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2006年8月29日 (火)

トチの実、豪雨、きねずみ

■2006年8月29日(火)曇り。監査日のため会津若松に行く。午前11時に大岐の家を出て、自動車で海抜1000mの博士峠を越えた。博士山はトチの豊作年だ。その写真を撮る予定で少し早く家を出た。20060829img_8215

 路肩に車を停めて頭上の鈴なりのトチの実を撮影した。沢を覗き、車も来ないので、ここでオシッコをしようと下をみるとミズヒキが群生していて赤花を点々と付けている。

 10分ほどトチや植物を撮影していると、下から1トンクラスのトラックが上がってきた。車を僕の脇に停めて言った。

「高田は大雨で、前が見えない、走れないほどだ。橋本から博士峠は晴れていて雨も無い」

 知らない男は、大声でそういって、重い車体を動かし、峠を登っていった。20060829img_8257

 高田はいま会津美里町。

 なぜ僕に話しかけたのだろうか?

 11時37分。

■峠の終点、谷ヶ地(やかぢ)。トンネルがある。その手前で、道をリスが右から左に横切った。川端のクルミの木から斜面にクルミを運んでいるようだった。冬のための準備。11時57分。野生のリスは、大きなネズミに、体長の倍の長さのふわふわしたシッポをつけ、毛を黒に近い茶褐色にしたもの。20060829img_8249ここでは「きねずみ」と呼ぶ。きねずみことリスはやさしい。川には怖い「かわねずみ」もいる。

■数年前、大岐センターという集会所の北側もよくリスが道路を横断していた。朝早く畑に向かうとき、目の前を横断するリスを皆よく見かけていた。皆、スピードをここでは緩めて車を走らせた。秋には動物は冬仕度のために、危険な道でもよく横断するからだ。

 ある日、リスは、どこかの街から来た、高速走行してきた自動車にひかれ死んだ。

 

 食事の時、猟師の父はリスの死に接して言った。20060829img_8294

 「もったいないことをした」

 同じ山奥の人の少ない村に住む生きものはクマも含めて、よく自分だけの力で生きているものだと尊敬している。野生動物の死体を見ると、同じ地域に暮らす仲間が死んだと同じ感慨がある。それだけ厳しい冬を何度も生き抜いてきた彼らだからだ。かわいそう、と思うのではない。生きていれば、いつでも人間は、見かけた動物からいつも学ぶことがある。

 「よく生きてきた」

 凛と生きる野生動物、それにいつも、山棲みの人間は、励まされるのだ。20060829img_8282

  リスが、クルミの木に上がって実を落とす、それを自分で地面から拾う、運ぶのだ。3段階の仕事をするので、目立つ。

■なぜ、人間は見知らぬ他人に声をかけることができるのだろうか?今日の博士峠のトラックの男のように。いま体験してきた自然現象(豪雨)のことを話したかった、だけだろうか?それを考えている。自分にそれができただろうか?僕は豪雨に向かって行く方向に車を停めていた。20060829img_8233

 飽食の時代に僕は貧しい見識、、、、自らして、そうである。明日は再検査で人間ドッグだ。 

■会津盆地で、携帯電話が通話可能になる。携帯電話の留守電に日本植物運輸の柏村社長からのメッセージがあった。折り返し電話した。明日(8月30日午後、アーバンホテル大田市場)のジェルファ・セミナー。そのケニアの農場(パンダフラワー社)の報告原稿・映像を、見た、という。報告者は都合で欠席なのだが、内容がとてもすばらしいので、菅家さんも是非来てほしい、、、、ということだった。菅家さんに見てもらいたい内容だ、という。20060829img_8336

 気に掛けて連絡をしてくれる人がいる、ということは、ありがたいことだ。

「健康診断なので、、、、行けません、、、、」と感謝して返事した。

■夕方、朝採花しSTS前処理しておいたかすみ草の葉取り・調整をした。小屋の梱包機の上には2個のゴーヤー(野菜)が置いてあった。しばらくして父が畑から帰ってきた。それは愛子が持ってきたという。愛子姉のまいたハクサイの芽が出て「うるぬいた」(おろぬいた、間引いた)苗をもらって父が植える、という。20060829img_8323

 時を置かず、隣家の照子姉が来た。

 「みよこあね、だいじょうぶが?」

 母は大丈夫だ、と応えた。

■夕食の時、父は言った。

「部落(集落)というのは、皆、兄弟なんだ」

「兄弟だって思って、つきあわんなんねえぞ」

(兄弟だと思って同じ地域の人々とはつき合うんだよ) Img_8561

■さて、メールチェックしたので、夜の花の調整作業で小屋に行く。

 僕らの時代は、でも、一人で生きていくという覚悟がいる。

 大岐では、、、、広く昭和村では、目上のひとはすべて××兄と呼ぶ。「××あんにゃ」だ。女性には「姉(あね)」を付ける。

 同級から下の年齢は呼び捨てだ。あるいは頭二文字だ。

 いま分かった。地域社会の人間は、兄弟なのだ。皆。それを呼称は示している。 20060315img_6212

 ヤクザの世界(映画)で生きている、セナ(兄)・シャテイ(舎弟)という言葉も時に使う。人前では、××のセナ様、××の舎弟(こちらは呼び捨て)。ヤクザというか渡世の世界が、地域社会の古層を保持している、というのが正しいだろう。

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