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2009年5月29日 (金)

百年産地 沖永良部島1

■2009年5月29日(金)鹿児島県沖永良部島に滞在中。

 今日、昭和村野尻中向の集荷所で、第2地区の生産者が出荷前準備作業を行う、と本名敬副会長から連絡があった。

■2009年5月28日(木)。雨。

 羽田空港→鹿児島空港→沖永良部空港。
 雨の東京の羽田空港午前9時15分発JAL1865便で鹿児島空港に11時5分着。曇り。搭乗待合室にて予約しているチケットを発券してもらいチェックイン。沖永良部行きは、強風のため着陸できない場合は引き返すという条件付き運行となっている。売店で弁当を買って待合室にて食べる。
 11時55分に鹿児島空港の14番搭乗口から1階に降り、停車しているバスにて駐機場に移動。搭乗客は12名ほどだ。左側1席、右側2席のプロペラ機は、機内の安全のしおりにはSAAB340と書かれている。左側1列座席の4番目に座った。左翼のプロペラが丸い窓から見える。
 前夜のテレビニュースでは日本列島の太平洋南部に低気圧が数日間居座ることを告げていて強風雨が続くという。今回の鹿児島県沖永良部島(和泊町・知名町)を訪問するのははじめてである。昨年(2008年)9月5日、6日に福島県奥会津の三島町にて会津学研究会主催のセミナーに、鹿児島県民俗学会とえらぶ郷土研究会の皆さんが参加され、翌年は沖永良部島で開催を、ということで今回の研究会が決まっていて、それに参加した。
 鹿児島空港を12時10分に離陸したJAC3803便は、75分で沖永良部空港に到着した。駐機場では、右翼のプロペラを回し、その後に左翼のプロペラを回転させて徐々に出力を上げている。その後、滑走路に移動し、急速にエンジンの回転数を上げるとその振動が座席まで伝わってくる。滑走路を走り出して12から15秒ほどで機体は地上から離れた。
 「操縦する機長は中島、客室担当は吉田」と女性の吉田さんがアナウンスした。
 多少揺れるものの、強風下の沖永良部島の北端にある空港に南側から侵入し無事着陸した。タラップを降りると、強風で飛ばされそうになりながら空港施設建屋に歩いた。空港内の待合室は次の搭乗客で満室。玄関からタクシー乗り場を経て、トヨタレンタリースの看板を目指して歩き、予約していたレンタカーを借りた。

 島内の畑と風景、雲を撮影しながら、和泊町歴史民俗資料館を目指す。

 島内の大山の東麓の根折というところに資料館があり、自動車を駐車した。次いですぐ駐車場に入っていた1台のステーションワゴン車があり、白髪の男性が降り玄関にいた数名の人たちと会話している。見たことがあるが、誰だかは思い出せない。
 200円の入館料を受け付けで渡し、館内を見て、許可を得て撮影した。事務室には3名の男性がおり、先田光輝館長、職員の方、そして白髪の男性は黒糖焼酎の蔵元を経営する来県された新納忠人さんであった。
 先田館長と新納さんは30日の島内の巡検、視察先の選定し直しをし、その行程についての資料作成をパソコン画面を見ながら行っていた。これから輪転機にかけ印刷し、綴じる、という。
 職員の男性氏に「市来正敏の頌徳碑」の場所を教えてほしいとお願いした。新納さんがこの資料作成が終わったら案内するから、少し時間を作って待っていてほしい、という。職員の男性氏に百合栽培に関する資料(書籍等)があれば見せていただきたいと依頼すると、所蔵文献を保管している部屋にて閲覧を許してくれた。

 案内してくれた男性がまとめたという「小林芳正図書目録」はA3版横書きのリストで1306点の文献資料であった。その資料そのものを拝見した。蔵書を見ていくと小林氏は、鹿児島県農業試験場花き場長を経て、この島の和泊町花き指導監をしていた人であることがわかった。
 そのなかの資料から、市来正敏に関する本からの複写が入ったファイルがあり、その原本をまた、出してくれるように資料館員にお願いした。
 『郷土の先人に学ぶ』という昭和54年3月1日に発行された147ページから10ページにかけて「エラブユリ」育ての親 市来正敏、が、玉起寿芳という人の執筆にて掲載されている。祖国復帰25周年記念「郷土の先人に学ぶ」刊行委員会が発行した本で、奄美大島の名瀬市永田町の大島教育事務局が発行元となっている。

