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2007年1月 8日 (月)

テヅカ・イズ・デッド

■日本のマンガ評論の深化に大きい役割を果たした、1967年名古屋市生まれの伊藤剛(いとう・ごう)の『テヅカ・イズ・デッド~ひらかれたマンガ表現論へ』は、2005年9月にNTT出版から刊行された(2400円)。Tezuka475714129701

 夏目漱石の孫、、、夏目房之介(マンガコラムニスト)は「この本で、ようやくマンガ表現論は現在に追いついた」と本書の帯で、推薦している。

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 本書から、

 (マンガの)多様さを認め、その複数性を肯定したまま、「マンガ」という表現ジャンルについて考察することは可能ではないのか。(略)そこで私は、マンガ作品が「何を」描いているかではなく、「どう」描いているかを、できる限り見ていこうという手法をとる(7ページ)。

 私は、自分の、個人の視界の小ささについてできるだけ自覚的であろうと思う。(略)自分自身の視界が限られていることに自覚的であろうとする態度のみが、逆説的に「全体」を指し示す可能性を開くと考えている。(略)いいかえれば、マンガの「内」に存在する無数の「外部」について敏感であろうということだ。またその「外部」とは、マンガと、マンガにとっての「他者」とをつなぐ回路であると考えている。20070105dsc02247

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 私(カンケ)は、「かすみ草生産」という狭い限られた社会から、あるいは遅れた品目、仕入禁止品目というモダンな花小売社会から捨て去られた場所から世界を見ようとしています。また地域的にも、多雪地帯、一年に半年しか生産できない地域、老人しか住んでいない山間地域というマージナルな社会から世界を見ようとしています。

 そのため欧州から日本を見る視点と、奥会津の昭和村から世界を見る、日本を見る視点を考えると、この『テヅカ・イズ・デッド』には学ぶ点がとても多い。アムステルダムでのホルティ・フェアなどの展示会で見るのは、花の品種そのものではなく、本書によれば、花を「どう」描こうとしているのか?という視点である。日本から視察に行った小売業に関わる人、生産にかかわる人、卸・流通の20070105dsc02245人、、、、、一部の人を除いて、総じて花しか見ていない。パリでメゾン・オブジェ、ドイツでIPMという冬季の2大展示会が開かれる時期になっており、日本からも多くの人が訪れるが、、、、是非、違う視点で見て欲しい。その視点で日本国内を見ると、表現の仕方には、まだまだ、たくさん学ぶことがあることに気づく。そうしたことに気づいている人が、昨年、マンガ講座に通ったM山氏。そして人の評伝の書き方、、、、つまり生産者や商品の伝え方を、、、、具体的に言えばストーリー性のあり方を考えているのだろう。モノを介在して他者をつなぐ表現を探る道はまだはじまっていない。このウェブログの1月7日、8日に紹介したリンク先のウェブサイトは、そうした模索をしているところだ。

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クルックは、フィンランド語でキュウリ。野菜の物語、生産のストーリーの伝え方→→→ クルック

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■花日記リンク集に登録されたウェブサイト。あまおう、の記事も。オランダの情報も。→→→花の時計の見方(クオリティークラス)

 

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