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2009年5月

2009年5月31日 (日)

七回半:沖永良部島5

■沖永良部島和泊町の長浜館(地区公民館)で、鹿児島民俗学会の所崎平先生に昨夜の交流会の時に言われたこと。

 「カンケ君、僕から質問するけど、七回半とはどういう意味か?」

 「先生、わかりません」

 「たくさん、という意味だ」

 私は先生の名前が平(たいら)なので、聞いてみた。

 「先生、等しくたいらに人々を研究する、という意味ですか?」

 「70歳を超えてしまったが、教師をしていて教頭にも校長にもならなかった。ずっとヒラ(平)だった、、、、」

 移動する自動車のなかで、私の携帯電話のメール着信音が鳴った、、、、「ひぐらし(蝉)」の音か、、、、所崎先生は「うぐいす(鳥)」の鳴き声に設定している、という。

 所崎先生は背が高く、面長で、いつもとても穏やかで優しい表情を変えない。険しい表情は一度もみたことがない。今日、沖永良部空港の搭乗待合室で私たち会津からの参加者を見送ってくれた鹿児島民俗学会・えらぶ郷土研究会の皆さん。その時、所崎先生は語気を強めて言ったことがある。

 「ひとにぎりの人々(権力者)のことを調べるよりも、世の中にたくさんいる人々のことを調べるのだ、、、、」

 こうした研究会というのは、フィールドワークや、数日行動と寝食をともにする中で、人となり、立ち居振る舞いにこそ学ぶことが多い。出村先生、所崎先生、新納さん、、、、多くの人々との再会と親交、新しく出会った人々にまた学ぶ日々でした。

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2年後に鹿児島で:沖永良部島4

■2009年5月31日(日)夜、福島県会津は雨、12度。

 午後9時、会津に帰着。気温は12度C。

 途中、JR郡山駅下車時に、沖永良部島の世話役の新納忠人さんに無事到着しました、とお礼の電話をしました。

■2009年5月31日(日)晴れ、24度。

 朝6時に宿の最上階の5階の展望風呂に入る。風呂から出ると、所崎先生らに会う。私は306号室に戻り、昨日のメモを作り、ノートパソコンを持参して1階ロビーに降りて有線LANに接続して、本ブログをアップロード。7時朝食。

 306号室で荷造りをして午前8時30分にチェックアウト。フロントに鍵を返却しクレジットカードで2万円分支払う。

 ちょうどロビーには鹿児島民俗学の代表・所崎平先生と、会津学研究会・奥会津書房の遠藤由美子さんがいて、所崎先生が「この次の研究会はどうしましょうか?」と聞いてきたので、「是非、次は鹿児島県本土で」とお願いした。2年後の11月3日頃に、3者の研究会を開催できるよう検討してみる、ということになりました。

 私は、ひとりレンタカーで世之主の墓を見てから、今日も和泊町歴史民俗博物館に行った。墓周辺には野カラムシ(苧麻)があった。沖縄本島では普通に見かけるカラムシだが、沖永良部島ではあまり目立つように繁茂しているところは見つからなかったが、この中世の遺跡には自生しているようだった。

 『和泊町誌』を2冊購入した。それぞれに3500円。歴史編1228ページと民俗編958ページ。2冊で3.2kg。

 国頭(くにがみ)の学校校庭のガジュマルの大樹を見てから、島内を自動車で移動していく。昨日約束したNさん宅をたずねる。電話をしてみると、道路沿いに立っているから、というので行く。

 えらぶゆり発祥の地の石碑を案内いただき、その後、自宅で30分話をうかがう。

 少し早かったが、空港に向かい、レンタカーを返却する。

 空港待合室まで歩いて行き、搭乗手続きをする。

 後ろから赤坂憲雄さんに声をかけられる。これから与論島、沖縄本島経由で帰る、ということで沖縄から来られた2名の方を紹介いただく。搭乗を見送ると、赤坂さんから手を出してきて握手して分かれた。11時30分。

 空港内の食堂はテーブルが5つほどある小さなところで二人のご婦人が担当している。カレーライスを注文して食べてから、14時の出発時間まで『和泊町誌』を読んで待つ。プロペラ機で、晴れ・24度Cの鹿児島空港からジェット機(A300)に乗換、羽田空港へ。『民俗編』958ページの半分470ページ分を読む。東京は雨で21度C。

 羽田空港第一ターミナルからモノレールで浜松町。JRに乗換、東京。18時8分の東北新幹線で19時30分に郡山駅着。雨で気温は13度。そこから自動車で会津へ。12度。雨。

 「日本国鹿児島県沖永良部島産のテッポウユリ等の球根」であるという明示が必要ではないか?と考えながらの毎日でした。インテルが入っているというPC(パソコン)のようなイメージで。海外産の球根を日本の生産者は仕入れて植え付け、育て、販売している。

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百余名集会: 沖永良部島3

■2009年5月31日(日)晴れ、今日は午後に帰る。

■2009年5月30日(土)曇り。
 早朝に前日のノートをまとめて、PCにて記載し、そのパソコンを持って宿のロビーの有線LANに接続してブログと写真をアップロードする。朝食は7時から1階ロビーでビュッフェ形式で和食。5階の展望浴場は6時から。太平洋側に面している。
 午前中は知名町知名から西手の島内の県道620号線を走行し、田皆岬・灯台、沖泊漁港をみて島内北側から和泊町根折の歴史民俗資料館に向かった。葉タバコの圃場(畑)が多く見られた。1条植えの高畝に1本ずつ植えられた葉タバコは背が低く70cmほど。サトウキビもところどころにまだある。

 参加者はバスにて午前中は島内の史跡を見て歩いているが私は花の栽培史の調査を継続している。

 和泊町歴史民俗資料館で、宋さんにお願いして書籍を見せていただいた。また先田(さきだ)館長に百合栽培の歴史について話をうかがった。
 和泊の町立図書館へも行き、郷土資料を見た。
 午後1時に長浜館(地区の公民館)に行き、2時から8時頃までの合同研究会に出席し、会津の雪の生活を20分報告した。手々知名など地域の人が多く参加され予想を大きく上回る百余名の人々が会場に集まった。
 明日は午後2時発の航空機で鹿児島空港乗換、羽田空港まで向かう。

 夜の和泊地域の人々との交流会のときに、昭和村佐倉の人と縁の深い沖永良部島喜美留の男性が会場に来ておられ、私の報告を聞いて一度は会津の昭和村に行ってはみたいと思っていたが、、、、と話しかけてこられた。昭和村の人は来島されたことがある、という。空港から旅立つ前に、喜美留の方の家を訪ねることをお約束し住所と電話番号が書かれた名刺をいただいた。
 席前に座った70~80歳の男性は、明治時代の西南戦争で西郷軍に従事した医務官を先祖に持つ、という。しかし明治政府に敗れ、琉球(沖縄)にわたりそこで仕事を求めた、という。それで琉球には恩がある、と言っている。現代日本が道州制になったら、沖永良部島は沖縄県に加入し琉球州であるべきだ、という。
 沖永良部島までは琉球文化圏である、という人が多かった。

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2009年5月30日 (土)

百合をまもる島・沖永良部島2

■2009年5月30日(土)晴れ。午前中島内巡検(視察)、午後研究会(和泊・長浜館)。

■2009年5月29日(金)晴れ。24度。
 鹿児島県沖永良部島の南部にある知名の国民宿舎であるフローラルホテルの3階の306号室は、海に面した部屋であった。冷暖房は入れずに過ごせる季節で、風が今日は無いので半袖のTシャツ1枚とジーンズで、夕方、蚊が出てくるので長袖のシャツを1枚持って外に出る。
 地元の天下一という焼酎の蔵元である新納(にいろ)酒造の3代目当主である忠人さんの運転する自動車ホンダ・オデッセイ(7人乗り)をホテルの外にあるベンチに腰掛けて待った。8時45分頃に車は来て、新納さんはホテルロビーに所崎先生を迎えに行った。9時、所崎先生が助手席に乗り、私は運転手後ろの座席に座った。車中で先生から、出来たばかりの2冊の報告書をいただいた。
 『日置八幡神社デオドン(大王殿)再生事業調査研究報告書』(2009年3月発行)と、『くしきの』23号(串木野郷土歴史研究会、2009年6月刊)である。
 知名町役場のある交差点から右折し、商店街を通りすぐ、美屋ストアというところにある駐車場に新納さんは車を停めた。50個、モチを注文する、という。夜にその実物を見ることになるが、「タアモチ」(田の芋餅)と呼ばれる褐色粉がまぶされた長方形(4cm×6cm×厚み2cmほど)のもので、知名町竿津の先間製菓(代表者先間義秀)。2個入りで100円。それを50個と美屋ストアのレジの女性に行っているが、そんなに多くは入荷しないから、製造元に直接言ってくれというようなことを言われていたが、あとで取りに来るから取り置きしておいてほしいと頼んでいた。
 新納さんの交渉を待ちながら間口5間ほどのスーパーマーケット式のセルフ小売店内で、私と所崎先生は店頭の商品を見ていたが、35ミリ一眼レフカメラを首に下げた先生はしゃがみ込んで田の芋の売り切れてしまった箱を撮影されていた。その後、私も小さな手のひらに載るハンディカメラでそれを撮影した。小さなPOPが付いていて、生産者がわかるようになっていた。「生田芋 先間田芋」1kg600円、量り売りします、とある。店頭に桶に入った透明なセロハン包みの小菊の花束と、緑色の葉を束ねたものが売られていた。陳列量が販売量と考えると、
 野菜の種子では昨夜食べた緑色皮の長丸の「とうがん」やゴーヤーがあり、ゴーヤーはポット苗も売っている。昨夜の出村先生の話では、冬瓜(とうがん)は夏秋に収穫しておいたものは風通しのよい床下に貯蔵しておくと1年持つ、という。翌年にそれを食べることもある、という。地鶏を朝につぶして、冬瓜とともに豆腐を入れ、夕方まで煮込んだ料理「トリジル(鶏汁)」を昨夜訪ねた民家でいただいたが、食べるときに細いネギのような緑色の直径5mm、幅5mmほどの刻みネギをかけて出された煮汁を2杯いただいた。骨が付いた肉なので、細い骨に気を付けながら食べ、骨を出して捨てながら冬瓜と豆腐を食べた。鳥類の骨は飛翔するために軽量化されており、中が中空になっており砕くと小骨の破片が多く出る。
 ゴーヤーの苗の入ったプラスティック製の黒いカゴトレーには黄色い紙に手書きで、「沖縄ゴーヤー 180円」と書かれている。
 種子の絵袋の冬瓜は、「沖縄とうがん」(栃木県宇都宮市下栗のウタネ)と書かれている。5列に種子袋を並べられる鉄製の棚は10段あり、それが2基あった。
 白髪の新納さんは昨夜の酒が効いたようで、この店の店頭脇にある自動販売機でお茶の500ミリリットルのペットボトルを1個買ってひとくち飲んだ。昔のようにカラオケに行って歌って夜遅くまでという体力が無くなった、という。
 私はホテルのロビーの自販機からさんぴん茶のペットボトルを1個(沖縄県浦添市 沖縄ユーシーシーコーヒー製)を買ってきていて、それを飲んだ。
 再び自動車で、根折地区にある和泊町歴史民俗資料館に向かった。「れきみんかん」と新納さんは呼んでいる。島内は空港のある北東部を和泊町、南西部の大山を中心とした知名町の2町で構成されていて、人口は約1万四千人。
 れきみんかん、に所崎先生を送り届け、その入口に移築された二棟の木造建家を新納さんの説明で見た。高床式の弥生時代にあるような米倉、それと民家。ネズミを避けるための工夫がしてあった。
 午前中、和泊町役場二階に経済課を訪ね島の農業と花の現況について担当者氏から話を聞いた。事前予約はしていないが、四月に昭和村に来ていたかすみ草販売先でもある福岡花市場の船越さんに島内のことを聞いており、三名の名刺の写しをいただいていた。案内してくれる地元の新納さんにその三名の誰から話しを聞くか相談したところ、まず役場に行ってみましょう、ということになった。もと学校であったという役場の一階の左側の窓口で、名刺の名の人を新納さんが呼んでくれるよう頼んでくれた。女性から男性に話は伝えられ、男性氏が窓口に来て、その人は異動になったので、新しい担当者がいるから階段を上がって二階の突き当たりを左に行くと経済課があるので、そこに行くように言われる。
 そこで話を聞いて、百周年記念碑のある公園、花き流通センター、ソリダゴ生産者と訪ねた。私は縁があり訪問した地域の産業・生業である農業の継続した伝承のあり方や、自ら生産している花の生産・販売の成り立ちをそれを成り立たせている人々がどのようにして地域で意志や技法を伝えてきているのかをいま生きている人々に会うことで調べている。沖永良部島はテッポウユリの球根生産・販売では百余年の歴史を持ち、最初からアメリカに輸出をしていて明治時代から昭和十年代の戦争開始時までそれが続き、敗戦後は米軍統治下で輸出が復活し為替の影響を受ける昭和五十年代までそれが続いてきたところである。三月に訪問した富山県のチューリップと似た状況にある海外の人々と結び会った地域であり、花を作る生業が地域社会に大きな影響を与えている。

 昭和村では古くから苧麻(カラムシ)の栽培について「からむしだけは無くすんなよ」と遺言を残し先人は土に還っていった。遺言による栽培作物の持続システムだ。沖永良部島では、「波が荒くとも百合は捨てるなよ。百合は島の宝」と唄で残しており、皆がそれを歌えるシステムである。後に述べるが歌い手のジューテは時折唄の言葉を反芻して時間をかけて伝えてきた人々の気持ちを振り返る。

 ホテルには夕方に鹿児島空港から到着してきた研究会参加者が集まっていた。晴れて鹿児島からの群島が眼下によく見えたという。新納さんの自動車には赤坂憲雄さん、佐々木長生さん、遠藤由美子さん、渡辺紀子さん(以上会津学研究会)、鹿児島県の資料館の川野和昭さん、私が乗って会場に向かった。帰りは新納さんの先導で、三日月の暗い夜道を歩いて坂を下りホテルに午後十一時に帰着した。
 この夜は知名の新納さんの別荘で30名ほどで交流会が開かれ、三人の男性の三味線、男性の縦笛を聞いた。せりかく(瀬利覚)の「ジューテ」の福山さんとお弟子さんたちだ。別荘はこごめ(小米)にあり、ちな(知名)とせりかくに隣接している。出村先生が福山さんたちのことをいろいろと紹介し、唄の解説もした。ここでエラブのユリの唄も聞いた。
 ジューテは地域の法事・法要にあたる家の行事に出て三味線を弾き唄い霊を、家族を慰める役目で、いわば精神的な地域の柱になる人でその時期の誰もが認める人格者がなっているようだ。だれでもなれない、と言っている。世襲の地域の代表のウヒャーは政治的な代表であろう。
 お弟子さんたちの会話を聞いていると沖永良部島には集落が約四十あり、それぞれにジューテがいたものが、いまは限られた地区になってしまった、ようだ。
 縦笛を地元の竹で製作して吹いた男性は音楽教師を定年退職された方で、お話のなかで、沖永良部島を含む近島には「笛(ふえ)」が無い、という。
 またお弟子さんたちに話を聞いたなかでは、漁網の文化がすくないようであった。魚採りのあみにはアサや苧麻(カラムシ)の繊維などが使われることが多い。鹿児島から来られた研究者氏は珊瑚礁では網は引っかかるので使用しない、鹿児島本土ではアサの繊維で作る、と語っている。
 前夜の民家に集まった若い衆の一人は魚採りをしていて、一人はカギでタコを引っかけて捕る、素手で魚をつかむ、モリで突く、、、、という。
 今夜のお弟子さんたち(五十歳くらい)は、モリで突いて採り、竹で編んだカゴ「てる」に入れて持ち帰る、という。猟師、という職業的なものではなく、暮らしの中で必要な魚を、必要なときに海に向かい、潮が引いた浅瀬イノーで必要な数だけ捕獲するようだ。
 所崎先生からいただいた本の『くしきの』には江戸時代の薩摩藩士(下級武士)の日記の意訳が掲載されており、農業をいとなみながら金貸しもしている様子が書いてあった。そして「大根と粟の種子を同時に蒔く」という記述があったので、夜の交流会で聞いてみた。高度な農法であり、明日また詳しく聞いてノートを作ろうと思う。農民は文字記録を残しておらず、支配階級の武家のなかでも農民に近い文字を書く下級武士の農業・農法の記録が一部残っているのだという。(菅家博昭)

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2009年5月29日 (金)

百年産地 沖永良部島1

■2009年5月29日(金)鹿児島県沖永良部島に滞在中。

 今日、昭和村野尻中向の集荷所で、第2地区の生産者が出荷前準備作業を行う、と本名敬副会長から連絡があった。

■2009年5月28日(木)。雨。

 羽田空港→鹿児島空港→沖永良部空港。
 雨の東京の羽田空港午前9時15分発JAL1865便で鹿児島空港に11時5分着。曇り。搭乗待合室にて予約しているチケットを発券してもらいチェックイン。沖永良部行きは、強風のため着陸できない場合は引き返すという条件付き運行となっている。売店で弁当を買って待合室にて食べる。
 11時55分に鹿児島空港の14番搭乗口から1階に降り、停車しているバスにて駐機場に移動。搭乗客は12名ほどだ。左側1席、右側2席のプロペラ機は、機内の安全のしおりにはSAAB340と書かれている。左側1列座席の4番目に座った。左翼のプロペラが丸い窓から見える。
 前夜のテレビニュースでは日本列島の太平洋南部に低気圧が数日間居座ることを告げていて強風雨が続くという。今回の鹿児島県沖永良部島(和泊町・知名町)を訪問するのははじめてである。昨年(2008年)9月5日、6日に福島県奥会津の三島町にて会津学研究会主催のセミナーに、鹿児島県民俗学会とえらぶ郷土研究会の皆さんが参加され、翌年は沖永良部島で開催を、ということで今回の研究会が決まっていて、それに参加した。
 鹿児島空港を12時10分に離陸したJAC3803便は、75分で沖永良部空港に到着した。駐機場では、右翼のプロペラを回し、その後に左翼のプロペラを回転させて徐々に出力を上げている。その後、滑走路に移動し、急速にエンジンの回転数を上げるとその振動が座席まで伝わってくる。滑走路を走り出して12から15秒ほどで機体は地上から離れた。
 「操縦する機長は中島、客室担当は吉田」と女性の吉田さんがアナウンスした。
 多少揺れるものの、強風下の沖永良部島の北端にある空港に南側から侵入し無事着陸した。タラップを降りると、強風で飛ばされそうになりながら空港施設建屋に歩いた。空港内の待合室は次の搭乗客で満室。玄関からタクシー乗り場を経て、トヨタレンタリースの看板を目指して歩き、予約していたレンタカーを借りた。

