« 秋の風 | トップページ | 故障 »

2006年8月27日 (日)

無用な木は残り有用になる

■日経8月27日(日)最終面の文化欄に、漢字コトバ散歩、というコラムがある。中国古典学者の興膳宏さん、という人が執筆している。タイトルは「無用、大切なムダもある」というもの。20060822img_7436
 無用は老荘思想に特有の考えで、世間的な常識に対する逆説を含む、という。
 
 老子の無用は有用を支える概念だが、荘子のそれは有用の対立概念である、という。
 
 曲がりくねり節くれだった無用の大木をめぐる議論があり、荘子はそれを材木に使うなどといった考えを棄てて、「無何有(むかゆう)の郷・広莫(こうばく)の野」、すなわち見わたす限り何もない広野に立つその木の下で、ゆったりと歩きまわり寝そべることができたら、なんとすばらしいことかという。そもそもこの木は役立たずのおかげで、かくも巨大に成長できたのだ。

 荘子によれば、無用なるものをムダとして、片端から切り捨ててしまえば、結局は人間の存在自体が危機に瀕する。有用といい無用といっても、しょせん人間の矮小な知恵による分別にすぎない。

ーーーーー20060822img_7758

■僕がいつも行く、博士峠の標高1000mのブナ林は、かつて、戦前だが、人間の斧が入り、炭焼きされた。100年を越える大木は、当時無用だった木である。枝が主幹の下から出ていたり、、、、その古木が若木を育てている。首都で読む新聞で、郷里のいまはだれも訪れない森の格好の悪い古木が脳裏に浮かぶ。僕らはいつでも時空を旅することができる。

■8月22日に行った魚沼の畑に、何本か残っている木の意味を今考えている。

→→→鈴木君からメッセージがあったので、本文に掲載します。

写真に写る畑の真ん中の柿の木は凄く思い出があります。
僕の使う畑は、地元畜産農家だった80代のおじいさんから全てを若い担い手に貸したい。一生使ってくれる人がいい。
という話で僕が10,000㎡ 1haを借りました。
今から11年前です。
当時はすでにおじいさんは牛飼いを辞めており、少しの草花を畑に残していました。
畑は牧草畑に使うために、若いときから少しづつ農地を買い集約したそうです。
桑や小さな木が無数にあるのを鍬で起こしては畑にしたそうです。

この柿の木を植えたのは、このおじいさん。
堀之内町が誕生した記念に、町民に配られた苗木を育てたそうです。
もう数十年。
この柿の木だけは絶やさないで欲しい・・・。
そう僕に言いました。
残念ながら、色々な力で2反ほどの畑は違う人へ渡り柿の木の植え込んである土地も人が借りました。

この柿の木の下で、おじいさんに畑に水のため池を作りユリをまとまって栽培したいという話をしました。
兄ちゃんの好きなように使ったらいい。断わらんでいいから、ずっと頑張ってくれと言ってくれました。
おじいさんは数年前に他界しましたが、僕の今を支えたのが
この農地です。

投稿 すずき | 2006/08/27 11:52:43

|

« 秋の風 | トップページ | 故障 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 秋の風 | トップページ | 故障 »