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2006年10月29日 (日)

2000年3月の太陽の花

■2000年3月11日に書いた原稿です。

花き三大品目20061020ifeximg_7752_1

 世界で最も多く生産され消費される切り花がバラである。今後バラが世界的に供給過剰の時代となるのが世界の共通認識となっている。
 我が国の切り花生産統計では、キク、バラ、カーネーションがトップ3であり、次いでユリ、トルコキキョウ、スターチス、チューリップ、宿根カスミソウなどが続く。
 この2月下旬に沖縄県の花き視察調査のため「太陽の花」ブランドの小菊で有名な沖縄県花卉園芸農協を訪問した。
 98年から韓国による日本へのキク輸出への沖縄県の対応にも注目していた。
 沖縄県では専門農協のほか、沖縄経済連もあり合わせて県内で184億円の生産額があり、うち134億円がキク類である(1998年。福島県は花き全体で78億円)。20061020ifeximg_7769

沖縄のカラムシ

  我が奥会津の昭和村は、宿根草のカラムシから繊維を取り出し、糸に紡ぎ織る「からむし織り」の生産技術が本州で残っているところとして知られている。カラムシは、人間が太古から、どこの地域でも利用してきたであろう繊維植物のひとつであるが、現在は沖縄県と昭和村が「産地」としてのカラムシ生産が行なわれている。
 福島空港が開港し、沖縄県那覇空港行きの旅客便が飛ぶようになってから、カラムシ生産にかかわる村人も交流事業で沖縄県内のカラムシ産地を訪問したこともある。
 韓国と沖縄のカラムシについては滝沢洋之教諭が昨年6月に発刊した「会津のカラムシ」(歴史春秋社刊)が紹介している。

沖縄の太陽の花20061020ifeximg_7775

 私が視察した「太陽の花」沖縄県花卉園芸農協の理事の一人は、この交流事業で昭和村にも来たことがある、という話だった。
  沖縄県のキク類、特に小菊は日本本土の春の彼岸用として現在では欠かせないものとなっている。「太陽の花」の3月の出荷計画は、200万本(25万箱)であり、前年対比6.6%増。内訳は大菊(輪菊)は約8万箱、小菊は17万箱である。最大日量2万箱の出荷を予定している。主に空路で本土70生花市場に出荷する(昭和村は年間5万箱程度の出荷である)。
  「太陽の花」では、3年前にインドネシアのジャワ島に「トランスプランツ インドネシア」を設立し、2万坪の施設でキク苗の生産をしている。これは苗生産のコストを抑え、常襲する台風の災害回避のためでもあり、昨年の台風18号(風速70メートル)の被害にあったキク苗の補給をインドネシアから行い、成果を上げている。20061020ifeximg_7785
 また、「太陽の花」では、韓国のキク生産についても十分な調査を行っており、それに対抗する手段を講じている。加えて、この4月から施行される改正市場法新運用への対応も行っており、私たちの村の産地とは規模が違うが、学ぶことが多くあった。
 特に、冬期間の本土のキク類、特に小菊では責任産地としての自覚であり、また日本列島孤のなかでもアジアへの要であるという地形上の理由から、国際的な判断ができる体制となっていたのが印象的だった。
 こうした生産団体とともに、沖縄県は昨年2月に、国際化時代の進展に対応して品目を絞り込み、競争力を高めるために「農林水産業振興アクションプログラム」を策定し、花きについては4品目を戦略品目として位置づけ、昨年から5カ年計画で「おきなわブランド」拠点産地の形成を推進している(花卉園芸新聞3月5日号)。

沖縄のカスミソウ20061020ifeximg_7774

  かつてカスミソウ生産は接ぎ木によって行われていた。それがウイルス病等による生育活性の低下で生産拡大できなかった。
 しかしカーネーションに1969年に導入された茎頂培養・メリクロンという新技術が74年にカスミソウにも導入された。
 茎頂培養無病苗が大量に生産されることとなり、それから宿根カスミソウが全国的に栽培されるようになったのである。
 沖縄は、その最初の時期に宿根カスミソウを導入した地域であるが、現在は極めて少ない。手元にある98年の統計ではヘクタール換算でのカウントが無いが、沖縄では2万本の出荷がある。40本入箱とすると500箱程度の出荷量。4本仕立てとすると5000株の栽培といえる(昭和村の専業農家1戸は約1万株の作付)。97年統計では沖縄は栽培者6名となっている。20061020ifeximg_7781_2
 ちなみに98年の全国の宿根カスミソウは439ヘクタール。福島県は74ヘクタールで、そのうち昭和村は約30ヘクタール。熊本が106ヘクタール、和歌山が52ヘクタール、北海道が65ヘクタール。

  「太陽の花」職員によれば、沖縄での宿根カスミソウの生産は、「1978年の2月に出荷した宿根カスミソウが、東京の青山生花市場で1本1400円で売れたため、沖縄での栽培はその後急速に広まった。また全国のカスミソウブームを巻き起こしたもの」という。しかし、今は熊本等に品質で負けたため作っていないという。
 この5年後、1982年に昭和村2戸や田島町3戸に宿根カスミソウが導入され現在に続いているのだが、会津盆地等ではもう少し早く導入されているようである。

 前線の通過で、福島空港から搭乗したジェット機はこれまでになく揺れた。沖縄の那覇空港も大雨のため、上空で着陸待ちをした。着陸許可が出て、視界の無い滑走路に突っ込んだが、機体は接地直前に、轟音をたてた。エンジン出力を上げ、再上昇始めた。滑走路は眼下に見えたが、さらに黒い雲の中を突っ切り機体は相当に揺れた。しばらく旋回したあと、やっと着陸した。20061019ifeximg_7603
 飛行機を利用した旅(出張)が多くなるにつれ、継続した仕事を終わらせ、仕事の引継ができるようにいつも身辺整理をしてから、旅に出るようにしている。

 仕事のために行った沖縄で、このところ花仕事で考え続けてきたこともまとまりつつあったが、刺激もあった。
 私を案内してくれた「太陽の花」の職員のK部長は「私は40年先の産地のことを考えているよ」と言われた。
 私は日々の花仕事を通じ、また仕事の旅を通じて、そして社会を見ながら、この先10年間の産地のあり方を考えている。2日間、K部長は私を圃場に案内しながら、私の立ち居振る舞いを観察していた。そのことに気づいてはいたが、私が考えていることまで当てられてしまった。
 沖縄で見たこと、それがすぐ私たちの産地に役立つこととは言えないが、自分にかかわる未来のことでないことを考え続け、些細な日常の出来事を誠意を持ち処理し、日常に腹を立てずに遠くを見て我慢する、ということが学んだことだろうか。

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■2006年10月のIFEXでは中央花卉ブースで、僕らのかすみ草とともに、太陽の花の葉物が並んだ。とても光栄なことでした。

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