 島内の畑と風景、雲を撮影しながら、和泊町歴史民俗資料館を目指す。

 島内の大山の東麓の根折というところに資料館があり、自動車を駐車した。次いですぐ駐車場に入っていた1台のステーションワゴン車があり、白髪の男性が降り玄関にいた数名の人たちと会話している。見たことがあるが、誰だかは思い出せない。
 200円の入館料を受け付けで渡し、館内を見て、許可を得て撮影した。事務室には3名の男性がおり、先田光輝館長、職員の方、そして白髪の男性は黒糖焼酎の蔵元を経営する来県された新納忠人さんであった。
 先田館長と新納さんは30日の島内の巡検、視察先の選定し直しをし、その行程についての資料作成をパソコン画面を見ながら行っていた。これから輪転機にかけ印刷し、綴じる、という。
 職員の男性氏に「市来正敏の頌徳碑」の場所を教えてほしいとお願いした。新納さんがこの資料作成が終わったら案内するから、少し時間を作って待っていてほしい、という。職員の男性氏に百合栽培に関する資料(書籍等)があれば見せていただきたいと依頼すると、所蔵文献を保管している部屋にて閲覧を許してくれた。

 案内してくれた男性がまとめたという「小林芳正図書目録」はA3版横書きのリストで1306点の文献資料であった。その資料そのものを拝見した。蔵書を見ていくと小林氏は、鹿児島県農業試験場花き場長を経て、この島の和泊町花き指導監をしていた人であることがわかった。
 そのなかの資料から、市来正敏に関する本からの複写が入ったファイルがあり、その原本をまた、出してくれるように資料館員にお願いした。
 『郷土の先人に学ぶ』という昭和54年3月1日に発行された147ページから10ページにかけて「エラブユリ」育ての親 市来正敏、が、玉起寿芳という人の執筆にて掲載されている。祖国復帰25周年記念「郷土の先人に学ぶ」刊行委員会が発行した本で、奄美大島の名瀬市永田町の大島教育事務局が発行元となっている。

 今回の沖永良部島訪問に先立って、鹿児島県民俗学会の代表幹事の所崎平先生からいくつか図書をいただいていて、そのなかの最新の1冊の『沖永良部島100の素顔』(同編集委員会編、2008年11月刊)を読んで気になることがあり、今回の訪問で最初に行おうと計画した。
 この本は東京世田谷区のNPO法人東京農業大学出版会から2000円で発行されている。東京農大の国際農業開発学科の農業実習が沖永良部島ではじまり、島民の皆さんとの交流の中から生まれた本である。
 102ページにユリの歴史として先田館長の執筆で書かれた文章・写真のなかに、市来正敏や新山松吉ら数名の栽培農家が、密かに山畑などで栽培して戦中にユリ球根を守り続けていまがあることを紹介し、その碑の存在を知った。そして、東京農大の杉原たまえさんによる55ページの掲載写真に、横浜植木商会が明治24年に発行した海外輸出向けの英文植物カタログの表紙に、「田代安定蔵書」という朱印がおされていて、この本の出所に興味があった。田代は大正時代に、台湾で苧麻に関する書籍を出版しているからである。その田代の研究成果を踏まえ、同時代に加藤清之助が台湾で『苧麻』を著している、と明記している。沖縄に訪問するたび、加藤に関する調査をこの10年間ほど行っているが、なかなか先が見えてこない。

 さて、豪雨があり、巡検視察資料の作成が終わったとのことで、新納さんの自動車に付いて走行し、市来正敏頌徳碑に向かった。資料館の関係者入り口には、先田館長らが墨書した30日に使用する会場入り口に置く、作りたての立て看板があった。先田館長から資料集の原稿などをみせていただき、御礼を述べて館を出た。

 市来頌徳碑は、大きな道路沿いにあった。まず、なぜこのような人通りの多い場所に立てたのだろうか?ということと、その目的を調べる、ということが必要になった。
 碑文書は鹿児島県知事金丸三郎書「エラブユリ守りの親 市来正敏之碑」、裏面の文章を見ると「エラブユリの栽培に全生命をかけ大東亜戦争中の悪条件の下、球根を死守し百合生産の土台をつくった」とあり、昭和46年11月建之、永良部百合生産出荷組合、とある。

 福島県奥会津の昭和村も、戦時中は食糧増産のため、苧麻(カラムシ)の根を畑からほりあげさせられジャガイモ等を植えて、きたことを聞かされている。しかし、畑の隅に苧麻の株根を寄せて「やとい」、守って戦後にその根株を増やしてきたことと、沖永良部島でのテッポウユリも同じように農民が守ってきたことをつなげて考えている。共通性は、地域資源の守り方が、その時期の政府の政策により栽培困難になる時期があった、ということだ。雪国の福島県昭和村の苧麻栽培は六百年、と言われている。しかし化学繊維普及により苧麻栽培は減少していくが、その前の第二次世界大戦下での食糧増産(食糧以外作物の栽培禁止)、日本の敗戦を経て、作物復活、現在につながっている。

 資料館で見た資料のなかに、平成11年3月には『えらぶユリ栽培百周年記念誌』が、同編纂委員会(知名町小米)から出版されている。

 頌徳碑に案内してくれた新納さんは、このあと、三軒の農家を案内してくれ、午後六時に宿に私はチェックインした。宿の玄関で、鹿児島県民俗学会の出村卓三先生と再会した。この夜、出村先生の奥様の縁のある家で夕食の会があり、参加した。
 私は新納さんには研究会準備で多忙と思い事前連絡をせずに、訪問していて、その場その場で次の行き先を決める、ということでたいへんご迷惑をおかけした。
 午後10時に夕食会の行われた島内あまた(余多)の大屋稔さん宅を出て宿に帰った。隆起珊瑚礁の島である沖永良部島には川が少ない。ほとんどが地下を流れている。地表を流れている数少ない川のひとつに余多川があり、その右岸丘陵にある大屋宅は、むかしこの地区の首長であった、と出村先生に教えられた。世襲首長家はウヒャーといい、大親という意味で地域の祭祀も勤めていた。「あまたのウヒャー」(余多の大親)が大屋家だ、という。早く水田稲作が行われた流域である、らしい。

 初日に撮影した写真は約1000枚。PC環境は客室での無線LANがうまくつながらず、宿のロビーにて有線LANを借りて本文をアップした。(菅家博昭)

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2009年5月28日 (木)

かすみ草の人気度

■2009年5月28日(木)

 昨日午後、東日本板橋花きの樋口博紀さんにお会いした。4月下旬に東京の丸の内フラワーウィークスの花の市場協会青年部主催の花のセリ(競売)で、一般の人々が落札したなかで、かすみ草はとても人気があった、という。かすみ草束と他の花を組み合わせて売ってみたが、単品のほうが人気があった、、、という。

 35mmの一眼レフカメラで撮影している。

 7月3日(金)~7月6日(月)の板橋市場でのかすみ草フェアについて話し合いをしました。

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2009年5月27日 (水)

雷雨

■200Q年5月28日

 正午すぎから雷雨。しかし3時頃にはあがる。

■芝七軒町の長屋、かなくぎ惣三。

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積乱雲

■2009年5月27日(水)晴れ。

 午前10時頃から西方の喰丸峠、クイナから柳沢峠、志津倉山尾根の上空に積乱雲が出てきた。降雹にならなければよいが、、、、心配される。

 

■午前、境の沢圃場のパイプハウス2棟(休み場、その下)を建てる。曇りとなるとなきやむがエゾハルゼミの声は高い。ツツドリが時折鳴く。

 食事に出てくる裏山から採ってきた山菜は、ウド。ウルイ。

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6月2日、昭和花き研究会の圃場巡回

                昭和花き研究会ニュース(2009年5月27日)

■2009年6月2日(火) 以下の通り圃場巡回・あぜ道講習会を行います。仙花の上原部長がかすみ草生育調査のために、来村するため、生育調査を兼ねて行います。仙台からの時間に合わせるので時間が若干前後する可能性があります。ご了承下さい。近くで作業中の場合、参加下さい。
 据置株(越冬株)はBF系・雪ん子系が4本仕立て、その他は6本仕立てです。

  午前9時 会津坂下インター出口セブンイレブン駐車場で上原氏を待つ
 午前9時10分 会津坂下町坂本 照子姉 メレンゲ等
 午前9時30分 三島町川井 第3集荷所裏手の角田氏ホワイトロード促成圃場
 午前11時 昭和村中向 上ノ山圃場
 
 昼食 苧麻庵

 午後1時30分  小野川上区 忠雄氏裏手の圃場
 午後2時10分  大岐地区(高畠・事務所付近)

 午後3時解散

田植え休み

■2009年5月27日(水)晴れ。朝8度。風無し。

 早朝、大岐地区の共同作業があり、地区の対岸にあり集会所である大岐センターの花壇に花を植え、桜の木が3本植えられた。

■大田圃場のオミナエシを朝に植え終えた。6ウネ。モズの鳴き声が2カ所でしたので、繁殖域だと思った。30分ほど対岸の新田の花が咲き始めたトチノキの森を写真に撮った。すでにタンポポは綿毛を飛ばし、土手の草が芽吹き始めている。樹木はほぼ葉を展開し、桐と藤の花が紫になっている。ホオノキの花も咲き始めた。茶褐色の残茎が緑になれば6月。陽光が苦手な虫は葉裏に隠れている。

 水田に映るかすみ草の露地雨除けのパイプハウス。2ヶ月後に花が咲く頃に屋根にビニルを張る。花を護るため。それまでは、自然の降雨と太陽、風が育てていく。

 今日からカメラはハンディのソニーのT900。明日からの鹿児島県沖永良部島調査用の機器で今朝、マクロなど使って試した。記録は2MBで、150KBに粗化してブログには掲載。

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植え穴の草押さえ、蒸散防止、土の飛散防止のために前年秋に作ったもみ殻クンタンをかすみ草の株もとに置く。除草剤は使用しない。

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掃除のしかた

■佐伯泰英『密命・紅蓮剣 巻之五 火頭』(祥伝社文庫)250ページから

 総面積八十畳、さほど大きな道場ではない。だが、一人で拭き上げるとなれば一刻(二時間)はたっぷりかかる。
 清之助が鹿島に着いた翌朝から続く日課であり、一日も休んだことがない。
 きゅっと絞った雑巾を広げて掌でぱんぱん叩き、床の端から一気に向こう端まで神経を集中して拭く。
 道場の明暗が微妙に変わった。

 すると道場の一角で清之助と同じように雑巾掛けをする影が見えた。
 (父上だ)
 清之助の胸に熱い思いがこみあげ、雑巾を押さえる手に力が籠もった。

 父子は七つ半(午前五時)前に道場の床をぴかぴかに磨き上げた。

 「父上、おかげ様で早く終わりましてございます」

 「どうじゃ、久し振りに稽古をせぬか」

 「お願いいたします」

■シリーズ五冊目を読んだ。このシーンがこの巻ではいちばんよい。平成十三年の初刊が大きな文字になり平成十九年に出て、その八刷が平成二十一年一月に刊行された。

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2009年5月26日 (火)

オミナエシ定植作業

■2009年5月26日(火)晴れ。

 午前と、夕方、大田上圃場にオミナエシの定植作業。

 モズが畑脇のコナラ林でキチキチキチ、、、と、終日鳴いている。

 対岸である滝谷川左岸の新田のある山の斜面で、朝はツツドリが鳴いていたが、午後はホトトギスが鳴いている。いずれもカッコウの仲間。

■会津若松市北会津町の岩渕薫氏宅には、本日、首都圏の青山フラワーマーケットの皆さんが来園 →→→ 花職人Aizu 

 岩渕氏は7月中旬に開催される花葉会セミナーでも講演する。→→→花葉会

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昭和村柳沢峠

■最近話題の柳沢峠の、、、、、

  所見5月12日 →→→ 1 第284号

  確認5月19日 →→→ 2

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↑会津美里町

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↑会津若松市北会津町

生育調査

■2009年5月26日(火)朝の気温6度。手が冷たくなる。晴れる。

 昨夜も小雨有り、地面がぬれている。

 スミカ永島氏来村予定あり、かすみ草生育調査。大阪は9割マスク着用とか、、、、大阪から来た人の2m範囲内には近づかないよう指導されているが、、、、

■25日は早朝、境の沢圃場の下より3棟目のパイプハウス1棟建て、新潟市内の中越(仲卸)訪問し、本年の輸送について打ち合わせ。取引先量販店の仕入れ担当者氏にあいさつ。午後、福島県内に戻り、昭和村の境の沢圃場で道下1号ハウス1棟建て、あとは露地セダムの残茎除去、管理。

 夜7時30分、大岐センターで「おこもり」(御籠)があり、一品菓子かおかずを持って村人が集まるが、今夜は父が自家製のふくらしもちを持って出る。田植えがおわり、田植え休み日を決める。村の鎮守の山の神の社でいままで行っていた神事だが、無灯火の石段を登れる人が少なくなり、集落内対岸にある集会所で開催している。戸数が15あったがいまは10戸の大岐集落は人口は20人。老人の一人暮らし家庭が3戸、老人の二人暮らしが3戸、残り4戸は子を含めた3人暮らし。

  明日、27日が田植え休み日。

■朝から、大田上圃場にオミナエシ定植作業。

 集落周囲のコナラ、ミズナラの自然林は、薄い緑であったものが、ブナと同じような緑色になってきて、樹種による緑の色調の違いは無くなっている。陽光があたる斜面のエゾハルゼミから鳴き出している。

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2009年5月25日 (月)

みがくこと

■日曜の朝(24日)早朝、NHKテレビが「心の時代」で、仏教(曹洞宗)の僧侶が語っていたこと。

「荒れ寺の縁側をきれいにする掃除を毎日3ヶ月行って若い修行者は言う。もうきれいになったからいいですか?と、、、掃除はきれいにするのが目的だけれど、そのための手段である、みがき続けることに意義があるのだ、、、と諭して、8ヶ月間やらせました」

■仕事はお金を稼ぐための手段であるけれども、農家・お百姓の「いとなみ」は、その土地で先祖と同じように暮らし続けるところに目的がある。そのため手段は時代に合ったものを取り入れてきた。時に品目を変え、時に働き方を都市部に求め出稼ぎをして、あるいは地域で勤めに出て、、、土日は、また農に戻る。

 農業は経済行為であるけれども、それを包括する「暮らし」や「地域社会でのいとなみ」が、ある。手段と目的が混沌としているのが実態だ。

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↑会津美里町

かんばつ(旱魃)の年?

■2009年5月25日(月)曇り

 この数日、夜から未明にかけて小雨、日中は曇り、時々晴れ、寒い日が続いている。24日、25日の夕方の相撲中継の優勝に向けての取り組みはすごかった。二人の横綱を倒しての優勝、、、、24日に土俵上で倒れて動けなかった横綱、、、新旧交替が印象づけられたような絵であった。

 今朝はこれから(4時30分)、境の沢圃場のパイプハウスを建てる作業。9割方終了している。雨が降るものの、量が少ないため乾燥したままの畑が多く、畑作りが進んでいない。昨日の夕食時に父母は「かんばつの年だ」と言っている。また、来年の冬(この12月)の俺の仕事はカンジキ作りだ、と父は語っていた。爺様が作っていた通りに作っていて、それは家々で違っているが、これまでだいぶ竹を曲げたから、という。

 会津盆地での促成かすみ草の出荷がはじまってきている。当会はまだはじまらない。

 →→→JA会津みどり・洋花部会の様子(美里町)

 →→→JA会津みどり・かすみ草専門部会(美里町)

 →→→昭和村下中津川・かすみ草専門部会

 →→→昭和村下中津川 ・昭和花き研究会

■昭和村花き振興協議会主催で、かすみ草栽培体験(1泊2日)と、見学会(7月18日・19日のカラムシ織りのフェア開催日)が開催されます。
 栽培体験ワークキャンプの 6月27日~28日は昭和花き研究会の担当日で私(菅家博昭)が担当します。苗の植え付け、管理、収穫等を実際に行います。→→→ 
昭和村ウェブサイト

■7月4日(土)~5日(日)、18日(土)~19日(日)の福島県内量販店でのかすみ草フェアについて、役員で分担等の内部協議をして予定を押さえている。同時期に村内でカラムシ織りの里フェア(夏祭り)があり、そこでの販売を行う生産者、実行委も多い。

 また6月末から都内卸市場等での展示(かすみ草)も準備を行う。7月3日(金)の朝は中央花き店頭に。

■来店者の声を聞く →→→シードシード →→→ FFC   

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2009年5月24日 (日)

伝える言葉を探す

■朝、魚沼の健市君と電話で話した。生産・栽培をしていることをどのように伝えるのか?という話でした。  →→→ すずきの百合

 出荷箱に入れる個人通信(魚沼便り)を昨年にはじめ、今年はウェブ版でも読めるようにこの冬の間に工夫している。 →→→ 魚沼便り

 読み手は花を仕入れる花屋さんを想定している。

■いま、消費者に店頭で伝える言葉を探している。可視化。

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■2008年7月18日 沖縄県那覇市にてPOP↑昭和花き研究会のかすみ草フェアにて

晴れから雨へ

■2009年5月24日(日) 

 晴れ。次第に雨へ。天候が周期的に変化するようになってきた。

■先日届いた『農耕と園芸』6月号は、ヒートポンプシステムの最新利用技術で、福井先生も書いている。

 また山菜類の生産情報として、仲卸からみた山菜類の市場動向、ウルイの効率的な根株養成法、、、なども。

 広島県尾道市の村上淳さんのトルコギキョウ生産

■新型インフルエンザにより延期 →→→事例1   →→→事例2

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2009年5月23日 (土)

