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2007年1月 9日 (火)

1985年4月の卸市場

■フロレッタちゃんに11回目連載原稿を送った。花の栽培を始めたころのことで、そのための調査には少し時間がかかった。これは1月末頃掲載されると思う。そこに書けなかったことを書いてみる。

 1984年1月8日に個人出荷のグループを作るから入らないか?と同じ集落の人から誘われ、花栽培の勉強が2月からはじまり、4月はじめに、生まれてはじめて私は花市場に行った。7名の生産者全員参加で都内の板橋生花と足立生花を2日間訪問した。花の販売先を決めて、話をしてから、7月に昭和花き研究会が設立される。そしてグラジオラスを中心としてリンドウやかすみ草の出荷がはじまった。24歳の時だった。私ははじめての花栽培は球根のグラジオラスを栽培・切り花出荷していた。皆グラジオラスが多かった。

 1985年の4月にまた板橋生花と足立生花を訪問した。その時に言われたことをノートに残してある。1年目の販売結果、評価を2年目に卸市場で聞いたのだ。

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■1985年4月3日、4日の市場研修を終えて。

 昨年に続いて2回目の市場研修。昭和村はまだ1mの残雪。東京は寒さでサクラが遅れていたがつぼみがほころぶ寸前だった。今回の研修は板橋、足立とも共通していたことがある。両市場とも、買参人の違いで、必要としている花の品質が違うことだ。それと両者とも昨春の当会の売り込みの話と、実際の出荷内容が異なっていて、悪いイメージができあがっていたことである。商談したときの話ほど品物が出荷されなかったし、その花が必要な時に出荷されなかった(板橋)。共選といかなくとも、個選共販と思っていたものが、個選個販であったから期待できない産地だ。今年は出荷先市場を限定して、共販できるようトータルに考えて欲しい、と言われた。

 板橋ではグラジオラスの黄色のトパーズばかりで困ったこと、買参人から信頼されるためには各色の品種が必要ということだった。

 足立ではそのトパーズが良かったこと。ボリュームがあり、花の色がよいこと、一般にはコンパクト志向になっているが、仕事花需要として使えた、と言われた。しかし出荷方法、梱包が悪く、段ボール箱にグラジオラスを固定する方法か、段シート梱包を検討してほしいと言われた。悪いところはあるけれども、他産地にないグラジオラスの品種が出荷されてくるので産地の魅力はある、ということだった。輸送条件が悪いのだから、生産者が一致してまとまり、共販(共計)という形をとらないとだめだろう。

 両市場では共通して草花へのクリザール処理のことが、話し合いの時間の半分の時間を割いて説明があった。足立はすべての品目で使用せよ、、、、で、板橋は慎重に考え、作物によって使うということだった。

■このことから、個選共販(共計)となり、3年目以降、クリザールが出てきたことにより、品質が安定して、かすみ草などの比率が徐々に高くなっていく。

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