 今回の沖永良部島訪問に先立って、鹿児島県民俗学会の代表幹事の所崎平先生からいくつか図書をいただいていて、そのなかの最新の1冊の『沖永良部島100の素顔』(同編集委員会編、2008年11月刊)を読んで気になることがあり、今回の訪問で最初に行おうと計画した。
 この本は東京世田谷区のNPO法人東京農業大学出版会から2000円で発行されている。東京農大の国際農業開発学科の農業実習が沖永良部島ではじまり、島民の皆さんとの交流の中から生まれた本である。
 102ページにユリの歴史として先田館長の執筆で書かれた文章・写真のなかに、市来正敏や新山松吉ら数名の栽培農家が、密かに山畑などで栽培して戦中にユリ球根を守り続けていまがあることを紹介し、その碑の存在を知った。そして、東京農大の杉原たまえさんによる55ページの掲載写真に、横浜植木商会が明治24年に発行した海外輸出向けの英文植物カタログの表紙に、「田代安定蔵書」という朱印がおされていて、この本の出所に興味があった。田代は大正時代に、台湾で苧麻に関する書籍を出版しているからである。その田代の研究成果を踏まえ、同時代に加藤清之助が台湾で『苧麻』を著している、と明記している。沖縄に訪問するたび、加藤に関する調査をこの10年間ほど行っているが、なかなか先が見えてこない。

 さて、豪雨があり、巡検視察資料の作成が終わったとのことで、新納さんの自動車に付いて走行し、市来正敏頌徳碑に向かった。資料館の関係者入り口には、先田館長らが墨書した30日に使用する会場入り口に置く、作りたての立て看板があった。先田館長から資料集の原稿などをみせていただき、御礼を述べて館を出た。

 市来頌徳碑は、大きな道路沿いにあった。まず、なぜこのような人通りの多い場所に立てたのだろうか?ということと、その目的を調べる、ということが必要になった。
 碑文書は鹿児島県知事金丸三郎書「エラブユリ守りの親 市来正敏之碑」、裏面の文章を見ると「エラブユリの栽培に全生命をかけ大東亜戦争中の悪条件の下、球根を死守し百合生産の土台をつくった」とあり、昭和46年11月建之、永良部百合生産出荷組合、とある。

 福島県奥会津の昭和村も、戦時中は食糧増産のため、苧麻(カラムシ)の根を畑からほりあげさせられジャガイモ等を植えて、きたことを聞かされている。しかし、畑の隅に苧麻の株根を寄せて「やとい」、守って戦後にその根株を増やしてきたことと、沖永良部島でのテッポウユリも同じように農民が守ってきたことをつなげて考えている。共通性は、地域資源の守り方が、その時期の政府の政策により栽培困難になる時期があった、ということだ。雪国の福島県昭和村の苧麻栽培は六百年、と言われている。しかし化学繊維普及により苧麻栽培は減少していくが、その前の第二次世界大戦下での食糧増産(食糧以外作物の栽培禁止)、日本の敗戦を経て、作物復活、現在につながっている。

 資料館で見た資料のなかに、平成11年3月には『えらぶユリ栽培百周年記念誌』が、同編纂委員会(知名町小米)から出版されている。

 頌徳碑に案内してくれた新納さんは、このあと、三軒の農家を案内してくれ、午後六時に宿に私はチェックインした。宿の玄関で、鹿児島県民俗学会の出村卓三先生と再会した。この夜、出村先生の奥様の縁のある家で夕食の会があり、参加した。
 私は新納さんには研究会準備で多忙と思い事前連絡をせずに、訪問していて、その場その場で次の行き先を決める、ということでたいへんご迷惑をおかけした。
 午後10時に夕食会の行われた島内あまた(余多)の大屋稔さん宅を出て宿に帰った。隆起珊瑚礁の島である沖永良部島には川が少ない。ほとんどが地下を流れている。地表を流れている数少ない川のひとつに余多川があり、その右岸丘陵にある大屋宅は、むかしこの地区の首長であった、と出村先生に教えられた。世襲首長家はウヒャーといい、大親という意味で地域の祭祀も勤めていた。「あまたのウヒャー」(余多の大親)が大屋家だ、という。早く水田稲作が行われた流域である、らしい。

 初日に撮影した写真は約1000枚。PC環境は客室での無線LANがうまくつながらず、宿のロビーにて有線LANを借りて本文をアップした。(菅家博昭)

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  • 20061101dsc00245
    2006年11月 JELFA欧州視察の個人写真記録。菅家博昭撮影。

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  • 20070401img_9892
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  • 20070201img_9619
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  • 20070426img_5713
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2007年5月の風景

  • 20070520img_0193
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IFEX2007_TOKYO_01

  • 20071011ifexdsc02602
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2007年11月

  • 20071108dsc04006
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かすみ草写真集1

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奥会津の風景01

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