雨、寒い日

■2009年5月23日(土)雨、曇り、気温低い9度。寒い日。

■5月23日(土)朝から、会津盆地から博士峠(国道401号)で昭和村に。第一花き・柏支社の石橋課長、初来村の仲卸・神扇花きの佐藤康之社長と昭和村のかすみ草圃場を見て、新・鳥井峠から南郷の月田農園、JA会津みなみ西部営農課に山内孝志さんを訪ねました。

■エゾハルゼミの抜け殻を柳沢峠で見つけました。道ばたのブナの樹に案内したときに野草に詳しい佐藤社長が発見しました。

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■ 首都圏のオーガニックスーパー・マザーズでのMPSフェアについて世田谷花きの担当者から電話をいただきました。5月末に第1弾のフェアを開催するようです。当会はまだ出荷品が無く、11月上旬の神田古本まつりのマザーズフェアに参加しようと思います。

■宇都宮花きの山野井さんから連絡をいただき6月の来村日程を協議しています。

■とうほくフラワーサポートの西城さんから電話があり、本年の出荷開始等の打ち合わせをしました。

■菅家日程は次の通りです。→→→ 取引先様宛情報

2009年5月22日 (金)

本年の取り組み

 ■ 2009年5月22日(金)午前10時から、昭和村にて取引会議が開かれました。行政機関・生産者・卸・小売で、昭和村のかすみ草を福島県内で販売していく取り組みについて話し合いをしました。昭和花き研究会のMPS生産者のかすみ草を販売していくことについて、課題等の整理をしました。店頭で来店者にどのようにMPSの花を伝えるのか?その言葉・表現について検討することになりました。

 また圃場も見て回りました。

 6月25日に花束加工・納品を担当されているあさかのフレッシュの皆さん等8名の圃場視察会を開催することが決まりました。MPS本部の東京から松島さんらにも参加してもらう予定にしています。

 →→→昭和花き研究会・本名敬副会長の報告 写真は本名撮影

 ■大田花きでの6月末~7月3日までのかすみ草展示について、大田花き・松永氏と協議しました。

2009年5月21日 (木)

太陽の周囲に虹  日傘

■2009年5月21日(木)晴れ。

 昼頃、境の沢圃場でハウス建て2棟。太陽に日傘、、、、虹が太陽の周りに出た。

 エゾハルゼミ(蝉)が良く鳴いた。気温26度。風有り。

 午後、自動車のエンジンオイルとエレメント交換。

 明日は、昭和村公民館で午前10時より、打合会がある。

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シダ植物の沢 博士峠(福島県会津)

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博士峠の今朝の新緑

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カツラ

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↓トチノキ

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↓ブナ

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削り節問題

■2009年5月21日(木)晴れ。

 山野の草を食べる時期が続いている。主に芽を食べるわけだ。そこで、湯がいた山菜に「削り節」をひとつまみかけて、醤油を一滴、そして食べる。

 父・清一(76歳)は言う。

 「こんな、カツオの削り節ではだめだ。もっと細かく生臭い物でないと」

 母・ミヨ子(75歳)は、

 「しなたは(あなたは)、昔、食べた味の、サバの削り節でないとだめなんだべ」

 早速、サバの削り節をスーパーマーケットで探してみたが、ほとんど置いていない。カツオの削り節だ。ある量販店で「昔ながらの伝統の味 削りぶし(薄削り)」が一銘柄置いてあったので、煮干しの削り節とともに買ってきた。

■ウドは、地面から出てきたところで30cmくらいのものを引き抜く。茎を食べるのだが、風味がある。葉だけをで甘く煮付けたものが今日の朝に出た。母の料理。

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2009年5月20日 (水)

ガーベラ特集

■今日オランダから届いた花雑誌『Bloem en Blad』10号(2009年5月14日号)は、巻末でガーベラ特集をしている。22-23ページ、11ページにかすみ草が使われている(ミリオンスターと思われる小輪のもの)。

 

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うねたて(畝たて):マルチ被覆作業

■2009年5月20日(水)晴れ。

 午前、大岐集落の滝谷川左岸の南方、高畠の角畑2号圃場、5号圃場、大畑、川流畑の右圃場の4棟、堆肥・施肥しガソリンエンジンの管理機でポリフィルムで畝をたてる。

 畑作り(うねたて)作業がはじまった。

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沖永良部島 合同発表会(会津学研究会、鹿児島民俗学会、えらぶ郷土研究会)

■今朝、鹿児島の所崎平先生から電子メールが届いた。5月29日、30日の沖永良部島ながはま館での合同発表会(5月10日14時から17時30分)と、島内巡検(視察)の内容がほぼ決まった、というものでした。

 梅雨に入っているので傘を準備してくるように、ということでした。

 島内では新納忠人(にいろ ただと)さんにお世話になる。

 宿は、島内のフローラルホテル。

 私の報告は、南の島なので、雪国の生活、をスライド報告する。

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トビ(鷹のなかま)

■5月20日、朝、かすみ草の生育調査で高畠に歩いていくと、樹上(ナラ)にトビが1羽止まっていた。その後、飛び立ち、奈良布(ここはもと楢布原と呼ぶ茅場であった)の方に飛去して戻ってきた。尾翼の中央付近の羽根が抜けている個体である。朝晩に出入りしている森に巣がある。

 昨日は午後に電柱の上に止まって足下の何かを食べていた。境の沢でハウス建てをして上を向いていたら境の沢の上、大場平(おおばでえら)の高空をトビがソアリング(旋回帆翔 せんかいはんしょう)していた。今日の生育調査は35ミリの一眼レフ(18-200ミリ)だったので200ミリ望遠で撮影できた。

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ひしお(納豆漬け)

■田植え時期になると簡易食物が出てくる。たとえば笹巻き。白菜の漬け物の酸味がきいたものを油で炒めた、あるいは煮た物。そして「ひしお」。

 今朝から食しているので、母・ミヨ子に朝食の時に聞いてみた。

 「昔、ばあさま(婆様)だちは、暮れに大豆を煮てワラつとに入れて作った納豆を、正月なんかに神棚にあげもうしておいたもの、何日もおくので、乾燥してしまっているので、そうしたつと納豆を下げて、それに同量の麹を入れ塩をふって寒中に漬け込んだものを、いまごろ食べた。塩ではしょっぱすぎるので、今回は醤油で漬けた。冬に仕込んだ納豆はぱさぱさして糸がたたずに失敗したので1月にその納豆に同量の麹、醤油で甕(かめ)に入れて漬けた」

 「笹巻きのササは、高畠の沢口のクルミの木のあるところが日陰で柔らかい葉が採れるので、あそこのものを去年の夏に採って乾燥しておいた。普通はオミヤ(鎮守・山の神様)の木立のなかにあるササを初夏に採った。オミヤの祭り前の草刈りの頃に採るものだった」

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朝の生育調査(かすみ草)

■2009年5月20日(水)晴れ。朝、かすみ草の生育調査をした。大岐のハタインキョノキ(畑隠居木)のモモが白い花を咲かせているが、カラムシは芽をまだ出さない。タンポポが満開になっている。野のウドが採れ始め、ウルイを食べる。山椒の芽(葉)も出て身欠きニシンの時期になる。冬に漬けた納豆(ひしお)も食卓に出てきた。木に植えたシイタケも出ている。

 3月4日に届いた苗をポットに植えて管理し、雪をどかして4月7日に畑(ハウス内)に植えたかすみ草は40cmで花芽分化中。10日に植えたものは60cmで花つぼみが出ている(発雷)。18日に植えたものは15cmの草丈。昨年秋にかすみ草の株をほりあげて貯蔵し、3月にポットに植え直して育て、芽を揃えて4月13日に植えたかすみ草は50cmで発雷(つぼみが出てきた)。これらはそれぞれに4品種。気候変動がはげしく、品種間の生育格差はこれまでになく広がっている。

 据置の越冬株は、ようやく5cmと芽を伸ばした。これは4品種。芽の出の悪い圃場は耕耘する予定だ。

 今後、かすみ草を植えるための畑作りがはじまっている。トラクターで耕耘(こううん)し、堆肥と肥料を筋状にふり、ビニルマルチを掛ける。土壌水分を見ながら、マルチはかまぼこ状に土を充填し密閉する。隙間があると土が乾燥してしまい、強風でマルチがはがれたりする。苗にも良くない。

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切り花流通再編と産地の展開(2001)

■2001年12月に発刊された辻和良『切り花流通再編と産地の展開』(筑波書房)。著者は生まれた和歌山県の農業改良普及所、農業試験場、農林水産総合技術センター農業試験場に勤めているときに本書を執筆している。85ページに、農協系統共販産地(農協連合会と単位農協)の、

 切り花出荷先卸売市場の選定基準が掲載されている。

 代金回収面の信頼性

 相場の安定性

 産地指導・育成力

 情報提供力

 他市場への価格影響力

 主要品目の相場の安定性

 交通アクセス

 主要品目の取扱高が大

 出荷奨励金の料率

 総取扱高が適当

 相場が高値 等

■89ページに、「系統共販が進展したとはいえ、出荷先の決定を生産者個人が行っている単位農協すらみられることである。このことは、切り花流通が依然として卸売業者と生産者個人のつながりが強く、前近代的な部分を残していることを示している」

 はたして前近代的と言いきっていいのだろうか?

 本書が出版された後に、新しい動き(回帰ともとれる)が起こってきている。

 毎年秋にオランダのアムステルダムで開催されるホルティフェアに合わせて、近年になってアールスメール・マーケットがはじまっている。生産者個人(とはいっても大規模だが)が、1坪の出展をして仕入れ担当者、バイヤーと対話する場所を作りだしていることをみると、前近代的ではなく、物作りの基本に関わることが「人と人の関係」(生産者と販売者の関係)にあると思われる。

 第3世界の労働環境(先進国が後進国から搾取する構図の固定化)への批判と、その健全化から派生してきたフェアトレードは、その生産地域の人々と、消費地の人々がどのように提携できるか?という主題になり、物の流通の前に、人と人の関係のデザインが課題になってきた経緯がある。人と地域社会、が生産・栽培を包括することを言っており、人と地域社会の持続性が優先される社会になっている。

 日本国内では有機農業「運動」や「生協運動」のなかで産直・提携ということが取り組まれている。一方で農業者の協同組合である農協は規模拡大(共販)を目指し、「運動」部分の欠落が、現在の市場流通のなかでの隘路に至っている。

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島と奥山

■ 福島県昭和村 面積 209.34km 2
      沖永良部島 面積 93.65km²

     昭和村 年間の最高気温は31.7℃、
  最低気温は零下13.9℃、平均気温は11.3℃
  年間降水量は約1,500mm(冬期間の雪、半年は降雪)
  雪のある世界と、雪の無い世界の2つの世界がある。

  沖永良部島 年間平均気温は22℃ 年間降水量は約2000mm

■ 昭和村はブナ林(チシマザサ-ブナ群集)に囲まれ、集水域である尾根を境としている。二河川の流域(野尻川・滝谷川)に約4kmおきに集落が10ある。一方、鹿児島県沖永良部島は周囲を海に囲まれている。集落は海沿いにある。

 昭和村は、オトメユリ(ヒメサユリ)原生域に属する。

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夏のバラ:トルコギキョウ

■2009年5月20日(水)

 早朝から境の沢圃場のパイプハウス建ての継続をする予定。

■『農耕と園芸 2009年5月号』(誠文堂新光社)159ページ。切り花市場情報。関東・大田花き 宍戸純さんがトルコギキョウについて書いている。

 ①ブライダルやアレンジメントなどのバラ的需要→八重の品種、季節の色指数に準ずること

 ②物日の仏花需要→ 一重でトルコギキョウらしい清楚なパープル系

 ③桔梗のような草花タッチを求める → 小輪で多花性の品種を選ぶ

 生産地のターゲットニーズに準じて、良い物を作り、鮮度良く届ける。

 ねらいを定めてものづくりをすることがベースで、そこがわかりやすい品目。花店に選ばれるためには、仕立てでいかようにもデザインできる性質を考慮し、売り先のニーズに合わせて仕立て上げる。

 バラのようなトルコギキョウがはびこる今日、この花のアイデンティティは逆に失われつつある。

■95ページ「オランダ花便り 58」(オランダ花卉協会・オランダウェブ)

 2008年のオランダ花き輸出は2.8%マイナスの64億ユーロ(約8600億円)。イギリスとアメリカへの輸出が、それぞれ-17%、-19%。ポーランドへ+22%。ロシア+16%。

 品目ではアンスリウム-15%、フリージア-10%、スプレーマム-9%。

 チューリップ+9%、アマリリス+4%

■いま、姫踊り子草が咲いている。

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2009年5月19日 (火)

輸送協議終了

■2009年5月19日(火)晴れ。

 午前は、境の沢圃場で、越冬株の芽整理、ハウス建て継続。

 午後1~2時、大岐にて、昭和花き研究会輸送協議を郡山運送会津橋本所長、田代氏と私と本名敬(副会長、集荷所現場代表)。東北方面輸送の保冷車が、業者が変更となり輸送経路・時間を見直すこととなった。郡山市に直送は了承された。

 5月30日の沖永良部島での民俗学研究会の資料1枚を作成し、ファクスにて送付。6月5日の長崎県花き協会総会での講演資料を7枚作成しPDFファイルで、長崎県農産園芸課の板村さんに電子メール添付で送付。

■5月22日午前10時~、昭和村下中津川の昭和村公民館で、取引協議を開催。10名。本年のかすみ草の取り組み、フェア開催時期等について話し合いをしたあと圃場視察。

  昭和村産業建設課産業係 上杉氏(フェア等の支援について)
  金山普及所 佐藤充氏(同)

  ヨークベニマル加藤バイヤー
  あさかのフレッシュ 五十嵐部長
  開成生花 林社長
  大田花き 松永剛志氏

  新日本流通(株) 井尻氏(花入れ容器レンタルバケットの回収・洗浄・供給)
  クリザールジャパン 植松英世氏(採花後前処理、品質管理、産地指導)

  昭和花き研究会 会長・菅家博昭、副会長・本名敬(生産)

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飛べないセミとブナ

■2009年5月19日(火)

 1昨日までの雨、強風で空気がきれいになっているので、今朝は博士峠のブナの森を歩いた。いつも行くブナの樹には地上高1mほどのブナの樹木のくぼみにセミが1頭いた。よく観察すると羽根が融合していて飛べない。

 昨日から、エゾハルゼミが良く鳴くようになったが、森のなかで一人じっとしているセミがいて、今朝、そのセミに会った。

 柳やフキノトウの綿毛がよく飛んでいる。

 ミズナラはようやく葉をひろげようとしていて、ミズナラの樹冠部の空間だけが陽光を森の中にそそいでいる。鳥もこの空間から森に出入りしている。

 森の地面は、ブナの花の房が落下して茶褐色に染めている。

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博士峠の ホウノキ(朴)

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博士峠の 栃(トチ)の花

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博士峠の 桂(カツラ)

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大岐 ゼンマイ

■2009年5月19日(火)晴れ。

 父・清一(76歳)は、今朝早くから大岐集落の近くの山(滝谷川左岸のW沢)でゼンマイを採ってきた。

「近頃採ってねえがら、一カ所にこんなに出ていた。ハカセ(博士山のこと、滝谷川右岸)は6月になってがんだ」

 母・ミヨ子(75歳)は、ワラでできた古いゴザを広げ、ゼンマイの綿を取る。太いゼンマイと細いゼンマイの2種に分ける。ゆでる時間、揉む時間、干し上がる時間が違うからだ。細いゼンマイはマタタビで作ったカゴに入れている。綿は左手の肥料袋で手作りした「腰カゴ」に入れる。

 鉄製の鍋に裏山からの沢水を入れ、石油ストーブで沸騰させゼンマイを入れゆでる。そして屋外、、、通常は庭(いえんめ、家前)に厚めのゴザを敷いてならべ天日で干す。そしてワラゴザの目を利用して手で揉み水分を飛ばす。その繰り返しが「ぜんめもみ」(ゼンマイもみ)。

 かんじき用の竹を採ってきた所にはタケノコが出ていたが、それは熊(ツキノワグマ)が食べた跡があった、という。天然の葉わさびを採ってきた。

■母の日に言葉を→→→ 山形かるべ氏

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バーコードで情報提示

■試験中。携帯で読む。

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柳沢峠のブナ

■就学前、5歳頃に片道9kmの山道「柳沢峠」を大岐から小中津川の診療所まで歩いて歯科に通った記憶が残っている。40年以上も前のことだ。その後、中学生の時に歩く道を歩いたのが最後で、自動車が通行できるような1車線の道ができた。

 「喰丸峠」は小野川から喰丸を結ぶ歩き道で、樹林内につけられた両手を拡げたほどの道幅であった。ところが「柳沢峠」は肩幅しかない道であった。樹林のなかに、人々が行き来した細い踏み跡がある、そんな道である。

 昨日、午前の会議と午後の会議の間の時間に、自動車で戻り、柳沢峠の旧道、この道を少し歩いてみた。すでに道型上には直径20cmから40cmほどのブナが成長して道を塞いでいた。

 最近、森のなかのスゲ類(ヒロロなど)を探す癖がついてしまっていて、目に付くようになっている。薄い葉を広げたブナの林床には直射日光はささないが、折からの強風で森の樹冠(キャノピー)は波打ち、揺れて、時折木漏れ日が茶褐色の落葉の上に落ちてくる。森のなかで地面で常緑のものはシダ類とスゲ類、ササなどである。これらは、雪融けと葉が出るわずかな間しか直射日光を受けない。また落葉から降雪時期までの時期にまた陽光を受ける。いずれも季節が変わる時期で寒さがあり気象変化が激しい時期だ。

 ブナの樹は、5月1日、春に一斉に葉を広げ、林床の乾燥を防ごうとしている。それまで降雪が地面にあり、根を保全してきていて、その雪が融ける頃、つまり根を守る雪が無くなると一斉に葉を広げて地面の乾燥を防ぐ日覆いをする。秋、10月25日頃に一斉に葉を落とすと、雪が降ってきて地面を白く覆った雪が根を守る。集団で土の乾燥を守るのがブナ林・森の仕組みになっている。

