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2006年8月16日 (水)

インタビュー

■伝えるために書く、取材する。農業の生産者の現場で、見たこと、疑問、、、、卸売市場の場合は、バイヤー、生花店の仕入れの視点と今後大切になるのは消費者の視点、店頭で使えるような情報が入っているか、、、、、即物的になりがちですが、時間をかけた取材と、時間をかけたまとめかた、、、、校閲するデスク、、、、チームワークを考える、、、、かつて通信販売の『通販生活』のように定番品をテキストで表現しつくす、、、、言葉で表現する深さ、、、、、、紹介するという行為。 19701

 小学館の本を紹介する小冊子『月間・本の窓』8月号には、二階堂黎人が「僕らが愛した手塚治虫」第32回、、、、が連載されている。二階堂氏は1959年東京生まれ、、、国立周辺らしい。僕(菅家)も1959年生まれで同年代。今回は秋田書店が1962年に刊行した『マンガのかきかた』を取り上げている。二階堂氏は1971年・63刷りのを所有している、、、、本を読んだ内容を見ると、ほぼ同じ感じ方をしている。

 講談社の本の紹介小冊子は『本』8月号には、巻頭連載23,、、、「ときの思考」を大澤真幸(京都大学助教授・社会学)がずっと書いている。今回は「キュビズムとEPR効果」。物理学の進展と美術史を合わせて考える作業をずっとしていておもしろい。

 とてもていねいに書かれた産地報告です。これには、感動しました。しらないことを知る、、、まだまだ、しらないことがあることを知ることは世界を広げます。組織のなかで文章を書く、という行為には節度とときに大胆な切り込み(視点)と、それを許容する組織の班長の度量が試されています。060703_kasumiso_fair02

 →→産地ウンチク探検隊 千葉県 アンスリュームの大佐和花卉園

 フローレ21の松山誠氏が、ハワイのアンスリュームが台湾産に負けている、、、なんとかしたい、という話しをいつもしている。松山氏とつきあうことになった、JFMAの欧州視察にいっしょに行ったとき、アールスメールの花市場のテストルーム(花持ち試験室)でアンスリュームを入れたガス封入の袋を興味をもってみていた、、、松山氏が、そのときアンスリュームのことを考えていたことは知らなかった。後で知ることになる。

 →→→白里想雨 8月15日に選ぶこと、をメモしています。Img_3473

 大田花きの磯村社長が輸入商社の機能、を8月14日のコラムで書いている。

 8月14日朝の東京大停電について世田谷市場は?盆休みのなかでの花の仕事は、、、英語の文法まで。→→→ 軽トラ日記

 停電ではなかった板橋市場→クロリスの日記

 停電の大田市場 →大田フローレ21

  大田花きのM永氏(カスミ担当)によれば、停電前にかすみ草のセリは終わっていて、その後2時間停電となった、、、、そうです。

■こうしてみてみると、栽培品目そのものの紹介も、生産地ではうまくできないし、生産行為そのもの、あるいは生産環境、、、、そこにかかわるヒト(人間)についても、うまく紹介することができていない。地元では自明のことを、どのように他者の目で伝えられるか?たぶんに豊かな世界があるはずなのに、それをどのように伝えるのか?

 7月2日に首都圏の市場でのかすみ草の紹介をする展示で写真を多く展示した。予算の関係もあるので葉書大の印画紙にパソコンからプリントアウトしたものを、黒字の台紙に数枚貼り付けて、壁画とした。_

 生産者が7名同行して準備作業にあたった。いつも見ている風景が写真に切り取られると、どこの風景だかわからなくなる。盆のヒトの行き来のなかで、母が地域の写真をもとに作られた松山誠謹製三部作を見た地元人も、写真の風景を特定できない、、、自分たちの集落であっても、そうだった。

 これは何を意味しているのだろう。

 いつも風景を見ていない、と思う。お気軽カメラとしてデジタルカメラの果たす役割は大きい。自分で画像枠を編集できるからだ。「編集する」行為は、伝える作業にかかわっている。風景を切り取る意志(意識)が必要になる。その作業を経てはじめて、伝えるための写真の取り方(構図)を考えるようになる、、、、、全体か部分か、何を伝えるのか?撮影者の感動か、記録か、、、、、そうした経験ができるようになったことは、とても重要だと思う。

 風景を切り取る視点で、生活者は地元で風景を見ていない。なぜなら、昭和村に住んでいて日常に浸っていくと、それが見えなくなる。時折、博士峠を越えるとき、空やブナや、光の射し込みで見え方が異なることに気づいて写真を撮る。写真を撮ることで、風景の観察、地域の観察の第一歩がはじまる。

 たとえば誰でも振り返ってみると、旅行に行ったときの写真がいちばん多かったりする。日常の写真はとてもすくない。非・日常、、、、いつもではない空間は、発見が多いから、伝えるための記録も、、、、、、こうした意図的な行為は記憶にも影響する。旅人として他者の視点を地域内で持つための「編集」「撮影」「作文」が、そのことに無意識にウェブログ(ブログ)の広がりは示している。他者に示す、伝えるための日記というのは、次に取材して書く、という行為、、、、自分の地域の掘り起こしにつながっていくものである。Img_9612

 聞き書きという手法が、記憶の森から、、、、あたらしい現代の現場に移転してきている。

■8月19日、20日は会津地方の三島町で、会津学研究会の主催で、聞き書きを進めることの意味を考える。2日目は民俗学の3名の研究者がどのように聞き書きを進化させてきたのか?それを個別班で話しをうかがうワークショップがある。表現、調査、取材、、、、あたらしい時代に必要な作法を考えていきたい。ヒトを見つめる、伝えるための手法だ。日本の人々、普通の人々の話を聞き続けているヒトの仕事を、聞く、という逆転した会。聞き手に語り手になってもらう。→→→会津学夏季講座(8月19日、20日)

→→→奥会津書房(福島県三島町宮下)

■ あるく・みる・きく →→ ① 4月13日 野本寛一さん

   →→ ② いとなみから学ぶ

  →→ ③出された赤飯

 →→ 赤羽正春さん サケ・マス

 →→ 新潟の赤羽正春さん 『採集』

→→ 生態民俗学

→→→ 野本寛一著『神と自然の景観論』(講談社学術文庫)

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