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2009年6月 2日 (火)

えらぶゆり:沖永良部島16

■昭和六〇年(一九八五)六月に鹿児島県大島郡和泊町教育委員会の和泊町誌編集委員会により発刊された『和泊町誌(歴史編)』の四七〇ページから「ゆり事情」が掲載されているので抄録してみる。

 欧米諸国においては、キリスト教徒は十二月のクリスマス(降誕祭)と、四月上旬のイースター(復活祭)に、家庭で白百合を飾り、切花・鉢花・庭園、祭礼・葬儀など四季を通じて愛用されている。そうした需要に対して百合根(球根)が居留外国人により輸出が行われた。江戸時代の慶応年間から明治二十二年頃までのことである。

 明治二十三年(一八九〇)から日本人の手により百合根が輸出される。

 明治三十年(一八九七)、奄美大島名瀬村において、百合(球根)の取引が始まる。当時、名瀬村で奄美大島海運を取り扱っていた池畑回漕商店が、山野に自生している百合を採集させ買入した。採集依頼者は横浜植木株式会社、新井清太郎商店、高木作太郎商店、田中幸太郎商店・ポーマ商会など。

 明治三十二年(一八九九)から三十三年(一九〇〇)ころ、鹿児島市生まれの市来崎甚兵衛は、帆船で沖縄と鹿児島や大阪間で黒砂糖や雑貨品の輸送を行い、晩年、沖永良部島の和泊に移住して雑貨店をはじめた。奄美大島の名瀬で山野に自生している百合が高値で売られているのを知り、百合栽培の有利さをしり、島内の和という地域で栽培をはじめる。横浜百番館の英国人アイザック・バンディングと明治三十五年(一九〇二)と取引を開始した。この横浜市山手百番地に営業所を設置しているアイザック・バンディングの仕入主任・伊沢九三吉が沖永良部島に来島し、市来崎甚兵衛が百合を集めた。島内の大里宮元が百合根を芋掘りザルに一杯で四十銭で売れた、との話は一両日中に島内一円にひろがった。島内の大山のすそ野をはじめ、山野の自生百合の採集は盛んになった。当時卵一個が五厘。

 その後、明治三十七年(一九〇四)、英国人アイザック・バンディングは、横浜杉田村の伊沢九三吉仕入主任と沖永良部島にやってきて、市来崎甚兵衛と会う。輸出では、日本からの輸送で球根が傷むことがあり、サツマイモの枯葉を充填剤として梱包する方法を工夫したり、栽培の助言もしている。取引は相対取引。その後バンディングは昭和二年(一九二七)の取引を最後に、カナダに移住している。

 明治三十六年(一九〇三)には、百合栽培者も増加してくる。和泊の隣の喜美留地域ではキビルアンゴとして、国頭地域では国頭根太青軸として栽培されていく。明治三十八年には、沖永良部島内の喜美留、和泊、玉城、和において、百合の栽培、鱗片利用の増殖が盛んになっている。

■エラブユリとは沖永良部島等に自生する百合で、テッポウユリとして販売されていく。島内には形質を異とする自生種をもとに、選抜育種がすすめられ集落ごとに特色がある品種が作出されている。それがキビルアンゴ、国頭根太青軸などである。

 この間、栽培・生産・販売等で様々な経過を経て、大正二年(一九一三)の百合景気、輸出先のアメリカが球根の輸入禁止(一九一八年)などを経て、第二次世界大戦に突入し、百合根の栽培は禁止され、食料増産を強要される時代になっていく。

■昭和十七年(一九四二)、百合根の輸出が出来なくなり、栽培も禁止された。このころ、沖永良部島内では、百合栽培はスパイ行為とか国賊とか言われ軍部の圧力を受けた。しかし玉城の大里宮元、和泊の市来政敏、知名の神川盛重、新山の松吉など(知名の高山守美)、心ある人々が軍の圧力を受けながらも、サトウキビの畑や芋畑、ソテツ山の空き地などの、見つからない場所に百合根の鱗片をまいて、戦時中に、百合が無くならないようにしていた。こうした百合の保護があり、戦後の百合栽培が回復する。