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安価生活と文化生活

■2009年5月19日(火)

 庭のスズランと鳴子百合が咲いた。

■いま読んでいる 小松裕『日本の歴史14 明治時代中期から1920年代 いのちと帝国日本』(小学館、2009年1月刊) の178ページから、「安価生活」の提唱 という項がある。

 イギリス人の著作の『3ペンス生活』(当時、3ペンスは12銭)をヒントに「十銭生活」を提唱したのが、医学博士額田豊。額田は著書『安価生活法』(政教社)を1915年に出版し、人気を得て2年間に26版を重ねた。定価85銭のこの本は、生活難を打開するために、生活費を安くし、食費を少なくする方法(食品経済学)を教えるものであった。

 1917年に創刊された『主婦之友』は7号に「物価騰貴難に処する安価生活の実例」を特集。

 どちらかといえば低所得者層向けの「簡易生活」や「安価生活」と、もう少し生活に余裕がある階層の「文化生活」という、位相を異にするふたつの生活が提唱された。

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 和歌山県新宮に生まれた西村伊作の父・大石余平は、仏壇を破壊したり、神社のお札をただの紙切れだといって鼻をかんだりする人物で、明治10年代にさまざまな風俗習慣の改革を急激に行った欧化主義者であった。伊作が生まれたころにキリスト教に入信し、新宮に教会を建てている。その後、名古屋で濃尾地震で両親が亡くなり、祖母にひきとられ母方の西村家の戸主となった。

 西村伊作は『生活を芸術として』(民文社)を1922年(大正11年)に出版した。建築家としての西村の根底にあった思想は、生活こそ生命というものである。
 西村は「文化は在来のものをたくさん集めて持つことではなく、これから物を作る力を持つことだと思います」と述べている。
 何よりも先に自分の食物や衣服や住居などに工夫を凝らし、楽しく生活することが、生命に対する勤めであると主張する。人生の大目的は日常生活にほかならず、生活の研究「生活学」「生活の芸術」が必要だという。

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2009年5月18日 (月)

雪があるうちにやってほしい

■今日の会議で出た意見は、

「雪があるうちに、会議をやってほしい」

という意見が複数あった。

その意味は、

「雪が融けると農作業は一斉にはじまり、忙しいから、

雪がまだ残っているうち、つまり4月末までに

会議(総会とか、、)はやってほしい」という意味。

雪が、基準になっている。

■秋は雪が降る前に、、、、という時と、

雪が降ってから、、、、という場合がある。

■雪を送りました→→→ FFCネットワーク

■柳沢峠のブナ

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かすみ草の苗を育てる

■5月18日、かすみ草:ニューホープの苗。

 いまは父母がいて、みずやり担当しているが、母は高齢でジョウロを持ち上げることが難しくなっている。朝1回、昼食時に1回、たっぷりと水をやる(灌水・かんすい)。苗が来ると家から離れることができなくなる。苗があるから家を空けられない、、、という。

 集落を囲むブナ林・ナラ林の落ち葉を集め、3カ年ほど野に積んで腐らせ腐葉土とし、それに水稲(いね)の籾殻を蒸し焼きにしたモミガラクンタン、山土を合わせた「ポット用土」を自分で作り、それにかすみ草の苗を植えて、3週間ほど育てます。畑を囲む山野の落ち葉には土着菌が付いています。それとともに苗を合わせ畑に植えるのです。予防接種のようなものです。購入用土・市販の腐葉土ではだめです。

 水は一日二回。曇りの日は一回。

 朝はたっぷりとやり、昼は葉水程度(蒸散させ温度を下げる)。

 大型ハウスで二週間、ピンチして馴化ハウスに移して一週間。馴化(じゅんか)とは、夜も涼しくなるハウス(夜に戸締まりしないハウス)で畑(露地)に植えられても慣れるように。

   →→→ ポットに植えた日 5月13日

 →→→ 苗が来た日 5月12日

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生育調査

■5月18日、菅家照子さんのかすみ草:メレンゲ。2回目の芽欠き終了。出荷開始は仙花から。当会ではいちばん早い出荷の予定です。

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夕暮れ会津盆地

■2009年5月18日の18時。福島県会津盆地。水田に水が張られ田植えが行われる。古代の開田以前は湿地であり、それより以前は湖であった会津盆地の姿がこの時期に再現される。→→→会津盆地の灌漑稲作

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強風続き、雨から晴れへ

■2009年5月18日(月)昨日の風雨が、今日は晴れになり強風が続く。

 雨を受けた植物は、寒いながらも緑色を強くしている。

 村内各所で田植えがはじまった。

  午後から、晴れ。エゾハルゼミが鳴き出している。

 →→→ これからの予定

■5月18日

 昭和村農林水産物集出荷貯蔵施設 運営幹事会・運営協議会が下中津川のJA会津みどり昭和総合支店の2階会議室で開催された。本会から私と副会長の本名敬が出席。同施設の現場責任者に本名敬が再任された。施設長はJA会津みどり昭和総合支店営農経済課の齋藤孝人さん。

 役員改選があったがいずれも留任。

■会議に行き来した柳沢峠のブナ↓新緑。

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2009年5月17日 (日)

限られた季節

 雪は白く、11月から4月末まで、野山そして畑に積もっている。かすみ草の栽培ができるのは5月から11月のはじめまでの6ヶ月間、つまり半年である。

 しかし、半年間の間、雪のなかでかすみ草の根株がじっと生きている。それが越冬株だ。冬眠とはいってもかすみ草の根株には、リスク・危険性がいつもある。寒さで細胞が凍死してしまうこと、生き残っても野ネズミに食べられてしまうことなどである。

 その反面、開花時に花を守るためのビニルハウスは、雪の降る前にビニルをはずし、骨組みを解体し土の上に寝かせれば折れたりすることはない。雪融け後の春に、また人手で組み立てればよい。

 冬から春、日本のかすみ草は静岡県、和歌山県、高知県、熊本県、大分県などで生産される。特に主産県の熊本県では冬期間の暖房費低減策から秋から初夏までの栽培に作期を延長してきているので、価格安の6月の前半の出荷から当会は撤退し、後半から7月、11月上旬までの出荷に切り替えている。

 安定品質かすみ草、のために、最近の研究知見と海外調査の結果を合わせ、採花後管理、ポストハーベスト技術を定期的に見直ししている。そのための手法として3月からこれまで、関与先を訪問し協力を依頼してきた。また関与先の仕事も実際に現場をたずねどのように改善しているかも確認している。

 自らの仕事そのものと、作業手順を定期的に見直すことは、年に1回ではなく、最低毎月~四半期に一度はそれぞれの工程を見直すことが求められる。今年は小さな改善ではなく、大きな組みかえの時期であり、現場で行う仕組みを見直す。産地の情報については、取引先顧客宛にファクスか電子メールで送付することになっている。

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産地訪問

■出荷があと1ヶ月後に迫り、今日も、首都圏の仕入れ担当者から連絡があり、6月の来村が打診された。1昨年会社を移られたのだが、そちらの会社でも当方のかすみ草を使用していただけるようで、来村される、という。

 またウェブサイトを通じてしか対話していない別な会社の仕入れ担当者からも連絡をいただきた。こちらは私から会社訪問して、当方の取り組みを提案しようと思う。

 多くの人に支えられての仕事である、ということがいつも思い起こすことだ。

 →→→ 中央花卉

 →→→ 

■会津学研究会の会員からも電話をいただき、原稿のまとめかた、取材のしかた、テーマなど、いくつか話をした。

■佐伯泰英の『密命』シリーズ(祥伝社文庫)も3冊を読んだ。ていねいに書き込まれたのは食事や、家を出るときに隣に声を掛けて出ることなど、、、ただ3冊ともクライマックスはあまりあり得ない派手なシナリオで、そこだけが浮き上がっている感じがしている。ていねいに書き込んで生活と、剣劇の差はあってもよいが、1,2,3巻の起承転結の転部はそぐわないように思う。いま4巻目を読み始める。

■テレビ天地人は、秀吉の天下になってきた。吉川晃司の信長は本能寺で終わり、今度は家康と秀吉の関係になってきている。秀吉に上杉は会津移封を命じられ、会津に着任する。その後、関ヶ原を経て米沢へ。だんだんと舞台は会津に。

マイクロブログ

■流行しているマイクロブログ →→→ 日経ビジネスウェブ

トキの行動

■今日の各紙から。トキ、地質、改革のゆるみが傷口を拡げた。

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生産の記録(生産管理基準と栽培履歴)

■ 農業では、栽培・生産の記録は日常的に行われている。古く江戸時代から農家の書き付けをみても、日本の農家には記録魔が多い。トレーサビリティ(流通記録の遡行追跡)の仕組みも整備されてきている。

 そのなかのひとつに採花日の記録がある。

 また卸業、特に仲卸業ではこの数年に「仕入れ日明示」をしているところが多い。大田市場を見ても、仕入れ日を3色で月・水・金を示しているところが増えてきた。しかしそうした仕入れ日明示表記をしないところもあるわけで、先日見たのは、そうした仕入れ日明示をしていない店頭の暖地産の花束に、「この花は店頭販売日の2日前に採花されたものです」というような記載があるものがある。月曜に仕入れても(土曜採花)、売れ残り、金曜に店頭におかれれば購入者は水曜に切った花と誤解することになる、と思った。

 

 採花日は仕入れの参考となる、あるいは仕入れ品の管理のために必要な情報で、それは品質そのもを示すものではない。しかし、大量仕入れして長期貯蔵された花が、適宜リパックされて上場される輸入の花が増えるなかで、国産の花の「生産履歴のひとつ」として栽培履歴:採花日の明示が必要になっていると思う。

 また水入れ容器の使用についても、適正かどうか?ということを表示しなければならない時代になってしまっている。

 適正に水あげ、前処理、温度管理された花であっても、たとえばエルフバケットの不正使用などの問題もあり、生花店や卸に滞留している清潔ではない容器を無断で持ち帰り、抗菌剤ティーバッグも使用しないで品質劣化したバケット輸送の花が混在するなか、どのように区別してもらうかが適正使用の生産地では重要な問題になっている。

 先日訪問した取引先ではない花束加工業の現場には、この春から、エルフバケット似の茶色容器が産地から花入れて入荷・使用されていて、どのような容器使用でも産地は法令に準拠していればかまわないのだけれど、その水がどのように処理されているか、、、、など品質保持に結びつかない事例になっていると懸念している。つまり容器の形態が信用を供与していた時代は終わり、使用者自らその内容を具体的に取引先に伝える、ということが必要になってしまっている。これは農業規範(倫理)。

 「適正に購入されたバケットを使用し、適正な水処理・抗菌剤のティーバッグで品質保持をしています」というお伝えをしなければならなくなっている。

  →→→JELFA

■日本農業新聞5月12日の10面には広告企画として次のような図が掲載されている。

 農業情報学会の田上隆一氏による。

 生産者の営農活動には

 農業規範
 農業技術
 生産管理
 販売管理
 経営管理

 があり、それぞれに計画・記録・課題の発見、修正がある。

 そして

 ①消費者に信頼される食品の品質・安全性の確保に努める

 ②環境への悪影響を最小限にし、自然と野生生物の保護を行う

 ③農業用化学物質の使用を極力減らす

 ④エネルギー使用を効率化する

 ⑤労働者の健康と安全に責任を持って対処する

 JA(農協)はつぎのことを行う。

 ⑥部会統一の生産管理基準とその記録管理

 ⑦販売管理とトレーサビリティ

 ⑧品質管理とクレーム対応

 ⑨残留農薬分析とGAPの内部監査

 このなかで、JAの基本契約や規則、部会の規則や具体的な手順を体系的にまとめなおして「生産部会の管理運営規則(農場管理スキーム)」を作ることが必要としている。

 残念ながら日本にはまだ公的な グッドアグリであるべき、『GAP規範』が無い、という。

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日本農業新聞5月12日の10面より

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雪の記憶

■消えていった雪。天から降るものが雨だけになった。

  先日訪問した関東地方の大型カーネーションの生産農家は、グリーン(葉物)に9割型転換していました。話をうかがってみると「農薬散布をしないですむ植物」「主品目ではない花・草」という話でした。

 カーネーションの生産農家が多様な花の栽培家になっていくようです。→→→ 日々是好日

品質保持剤

■ 切り花の品質保持剤には、生産者用・輸送容器用・店頭用などがあります。生産者用には植物によってSTSが入ったもの、糖類が入ったもの、葉の黄化防止のホルモン剤が入ったものなどがあり、総じてそれぞれに抗菌剤が入っている。植物を延命したり、鮮度保持するものではないので、「品質保持剤」と呼びます。

 2006年に花普及センターが発刊した『切り花の品質保持マニュアル』が、唯一の本となっています。1997年に発刊されたときは『切り花の鮮度保持マニュアル』となっていましたが、内容改訂しあたらしくなっています。

 植物に不着してきたバクテリアや、水に生存しているバクテリア、花入れ容器桶内部に不着したバクテリアに、品質保持剤の糖類が餌となることが多いため、バクテリアを最初に少なくすることが求められます。殺菌する効果を持つ品質保持剤はほとんどないため、「静菌効果」が品質保持剤の役目です。静菌効果を保持するためには水温が低いことが良いのですが、それは容器が置かれた温度とともにあります。水は塩素殺菌された水道水を使うのが現状です。また小売店では、ハサップ準拠の調理現場で多くなっている。または病院の手術用具などを洗浄する電気分解した機能水(強酸性水など)、あるいはそれに準じた水を使用しているところもあります。あまり高価ではなく、小さな器具でした。

手を洗う、あるいはうがいする、マスクを付ける、、、、そうしたウイルスの落としかた、が新しい北米型インフルエンザが4月から発生し、昨日から兵庫県・大阪府等で高校生を中心に罹患が確認され、またテレビでくりかえし放送されるようになっています。せっけんで手を洗う、その洗い方が毎日テレビから流れる時代、です。私たちが小学生の時に、校内放送で「せっけんで手を洗おう」という歌が昼休みによく聞いたことを思い出しています。

 手の洗い方、という検索は様々な行政機関などがそれぞれに教示しています。

 肩痛予防には、→→→ ワンポイント・リハビリ

■昨日誕生した政党の新党首も「日本を掃除する」と語っていました。坂本龍馬は「日本を洗濯する」と語ったと言います。私たちは「バケツをキレイにする」が合い言葉のように思います。

 →→→ 泡の出ない洗剤

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湯上げの効果

■園芸学研究(日本)の最新号。

 →→→ 湯あげによる吸水促進効果

 この春、土井元章先生は信州大学から京都大学大学院農学研究科 蔬菜花卉園芸学研究室に。

 →→→ 市村先生の論文  →デルフィニウム

■花屋さんの店先に花が並べられるためには、仕入れた素材を「花」にする必要がある。花を買う人の立場からみた商品やその花を助けるための手伝いが花屋さんの「前処理」。仕入れた素材(花)に命を吹き込むのが水あげであり、湯あげである。つまり、「水(みず)」が中心にあり、その花の様式によりつぼみを咲かせるために手助けをする糖類(エネルギー)の添加、、、、あるいはすでに糖類が添加された抗菌剤入りの「品質保持剤」をうまく生かす。そしてその花を入れる容器、、、、水を入れる容器の内壁・外壁・底部の洗浄(スポンジに中性洗剤を付けて洗う、容器を重ねる場合には外壁の汚れが洗スタッキングした重ねた容器の内壁を汚すので注意する)、、、、

 日々の生活のなかで、お茶碗を洗い、乾かす。ご飯をよそおう、、、、そして食後にまた洗う、、、それと同じ。バスタブ(浴槽)を洗う、、、、同じことです。

 理想的な品質管理・低温管理と、何もしない環境との間に、現場で行う品質管理があります。つまりできるだけ涼しく、あるいは植物のいのちを大切にしようとする品温管理があれば、ヒートショックや結露を防ぎ、水入れ容器で輸送された商品は、高温で水が腐ることも防ぎ品質を保持できる現場の品質管理が可能になります。

 植物といういのちある生物を扱う仕事には、人間の日々の生活のなかで行われている人に接する気持ち、日々の暮らしの取り組みがそのまま応用できます。つまり特別なことではないのです。

 これは花を地上で栽培する生産者の、ポストハーベスト、採花後の管理でも同じです。水あげの容器は、水でさっとすすいで終わり、という生産者がほとんど、スポンジで中性洗剤をつけて洗い、乾燥させる、ということをしていない。それは花売り場の花を入れている容器が、水でさっとすすいで終わり、ということと同じで、高温時期にすぐ入れた水が腐り、そして効果的な品質保持剤を使用したとしても、その効力は限定的になります。回収し、繰り返し洗浄利用するリターナブル・バケット(新日本流通のレンタルSCLとか)は、適正な洗浄・乾燥処理がなされて生産者のところに届いています。

 箱詰めされた植物は、自ら呼吸をしています。そのことが密閉された箱内で温度を上げ、むれて葉や花が傷む原因になっています。仕入れたものをすぐ箱から出すこと、あるいは呼吸を抑えるような少し室温より低い温度のところに置く、、、という気配りが大切です。箱の内部は箱外部を冷やしてもなかなか温度は下がりません。そのため「予冷」という行為を生産地では集荷施設で行うことが多くなっています。ケーキを買ったときに持ち帰り時間に合わせて保冷剤の個数が変わる、箱の中を冷やすということ。箱の中まで冷やす、ということ、植物の呼吸量を抑えるような品温管理をすること、急激な温度変化(ヒートショック)を与えないことなど、すべて日常の生活で行っていることと同じことです。

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Retail is Detail 

R2リンクより。

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輸送協議

■5月18日(月)午前10時~15時、下中津川の農協会議室で今年の集出荷所の利用の協議会。

 翌・19日(火)午後1時、大岐にて、輸送協議。郡山運送会津若松営業所の橋本太所長が来村される。担当は田代有一さん。

■とある直売所に手作りの蓑(みの)が売られていた。子供用。春の野に生まれる山菜も品目が多くなってきている。お店の人に聞いてみた。栽培したアスパラガスが一番人気で、次いで山取のウド、、、という。

