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2006年10月24日 (火)

サルボダヤ

■スリランカ、、、、むかしセイロンと呼んでいました。

 20代のはじめ、会津若松市にスリランカからアリヤラトネ博士が来て、ボランティアとしてその活動を支援したことがある。ユネスコ運動にかかわっていたころのことです。

 開発によらない農村の自立、、、、というのが自分のテーマでもあり、このアリヤラトネ博士の進める僧侶が中心となって進めるサルボダヤ運動には、仏教徒の自分自身(我が家は代々・禅宗の曹洞宗)感じることがあった。博士はインドのガンジーなどと同じ、社会的にも立派な方でした。サルボダヤからも若い青年が日本各地の有機農業家にステイして日本を辺境から、そして時代遅れと言われるオーガニックな農法を実践する零細農民の場から見て、彼らは本国に帰りました。僕はそうした次期の指導者層になるR君と一年間、国内で、お付き合いをしました。なかよしバンドとか、喫茶店のラマ・カレーとか、いまの会津学研究会、、、そのころからの共通のテーマを持つ会津のグループです。

 大島信二さんからテーマをもらっていて、少し、自分を振り返っています。

 リンクしたサイトは、私自身がその素性を確認したところではないので、ただウェブ検索して、その中味をよく紹介しているので、紹介するだけです。もしかかわる場合には、こうした団体の場合は注意してかかわることが必要なので、よろしくお願いします。

 →→→サルボダヤ運動とは?

 →→→公式ページはこちら sarvodaya

 僕は、20代の農業をやりたてのころは家業が葉タバコ生産農家だったので、でも、有機農業(野菜)がしたくて、栃木県のアジア学院とか、そこの留学生が滞在する会津の農家、あるいは山形県高畠町(星寛治さん)、川西町などを毎週のようにたずねていました。よく時間がありました。川西町のそのときたずねていた農民は、いま町長をしています。ダリヤフォーラムで行った時再会しました。星寛治さんには、たかはた共生塾の開塾記念でなかよしバンドで演奏をしたこともあります。アジアから多くの農民指導層が、有機農業を取り組む農家にはショートステイ、あるいは年を通じて滞在していることがとても多く、僕等は彼らと交流するなかから、アジアから見た日本農業の脆弱さを教えられたように思います。

 花は農薬をいちばん使う生産体系なので、やりたくありませんでした。でもかすみ草はほとんど無農薬で栽培できたので、それを生計の柱にします。ところが10年ほど経過して1995年くらいから、うどんこ病が国内初、全国一斉に発病し、輸入苗からの感染とほぼ断定されています。それから農薬を使う農業を10年続けています。でも、その見直しを3年ほどまえから行っています。

 今回のIFEXでは、そうした生薬系漢方の植物保護液を販売する会社がいくつか出展していました。僕はそのすべてでお話しを聞きました。本来の農業のあり方を含め、いくつか大きな揺り戻しが今後起きてきます。ひとつは燃料・エネルギーの問題は、昨年から見えてきています。同じものを作り続けると特定の病害虫を保菌していくことになり、品種はベーシックなもの、、、品種は少ないように、、、、ということと矛盾しますが、輪作・休作を含め、コンパニオン・プランツとか、考えられる様々なスタイルがまだ知られていません。お金がなく、貧しく、肥料も農薬も買えないアジアの農村部で起きている自立した農業というのは、地域資源を循環再利用する仕組みを作ることで、村落が自立するために必要なことです。コスト削減という見方で、エコファーマーからMPSが見直されていますが、もう少し本質的な話題に引き付けて考えると、地域が伝統的に行ってきた農法の調査・試験・復活にこそ展望が見えてくると思います。ただそれに縛られない、真実は農業・農法の場合、ひとつではないので、宗旨替えは頻繁に起こりますが、その農法を行うことが目的ではなく、手段である、、、、というところを見定めることが必要だと思います。すぐ政治問題に直結した時代は終わっています。

■一昨年、スイス国チューリヒ市のアグロトロピック社(花束加工業)を訪問したとき、同社がケニア産のバラの花持ちと開花速度(つぼみの開き具合の調査)をしているテストルームにいくつかのグリーン(葉物)がテストされていました。スリランカに自社農場を持っていたのです。そのとき、僕は、サルボダヤを遠い記憶から引き戻しました。MPSも取得しています。アジアの特定地帯はとても先駆的な取り組みをしています。それは日本以上だと思います(現地は見ていません)。

■フェアトレードの調査、ならびにその思想。今回のIFEXではセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンが高松商事と日本初の取り組みをしていました。そうした動きが、僕が興味を持っていた時期から20年たって、花の業界に導入されてきている、、、、、農業とか国際競争とかとは異なる思想があることを、どのように社会に移植していくのか、、、、そうした評価、取り組み自体、、、、のことですが、基本には選択権が生活者にあり、流通業者には無くなっていることを示す時代のマーカーだった、、、ことに10年後に気づくことになるでしょう。生産・製造・流通業は、生活者の選択権のなかにしか意味をなさない時代がはじまった、、、、というのが、今年のIFEXの現場で感じた個人的な感想です。僕等の取り組みより時代の速度は速い、、、、、それだけは事実です。ついていけるのは20代の、これからの生産者だけかもしれません。なぜなら、自分自身の20代がそうだったからです。そのときに見ていた、理想としていたことが、いま押し寄せてきています。よく考えると、自分の花の生産の20年間の経験は、とても遠回りな道のりだったように思えます。最初になぜ取り組めなかったのか?と思います。20代は理念が先行し、自分自身の行動や表現する力がないから、その理念といまとるべき行動とのすり寄せができません。ぎくしゃくします。30代になると、もう、自分の人間の枠を自覚できますから、できることしかできなくなるので、理念はどこか遠くに捨ててしまいます。ところが、農業も40代、、、、20年ほどやってみると、次の世代への橋渡しを考えることが必要になってきて、20代の理念に戻る、、、、そんなときに、自分の能力は知っていますから、多くの人との橋渡しで、自分ができないことをできる人に託すことが可能になります。

 IFEXの軽トラ、オフ会は、そうしたことを感じさせた夜でした。

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