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2009年5月30日 (土)

百合をまもる島・沖永良部島2

■2009年5月30日(土)晴れ。午前中島内巡検(視察)、午後研究会(和泊・長浜館)。

■2009年5月29日(金)晴れ。24度。
 鹿児島県沖永良部島の南部にある知名の国民宿舎であるフローラルホテルの3階の306号室は、海に面した部屋であった。冷暖房は入れずに過ごせる季節で、風が今日は無いので半袖のTシャツ1枚とジーンズで、夕方、蚊が出てくるので長袖のシャツを1枚持って外に出る。
 地元の天下一という焼酎の蔵元である新納(にいろ)酒造の3代目当主である忠人さんの運転する自動車ホンダ・オデッセイ(7人乗り)をホテルの外にあるベンチに腰掛けて待った。8時45分頃に車は来て、新納さんはホテルロビーに所崎先生を迎えに行った。9時、所崎先生が助手席に乗り、私は運転手後ろの座席に座った。車中で先生から、出来たばかりの2冊の報告書をいただいた。
 『日置八幡神社デオドン(大王殿)再生事業調査研究報告書』(2009年3月発行)と、『くしきの』23号(串木野郷土歴史研究会、2009年6月刊)である。
 知名町役場のある交差点から右折し、商店街を通りすぐ、美屋ストアというところにある駐車場に新納さんは車を停めた。50個、モチを注文する、という。夜にその実物を見ることになるが、「タアモチ」(田の芋餅)と呼ばれる褐色粉がまぶされた長方形(4cm×6cm×厚み2cmほど)のもので、知名町竿津の先間製菓(代表者先間義秀)。2個入りで100円。それを50個と美屋ストアのレジの女性に行っているが、そんなに多くは入荷しないから、製造元に直接言ってくれというようなことを言われていたが、あとで取りに来るから取り置きしておいてほしいと頼んでいた。
 新納さんの交渉を待ちながら間口5間ほどのスーパーマーケット式のセルフ小売店内で、私と所崎先生は店頭の商品を見ていたが、35ミリ一眼レフカメラを首に下げた先生はしゃがみ込んで田の芋の売り切れてしまった箱を撮影されていた。その後、私も小さな手のひらに載るハンディカメラでそれを撮影した。小さなPOPが付いていて、生産者がわかるようになっていた。「生田芋 先間田芋」1kg600円、量り売りします、とある。店頭に桶に入った透明なセロハン包みの小菊の花束と、緑色の葉を束ねたものが売られていた。陳列量が販売量と考えると、
 野菜の種子では昨夜食べた緑色皮の長丸の「とうがん」やゴーヤーがあり、ゴーヤーはポット苗も売っている。昨夜の出村先生の話では、冬瓜(とうがん)は夏秋に収穫しておいたものは風通しのよい床下に貯蔵しておくと1年持つ、という。翌年にそれを食べることもある、という。地鶏を朝につぶして、冬瓜とともに豆腐を入れ、夕方まで煮込んだ料理「トリジル(鶏汁)」を昨夜訪ねた民家でいただいたが、食べるときに細いネギのような緑色の直径5mm、幅5mmほどの刻みネギをかけて出された煮汁を2杯いただいた。骨が付いた肉なので、細い骨に気を付けながら食べ、骨を出して捨てながら冬瓜と豆腐を食べた。鳥類の骨は飛翔するために軽量化されており、中が中空になっており砕くと小骨の破片が多く出る。
 ゴーヤーの苗の入ったプラスティック製の黒いカゴトレーには黄色い紙に手書きで、「沖縄ゴーヤー 180円」と書かれている。
 種子の絵袋の冬瓜は、「沖縄とうがん」(栃木県宇都宮市下栗のウタネ)と書かれている。5列に種子袋を並べられる鉄製の棚は10段あり、それが2基あった。
 白髪の新納さんは昨夜の酒が効いたようで、この店の店頭脇にある自動販売機でお茶の500ミリリットルのペットボトルを1個買ってひとくち飲んだ。昔のようにカラオケに行って歌って夜遅くまでという体力が無くなった、という。
 私はホテルのロビーの自販機からさんぴん茶のペットボトルを1個(沖縄県浦添市 沖縄ユーシーシーコーヒー製)を買ってきていて、それを飲んだ。
 再び自動車で、根折地区にある和泊町歴史民俗資料館に向かった。「れきみんかん」と新納さんは呼んでいる。島内は空港のある北東部を和泊町、南西部の大山を中心とした知名町の2町で構成されていて、人口は約1万四千人。
 れきみんかん、に所崎先生を送り届け、その入口に移築された二棟の木造建家を新納さんの説明で見た。高床式の弥生時代にあるような米倉、それと民家。ネズミを避けるための工夫がしてあった。
 午前中、和泊町役場二階に経済課を訪ね島の農業と花の現況について担当者氏から話を聞いた。事前予約はしていないが、四月に昭和村に来ていたかすみ草販売先でもある福岡花市場の船越さんに島内のことを聞いており、三名の名刺の写しをいただいていた。案内してくれる地元の新納さんにその三名の誰から話しを聞くか相談したところ、まず役場に行ってみましょう、ということになった。もと学校であったという役場の一階の左側の窓口で、名刺の名の人を新納さんが呼んでくれるよう頼んでくれた。女性から男性に話は伝えられ、男性氏が窓口に来て、その人は異動になったので、新しい担当者がいるから階段を上がって二階の突き当たりを左に行くと経済課があるので、そこに行くように言われる。
 そこで話を聞いて、百周年記念碑のある公園、花き流通センター、ソリダゴ生産者と訪ねた。私は縁があり訪問した地域の産業・生業である農業の継続した伝承のあり方や、自ら生産している花の生産・販売の成り立ちをそれを成り立たせている人々がどのようにして地域で意志や技法を伝えてきているのかをいま生きている人々に会うことで調べている。沖永良部島はテッポウユリの球根生産・販売では百余年の歴史を持ち、最初からアメリカに輸出をしていて明治時代から昭和十年代の戦争開始時までそれが続き、敗戦後は米軍統治下で輸出が復活し為替の影響を受ける昭和五十年代までそれが続いてきたところである。三月に訪問した富山県のチューリップと似た状況にある海外の人々と結び会った地域であり、花を作る生業が地域社会に大きな影響を与えている。

