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2007年1月 2日 (火)

歳徳神と加齢

■12月28日が家の座敷、、、、通称はオメイと呼ぶ和室にある神棚、仏間を正月の準備をする。これ以外に小さな戸棚の中に大黒様が居たり、、、、家々の神々に松+幣束(紙)とモチを飾る。20061231img_6812

 12月29日に下郷町大内をたずねた時、「こめや」の吉村徳男さんは27日から準備をして丸二日かけて、丸餅の32重ねのモチを準備したそうだ。

 私のところの大岐は、切り餅の長方形の二重ねの上に丸いモチを重ね3段にする。

 下郷町大内でも歳徳神(としとくじん)は、掛け軸とその前に仮設の棚を吊して飾る。

 私の大岐でも歳徳神は、仮設の棚を吊すのだが、、、、今年は違った。

 夏の間、父母の体調がわるく、すでに70歳半ばになっていることと、父は12月になってから腰を痛めていた。少し体調が良くなり、松飾りは父の仕事で、見ていたら、今年は歳徳神は奥座敷の床の間、、、、いつも天神様がいるところ、、、つまり低いところに祀ってあった。

 12月31日に、母から電話があった。「今年は年取り(12月31日の夕食)には来ないのか?」というものだった。友人の告別式が終わり、葬祭場の駐車場で出庫待ちの時だった。31日はその後、昭和村に向かって自動車を走らせて、父母と年越しした。20061231img_6755

 明けて、2007年1月1日の夕食も大岐で父母と一緒に食べた。

 私は晦日の葬儀で「火をくっている」ので、1月1日の集落大岐での朝10時からの地区新年会は欠席した。火をくっているというのは葬儀に出た、、、あるいは親族の不幸等が合った場合のことをさす。

 1月1日の夕食後に父に聞いてみた。

 「歳徳さま」は棚を吊すが、縄をなうのがたいへんなのと、お膳の上げ下げが高くて、踏み台に上がってやることがたいへんになった(母のこと)から、座敷に作った。ほんとうのやりかたではない、、、、」ということだった。20061231img_6768

 お膳の上げ下げは正月の仕事だし、毎夜夕食前には灯明(ろうそく)をつけて、それぞれの神様ごとに柏手をうち祈る。神様のお膳を毎日作るのもたいへんになってきている。

 我が家は雇用労力をいれないで、父母と私で農業(かすみ草栽培)を営んでいる。労力の減から、2007年は、かすみ草は3割作付を減らすことにしている。それでも耕地面積は1ha弱、、、ハウス面積で7200平方メートル(2100坪)の露地ハウス(開花時のみ雨除け)計52棟ある。今年からは、畑に張り付いて仕事をする年になる。

 ↓神様にあげるお膳(写真) 毎日、作法通り、メニューは異なる。これをふたつ、その他がある。

  写真は昭和村大岐(我が家)で、歳徳神に12月31日にあげた膳で、塩引き(鮭)の胸びれがふたつ付いた切り身。黒い漆器椀には白飯。吸い物椀には豆腐・ほたて・舞茸。お平(たいらな椀)には煮物のゴボウ・里芋・昆布〆・身欠きニシン・面取りダイコン半裁。載せる角の膳も大きさ・高さがいちばん大きなもの。それ以外の神様は膳の高さが低くなる。塗り箸は飯側、向こうにある。

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