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2007年5月17日 (木)

建部清庵と九年三年の法

■建部清庵由正(たけべ・せいあん・よしまさ)。1712~1782年。岩手県一関の人で医師。仙台藩の支藩一関藩3万石の田村氏の藩医である。

 彼は明和8年(1771)に、食用になる植物、救荒植物活用法をまとめて『民間備荒録』を、藩への献策とした。ただちに取り上げられ、藩では手分けして写本をつくり、各村の肝煎(きもいり、、、、名主や庄屋と同じ集落の管理を任されている家)、組頭に配布した。

 この重要性に着目した江戸の須原屋市兵衛が、固持する清庵を説得して『民間備荒録』を出版する。市兵衛が『解体新書』を出版する3年前のことであった。

 この『民間備荒録』が、後に多くの救荒書のモデルとなった。

■清庵はこのように言っている。

「礼記(らいき)の王制には、九年三年の蓄えする法あり。今は絶えてなし。よくよく分別了簡(ふんべつりょうけん)して、菓木(果樹)の凶年に食となるへきものを多く植えおき、これより十年後の凶年を防ぐべし」

『礼記』に、九年の蓄えのないのを不足、三年の蓄えもなければ国と言えない、とある。

(金子務著『江戸人物科学史』中公新書より)

■清庵の墓は、田村家菩提寺の祥雲寺にあり、「救世軒諦道清庵居士」が墓碑銘である、という。いちどたずねてみたい。

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