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2006年11月19日 (日)

思い出の共有化

■人が集まる意味は、「思い出の共有化」にある。それには非日常が印象に残る。バスや1台の車の旅というのは、そうした意味がある。できごとが瞬時に伝わる空間を持つ、ということだ。

 小さな集会のために、やはり準備を行う。そのための相談のための小さな集会が繰り返され、物事が決まっていく。これは、準備過程に「思い出作り」の意味があり、その「過程」を伝えることが「共有化」の前提になる。ニュースとはそこで作られる。

 集会・講演会に参加した、あるいは行われた、というニュースには価値がとても少ない。なぜなら過去のことだからだ。来週開かれる集会に行ってみようと思っている。理由は、こうだ、、、、というのがニュースになるのがパーソナル・メディアである。その前駆情報が、集会参加記録の価値を高めることになる。

 主催者であれば、①相談した、で一報、②内容が固まってきた、で第2報、③会場が決まったで第3報、④参加者の多寡で内容を修正したで第4報、⑤当日の開催前で第5報、⑥当日の速報、⑦参加者の声、⑧催事の反省会を行い、課題と良いことを見つめ直した、という時間軸の短報が、つまり「思い出の共有化」になる。

 これを生産に置き換えると、日々のいとなみのなかに、差し込まれている片鱗を工夫して伝えることが、情報の提示の仕方の基本となる。その情報提供は企画されたものの数パーセントしか提供できない限界性を持つ。日常が大切なのは、変化しない日々の暮らしのなかで、社会や家族との思い出が共有化されているからなのだが、他者に伝えるには伝えてはいけないことを明確にして、表現方法を考えることにある。なぜなら伝えられた日常は、他者にとっては非日常であるからだ。

 コモンズ、、、という概念が、21世紀のキーワード。20061118kinandsc01291

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