 昭和村では古くから苧麻(カラムシ)の栽培について「からむしだけは無くすんなよ」と遺言を残し先人は土に還っていった。遺言による栽培作物の持続システムだ。沖永良部島では、「波が荒くとも百合は捨てるなよ。百合は島の宝」と唄で残しており、皆がそれを歌えるシステムである。後に述べるが歌い手のジューテは時折唄の言葉を反芻して時間をかけて伝えてきた人々の気持ちを振り返る。

 ホテルには夕方に鹿児島空港から到着してきた研究会参加者が集まっていた。晴れて鹿児島からの群島が眼下によく見えたという。新納さんの自動車には赤坂憲雄さん、佐々木長生さん、遠藤由美子さん、渡辺紀子さん(以上会津学研究会)、鹿児島県の資料館の川野和昭さん、私が乗って会場に向かった。帰りは新納さんの先導で、三日月の暗い夜道を歩いて坂を下りホテルに午後十一時に帰着した。
 この夜は知名の新納さんの別荘で30名ほどで交流会が開かれ、三人の男性の三味線、男性の縦笛を聞いた。せりかく(瀬利覚)の「ジューテ」の福山さんとお弟子さんたちだ。別荘はこごめ(小米)にあり、ちな(知名)とせりかくに隣接している。出村先生が福山さんたちのことをいろいろと紹介し、唄の解説もした。ここでエラブのユリの唄も聞いた。
 ジューテは地域の法事・法要にあたる家の行事に出て三味線を弾き唄い霊を、家族を慰める役目で、いわば精神的な地域の柱になる人でその時期の誰もが認める人格者がなっているようだ。だれでもなれない、と言っている。世襲の地域の代表のウヒャーは政治的な代表であろう。
 お弟子さんたちの会話を聞いていると沖永良部島には集落が約四十あり、それぞれにジューテがいたものが、いまは限られた地区になってしまった、ようだ。
 縦笛を地元の竹で製作して吹いた男性は音楽教師を定年退職された方で、お話のなかで、沖永良部島を含む近島には「笛(ふえ)」が無い、という。
 またお弟子さんたちに話を聞いたなかでは、漁網の文化がすくないようであった。魚採りのあみにはアサや苧麻(カラムシ)の繊維などが使われることが多い。鹿児島から来られた研究者氏は珊瑚礁では網は引っかかるので使用しない、鹿児島本土ではアサの繊維で作る、と語っている。
 前夜の民家に集まった若い衆の一人は魚採りをしていて、一人はカギでタコを引っかけて捕る、素手で魚をつかむ、モリで突く、、、、という。
 今夜のお弟子さんたち(五十歳くらい)は、モリで突いて採り、竹で編んだカゴ「てる」に入れて持ち帰る、という。猟師、という職業的なものではなく、暮らしの中で必要な魚を、必要なときに海に向かい、潮が引いた浅瀬イノーで必要な数だけ捕獲するようだ。
 所崎先生からいただいた本の『くしきの』には江戸時代の薩摩藩士(下級武士)の日記の意訳が掲載されており、農業をいとなみながら金貸しもしている様子が書いてあった。そして「大根と粟の種子を同時に蒔く」という記述があったので、夜の交流会で聞いてみた。高度な農法であり、明日また詳しく聞いてノートを作ろうと思う。農民は文字記録を残しておらず、支配階級の武家のなかでも農民に近い文字を書く下級武士の農業・農法の記録が一部残っているのだという。(菅家博昭)

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2006欧州視察

  • 20061101dsc00245
    2006年11月 JELFA欧州視察の個人写真記録。菅家博昭撮影。

2006年12月冬の沖縄

  • 20061203img_3812
    2006年12月の沖縄県内。花の生産地や街の様子。菅家博昭撮影。

2007年1月から

  • 20070401img_9892
    2007年1月から奥会津などの風景、菅家博昭撮影。

2007静岡カスミサミット東京

  • 20070201img_9619
    2007年2月1日に東京都内・大田市場で開催。

2007年4月から

  • 20070426img_5713
    2007年4月から、奥会津の風景、かすみ草生産作業風景など、菅家博昭撮影。

2007年5月の風景

  • 20070520img_0193
    2007年5月の奥会津の風景、かすみ草生産。菅家博昭撮影。

IFEX2007_TOKYO_01

  • 20071011ifexdsc02602
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2007年11月

  • 20071108dsc04006
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かすみ草写真集1

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奥会津の風景01

  • 20060801img_4064
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2006北海道かすみ草サミット写真誌

  • 20060715img_0143
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2006年夏の記憶

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  • 20061114img_1169
    2006年秋の福島県奥会津の風景、カスミソウ栽培の様子など。菅家博昭撮影。
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