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花1本の重みとちから

■昨日、5月16日に南郷の月田農園(南会津町)を、5月2日に続いて訪問した。

 5月7日頃からカラーを畑に植え込んだようで、このあと、盛り上がった土の上(うね、畝)に、栽培したライ麦殻(むぎわら)で土抑えとしてかぶせ、通路には隣の斜面のコナラ林の落ち葉を集めたものを敷き詰める。その圃場(ほじょう、畑)のまわりにあるものをその土に還す。発芽したヒメサユリ(おとめゆり)は、10cmほどに成長している。

  次に植えるカラー球根を土室から出して、環境に慣れさせている(馴化)していた。

 生命のひとつが花を咲かせるまでに数年あるいは十年かかる。それを一本一本たいせつにお客様に届けたい、それが生産者の行う仕事です。コストを算出できない仕事がそこにあります。たとえばパイプハウスを春に建てる、秋に解体する、その繰り返し労力。人の力を継続して投入していくこと、花を育てることとは別にある仕事が、いかに多いか。落ち葉を集める、落ち葉を集める森を手入れする、、、、、水を使う水源の森を守る、、、、

 かすみ草一株でさえ、11月から降り出した雪に、凍りながら、そして2mの雪の重さに5ヶ月ものあいだ耐え、ようやく春に太陽を受けるころ野ネズミに食べられ、その隣で生き延びたものが、霜を気にしながら芽を伸ばして、7月に花を咲かせます。あるいは新しい苗が畑に植えられ、風雨に耐えながら夏から秋に花を咲かせています。

 →→→ 1本の花

 →→→ 思いをこめた花

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つなぎの役割

■2009年5月17日(日)雨。

 昨日、大岐では、午前中に1回雷鳴があり、5月16日(土)は午後2時40分から雨になった。

 ミヨシ育成かすみ草新種のポラリスの越冬株の芽整理を、Mさんと行い、そのパイプハウスを建てた。会員のかすみ草の生育調査も行った。三島町川井の角田亀好さんのホワイトロードは60cmに伸び、一部発蕾が見えるようになった。6月10日~15日頃の開花がいちばん早いもののように見える。

 夜、田島の田部(南会津町)の湯田浩仁君の打つ蕎麦を食べた。この日は、通常、蕎麦だけで作る「十割蕎麦」ではなく、小麦を二割つなぎとして混ぜた「二八蕎麦」を作る、ということで、その工程をずっと見学した。

 十割は水加減が難しく、水回しをていねいにやっても蕎麦粉の状況により打ち、伸ばす過程で生地にひびが入ったりすることを前回の作業の時にも見えた。今回はそれがなく、薄く、数ミリほどの厚さに伸ばしてもひび割れたりしなかった。つなぎ、というのは大切なものだと見えた。

 それを湯田君は補うために、ソバの実を特別にいま挽いてもらい、挽きたての風味の強いソバにつなぎを入れ打つ、という手法で行っていた。

 1mmの幅に切り、ガスの火力の強い沸騰した水でゆで、ソバが浮いてきてから20秒後に水でぬめりを落とし、氷水で締めてから、ザルに盛った。

 田島名産のアスパラガスの素揚げが、どんとテーブルの上にあった。

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FFCの新聞記事

■2009年5月17日(日)雨。

■全国農業新聞5月15日に

 花をもっと身近に
 農家・業者らが連携イベント出展・PR
 花農家へメッセージ
 市民から千通の思い
 花農家と花屋でつくるFFCネットワーク

 記事1枚→→→PDFファイル(1.6MB)

■東京世田谷花き事業協同組合『パセオ paseo』24号(2009年4月発行)には、世田谷区代田1-34-15のパフューム Perfumeの窪田直秀さん、佐倉市大崎台1-17-23花の店萌木の大坂純一さん、三鷹市下連雀4-15-13コテージガーデンの川口信也さん(FFC)が紹介されている。

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2009年5月16日 (土)

新しい取り組み

■2009年5月16日(土)曇り

 田島経由で、昭和村へ。

■5月15日(金)朝8時、都内・中央花卉にて、斧田社長と中谷さんと今年のかすみ草等の打ち合わせをした。まず6月20日頃に来村、圃場でかすみ草の生育調査をすることになった。また新しい規格のものは10本で横箱段ボールで届けることになった。店頭予想売価と納品価格、その取り組みの見直しのための時限なども打ち合わせた。

 7月3日(金)の朝、中央花卉店頭に私(菅家博昭)が立つことも決めた。

■同じく、セリ準備中の大田花きの荷さばき場で、朝、新しくかすみ草の担当となった大西克典さんを松永剛志さんから紹介される。セリ開始後、いちばん左手で大西さんがセリ、その隣が松永さん。

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■FAJに出荷している愛知県のかすみ草生産者グループ・ニューライフは、エルフに、新しい段ボールのサポートを使用してかすみ草を出荷していた。

 ケニア産のミリオンスター、エクアドル産のバンビーノが入荷している。

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JR東日本の新幹線車中無料誌

■五月一日からの号は、会津若松と五つの古道をめぐる物語。表紙は大内宿。左には蕎麦のこめや店頭が書かれている。ここで湯田浩仁・江美さんによる「土っこ田島味噌」が購入できる。『会津学』三号にも「冬の生業を創る~屋根葺きと味噌作り」で、店主・吉村徳男さんに登場していただいている。

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差し出す手と、送り出す手。手の時代より

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■デザインということをよく考える。それはソーシャル・デザイン、社会的な人と人の結びつきをどのように提案するか?という基本理念が必要になっている。

3つのフェアと手の時代

■この4月一日、首都圏の生花店が3つのフェアを開催する、という告知チラシを店頭で入手している。上京のたびにその複数の店頭を見てきた。そして5月の母の日が到来している。チラシより大きなものが店内に掲示されつづけていた。

 そして、一昨日、福島県のJR郡山駅の東京行き新幹線ホームの売店で3つの清涼飲料水のちいさなポスターを見た。

 チラシやポスター制作などの広告活動費が抑制されてきているなかで、効果を高める周知の仕方が変わってきた、と感じた。いずれよく考えられ効果を上げている。

 刹那的にフェア(あるいはセール)を行うのではなく、フェアやセールそのものに関連性や来週の来店を誘うような構造をうまく発揮できた事例だと思う。

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世界の農業政策

■2009年5月16日(土)曇り、雨に向かう。

■現在書店にて販売されている月刊誌『農業と経済』(昭和堂、780円)の2009年6月号は、「どこへ向かう世界の農業政策」が特集で、特集の第1部は「転換を迫られる農業食料政策」、第2部は「各国農業政策のゆくえ」。

 たいへんよみごたえがあった。特に欧州の市民が求める安全性の確保が、第3世界の農業生産地帯から小農を排除している事例をあげた近畿大学農学部環境管理学科池上甲一教授の論考がよかった。池上教授は過去に本欄で取り上げた『季刊アット』にフェアトレードの記事を書いた人である。

 「提携型のフェアトレードや、世界的に広がっている連帯経済の動き」が、グローバリゼーションの影響下に逼迫感を強めている日本の農業・農村問題を考える上でも、大いに役立つだろう、、、、

 とまとめている。

 つまり理想的な生産と消費のかたちを思い描きながら、人と人のつながりを手作りする時代になっており、モノだけを媒介とした場合には、それはいくら厳しい基準のグローバルGAPを導入したとしても、その負担は生産者側だけに追う構造になり、大規模生産企業が有利になる、ということである。

■写真は、本紙巻頭の愛媛大学社会連携推進機構村田武教授の「新自由主義的農政改革の帰結と今後の展望」より

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2009年5月15日 (金)

晴れの関東

■今日午後、都内のとある花束加工の現場を訪ねた。カーネーションとかすみ草・ホワイトベールを加工ラインで花束にしていた。かすみ草が多く使われていた。取引先ではない会社であったが、そのかすみ草の白さは黒いベルトに載せられてとてもきれいに見えた。首都圏の花売り場150店くらいに納品されている、という。

■午前は茨城県内の量販店花売り場も見た。染め5色のかすみ草、白のかすみ草が売られていた。ここも取引先ではないところ。

■その茨城県内のグリーン生産農家を訪問した。1000坪のグリーンは、沖縄のタマシダと同じような経営方針でやっていて、国内ではそのグリーンでは最大生産者であった。

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2009年5月14日 (木)

日本の街

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let it be

■2009年5月14日(木)晴れ、寒い日。東京。

 福島県郡山市のJR郡山駅の西口駐車場に自動車を駐車し、そこから新幹線に乗り東京駅へ。会議のある麹町日本テレビ北側にあるビルの6階のJFMAの事務所をたずねる。午後1時から3時まで、鮮度流通販売プロジェクト会合の3回目。座長の市村一雄先生ら8名で、新しい仕事について話し合いが続いた。私は副座長ということになっているが、JFMA事務局の松島義幸さんがホワイトボードに出された意見を整理しながら記録としてまとめていく。合意されたことが、振り替えれるようになっている。その内容をデジタルカメラで撮影してプリントアウトすればメモとなる。

 JFMAのプロジェクトは様々な立場、経歴の人が集まっている。また月1回開催される理事会についても、出される意見、あるいは社会事象のとらえ方、課題の発見と解決の仕方など、学ぶことが多い。

 松島義幸さんは工学系の技術者出身なので、異なる意見や、考え方のすりあわせなど、まとめる能力がとても高い、、、、そうした人間としての能力を月数回ある会合で、身近に見ていて、いつも学ぶことを発見する。そうしたところを真似るためにこうした会合のために上京している、といってもよい。

 また花の仕事の現場で働いている人たちなので、課題のとらえ方、解決策、ものごとの進め方の知恵なども、時折、はっとさせられることがある。

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かすみ草の苗を育てる

■5月13日、かすみ草・ニューホープの苗をポットに植えます。博士山のブナ、コナラなどの葉を3年ほどかけ手作りした腐葉土、もみがらくんたん、土を合わせた土に植えます。

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博士峠に花おちる

■5月13日の昭和村小野川側の博士峠の国道401号路上に、カエデ類?の黄色の花が強風により多量に落ちていた。

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2009年5月13日 (水)

採花日表示

■2009年5月13日(水)

■ 花き研究所のテクノロジー・ショーケース PDF1枚 →→→ バラ切り花の花持ち延長

■ 母の日のカーネーション。日本産への苦情。 →→→ 札幌市の花店主

2009年5月12日 (火)

愛と農業

■発売中の『アエラ』5月18日号(朝日新聞社)は特集・農業バブルが来る、、、

■『サライ』5月21日号(小学館)は直江兼継特集。34ページからは上杉家を支え続けたカラムシ(苧麻)について書かれているが、昭和村は載っていない。新潟県南魚沼市の「織の文化館 塩沢つむぎ記念館」と、山形県米沢市の「出羽の織座」が紹介されている。

 サライの巻頭は今森光彦の「富山県のカイニョウ(屋敷林)」。剪定された異様な杉。

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何を作るか?

■ このところ、「どんな品目の花を作ろうか?」と相談されることが多い。「品目」を変える、ということは大きな転換になる。しかし、有機野菜の栽培、、、などへの転換が良い場合もあるが、問題は農業の基本技術を高めてきたのかということ、品目を拘束する施設(ハウス)の有り様が問題になる。そして周囲にある自然物を利用して土作り、栽培、病害虫の管理、、、、いまは「植物保護」という概念で農作業の体系を組み立てる、、、、

 品目、品種よりも「売り方」の問題、あるいは出荷先卸の問題が多く、そこを見直すことのほうが解決への道になる。見直したくないところに課題があることが多い。直販・直売の時代になっている。

 出荷ではなく、販売、あるいは納品、、、そしてフロンティアとなっているのは生活者への花の提案。生産者が、おこなうべきことは「畑・圃場・ハウス」以外の場にあり。

■この時期、山野の地面、樹上と観察・撮影していると時間がたつのも忘れる。豊かな世界が森にはある。茶褐色の落ち葉一面の大地も草が生え、緑一面になる。いま「ミドリ」といえば植物のことをさす。

 境の沢圃場の畑と野の境界は蝶の道になっているようで、白い小さな蝶・ウスバシロチョウが一頭、何度も行き来していた。パイプハウスを建てる作業は、地球に鉄の棒で穴をあけ、パイプを差し込み、脚立にあがって天井部を合わせる。下と上を向く。空には今日も午後はトビが飛来し、ノスリもカラスと争っていた。一羽のカラスは畑に降りて水路を歩いて探餌。夕方、博士峠手前の小野川の川沿いのサクラが満開。その脇の水田の排水口付近にトビが地面に降りていた。カエルを探している。

 五月、できるだけディテールを伝えようと、毎日、ブログでテキストを作る。

 田舎に住む、あるいは山村に住む、、、しかしその環境要素である植物、動物、昆虫、魚類、鳥類、、、、なにも知らないまま歳を重ねてよいのか?自分が暮らす地域の自然の財産目録を作る、人々が村を拓いた歴史の記憶を掘り起こし継承する、人々との暮らしの結び方、、、お金(現金収入)には、ならないことが、精神的な、文化的な、地域的な豊かさの実体なのだ。都市と農村には格差はいつも生まれるが、その格差を埋めるのは文化的豊かさしかない。そのためには地域の隅々まで見つめる強固な意志が必要だ。

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小野川、滝谷川沿いの桜

■石の上に根付くもの、山桜、柴桜。いまが満開。博士峠近くの河床近くのサクラは昨年は咲かなかったが、今年はいま満開になっている。

 このところの写真はすべてソニー・サイバーショットDSC-T700(名刺より少し大きなサイズのハンディなデジタルカメラ)。接写は良い。

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柳沢峠の樹木の葉

■5月12日(火)曇り。

 午後、大岐から柳沢峠を越え、下中津川の商工会事務所へ行く。夏季雇用の手続き。ガソリンを入れて戻る。途中、柳沢沿いで車を停めて山菜を採っている人がいて、手をみてみると「ウド」が数本、握られていた。途中、樹木の葉がきれいなので、曇りで光量が足りないけれども葉を撮影。山菜のワラビもではじめる。

 境の沢2棟、午後に建てる。

 父は岩下、大田のハウスの肩パイプの設置。ビニルマルチのなかにアオダイショウが2匹いた、と語っている。

 明日13日は午後1時、ミヨシの新担当・もとかわ氏が来家する予定。午後3時に昭和村を出て会津若松市内の委託会計事務所で午後4時から定期外部監査(毎月)。6時30分ころからカゴタにて会食予定。湯田君のところにミヨシの新入社員の人が研修に来ている。14日は上京する。

 今後の出張は、

 5月28日~31日は鹿児島県沖永良部島調査。

 6月4日は川口高校で講演。

 6月5日~6日は長崎県諫早市。長崎県花き振興協議会総会で6月5日15時25分から17時まで「選ばれる産地になるために~産地から提案できること」として講演する。諫早市金谷町8-7の諫早観光ホテル道具屋。担当されているのは、長崎県農林部農産園芸課花き特産・市場班で花き担当の板村さん。日本農業賞を受賞したJAながさき県央諫早カーネーション部会の発表、県によるバラ少量土壌培地耕の生産技術確立も。

■卸市場等来村予定は、

 5月18日(月)午前10時~15時、村集出荷所協議会(農協にて)

 5月22日(金)午前10時~ 地産地消の花取り組みについて(公民館で) 各社。

 5月23日(土)柏支社の石橋さんら来村。圃場案内。

 5月27日(水)樋口さん来村予定。

 6月9日(火)午前10時、仙花上原さん来村、圃場巡回。

 6月11日~12日 上京 MPS協議会。

 6月23日~25日 加工会社社員来村予定

 6月27日(土)、28日(日)村主催かすみ草栽培体験ワークキャンプ受け入れ(菅家博昭)。

 6月30日~7月4日 大田市場花き部内、七夕かすみ草フェアの展示等(予定)。

 7月18日、19日頃 量販店かすみ草フェア予定(協議中)。同日、村内でからむしフェア。

■昭和村の柳沢峠のブナ、ナラなど、、、、新緑。写真はクリックすると大きくなります。

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ニューホープ(かすみ草)

■2009年5月12日(火)曇り。

 朝から家のすぐ前の滝谷川の河床からカジカガエルの高い周波数の鳴き声があちこちでするようになっている。そしてウグイス、ツツドリ。かすみ草を植え育てるパイプハウス建ては境の沢圃場に今日から移動して作業をしている。当地のかすみ草は露地雨除け栽培といって、ハウスにビニルを被覆するのは花が咲くときだけで、通常は陽光と降雨と風がかすみ草を育ててくれる。

 今朝、照子姉の家の前と橋のところを低くツバメ2羽が飛んでいた。そして集落下流端にある墓地に向かうとき、8時16分頃に愛子姉宅上空から低く羽ばたきながら翼下面の真っ白な中型の鷹のノスリ1羽が愛宕様のある尾根までいき、そこで上昇気流をつかまえて旋回上昇(ソアリング)をはじめた。

 境の沢圃場で午前中は2棟、パイプハウス(英語圏ではトンネル、と呼ぶ。日本でいうハウスはグリーンハウスと呼び環境制御ができる機能を持つ。つまり換気・加温・電照・灌水)を建てた。時折、エゾハルゼミが鳴く。フキノトウが50cmほどに伸び、花が終わり、綿毛を飛ばし始めている。草丈でいえば、チシマザサは80cmほどあるので、チシマザサのあるところにはフキノトウ(ふき)は日陰になってしまっている。他の草やススキが芽を出し、背を伸ばす前にフキノトウ(ふき、、、の花)は種子散布する。ゼンマイも出て、キクザキイチリンソウとカタクリは花を終え実を付けている。スゲ類も数種、穂を出して花を咲かせていて、穂はいろいろは形状、大きさになっている。常緑のスゲ類(ヒロロなど)、シダ類はこのあと葉を展開したナラ林では陽光は木漏れ日程度しかあたらなくなる。

 ハウス建てをしているとき境の沢圃場の西手尾根の天狗様の鳥居のあるすぐうえの樹幹でピイーッツと数声聞こえたので、頭をそちらに向けて肉眼で見てみると2羽のノスリが争って飛翔していた。行動圏を異にする個体同士の争いか、巣立った個体が育った行動圏内に戻ってきて追い出されているのか、そのような様子にみられた。

