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2006年12月30日 (土)

農の営みから「場所」とは

20061229img_6400 ■内山節『農の営みから 創造的であるということ(上)』(農文協・人間選書、2006年3月)。

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 産直を、消費者が安全で安くておいしい作物を商品として購入する方法だと勘違いすると、あるいは逆に生産者が有利な商品販売の方法だと勘違いすると、いつの間にかこの活動は変質して破綻してしまうでしょう。それなら生産者の名前まで商品価値にしてしまう流通業者にまかせたほうが、多分長続きする。

 そうではなく、消費者は作物を買っているのだけれど、そのことをとおして農業をつくる側にまわる、農業や農民を支える側にまわる。

 農民は作物を売っているけれど、消費者の生活を支える側にまわる。20061229img_6381

 そのことによって、共同で農業や農民、農村と、消費者の生活や文化的な暮らしを創造する。そういう共同の「場所」をつくりながら、この「場所」のなかで諒解できる交換ルール、交換習慣をつくる。その結果儀礼的な手段として貨幣もやりとりされる。こんな考えが、小さな産直をいっぱいつくりだしていくうえでは必要なのでしょう。

 一人の人間にとっても、自分の存在する「場所」はひとつである必要はない。共同体的な「場所」もあるし、その前に家族もひとつの「場所」かもしれない。地域的につくられる「場所」にも、それをつくりだす関係によって、いろいろなものがありうる。20061229img_6370

 さらに関係がつくりだす「場所」を考えるなら、それも関係がつくりだす世界としてさまざまがあっていい。そういう多種類の「場所」のなかに、つまり多層的な「場所」のなかで、一人の人間も存在している。もちろんそのさまざまな「場所」のなかには、自分が濃密に存在している「場所」もあるし、どちらかというと薄く存在している「場所」もある。

 産直活動をしたからといって、生産者は自分の存在のすべてを産直にかける必要もないし、逆に消費者はその産直に自分の必要とする農作物のすべてをゆだねる必要もない。つまり、そのどちらもが、多層的な「場所」のなかで存在していい。

 それはドライな関係をつくろうという意味ではけっしてありません。20061229img_6414

 さまざまな「場所」の重なるところで暮らし、その「場所」ひとつひとつには自分の存在のかかわりの濃淡はあるものの、すべて「場所」を大事にしながら、そのそれぞれの「場所」で共同のルール、共同の価値をつくりだしていく、そのくらいのたくらみを私たちは回復していきたいと思っているのです。

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■昨日訪問した南会津の下郷町・大内宿、、、、そこの「場所」で感じたことを、内山節の本から拾ってみた。

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