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2007年1月 6日 (土)

山の自然の実と、もち米

■ブナ林の沢筋にトチ(栃)は生える。それを守ることでトチの実を秋にひろうことができる。勝手に拾うことをせず、解禁日を「やまのくち」という。秋の彼岸後がたいがい会津の各集落は「山の口」開けとなり、トチ拾いに山に入る。飢饉のときに命を支えたのがトチの実だった。何年も天井裏に、稲わらで作った袋、、、カマスに入れて保管していた。いろり(ゆるい)から出る煙がそれを守っていた。 20050617tx_1

 トチの実はアクが多く苦い。それをアク抜きするには、木灰(あく)が必要。特に広葉樹の灰でないとだめだ。最上はナラ(楢)の樹の灰だ。その灰を作る装置が、天井のトチの実を守っている、、、、家の中にあるいろり(囲炉裏)にたまる灰。

 この灰が、トチの実のアク抜き、、、、あるいは春の山菜のワラビなど、、、アク抜きに使う貴重な素材。

 狭い水田でもち米を作る。そのもち米にトチの実を合わせ、ついたものが、トチモチ(トチ餅)。切り餅(角餅)として、一度軽くいろりの火であぶっておけば、一日はそのままトチ(阻害剤)が入っているため硬化せずに、山の仕事や猟で食べることができる。苦味は重要なものだ。20060829img_8207_1

 沢筋に生えるトチの樹を残した場所は、栃窪(とちくぼ)という地名がついており、集落でそれを管理、、、、つまりヤマノクチで拾うことが可能な日を決めて管理していた。トチの樹を残すことが、つまり山の森を守ることで、その沢の水を守ることだった。

 その沢の水を引いて、水田を開いた。そこにモチ米を作る。

 山の精であるトチの実と、人間の汗、労働の末に出来たモチ米を合わせるのが、トチモチなのだ。ヒトの命をつないだ実で歴史がある。歴史を食べる、山の精を食べる、生きる仕組みを食べる、、、、それがトチモチだ。生きることは苦(にが)いことだ。その苦味と茶色、、、、トチの実の色は土の色をしている。原始に戻る味。20060829img_8214

 正月に南会津のモチ作りの聞き書きをした。一人の女性が、1000kgのトチの実を、、、モチに加工していた、、、、

 このほかに、春の野のヨモギを摘んで、つきこめば「草餅」、色は緑色、野の香りがする。

 田のあぜに植えた大豆、、、、をつきこめば、「豆餅」(まめもち)。

 神への供えは白い餅だ。

 モチ米を少なく、トチの実などで増量することが最初の目的だった。モチ米を減らさない工夫だ。増量剤としてトチを入れ、それを食べる。トチそのものは縄文時代から食べられている。

 増量して、米を減らさない工夫が、ダイコン葉を入れたカテメシ、、、いろいろとある。

 こうした「米かぼい」、、、米をかばう、、、、米を節約するのが山村の食のあり方だった。

 少しいただく、、、、おなかいっぱい食べない、、、、それがこうした野の食のあり方。だから「ごちそう」になる。おなかいっぱい食べることができなかった時代が長かったからだ。健康のために食べていたのではない。結果として小食が健康・長寿につながっていた。

  →→→トチモチ作り(12月23日、土っ子田島味噌通信)

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■見知らぬ旅人の日記から →→→くじらや 七日町通り藤崎商店の回想

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