■昼食のために大岐の家に戻ると、かすみ草の苗(ニューホープという低臭品種)が宅配便で届いていた。「手の時代」に合わせて、背景や持ち方をかえて苗を撮影してみた。あさかのフレッシュの五十嵐さんに昨日提案を受けたことがあるので、それの一部に使用できる絵となるように撮影してみる。かすみ草の葉には細毛がある。根は毛根があり、地下部・地上部とも突起で覆われていることになる。葉にあるものは「毛茸(もうじ、もうじょう)」と呼ぶ。

 昨日はこの母の日の結果や、月曜の花市況について各社から携帯宛に電話が来るようになった。関西のH社、関東のH社、K社、U社などの卸である。情況をうかがった。

 日本農業新聞の今日の裏面はMPSの記事があり、MPS参加者ネットワークの大西会長の写真が掲載されていた。

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昭和18年(1943年)五月 福次日記

■2009年5月12日(火)

 通常、就寝時間は20時だが、昨夜は疲れて19時20分に寝て、23時に起き福次日記を解読した。林さんらを大岐で見送った後、パイプハウス建てを大田下圃場で一人行って、18時前には終了した。今日から、大きく圃場は場所を変え、境の沢と呼ぶ昭和40~50年代に父母と弟らがタバコ畑として切り開いた畑、3反歩あるが、そこで20棟のパイプハウスを建てれば終了する。弟とは、小学生・中学生の実弟2名が秋遅くから冬期間に石を拾い出した。もともとの土を一鍬ずつ起こして、どの土石を畑端に捨てる、という気の長い作業だ。

 いま国道401号の村内小野川にある喰丸(くいまる)トンネルの工事で発生した掘削土を、この畑の下方斜面に土盛りして客土としている。私は高校生で会津若松市内に下宿していたので、この開畑・整地作業には加わっていない。新しい土で、葉たばこ栽培ではあまり収量がよくないことと、我が家ではいちばん標高が高いため、優先順位が低い圃場であった。しかし1983年秋からはじまった切り花の栽培では、ここに翌年に宿根かすみ草を植える、ということになった。葉たばこ作では難しいからの選択であり、85年に民営化が決まっている専売公社から「廃作」つまり、葉たばこ栽培の中止を指示されていたなかでの取り組みであった。

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■昭和十七年(1943年)十月五日に発行されたB六版の『心の日記』は、大阪市西区北堀江通四丁目の株式会社国民出版社(代表者平井佐兵衛)刊行で、印刷は大阪市浪速区久保吉町の吉田由次郎、定価が八十五銭。編集者は豊中市外原田一三七六の油谷哲安。

 昭和十八年六月に徴兵検査を受け出征し、翌年12月日に中国長沙で戦死した当家の菅家福次(かんけ ふくじ)が、生家の大岐のこの家で暮らした最後の一年間、二十一歳の時に書いた日記である。当時私の父・清一は九歳くらいで叔父福次を「ふくあんにゃ」(福兄、あんにゃは兄者のこと)と呼んでいた。

 農家日記であり、昭和十八年は皇紀二六〇三年。日記には農園百科として様々なことが印刷されており、その余白に日々の暮らしが万年筆で書かれている。色あせたインクのペン文字は、ていねいに書き込んである。

 たとえば、日記には版元が農業の知恵を様々に紹介しており、現代でもこうした日記は販売されている。印刷された内容を、五月十二日(水)のページには、「苧麻(ちょまとは、からむし、のこと)の実生法」として、苧麻は通常、根株を分けて植え付ける宿根草であるが、種子でも増やすことができる。それが印刷されている。編者の大阪豊中の油谷が書いたものだ。昭和村がからむし栽培の特別な地域ではなく、戦前まで広く日本各地で栽培された繊維作物である。( )は私の注釈である。現代語にかえて記述する。

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 苧麻の播種期(はしゅき、種まき時期)は四月下旬から五月上旬、稀には六月にも及ぶ。苧麻の種子は はなはだ小さく一升約四千五百万粒といわれ、しかもその発芽が平間取り成苗歩合がはなはだ低いので、苗床において特に細心の注意をはらう必要がある。すなわち苗床整地を極めてていねいに行い、種子は砂または骨粉に混じて均斎に播下し、沈土して少量の焼土を覆い、うすくワラを敷き並べ、さらに葭簀(よしず)をもって日除けを作り毎日如露(じょろ)で散水せねばならぬ。稲の乾田苗代に準じ乾田を利用して随時灌水(みずやり)すれば、日覆いも散水もいらず最も便利である。

 本圃一反歩に要する苗床は二~三十坪とし、種子量五勺位を用意する。種子は十日ないし二十日を経て発芽を始め、一ヶ月を経て生え出るものがあるので、その間灌水、除草、間引き等をおこたらぬようにせねばならぬ。こうして翌春挿植すべき苗を七千本から一万本位生産するのである。

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■さて、66年前の昭和十八年(1943年)、この大岐(おおまた)で暮らしていた菅家福次(かんけ ふくじ・21歳)は、何をしていたのか?日記を読んでみる。大岐集落の上流4kmには本村・小野川。下流4kmには琵琶首集落がある。喰丸峠を越して野尻村本村(大芦、両原、喰丸、佐倉、小中津川、下中津川、野尻、松山)。大岐の当家の畑の呼称である角畑、布晒場、川流、新田、岩下、堺沢などが出てくる。いまも同じ呼称で使われている。

 五月九日(日)晴れ。「博士山西麓の「ハタ山(はたやま)」で山火事がある」、と書かれ、「角畑を馬耕する」と書いている。以下読んでみる。□は読めない文字。

 五月十日(月) 曇り、□次氏宅の桜満開
 午後角畑を馬耕し種まき。
 兄等は早朝「コゴミ」取りに行った。また明日行くという。午後より急激に気温低下。 
(※大岐では当時万吉氏宅の桜)コゴミは山菜。

 五月十一日(火)風強し、雨。
 朝、雨が降り 寒気益々で博士山は真っ白。風は数日前より定期のように吹く。下中津川校、高生等が遠足に来た夜は、粳(うるち)、餅。昨日よりなんだかまた左眼が悪くなった。トマト、茄子発芽。

 五月十二日(水)晴。
 寒さは格別で霜が降っている。午後、広兄と馬耕する。村人は芋(いも)蒔きをはじめた家もある。全く今年は一時に多忙。

 五月十三日(木)晴。
 房子と午前は馬耕。布晒(のさらし)の畑とその他を耕起する。最後に角畑を一人で馬耕した。馬は慣れて良く歩く。もうちょっと慣らせば完全に馬一人で出来る。午後は芋畑(角畑)に厩肥を運ぶ。十三駄。馬は全く、静かになった。昼食の時は、種馬が来た。青毛に乗ってみた。今日は公電らしいが、ビワ(琵琶首)の七郎兄が戦死の報(四月二十二日)。兄はコゴミ取り。

 五月十四日(金)雨
 朝より雷の音が聞こえる降雨はないので厩肥運び馬で九駄。そのうちに雨になった。止んだり降ったり。十時頃やめて、芋蒔き。午前中に全部完了した。午後は青苧(あおそ、からむし、苧麻のこと)掘り、川流畑。雨は肥運びやめると後は降らなかった。□□兄が入隊以来初めて村へ便をよこしたとか家へは来ない。ぜんまい取りはじめる。

 五月十五日(土)曇 天狗神社祭典
 今日は大枝沢天狗神社のお祭りである。朝飯前に旗掛は屋外掃除等、そして一日、農は休業。今日は警防団検閲なので村はなんとなく、すぎない(すげない、、、とは、寂しいという意味)。警戒警報が発令されても居るお□に行く。大芦の菊次兄、□□兄、□□兄三人連れで小野川の不幸見舞といってきた。昭三への小包を作る。今日一日何もせんでいたようだ。休みもうないやろ。

 五月十六日(日)曇
 皆、朝食前にぜんまい取りにでかける。自分はそれらよりちょっと遅く起きて温床こわし等の後、布晒場(のさらしば)畑に厩肥運びが十四駄。天気はこの間からハッキリした天気になってみない 風が強い曇り空である。雲は西よりぐんぐん流れて居る。青苧(あおそ、からむし)を植える鍬の柄を入れる。そんなことが仕事である。ぜんまいはさかりらしい。 
※ぜんまいは山菜で煮た後天日で乾燥させる。

 (略)

 五月二十四日曇、風
 昨日の岩魚、夕と今朝食べる。自分としては初物が生魚だけあってうまい。昨日より天気がぼやけて雨模様となった。早く青苧焼き(からむし焼き)をせねばならぬ。風が出た。灰がとぶ。煙の中をむせむせ下肥振りの全くこんな日はないのだが、どうしても今日やらねばならなくなった。昼食どころか一時頃雨になった。雨は止んだ。風はあるが青苧焼きは終了。

 (略)

 七月二十六日(月)晴。ソバカッチキ山の口。炭焼。

 (略)

 八月十二日(水)曇、風強し。
 地震に午後は村衆大騒ぎ。全く強い地震だ。昼休みは水泳に行ってきて家の光を見ていた。瞬間自分は起き上がったが上より蚕棚のハシゴが落ちてきた。頭にあたった。痛さもかほどではなくキミ子をさげて表へと。土蔵は割れている。□□兄の土蔵は壁が落ちている。表の土が割れて夜は□□氏宅に泊まる。地震被害。土蔵の壁分かれ落ちる。炭窯の倒壊、□□のあれる。石油の流出。庭の亀裂。

 八月十三日(木)午前曇、午後晴、夜雨。震源地は沼沢方面らしいとか。
 宵盆となった。昨日より地震は未だ止まない。朝草刈りに堺沢(さかいのさわ)へ、久方ぶりに行った。薄(ススキ)はとうに穂が出ており、苅敷ではでるばかり。イネは粳(うるち)、関山はだいぶでたようだ。他はチョコチョコと出はじめた。午前は蚕のよどませひろへ、午後はまぶしのわらすぐり。夕方折りはじめる。昨夜電報をよこした昭三は夕方帰る。フデコ、清一(せいいち)が迎えに出る。 
※清一は当時9歳くらい。昭三は福次らの末弟で、学徒動員で茨城県の日立の工場にいた。清一の叔父にあたる。M6.2田島地震。大沼郡尾岐村で重軽傷者6名、土蔵亀裂760棟、土蔵壁落193件、住家壁落5戸。→ 田島地震  → 福島県の地震  → 昭和村の歴史

 (略)

 九月二日(木)麻切終了 青苧終了
 朝 岩下によせ苅りに行ってくる。博士(山)は霧があり濃雲が重なりあっている。雲足ははやい。麻(アサ、種子蒔きの大麻)は乾かすとすぐはげた。今日、青苧ひきは午前中で終わり。麻もキミ子(午前)、フミコ(午後)の御援助によって夕方まで終了。夜はその祝るに粳餅を搗く。畑は新田で今日からくるみとってもよし。その分で午前新田で五升位はもぐ(村人は山の口
)。※キミ子は清一の妹。うるちもち(粳餅)とは、ばんでいもちという。

 九月三日(金)
 二百十日も何もなくすんだ。今大岐は青苧も終わって、姉等とともに新田の麻畑へと入れる草刈りをした。そして午後、義姉□は家の辺の畑の除草。自分と房子は菜種蒔(新田)、午後は鎌の柄を入れ(三丁)。夕方白菜の間引き。□
 夜は明日青校(青年学校)で行□をやるという。五時半小野川校集合でそれへの準備。顔そり。外に代筆。理髪。受信箋二本、善吉兄より比島(七月二十六日附
)※善吉は長兄清次の同級生。麻を引き抜き収穫したあとには菜を蒔き秋遅く収穫する。これがオバタケ菜(麻畑菜)である。

■この日記の最初には福次により肉筆で、次のように五つのことが記されている。

 今年の実践要項

 一、食糧増産の確保(篤農家たらんと)

 一、軍人的精神の修養(義は山岳より重く、死は鴻毛の軽きに比す)

 一、軍人的作進退(軍隊生活の準備)

 一、農村生活今年一年たらんこと暫も忘れずる

 一、寒さに対する習慣的凌ぎ方(冷水乾布摩擦)の実施

 読んでみて気づくことは、福次の戒名が「忠彰院重岳清居士」であること。二番目に「は山よりく」としていること。

■三月七日のページには新聞の切り抜きがはさんである。『愛国百人一首早わかり』という本の広告。

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■大岐の福次の生家は私(博昭)の生家、暮らす家でもある。子どもの頃から座敷の鴨居には靖国神社を背景に二人の遺影が写され、いつも私はこの二人にじっと見つめられている。仏間を改造してから、この遺影は父によりはずされ、祖父母の遺影の奥に納められている。

 その右の男性が福次で丸いめがねをかけている。「福兄は代用教員もつとめ、学者であった」という。また江戸時代後期の当家の大田を開いた重兵衞爺(本名は菊重、きくじゅう。通称じゅうべえ)の働きとともに、私の脳裏に焼き付けられている。福次は昭和十九年十二月三日に中国戦線の長沙で亡くなっている。その日記は小学生の時から私のてもとにあり、あれから40年後のいまようやくそれを読める年齢になっている。

 遺影の左は栄次郎で兵庫県内のヤンマーに就職していて、工兵隊で召集され、三十一歳でビルマのインパール作戦で昭和十九年十一月五日に死亡している。 

   古い墓碑は壊れたため新しくした。墓碑に刻まれた年齢は誤りである。

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2009年5月11日 (月)

エゾハルゼミ鳴き始める

■2009年5月11日(月)晴れ、曇り。23度。そよ風有り。

 今朝、大岐(おおまた集落)の母屋の玄関の外に体長16cmほどのガマガエルが居た。冬眠から出てきたようだ。床下にでも冬はいたようだ。朝の陽を避けるように日陰にのそのそと歩いている。

 父・清一(76歳)は、朝食の時に「何年も生きているマスビッキ(一升枡ほどの大きさのカエル)だぞ。そのままにしておけ」と言う。

 母・ミヨ子(75歳)は、玄関の外に「カナヘビ」が出てきたと言う。

 父は、「カナヘビは家のまわりのアリ(蟻)を喰ってんだから、殺すなよ。それでアリが家のなかに入ってこない」

 春に父が大工仕事で、建て直したトラクターを入れる母屋の前の車庫に、軽自動車を入れておいたが、新しい屋根に小鳥が巣作りをはじめて、ゴミと糞(ふん)がおちはじめて、車は入れないようにする、と決めた。

 ツバメを含む小鳥は、新しい家や小屋に巣を架ける。人が住まなくなったりしたところには巣作りをしない。

■午後1時過ぎ、大岐集落の西裏手にある柳沢峠から昭和村本村の佐倉にある、からむし織りの里に自動車(スバル・フォレスター)で向かった。柳沢峠の小中津川分と、里の駐車場脇でエゾハルゼミが鳴いていた。

 郡山市にある花の仲卸:開成生花の林さんと、近藤さん、花束加工をして量販店納品をしているあさかのフレッシュの五十嵐さんを駐車場で待った。コナラが葉を展開し、尾根付近のブナは新緑があざやかになっている。駐車場から8倍の双眼鏡で山の尾根付近を少し眺めていると、林さんらが駐車場に入ってきた。

 苧麻庵で、ソバを食べながら、本年のかすみ草のフェアなどの取り組み方について打ち合わせをした。ソバ定食には山菜の天ぷらが付き、タラの芽があった。

■柳沢峠はナラ木立がきれいに葉を広げ、峠から東に下りて大岐分に行くと樹種はブナに変わる。峠を下りたところにある川谷沼(谷地・湿地)の水芭蕉は白い葉(ほう)を終え、後背の葉が緑色を濃くして一面に伸び始めていた。林さんらに、大岐地区のパイプハウスのかすみ草の生育等を見てもらった。5月22日の午前に昭和村公民館で会合・産地視察会を持つことになった。またかすみ草の開花時期の6月下旬にあさかのフレッシュの花の担当者らの産地視察会も行う予定にしている。

■5月14日のJFMA鮮度流通販売プロジェクトと、6月12日のMPSセミナー(都内)について松島義幸さんから電話で連絡があり、打ち合わせた。

 クリザールの海下社長、植松さんと昭和花き研究会の採花後の品質管理・前処理の作業手順の高度化について打ち合わせた。

「手」の時代へ

■月刊の花雑誌『フローリスト』(誠文堂新光社)は、2009年5月号で通巻301号を迎えた。5月上旬に、6月号が発刊されたばかり。

 表紙は「手」が主役になっている。

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2009年5月10日 (日)

越冬したかすみ草の芽吹き

カモ類 5羽

■5月10日(日)午後は曇り、22度。

 大田下圃場のパイプハウス建て、6棟。上着は半袖1枚、額の汗が地面に落ちる。尿に出るべき水分がすべて汗で出ている。手のひらの皮が痛くなってきている。肩痛はあるが作業中は無理をしなければ動く。

 午後2時、滝谷川のワンナ沢付近でカモ5羽が泳いでいる。1羽は灰褐色。3羽はオシドリ。

 陽光も雲に隠れ、夕方は土手のタンポポは花を閉じた。

 冬囲いから出た池のコイは瞬発動き出している。

 午後7時30分から会津若松市内の量販店の花売り場を見る。

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ノスリの急降下

■2009年5月10日(日)晴れ。

 朝食後、外は晴れているものの強風が2時間ほど吹いた。

 大田の上の圃場の2棟目のパイプハウスを建てたが、ちょうど10時5分から8分までの3分間、1羽のノスリが飛来するのが見えた。双眼鏡とビデオカメラを持って観察することにした。ワシタカ類の猛禽・ノスリ。トビと同じくらいの大きさながら翼の下面は白い。したがって下から見上げると翼下面の白、扇状の尾羽、両腹部の黒い模様が8倍の双眼鏡だとよく見える。

 奈良布集落のある博士山西麓から飛来したノスリは岩山から北に向きを変え強風に乗って羽ばたかずに新田の尾根づたいにゆるやかな波状に上下しながらワンナ沢で旋回上昇をはじめた。その後、頭上を通過し、かなり高空に旋回上昇(羽ばたきせずにはんしょうせんかい、帆翔旋回・ソアリング)し、新田橋上空から、岩山(岩下山)の頂部に向け、翼をたたんで急降下した。