 一方、沖永良部産の百合根(球根)の販売先であったアメリカ(米国)では、戦争により入荷がなくなったことから自国での栽培、品種改良が進んでいく。

■昭和二〇年(一九四五)から昭和二十八年(一九五三)まで、九年間、奄美諸島の沖永良部島は米軍統治下におかれる。昭和二十二年(一九四七)に和泊の市来政敏は沖縄駐留軍農務担当官カトリン大尉と話し合い、軍政官エバレント少佐を動かして、米国のバークレイ商会あてに百合根を直接輸出しようとした。二万球を沖縄に出荷したが、交渉がまとまらずに、沖縄農協連の庭に百合根は野ざらしに積まれたままとなった。知名の高山守美も沖縄に百合根を運び、米国に売る交渉をしたが輸出はできなかった。

 これらのことで、臨時北部南西諸島豊島知事は米国駐留カトリン大尉と交渉したが、「今年は輸出を中止し、百合根は郡内に配布、栽培増殖をさせ来年度直接米国に輸出する」ことになる。

■昭和四十六年(一九七二)十一月、市来政敏顕彰碑が、沖永良部島和泊町和泊の南原(ヘーバル)の市来氏の旧家に近い県道側に、寄付金と永良部ユリ出荷組合により建てられる。

 エラブユリ守りの親 

 市来政敏之碑

 元鹿児島県知事金丸三郎書

(石碑裏面)
 市来政敏は明治二十年和泊字に生まれた。エラブユリ栽培に全生命をかけ、大東亜戦争の悪条件下で球根を死守し、百合生産の土台を作った。

■鹿児島県沖永良部島産のテッポウユリなどの百合球根は、現在は国内の百合切り花生産産地向けとして出荷されている。

 沖永良部島を含む琉球列島弧、、、南西諸島は日本のテッポウユリの原産地である。その球根栽培・販売には最初から輸出の対象として島内で多くの人々が栽培し、いま百年余の歴史があり、フリージアの球根生産をはじめ、切り花ではソリダゴ、グラジオラス、キク類等、新しくトルコギキョウなど草花類の切り花も行われ、台風来襲時を避けた栽培作型が定着している。

 昨年(二〇〇八年)夏に雑誌『会津学四号』(奥会津書房刊)に日本原産ユリのひとつであるヒメサユリ(オトメユリ)の唯一の球根生産農園である南会津町南郷の山口字台の月田農園を紹介した(私の月田農園物語)。月田茂・禮次郎の親子二代がどのように百合の原種を山野から畑に降ろし栽培化したかを詳しく聞き書きした。そのような克明な聞き書きは鹿児島県沖永良部島(和泊町、知名町)ではできなかったが、滞在した四日間には関係する多くの人々に多くの助言を得ました。 (福島県大沼郡昭和村大岐 農業 菅家博昭)

■ →→→ 鹿児島県の花

■沖永良部島内のユリ栽培関連の石碑は、昭和四十六年建立の「エラブユリ守りの親・市来政敏之碑」は、和泊から県道を知名方面に向かうなかで、警察署、花き流通センターをすぎると左手に農協のAコープスーパーがあり、その先にみどり薬局があり、その隣にある。

 沖永良部空港から和泊の間の喜美留の笠石海浜公園がありその入り口に平成十年に建てた「永良部鉄砲ユリ百周年記念碑」と「永良部ユリの花歌碑」(昭和六年、山口禎善作詞)。県道沿い。

 笠石公園の南部に隣接して、県道と海岸の間の喜美留に平成四年建立「発祥の地」碑がある。ここはなかなかわかりずらいところにあります。

 

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