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2007年1月13日 (土)

家業

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■内山節『里という思想』(新潮選書)より。141ページ。

 家業的な労働のあり方の復権がすすんでいるのである。
 なぜなら、人から人へと永遠に受け継がれていくような仕事、
 利益をこえた価値をみつけだせるような仕事を、
 今日の経済と労働のかたちから自由になろうとする人々はめざし、
 その結果として、
 農業をはじめとする一次産業や、
 職人的な仕事に就きたいと考える人が増えてきた。20070120img_8658
 家業として継承できるかどうかはわからないけれど、
 労働に継承性と永遠性を求め、
 経済をこえた価値を求める点では、
 むしろ、かつての家業に近いかたちで
 自分の労働を考える人々が、少しずつ増えてきた。

 20世紀の社会は、
 労働を使い捨てるものに変え、
 経済的利益の手段にしていった。
 それは経済的社会を頽廃させたばかりでなく、
 自分の仕事をとおして根の張った生き方をすることが困難な時代をもつくりだした。
 ここから生じたさまざまな問題を、
 私たちは21世紀の課題として背負った。

 かつての社会は、(137ページ)Img_6716
 家業を軸にして、
 自分の仕事は永遠につづいていくという安心感を人々に与えていた。
 そのことによって、人々は、
 永遠の営みのなかの1ページに
 自分が加わっていると感じることができた。

 そして家訓をとおして、
 仕事には倫理が定められていた。
 仕事が家業になるためには、
 単に目先の利益を追うだけではいけなかったのである。

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 57ページ 歴史の意味

 現在の自分たちとは何かを教えてくれる時間の蓄積。
 だから私たちは、たえず過去に問いかけ、
 「いま」とは何かを考えようとする。
 歴史は人間の思考を深いところに導く。

 現在の私たちは、歴史をもたない社会が持つ暴力性や一面性を、
 「アメリカ的行動」のなかにみている。 Img_6725

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 49ページ 公共

 東京で、「公共」といえば、国や自治体が担うもの、
 つまり行政が担当すべきものを指していた。

 それに対して私たちは「私」であり、「私人」であった。

 だが、村人が使う「公共」は、20050711kumoup2
 それとは違う。

 「公共」とは、村では、みんなの世界のことであり、
 「公共の仕事」とは、「みんなでする仕事」のことであった。

 だから、春になって、冬の間に荒れた道をみんなでなおすことは
 「公共の仕事」であり、
 山火事の報を受けて家から消火にとびだすことも、
 祭りの準備をすることも、
 「公共の仕事」であった。

 「公共」と行政とは、村では必ずしも一致していないのである。Img_0234
 村人の感覚では、行政の前に「公共」があり、
 行政は「公共」のある部分を代行することはあっても、
 それはあくまで代行であって、行政=「公共」ではなかった。

 そして村人が感じている「公共」の世界とは、
 それほど広いものではなかった。
 それは自分たちが直接かかわることのできる世界であり、
 自分たちが行動をすることによって責任を負える世界のことであった。

 つまり、自分との関係がわかる広さといってもよいし、
 それは、おおよそ、「村」という広さであるといってもよい。Img_0322_1

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■産地縮小、原油高、中国、日本の利益 →→→ 繊維ニュース

  

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