 このノスリは右翼次列風切羽根が2枚、左翼次列風切羽根が1枚、どちらも胴部に近い場所で、羽根が抜けているので、個体識別に利用できる。

 大岐集落から岩下までの間の山塊に、ノスリ、トビ、ノスリ、、、と営巣域を持つワシタカがいる。そこにカラスが混じっている。

 昨日午後にハウス建て作業をしていた岩下圃場で、岩山森林内でノスリが力強い声で「ピイーッツ」と繰り返し1音で鳴いていたのを思い出した。

 大田の上圃場の2棟ハウス建てが終わり、下の圃場の6棟のハウス建てにとりかかった。今日の夕方までほぼ完成するように作業を進める。父は大田上の圃場に新しいオミナエシを植える畝建てをトラクター耕耘後に施肥をし、鍬を使ってヒラウネ(平畝)をたてた。

 母屋の北側にある池の鯉を出すよう、昼食時に話し合った。

■午前11時30分頃から風は止み、かわって陽光を受けたワンナ沢中流域斜面からエゾハルゼミの鳴き声が一声した。コナラ林はようやくつぼみがふくらみ葉を包んでいるさやが開いたようだ。

■今朝の仕事を終えて8時に家の前の橋を渡ったとき、河床でピピピピピと声が聞こえたが、昼に家に帰ってきたときも声が聞こえるようになった。カジカガエルがぬれた河原石の上で鳴き始めた。6日にセキ上げ(堰上げ)をしているので、水田の耕耘がはじまり、用水路に水が流されると、カエルが終日鳴くようになる。

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ハウス建て続く(大田上圃場)

■2009年5月10日(日)晴れ、うすぐもり。

 今朝6時から大田とよぶ地区でのパイプハウス建て作業。もとは水田であったところを転作してかすみ草を栽培している。昨日までハウスを建てていた岩下の2枚の圃場も水田であったところを転作してかすみ草を作っている。

 大田は、江戸時代に先祖が新たに開田した場所で、それまで大岐地区のなかではいちばんに大きな水田であったことから命名された地域だ。ここに昭和40年代の耕地整理で2枚の水田ができていて、その両方とも稲は作らずに転作してかすみ草にしている。上流側を上、下流側を下とし、境の堤防側に杉の木がある。

 ここから滝谷川に架橋があり、川向こうの左岸(上流から下流側をみて左側)を「新田(しんでん)」と呼ぶ。ここも新たに近世末~明治期に開田したところだ。本来の大岐と小野川本村を結ぶ街道は左岸にあり、大岐から高畠、新田から六部岩、岩下を通り、岩下木地集落からシダミ坂を通り、馬の墓、辻原、五本松、から滝谷川を右岸に渡り、権現様から小野川集落となる。

 スゲの仲間の植物が雄小穂・雌小穂を付けている。野のスミレも咲く。

 ツツドリが昨日と同じところ、かみ・わんな沢付近で朝も6時30分頃から鳴いている。

 土手のタンポポが晴れた日には黄色の花を広げはじめた。

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■↓遠く中央左に丸い山が見えるのが志津倉山(三島町との境界)。その右の三角の山がバラ山(場良山)。

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2009年5月 9日 (土)

ツツドリ鳴く

■2009年5月9日(土)晴れ。

 午後2時、大岐の滝谷川左岸のワンナ沢で「つつどり」が鳴いていた。南洋から渡ってきたカッコウの仲間の鳥。

 今日夕方で、岩下下圃場の4棟のハウス建てが終了した。家向4,高畠9、岩下13の26棟が建て終わる。岩山に太陽が隠れた午後5時以降、日陰となった畑では「蚊」が出てくる。

 パイプハウスを建てるのは、大田8、境の沢多。オミナエシを植える畑も作る。

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晴れへ

■2009年5月9日(土)晴れ、22度。

 事務所に設置するパソコンの整備。11日午前に事務担当打ち合わせ有り(出荷は6月中旬)。

 圃場耕耘・施肥開始。ハウス建設の継続。

■5月11日(月)午後、開成生花林社長ら来村。

 13日(水)午後、ミヨシ本川さん来村予定。夕方・監査日。

 14日(木)JFMA鮮度流通販売プロジェクト(3回目)都内麹町。

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トレード・ダウン

■オーガニックのトレード・ダウン →→→ リテイル・ウェブ

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2009年5月 8日 (金)

無事帰宅

■2009年5月9日(土)

■8日、兵庫県内等の出張から無事帰宅しました。ずっと雨で気温15~20度でした。

 通関を終えた5月13日に東京港にプロコナ・バケットを引き取ることを、今回訪問したプロコナジャパンの米田さんと最終調整をしました。オランダからのバケットの輸入ではたいへんお世話になりました。

 また、レンタル・リターナブル方式の新日本流通のバケットSCLの本年の取り組みについても打ち合わせ、工場等の見学をしました。ありがとうございました。

 スリーブ・段ボール資材を除き、ほぼ本年の出荷容器等に関する手配はこれで終わることができました。6月中旬からの出荷開始に関し、輸送協議を今後詰めるようになります。

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百合特集

■発売になった雑誌『フローリスト 6月号』(誠文堂新光社)は百合特集。マツヤママコトさんの連載第2回目の3ページは母の日など物日の花束加工について書かれている。

■早見俊の文庫書き下ろしを移動旅中に読んだ。

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雨の大阪城

■堀の規模が要塞であったことを思わせる。

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リターナブル

■5月7日午後、兵庫県内の甲子園球場に近い場所にある、新日本流通の倉庫、洗箱工場を視察しました。

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母の日前

■5月8日(金)雨。

 7日、大阪府内の花売り場をTさんの案内で歩いた。

 5月10日が母の日。

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2009年5月 7日 (木)

革新

駆け足で朝から花の現場を見ています。革新的な取り組みが見られました。雨。姫路駅から新幹線で大阪に。午後は神戸、西宮、

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2009年5月 6日 (水)

新緑の国へ

■NHKラジオが、ラジオの特番を終日行っていた。自動車を運転しながら、午前に出演した南こうせつ、を聞いた。話の後に、ギターを弾いてかぐや姫時代の「鴨の流れに」を歌った。ギターはとても上手であった。雨。

 13時55分発の福島空港から伊丹空港へ15時5分着。雨雲で50人乗りのジェット機は揺れたが、無事着陸。機中では佐伯『鉄砲狩り』(光文社文庫)を読んだ。就学前の子どもを連れた家族が4組搭乗していた。 

 とてもきれいな新緑の兵庫県内の高速道をリムジンバスは15時30分発で順調に渋滞も無く90分ほどで17時には到着した。反対車線は連休の大渋滞。こちらの道路は空いていて、ジェット機は満席だが、リムジンは7名しか乗車していなかった。姫路城が駅北口の大通りから見える。

■JR姫路駅も新幹線駅内に在来線が新設され、駅ビルも整備され大きく変化していた。ショップを見た。駅南に宿を取り、姫路生花の田寺常務らと夜に駅北の商店街の手羽先屋の2階で会食をした。情勢をうかがった。

 駅ビルのジュンク堂書店で何冊か本を購入した。北口と南口2階の2店あり両方見た。南口2階は大規模店で、人文棚から、東京大学教授の山下晋司『観光人類学の挑戦 ~ 新しい地球の歩き方』(講談社、2009年1月刊)。旅の仕方が大きく変化している。暮らすように旅する人が増えている。旅の目的が変化する。

 早見俊『よわむし同心 信長 天下人の声』(コスミック出版、文庫、2009年3月刊、書き下ろし)。

 佐伯泰英『密命(1)』(詳伝社文庫、1999年の2008年新装版)

 

 投宿先でNHKテレビのソングス特集を見ながら、

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兵庫県姫路市へ

■2009年5月6日(水)

 福島空港から大阪府豊中市の大阪国際空港(伊丹空港)、そこからモノレール・列車乗換で兵庫県姫路市へ。卸売市場・姫路生花訪問(7日午前)。7日午後は兵庫県西宮市のレンタルバケットの新日本流通本社訪問。

■5月5日の日本農業新聞。岩手県一関市 いわい東 小菊植え体験。 一関農業改良普及センターの千葉美由喜さん。小山浩さん。

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2009年5月 5日 (火)

大岐の笹巻き

■5分。→→→動画 笹巻きつくり

■ 先の記事→→→5月3日の笹巻き作り

飯豊北麓、小国町長者原・小玉川の熊まつり

■ →→→ 熊まつりニュース(山形新聞)5月5日

はたけつくり

■2009年5月5日(火)曇り。

 朝露が多かった。

 父はジャガイモを植えるための畑を作る、という。

 母は家の周りの掃除。雪消え後の整理。

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くもり

■2009年5月5日(火)曇り。

 5月4日は午後、会津地方に気象庁から雷注意報が出された。夕方6時頃に、数滴、雨が降ったが夜は曇りのまま、今朝も曇り。

 大岐地区や小野川地区では水田の耕耘作業がはじまっている。

 畑の仕事はハウス建てが中心だが、雨が降り、それが上がれば、その土壌湿度を見て、圃場の耕耘と施肥、畝たて作業(ビニルマルチ)がはじまる。定植は5月下旬になるが、、、、

■ブナの新緑のある山の隙間に、わずかに白い雪が見える。記憶のなかのこの冬の白い雪も消えつつある。自然の変化、小さな草花の生長、、、、、それも圃場の作業の本格化で、変化が見えなくなる時期に来ている。

■クキタチ菜も終わりに、、、、

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2009年5月 4日 (月)

飯豊山北麓・長者原、小玉川熊まつり

■2009年5月4日(月)曇り。22度。

 朝4時45分に昭和村大岐を自動車で出発。会津坂下、喜多方、大峠、道の駅たざわ、米沢、川西、飯豊町、道の駅いいで、小国町、道の駅おぐに、長者原・梅皮花(かいらぎ)荘。片道160km。8時45分頃着。

 午前10時から開会、対岸の斜面にて、熊狩り・模擬勢子猟。

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道の駅(山形県内)

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会津盆地でのかんがい稲作

■『季刊 東北学』第19号(2009年5月1日刊、柏書房)を読み進めてみると、福島県会津地方の縄文時代・弥生時代の遺跡分布、出土遺物等の調査結果からの考究の進展がいくつか紹介されている。

 明治大学教授の石川日出志「北陸・南東北の変動期~弥生集落の成立状況」は、東北と西日本をつなぐ北陸という視点で、北陸南部の弥生文化形成期をみている。そこで小松式土器とよばれる櫛描文(くしがきもん)を多用し、その下帯に三角列点文を用いること、壺の頸部に刻みを施した突帯文数条をめぐらす、無頸壺が明瞭であることなど、、、の特徴をもっている。

 1961年の小滝利意による会津盆地における縄文晩期末から弥生後期の遺跡立地推移を引用し、会津盆地で弥生中期中葉以後、遺跡の低地進出が顕著になることを取り上げている。会津盆地は平均すれば千分の三内外という緩傾斜の立地環境にあることも水田造成に利するものであり、弥生中期後半に会津盆地各地で灌漑(かんがい)稲作が実際されるようになった可能性が高い、としている。

 北陸南部と仙台平野を基点とする、灌漑稲作を基盤とするふたつの地域文化が福島県域の変動に関与している、というよりも弥生中期前葉から中葉への社会変動がかなり広域にほぼ同時に進行しているという見方がむしろ妥当なのかもしれない、、、という。

■同じ本書で、駒澤大学教授の設楽博己「弥生開始期の社会変動~東海・関東地方の場合」は、再葬墓の分析をしている。弥生時代の会津地方(福島県域)にも多くみられる事象である。寒冷化を伴う不安定な気候変化という環境変動を要因の一つとして、集落や人口が減少し、集落の小規模化や分散居住が引き起こされた。そしてそれが再葬の発達した時期と重なる。

 

2009年5月 3日 (日)

北の東北の受容

■送付されてきたばかりの『季刊 東北学 第19号』(2009年春、5月1日発行、東北文化研究センター編、柏書房発行)は、特集・東北の原像~東北から弥生・続縄文~。

 縄文から弥生移行期の東北の社会と文化、として、藤沼邦彦、斎野裕彦、安斎正人の対談がある。水田農耕を伝えたネットワークとして縄文晩期の亀ヶ岡文化、、、、縄文時代晩期のこの時期、東北地方の土器文様がほぼ同じであったことに立脚しての検討がなされている。この亀ヶ岡文化に水田稲作の情報がほぼ同時期に入り、それを受容した集団、受容しない集団があったのであろうとしている。

 各論のなかで、佐々木由香「縄文から弥生変動期の自然環境の変化と植物利用」は興味深い。

山形県小国町

■明日、5月4日は山形県小国町長者原で熊祭りがある。まだ一度も行ったことがないので、猟師の父・清一(せいいち、76歳)と二人で見に行くことにした。ちょうど天候も雨になるような具合になっているのでハウス建ては一休みする。飯豊山塊の北側なので、会津の反対側となり、片道、自動車で4時間をみている。午前5時に大岐を出発する。10時開始。

 →→→小国町観光協会 小玉川熊祭り

 東北芸術工科大学のブログを見ると、5日は同町の朝日連峰側の五味沢でも熊祭りがあるようだ。→→→ ブログ

 →→→昨年の様子

 これから、撮影用のデジタル一眼レフのカメラ・ビデオなどのバッテリーを充電し、双眼鏡、三脚、雨カッパなどフィールドに出るための準備をして明日に備える。夜は現地の周囲の二万5千分の1の地図を時間をかけて読んでから明日に備える。クマタカやイヌワシが日常的に飛翔する谷である。

■今日、五月三日は、夕方六時までに、岩下上圃場のパイプハウス八棟を建て終えた。k今日は蚊、、、メナグリが出現し、カエルの鳴き声が水田と山際の境界であるママ(崖)で聞こえ始めた。岩下下圃場を四棟、大田上二棟、大田下、境の沢、、と続く。なお、二日に父と弟でバケツ置き場を再建。

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発芽

■4月27日に播種した種子が双葉を出す。

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曇る

■末弟と川沿いの圃場でパイプハウスを建てている。朝から釣り人が4人、遡上。曇りになって太陽は隠れた。カモが3羽、上空を鳴きながら行き来している。釣り人がカモが泳ぐ川に近づき、逃げて飛び立ちの繰り返し。落差溝のポイントで、誰も釣らずに行く。

 20090503dsc09484ブナの花がつぼみから出てきた。

奥会津めぐり

■大芦生まれで東京在住の五十嵐甚さんと奥会津を自動車で旅した。先日の初喜さんの葬儀で再開し、翌日に時間を作った。彼が逗留している昭和村小中津川の昭和館から、からむし織の里、千石沢、大芦、三階山、新鳥居峠(国道401号)、南郷に入り、月田農園に禮次郎さんを訪ねた。カラーの越冬球塊を土室から出し定植前の馴化作業をされていた。この春、雪国にはいないはずのイノシシにユリの根を掘られ食べられた、といい、被害規模を聞くと4畝歩もある、という。それで少し気持ちが弱く、がっかりしている、様子であった。尾瀬にシカが出現するようになってから、伊南川流域でも昨年からイノシシが生息するようになった(大変化)。南郷もブナの花が今年は咲いている、という。

 南郷の山口から駒止峠トンネルを抜け田島の針生、田島の田部の水無川沿いのハウスに湯田浩仁さんを訪ね、デルフィニウムの2年目採花ハウスを見て、新しくなった作業所を見た。町うちの祇園会館で昼食。混雑していた。

 田島街から下郷町の大松川、「お不動さま直売所」に行く。桂不動(かつら・ふどう)に参拝する。樹齢三百五十余年の桂の大きな樹の根元から吹き出している清水を導く樋がカラマツをくりぬいたものにこの春、交換されていて、その写真を四月二十六日に撮影していた地区の男性の写真がプリントされ額に入れられて掲示してあった。この日も、湯田ハルミさんが店番でいて、トンネル向こうの甲子温泉の大黒屋旅館の支配人が夫婦で直売所に来た、という話をきいた。

 お茶とコーヒーをごちそうになって、500円分のセリ、くきたち、葉わさびを購入し、楢原、大戸町、上三寄から会津本郷、北会津、会津坂下から七折峠(49号国道)の坂本のラマへ。休憩ののち、柳津町から三島町、麻生の橋を渡り裏側から西方集落に入り、西隆寺に遠藤由美子さんをたずねる。奥会津書房の編集長は、実家の寺が3日からの鬼子母神祭のため檀家の皆さん、地区の子どもたちが祭り準備をしていた。

 奥会津書房(宮下)を訪ねた後、川口から野尻川沿いに遡上し、野尻の牛首城、野尻集落の大堀などをみて、小中津川の昭和館に戻った。

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母の笹巻き(ササマキ)

■2009年5月3日(日)薄曇り。

 今日、大岐集落内の桜、山桜とも満開になった。平年通り。ブナも葉を緑色にひろげはじめました。今日から博士峠の水芭蕉の杜の直売所が開店しているようです。明日も。若い人が亡くなり祭りは中止になりましたが直売はやるそうです。

 1昨日から村内で親子クマの目撃例が何カ所かであり、松山、野尻等の地区には檻が設置された、という村内の防災無線広報が音声で谷間に流されている。

■五月の節句にはササマキ(笹巻き)を作り、食べる。集落周囲の山野に自生するチシマザサの葉を前年夏に採り乾燥したものを水で戻し、同じように採っておいたイワスゲを縛る紐とする。あるいは湯で煮て戻す。

 餅米を洗い、水を切る。

 笹の葉には表裏があるので、それを確かめ一枚で筒を作り餅米を入れ、もう一枚の笹でふたとなるように折りたたみ、紐を掛ける。一端は長くしておき五個で端を結ぶ。

 このまま、水に浸けてからゆで上げると早くゆであがる。一時間ほどゆでる。

 母・ミヨ子(七十五歳)。一升の餅米で笹巻き四十個が出来るが、笹の大きさによる。動画は数日後に編集し掲載します。

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雪国、陸の孤島

■5月30日午後の鹿児島県沖永良部島和泊での研究会のために、高橋孝代『境界性の人類学〜重層する沖永良部島民のアイデンティティ』(弘文堂2006年)を読み始める。

 往復ともそれぞれの旅程で参加するのだが、赤坂憲雄さん、佐々木長生さん、遠藤由美子さん、そして私。私は28日午後に現地入りして花生産の調査をし、30日午後の鹿児島民俗学会の皆さんとの会合に参加する予定。報告も要請されているので、大岐の風景と雪国の暮らしをまとめる。

