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2007年1月21日 (日)

ばしょうの旅

■立松和平『芭蕉の旅、円空の旅』(NHK出版、2006年)

 貧しさによって、ものを見る目を清澄にする態度を、
 積極的に「わび」と見る。
 その孤高の我を客体的に見ようとするところから、
 風狂の精神が生まれる。

 こうしてたどりついた風狂の精神が、
 芭蕉の生活と芸術との矛盾を乗り越える方法である。

 そのことはよくわかったのだが、
 生き方として本質的に消極的ともいえる
 隠棲の生活では、
 あと一歩を踏み出すことができない。

 知識としてではなく、
 実践的な体験がなければならないのである。

 その実践にいやおうなく
 我が身を投げ入れることが、
 旅をするという行為であった。

 新風の俳諧を探求するという悲壮な覚悟を持ち、
 つまり野ざらし(野に捨てられたどくろ)を覚悟と心ではさとっていても、
 生身の芭蕉を現実として襲ってくる秋風は、
 身にしみてつらい。

 これもわびを実践しようとする我が身を
 横から見ている風狂の精神なのである。

 私は芭蕉のこの態度に、
 精神のバランス感覚といおうか、
 健康な精神の保ち方を感じる。(71ページ)

20070120dsc02459     

-------※大きな小法師(?)は倒れたら起き上がれないそうです。

■組織(生産部会・JA・グループ出荷)は、あくまで特定の目的を実現しやすくするための手段です。目的のために効果的な規模と期間を必要とする手段にすぎないのです。それを忘れて、手段じたいを目的としたときに、個人によってしか創りえない価値や人間関係が忘れられてしまいます。花の生産の分野で、なぜ、大きな組織が力をもてないか?それのことを解決するための新しい組織のあり方を考える時期に来ています。個人によってしか創りえない価値をつくることは大きな組織でも可能なものだからです。いままでと、これからは、違うのです。大きな組織が解決することと、大きな組織の一人の人間として行うことを見出して新たに位置づけていく産地は生き残れるでしょう。組織から出ても、個人でしか作りえない価値や人間関係を引き受ける覚悟がなければ、花を作るこだわりを捨てて、やめて、別な仕事をした方がすぐれた選択になります。努力をする場所を間違えることはよいことではありません。

 

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