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2007年1月12日 (金)

子どもをまきこむシステム

■2007年1月12日(金)。冷え込む。かすみ草を売っています→→→花良

 あかべこ→→→荒井工芸所

■1月11日(木)に南会津町田島で、下郷町大内宿の吉村さん、田島の湯田浩仁さんのお話を聞いた。20070112img_7899

 大内宿では、12月12日に12歳の子どもが「火の用心」「十二月十二日」と毛筆で書いた紙を地域各戸に配布する。それでおこづかいをもらう。(12は山の神の聖なる数字だと思う)

 あるいは12月31日に集落の西方高台にある村社・高倉神社までの参道、、、、400mあるが、その雪に道を付ける。雪踏みは子どもたちの仕事で、いまも続いている。大人たちも手伝い、年越し後に参詣する村人が困らないように雪の上に道を作る「仕事」をする。手伝う大人は、神社の由来とか、参拝の仕方、拍手のうちかた、神社に合祀されている神々の由来、村の歴史がその作業中に語られ、伝承される仕組みになっている、という。20070112img_7910

 →→→12月12日

 →→→大内宿の日々

 田島の田部集落では相当古くから正月一日に、獅子頭を神社から出して百戸近い集落内の各戸をまわり門付け(かどづけ)をする。それは20~40歳の青年の仕事だが、ここにも子どもが参加する。門付けのときに御札(紙に神社名を押印したもの)を配り、初穂として少しのお金が門付けした人々に渡される。その集まったお金を子どもにも少し与え、残りは貯めておき獅子をしまう社壇等の補修に使う。20070112img_8117

 →→→正月の田部の行事(湯田さんまとめ)

 →→→土っ子田島味噌

 湯田浩仁さんもこの正月も門付けをして子どもたちと集落内を歩いた、という。自分自身は由来はわからないが、子どものときからずっとやっている。古老によれば「正月に門付けをしない年には村が火災にあった。だから必ず行うべし」という、強制が集落を火災から守るための行事を正月一日に続けてきた。大切なことだ。

 子どもにこづかい(駄賃)をあげることは昔は盆・正月(あるいは年とり)くらいしかなかった。貴重な経験だ。日常的には家業の農の労働力として子どもも働いてきた時代がとても長く続いた。20070112img_8178

 子どもを巻き込むシステムが完備された地区は永続する。

 その多くは、子どもたちが、各戸をまわる、集落の範囲を歩く、、、あるいは何か護符を配る、そのことに対して村人は神の使いの子どもに初穂としてこづかい(駄賃)を奉じるのだ。子どもにとって、参加するオカゲは、お金であっても、それは地域社会の一員としての報酬にあたる。

 大内宿の吉村さんは「手間のかかる、めんどうくさいことを続ける」ことが実は地域20070112img_8190社会をうまく運営することにつながるのだ、という。大内宿でも萱(かや)屋根を葺きなおすには結(ゆい)で無報酬の共同作業・手伝いで屋根を葺きなおす、、、、、その借りた手間はいつかは返さなければならない。でもそのことで世代を超えた労働の貸し借りが、実は、地域を守る連帯になっている、という。

■2006年、縁あって会津の隣国の新潟魚沼の鈴木健市さんのユリ植えプロジェクトを、東京の仲卸フローレ21の松山誠さんと取材した8月は、その前日が、会津学の夏季講習会が開かれていた。地域のこどもたちに魚沼の産業であるユリ生産を知ってもらおう、中越地震からのこころの立ち直りにも役立てよう、、、、ということだった。結果としてその取り組みにより参加した大人の農家が励まされることにもなった。取材で参加した松山さんは、ご自身の会社の新規取り組みで、ボランティアで同僚の高杉さんとともに都内の児童館で「花育(はないく)」の可能性を実践している。20070112img_8259

 →→→すずきのユリブログ

 →→→フローレ21の花育(はないく)

 子どもをまきこむ仕組み、、、、それは社会が持つ責任でもある。

 会津若松市の初市・十日市(とおか・いち)は、長い冬を乗り切るための街が作った農家と町屋の交流の場でもある。縁起物の「起き上がり小法師」は町場の内職で作られ、それを求めるのは近在の農家だ。金回りをよくする風車は黒い豆で芯を止め、豆で達者であることを願い、かつ神棚にまつったカブに風車を刺す、それで固定奉納する。20070112img_8298

 十日市は爺様・婆様が孫子を連れて朝から出ていた。子どもを楽しませる、誘惑する仕組みが縁日露店はある。たぶん、地域行事で得たこづかい銭を握り締めて初市に子どもは向かう。そのお金は自分が労働として歩いて地域内から集めてきたお金だ。それがまたお祭りを通して回収される仕組みになっている。

■意味を持たないものが、いまほど価値を持つ時代はない。いみを失ったものが、いまほど地域を支えている時代はない。20070112img_8294

 それは小農が生きるための道としても開かれた意味をいまでも持っている。年中行事、、、、地域が伝承している小さな行事が子どもの参加を強制することは、あるいは荒ぶるカミがいて、いつもカミ(神)は強制を持ち地域社会に行動を促す役目をしているのだが、実はそのカミは多数にいて、「良いカミ」と「悪いカミ」がいる、、、、、というのは日本各地のあり方として日常の姿だ。ヒトにも良いヒトと悪いヒトがいる、、、、それを教えている。カミをメケイ(かご)で、ふるい(篩い)にかけて使う民族は、時に変化の激しい自然を乗り越えるためには、カミのフィルタリングも、時に必要なことだったのだろう。特に半年雪に覆われる雪国。 20070112img_7906

 春を待つために、冬に行事を集中させている、、、、のが雪国の特徴だ。冬を乗り切るための知恵がそこにはある。雪国の冬はとても長く、厳しい。だからそれを乗り切るための工夫を積み重ねてきた。行事のための準備と行事が、繰り返しやってくるのが雪国の冬だった。

 会津学3号では、春を待つ冬、としていま取材をしているが、農産加工も冬の無菌状態の特性を利用しているし、出稼ぎもそうだ。そして冬の人生と夏の人生、、、、冬のいとなみ(仕事)と夏のいとなみ(仕事)が異なることも雪国では常識だ。1年は2回あるのが雪国で、それぞれにライフスタイルが、人生が異なる。20070112img_8342

 それが自然によりそう自然な生き方で、それこそが千年を超えてきた地域を支える社会システムであった。冬に勉強をする、、、、、旅も多くは農閑期の冬に、代参というかたちで行われ参詣路での農や商、社会変化を吸収し、種子を持ち帰ることが重要であった。社会とのマッチングをとる、すりあわせの技法が旅である。

 出稼ぎと旅は、実は、限られた食料を守るために長期間に家を出る知恵であった。そのことで蓄えていた食糧の減りを防ぎ、家に残った家族を冬の間、その食糧が養ったのである。(未完・菅家博昭)20070112img_8388

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