  →→→2008年夏の講座

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■鹿児島の所崎平先生からメールが届き、5月末の研究会の様子がだいたい決まってきた。

 

会津学研究会・えらぶ郷土研究会・鹿児島民俗学会 合同発表会(予定) 52日の段階での内容

スケジュール

5月29日 歓迎・懇親会1900~ 唄アシビ(三味線を弾き・歌う) 新納宅 (会費不要)

5月30日 午前中 島内巡検 出花集落(担当 出村)・手々知名集落(担当 喜坂)歴民館・芭蕉布工場・世の主の墓・ターニム田・……

 午後 14001730 合同発表会(ながはま館)

 発表 1 出村卓三「沖永良部島のヌンギドゥクル」のような内容
    2 川上忠志「沖永良部島の妖怪ヒーヌムンとケンムン・キジムナー」

    3 先田光演「バシャ流れ(バシャキバラの解説)」

    4 鹿民から1名

    5 会津側から23

    6 赤坂先生「境界論(落ちぶれた霊)などのような」を分かりやすく60分ほど。

 懇親会 1800~ ながはま館

     あしび踊(手々知名)・ヤッコ(出花)

      会費2000円、4050名参加予定

5月31日 フリー 30日に回れなかった所、各自の帰り便に合わせて決める。

※ ホテルは素泊りで、予約ください。できるだけ、フローラルホテルで。

※ 到着・出発便は、迎え・送りに必要なので、早めにお知らせを。

※ ホテル――フローラルホテル(知名) 0997932111

  観光ホテル 東(和泊)  0997921283

  ホテル・シーワールド(和泊) 0997921234

☆ 30日到着の方は、巡検の途中、時間を見計らって、迎えます。

GAPの取得の意味が無い

■2009年5月2日(日)

 大岐にてパイプハウス建て作業の継続。

■GAPの取得の意味が無い

 4月22日の日本農業新聞の1面トップ記事は、

 ばら売り、PB値下げ
 不況で青果売り場異変
 産地競争より厳しく


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 この1面トップ記事では、

 イオングループのPB商品を企画・供給するトップバリュの山本泰幸生鮮部長が
「PBといえども、価格を一般並以下にしなければ、客に選ばれない」とし、
「安心・安全に取り組む段階は終わり、今後は(小売り、産地が)互いに
利益を取るためのコスト削減策に力を入れる」

と書かれています。
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 トップバリュの農産物(環境配慮商品、グリーンアイ、、、、、グローバルGAP)が一般品以下にする、ということは、野菜等でのGAPの取得の意味が無い、ということを意味しています。それだけ企業として余裕が無くなったということでしょう。

■昨日届いた、NACSJ『自然保護』509号には、

 前代未聞、アブラムシが植物の傷をふさいで治す

 という記事が紹介されている。

 マンサク科の常緑高木のイスノキに、虫こぶをつくるモンゼンイス アブラムシの生態観察でわかったことを、産業技術総合研究所 生物機能工学研究部門の沓掛磨也子研究員が紹介している。

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2009年5月 1日 (金)

ごはん

■福岡花市場の船越孝典氏から電子メールが届いた。

「先日はありがとうございました。お昼もごそうになりうれしかったです。
朝ー、東京から朝御飯なしで出発でしたので、実はお腹もすいていました。
無事夜には福岡に辿りつきました。」

 本年の出荷開始前に生産地にあいさつに来たい、というので、何度も来なくて良い、とお伝えしたなかで、福岡→羽田→新幹線で郡山→レンタカーの往復で彼らはやってきた。正午、12時30分に昭和村を発ち、15時の郡山の新幹線に乗らないと間に合わない日程でのわずか2時間の昭和村滞在であった。

 10時30分に来て30分、販売概況について意見交換をした。その後、大岐地区の2カ所の圃場を生産者たちと一緒にあるった。

 大岐の生産者の二人、照子姉と愛子姉が昼ご飯のおかずを持ってきた。コゴミとワラビ漬けであった。

 大急ぎで大岐の我が家で、いっしょに昼ご飯を食べて散会となった。

■かすみ草は生産者が栽培・切り花して輸送容器の水入りバケットにて都市にある花卸市場に送る。国内18カ所(仙台から首都圏・福岡・沖縄など)。村内では雪を貯蔵して冷房源とした倉庫で輸送車が来るのを待つ。低温車にて卸市場まで輸送する。それが市場で分荷され、購入した生花店等に届けられる。

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初翁、、、葬儀

■2009年5月1日(金)晴れ。

 今日は柳津町柳津の斎場で、昭和村大芦の五十嵐初喜さんの葬儀があり参列した。いまから30年ほど前にカラムシ栽培についての調査・記録映画の撮影について協力をいただいた。当時に共同記録作業をした佐藤孝雄氏らも葬儀に参列した。

 位牌には「初翁、、、、」とあった。93歳(享年95歳)。

 30年前、初喜さんは63歳だったのだ、と思った。僕らは20歳で、初喜さんはそのころすでに白髪で歳をとっていても若い人だと思っていた。

■今日の朝日新聞・福島版に田島町針生(現・南会津町)の岡村健さんによるコラムが掲載されている。「風のままに 南会津雑記25」は「奥会津はどこだ、、、論争こえる文化の胎動」 江戸時代の南山御蔵入が奥会津に重なる、、、ことなどが書かれている。

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浜名湖の風

■たとえば農協の生産部会としてグループを位置づけ(巨視的な営業力と与信管理)、営業提案行為は生産部会の構成生産者そのものが行う静岡県の「浜松PCガーベラ」などが、21世紀型の新しい生産グループとして注目されている。4月18日のガーベラの日を作り、チェーンストア型の生花店を顧客ターゲットとし、スーパーマーケットやホームセンターの花売り場とは組まずに、たとえば11万本のガーベラ特販を青山フラワーマーケットほぼ全店で実施した。

 松井久敏 さん →→→ ガーベラ記念日をふり返って

 →→→ 浜松PCガーベラ

■成功産地には多数の視察者が訪問しているが、同じような組織体でありながら追随者が出ないのは、生産者が営業に出る、ということが本来農民のあり方とは異なる、、、、そうした外営業が苦手だから人に会わないですむ農業に就農している人が多い、、、、あるいは委託販売している専門的な販売者であるべき農協の職員が育っていない、、、、など今後解決しなければならない課題は明確になっている。しかしPCガーベラはいつも自らが行動し、自らが世の中の流れをつくり出そうとしている。プロモーション(販売促進)と生産、、、

■ PCガーベラはメール添付ファイル版の「浜名湖の風」という情報も、昨年から定期的に顧客宛に送付している。4月29日号は、12回目の号となっている。前半には出荷の情報やイベント報告が書かれていて、構成生産者の紹介が後半にかかれている。今回の号は鈴木誠氏が紹介されている。以下にその一部を本人の了解を得て紹介します。

 父の死によってサラリーマンを退職し、35歳で就農し、現在に至っています。

当然営農技術などあろう筈も無く、地域や組織の先輩達に教わる毎日の中、私の恩返し、貢献出来る事は、プロモーション系しかありませんでした。

まずは、数字の把握と解析からスタート、解析する事で、数字は未来も過去も示唆してくれます。一般企業と比較することで、農業の弱点、有利な面が何となく見えてきます。

 私は、日本農業新聞を見ません、農業者のニュースなど、見る価値が無いと思っています。なぜなら、農業は日本最大の保護産業であり、外からの圧力が無く、発展や改革が阻害された環境では、新しい動きなど出てこず、農業者の自己満続の集大成こそ、農業新聞だと思います、農業者はみんな経営者、経営者の見る新聞は日経新聞しか無い、外国との経済戦争に明け暮れる、日本企業の動きにこそ、農業改革のヒントが詰まっており、シチュエーションを替えるだけで、農業のバイブルになります。

 しかし、そんなプロモーションを生かせる絶対条件は、高品質な生産物の提供、とかく、農家は自分の技術の公開を嫌がりますが、私達は、失敗した事例にこそ、高品質生産の近道だと考えます、立派なモノを作った生産者ではなく、失敗した生産者の栽培履歴を精査する事で、それがやってはいけない事、同じ失敗を繰り返す事が無くなり、結果として高品質生産に繋がると考えています。

 また、農家の世界では、栽培の上手な人を崇拝する傾向が強いのですが、それは大きな間違いです。生産者組織が崇める人の条件は、品質基準を守って出荷する人つまり、95%の秀品を作る人でも、98%を出荷する人は間違い、80%の秀品率で、80%の出荷をする人こそ、組織にとって重要なキーパーソンとなります。私達は、その事に気がついたのです、それを実行する事で、共選出荷のモラルハザードを阻止しています。

 私は、今年、部会の役員を辞め、JA全体の花の生産者組織の役員となり、部会の事以上に、JA全体の活性化が命題となります。

 農業者は基本的に、JA(農協)や花市場に出す事で、自分の仕事が完結したと勘違いしており、その発想の転換を図る2年の役員活動となりそうです

具体的には、

 1、HPの立ち上げ

 2、生産者ブログ

 3、環境認証制度への対応

 4、JAの野菜、果実との交流強化

 5、他産地、他品目との交流強化

 6、IFEX、フラワードリーム等への積極参加

 7、共選、個選を問わず、人物を発掘し、メジャーにする

以上のような活動を予定しています

 管内には、輪菊、スプレーマム、小菊、バラ、スイートピー等、全国的に有名な品目が多く、農業者も多度歳々、他品目の生産者とは今まであまり接してこなかった分、どんな人がいるのか、期待いっぱい、きっと有意義な2年間となります。

 良い仲間、良きライバル、良き相談相手に恵まれ、何とか今までガーベラ作りに邁進してきました。これからは、私が今まで経験し、感じた事を、後輩達に伝える事で、アイデンティティーを確立したいと思っています。

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村の暮らし

■5月1日の朝のラジオ福島のニュースでは、南会津郡只見町の水田にトキ(個体番号3)が飛来している、という。

■吉川弘文館が刊行をはじめた『日本の民俗』(全13巻)。その6巻は「村の暮らし」は2008年7月刊。昨日に読んだので紹介します。

 編者は奥会津・南会津を調査している山口大学の湯川洋司さんが「村の生き方」。執筆者は滋賀県立大学の市川秀之さんが「村の場」、千葉大学の和田健さんは「村の変容と存続」。

 1986年の小熊誠「木伏の社会組織」(福島県教育委員会『山村習俗調査報告』)、2003年の酒井淳『会津の歴史と民俗~新しい地域誌のために 上』(酒井淳著作刊行委員会)の南会津郡南郷村木伏の調査事例を湯川さんは引用している。

 昭和村大芦の野びきという、雪が消えかけ大地の一部が見え始めた頃に近隣の人びとが誘いあって戸外で食事を楽しむ行事、も紹介している。村での共同飲食についての考察をしている。生産と生活の双方が共存しない場であってはその意味が薄い、として、暮らしの単位が見えやすい国のかたちを構想するようまとめている。

 和田さんは茨城県内、千葉県内の農村の様子から、農業という生業の活性化とは別の視点で旧来のムラの関係を基盤にできあがるコミュニティがあり、「村の崩壊」という見方は誤りであることを指摘している。農産物の産地の変化について農協共同出荷、そのなかからグループ出荷がはじまることの調査等、直売・産直の運営、農協の広域合併などへの農家対応を書いている。そのなかで、以下のように

 「産直」ということばのひびきは、怖いことに「素朴」という商品価値を幻想として含んでいるものといえるが、しかしながら「産直」は、どっぷり資本主義のなかで編成されている農産物流通の文脈にあるものである。もはやこれからは産地直売をおこなう関係性は農家同士ではなく、非農家である売り手農家との協同性のなかで結ばれる流通の開発が行われるのは自明である。農産物の生産と流通は、農家同士あるいは村のなかの協同性から広く大きな世界へと巻き込まれているのである。流通に関する村を基盤とした協同の関係性は、閉じる仲間内の関係では進められない。農家における出荷流通も当然ながら村を越えた開かれたつきあいのなかで考えることが自明なものになってきたのである(279ページ)。

--------------

■新しい生産部会のあり方が必要になっていて、私は国内にもそうした展望をもって行動を続けている人たちがいることを知っている。

■この数年の農産物の価格低迷は、農民と呼ばれる農産物の生産者の老若にかかわらずに経営的に成り立たずに、将来を見通せないものになっている。そうしたなかで輸出工業が昨年9月以降の世界的な経済破綻のなかで、工業から農業への労働力の移転を政府・地方自治体は主張しているが、多くの農業そのものが経営的に成り立たないことを知らない人がどのような努力により隙間を埋めていくのかは、とても厳しい状況である。

 花を植え、収穫し卸市場に出荷をする、という切り花生産農家は、多くは農協の出荷団体・生産部会を構成している。生産と販売を分離することで規模を拡大し、効率化をはかるものであった。この一括委託販売というのは、農産物の販売額から一定料の販売手数料を、農協・全農(1~5%)と卸市場(9.5~10%)が差し引きし、残りを出荷生産農家の預金口座に振り込む。その場合、共選(きょうせん)と呼ぶ場合には同一販売日の同一等階級を平均価格を求め精算する。農協の経営は、この販売手数料だけでは成立することが難しい。また市場法改正による卸市場の手数料高の低下を希望していたが、それはなく現状維持となった。そのため直売・直販事業を農協は経営の柱のひとつとし、持ち込まれた生産物を直売所で販売する場合には、販売額の10~20%を委託販売手数料としているところが多い。生産者が天引きされる手数料は15~20%と変わらないが、産地から卸市場までの輸送経費と出荷容器代がかからない。

 一人の農園として生産し軒先での直売もし、余剰を卸市場に出荷する生産者もある。また数名でグループを作って出荷販売を共同で行っているところもある。農協(JA)は全国組織・全農を持つ、あるいは県域の経済連を持ち、代金の回収・決済と営業を行っている。規模が全く異なるものが、卸市場で同一品目の競争があり、その商品以外に出荷時期や出荷容量・品質等での競争を行っているのが現実である。

 一般的に、大きな数量を取りまとめる生産部会(農協)は品質にばらつきがあり、個人農園は品質が良いが数量対応と出荷時期の長期化に難点がある、と言われている。そうした卸市場の売る側としての戦略から、卸の産地のなんらかの順列がつけられているのが現状である。買う側は、それとは異なるものを持っていることが多い。

 価格低下がすすむなか、長期継続出荷の生産部会が優先されることが最近特に目立ってきている。そのため産地リレーということは原油高の昨年で崩壊しているところが多い。短期出荷産地、個人生産者ほど経営的に行き詰まってきている。つまり大きな農協生産部会、ちいさな個人・グループにも新しい動きをつくり出す時期に来ており、それが卸市場を除外した直接取引になるのか、地域農協や卸の本来的な機能を生かしたものになるのか、小さな変化が起きはじめているので、注意をして国内を歩いている。

今日は葬儀へ

■2009年5月1日(金)

 今日は午前中、福島県柳津町柳津のJA葬祭での葬儀に参列。

 →→→ 佐藤孝雄氏

■昨日、バッテリー式のドライバーをデイパックに入れて背負い、父は裏山にてカンタケの自生菌を接種してきた。

  →→→ 動画・change band

■4月30日の午前に撮影した博士峠(昭和村小野川)、柳沢峠等の動画→→→菅家撮影

 4月30日に黄金沢出合いでツバメを見た。からむし市に行くために柳沢峠から小中津川に出て佐倉に行ったのだが、小中津川集落が終わったところの水田付近の電線にサシバが1羽止まっていた。東南アジアから渡ってきたタカである。

 雪の消えた山間地ではカケスが2羽、あるいは多数でいることが目立つようになっている。昨年秋に埋めたドングリを掘り出し食べているのだろうか?特に柳沢峠から小中津川上田・折橋に出た水田手前の雑木林(コナラの里山)には10羽以上のカケスがこのところいる。また、その付近の柳沢でカッコウの仲間が1羽、上流に向け飛翔していた。

 博士峠の標高1000m付近では、アカゲラが枯れ木の高みに止まって木を叩くドラミングの音が多く、繁殖期、なわばり誇示、、、、

 柳沢峠の新緑↓

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2006欧州視察

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    2006年11月 JELFA欧州視察の個人写真記録。菅家博昭撮影。

2006年12月冬の沖縄

  • 20061203img_3812
    2006年12月の沖縄県内。花の生産地や街の様子。菅家博昭撮影。

2007年1月から

  • 20070401img_9892
    2007年1月から奥会津などの風景、菅家博昭撮影。

2007静岡カスミサミット東京

  • 20070201img_9619
    2007年2月1日に東京都内・大田市場で開催。

2007年4月から

  • 20070426img_5713
    2007年4月から、奥会津の風景、かすみ草生産作業風景など、菅家博昭撮影。

2007年5月の風景

  • 20070520img_0193
    2007年5月の奥会津の風景、かすみ草生産。菅家博昭撮影。

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  • 20071011ifexdsc02602
    144枚、菅家博昭撮影。幕張メッセ花の展示会。

2007年11月

  • 20071108dsc04006
    2007年10月オランダ、アムステルダムのホルティフェア、アールスメールマーケットでの印刷物資料

かすみ草写真集1

  • 20061010img_3904
    348枚。菅家博昭撮影。かすみ草生産地での撮影。

奥会津の風景01

  • 20060801img_4064
    387枚、菅家博昭撮影。おもに昭和村など。

2006北海道かすみ草サミット写真誌

  • 20060715img_0143
    2006年7月13日、14日。北海道夕張郡由仁町で開催された第4回全国カスミソウ北海道サミットinみなみそらち・ゆに

2006年夏の記憶

  • 20060913img_9418
    2006年の奥会津・昭和村、カスミソウ栽培の風景。菅家博昭撮影。

2006年秋の記憶

  • 20061114img_1169
    2006年秋の福島県奥会津の風景、カスミソウ栽培の様子など。菅家博昭撮影。
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