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2007年4月22日 (日)

想いカタチに

世田谷市場・春のフェアの出展をぐるっと取材してみて、「花を育てる気持ちの伝え方」を探しました、、、4月21日(土)は、私はこの1鉢に出会いに行ったと感じました。

「まだ芽が出たばかりの1年生のMPSです。よろしく、、、、」

いつでも、小さなことからはじまるのです。だれも気づかないところで、、、、想いを1鉢に託し、それは重い1鉢となる。育てるのはあなたです。Eec8bdb8eecc2515f38d2dad6349dea7

この小さな鉢にフラッグがついたそれはMPS-J社が写真撮りして販促ポスターにするべきものだと感じました。私の見方は花の生産者として、そして消費者としての視点でいつも出来事を考えるようにしています。花が生まれる過程を来場者の家庭や職場に持ち帰ってもらって、その育つ過程を見せることが「学研の科学の付録」的展示手法で、生産者ならではできる素材と考え方でした。『生産者は花を通じてその植物がすごした産地という田舎での時間」をカタチにしているのです。その生産者の日々をどのようにして伝えるのか?それを1年間ウェブログとして行うなかで、産地公開(産地に花屋さんや卸スタッフに来て体験してもらう)や産地フェア(消費地に出向いて消費者と向き合う)を経て、どのように想いをカタチにするのか?それをいつも考えることがウェブログ(ブログ)に日々の出来事を「編集して掲載する」という作業、、、、のなかでコツがつかめるのです。ちいさないとなみ、それを評価する人がいる業界であってほしいと、いつも願っています。IFEXやJFIフェア、オランダのホルティフェアでもそうした視点でモノゴトを見る訓練をしています。そのことが行われる現場に立ってくまなく観察し考える、、、、魚沼のこどもユリ・プロジェクトでも同じことを感じました。現場でおきたことを、それを見ることを通じて、現場にいた人が、そのモノゴトの歴史的意味を考えることが大切な時代です。それが平坦な日常にクサビを打つことになる「ハレの日」の意味になり、共時参集者のエクスペリエンス(経験)として記憶されるからです。演奏された音楽も、花も、人々の記憶には残ります。でも素材は朽ちていきます。嗜好品としては、空間で音楽を売るような花の売り方が模索されてもよいのかもしれません。歌詞に託さない楽器演奏者の個性がぶつかるJAZZという音楽のジャンルのもつ哲学性を考える時期かもしれません。でも子ども向け音楽が必要なように、ジャンルということもとても大切です。その音楽に優劣はないからです。(MPS解説は松山誠氏作成)

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 →→→ 軽トラ日記

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