草(コガヤ)が支えた社会
■13日から3日間、ススキ類、、、、大岐ではカヤと呼ぶが、、、特にカヤ(屋根材を総称するのがカヤであるが、、、)のうち屋根材にはボウガヤと、かつて栽培して製繊するなかで発生し乾燥したオガラ(アサガラ、とも呼ぶ)を半分ずつ使用していた。ボウガヤを取得する場所は2ヶ所あり、いずれも個人所有地で1ヶ所は「ボウガヤばたけ(畑)」として畑の転用である。秋に刈り取り6把(ろっぱ)で1束(いっそく)、1ぼっち(カヤマキ)とする。
一方、晩秋に家をカヤで包みフユガキ(冬囲い)にしたあと、翌春雪融け後にからむし焼き(焼畑)の焼草に使用するのはコガヤ。これは「カヤバ」が2ヶ所あり、秋の彼岸後に刈り取り時期が決まっていた。これは6把(ろっぱ)立てで乾燥し、カヤの引き下ろし(2本の棒でそりとする)をした。
日常、馬を飼っており、この飼養するための草は、「朝草刈り場」(まぐさば、馬草場、秣場ともいう・原野)で1頭の馬が1日に食べる料である6把(わ)を最低数として刈り取る。数束多めに刈る、という。人間だと一人3把しか背負えないので2回歩く。馬を引いては6把を馬の背に付ける。伸び始めたコガヤや、谷地草(やちぐさ)のクゴ(kugo)。朝草刈り場は共有地であり誰が刈ってもよい。そして時期が進み伸び出した自家の水田のヨセクサ(畦草)を刈り、馬の餌とする。馬にはフレッシュな朝露がついた状態で刈り取り、食べさせるが、前年に収穫しねりがけして乾燥しておいたイナワラも押し切りでこぎってカイバオケで食べさせる。朝草刈り場は3ヶ所を刈った草が伸びた頃にまた刈るという循環利用をしているが、そのほか、個人で入って刈る場所もあった。
冬用の馬の餌は、9月になり、決められ刈り場が分割されていた「カッタテバ」でコガヤをカッタテをし、5把立て(5把1束)で2週間ほど乾かすと「カッポシ」となり、母屋の天井(屋根裏)に保管し、冬に1日5把(わ)1束分を、馬に食べさせる。「カヤカリはろっぱだて(6把立)、かっぽしはごわだて(5把立)」という。
これら草地には「原(はら)」という名がついていたり、カヤバという呼び名が付いている場合があり、たいがい数年に一度、春に草原が焼けあがることが多かった。そのため、草を採集する野原では、秋にホンシメジ(茸)がよく穫れた。またこの野から8月の盆の花を採集し家の中の仏壇に供えた。オミナエシやキキョウ、百合類である。
■地域での植物の呼び名を優先して表記しています。標準和名と植物自体が異なる場合もよくありますが、地域での伝統的呼称を尊重します。
■朝草刈りについては拙稿『会津学4号』(2009年)の、「私の月田農園物語」に、詳述しています(152ページ~)。




