく、薄雲がかかったため今朝の気温低下は6度で止まった。霜は無い。晴れ渡ると放射冷却で降霜となり遅霜の害も出る。

 朝の仕事から朝食に帰るとき、大岐の高畠(たかばたけ)の「カミッテンデイ」と呼ぶ台地でモトコ姉(あね)が、からむし畑の草むしりをしていた。除草具(草掻き)で手で草を引き抜いている。「からむしの芽が出始めた。草むしりが終われば、夕方、天気が良ければ明日にでも畑を焼きたい」と言っている。20060522img_5721

 縄文時代から利用してきたカラムシ(繊維)。昭和村では6百年とも8百年続く畑での栽培だ。肥沃な上畑を利用する。宿根植物で5~8年で植え替えするが、毎年春に芽を出す。除虫と除草、芽を揃えるため、カヤ(茅)を敷いて火を付け焼畑をする。その灰が肥料となる。からむし焼きは、霜が降らなくなるという小満(今年は昨日の5月21日)の日に行う習わしだ。

 畑の隅に白い花を咲かせた桃の木が植えてある。畑の隅に植えた木というのは「畑隠居の木」という。隠居とは引退したという意味で、通常老成すると隠居し若い人に家の運営、農作業の段取りと責任を任せる。しかしいつもそばで見守るのが隠居(いんきょ)だ。20060522img_5714 現代日本の農山村では本来は隠居すべき年齢になった人々が「鍬頭(くわがしら)」として第1線で稼いでいる。会津藩は少年兵の白虎隊や、老人による編成隊、、、そして先の第2次大戦の日本でも老人・婦人まで動員して戦う、、、、という時代があったが、農山村はいまだそのままの世界だ。

 大岐ではからむしと麻織物が近世江戸時代の暮らしを支えた作物であった。からむしは7~8月に繊維として乾燥させ軽くして越後山脈を越えて小千谷とか十日町に送られ、そこで布に織られた。越後上布である。20060522img_5734

 麻(アサ)は、繊維にして冬の間に布地とし、これは会津・関東に蚊帳地として販売した。

 強い繊維の麻を縦糸に、繊細な硬い繊維を横糸にして冬に織る布は「カタヤマ」といい、これは会津田島町に出して、そこで藍染めされ「カミシモ(裃)」となる。田島祇園祭の党屋衆が着用した裃は多くが昭和村(当時は野尻郷)産だ。

 さて、「畑隠居の桃が満開となったらカラムシ焼き」である。20060522img_5719

 ハウス建てとか、田植え、そしてかすみ草を植えるための畑作り、、、、堆肥を配り、有機質の肥料を条に蒔き、ビニルマルチを掛ける。梅雨となると畑が湿りすぎ、マルチかけの機械・管理機が入れなくなるので、土の乾燥度と、天候を見ながらの作業だ。

 かすみ草の苗を植えるが、マルチ内の土壌水分の適度さ、土の密集具合により乾燥度が異なり、生育やその後の管理に大きな影響がでる。露地雨除け栽培なので、雨水に頼るので、マルチ掛けが重要な作業である。

 植物は植えれば一人で育つ。20060522img_5746

 パイプハウスは決められた時間、自分が働いて建てなければ終わりが来ない。時間を費やした分、形が見えるが、あと一息だ。5月末までにハウスを建て終える。1町歩、、、、のハウスはまた5ヶ月後の10月中下旬から11月にすべて解体する。

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