September 2019
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
フォト
無料ブログはココログ

KANKE/リンク

2006欧州視察

  • 20061101dsc00245
    2006年11月 JELFA欧州視察の個人写真記録。菅家博昭撮影。

2006年12月冬の沖縄

  • 20061203img_3812
    2006年12月の沖縄県内。花の生産地や街の様子。菅家博昭撮影。

2007年1月から

  • 20070401img_9892
    2007年1月から奥会津などの風景、菅家博昭撮影。

2007静岡カスミサミット東京

  • 20070201img_9619
    2007年2月1日に東京都内・大田市場で開催。

2007年4月から

  • 20070426img_5713
    2007年4月から、奥会津の風景、かすみ草生産作業風景など、菅家博昭撮影。

2007年5月の風景

  • 20070520img_0193
    2007年5月の奥会津の風景、かすみ草生産。菅家博昭撮影。

IFEX2007_TOKYO_01

  • 20071011ifexdsc02602
    144枚、菅家博昭撮影。幕張メッセ花の展示会。

2007年11月

  • 20071108dsc04006
    2007年10月オランダ、アムステルダムのホルティフェア、アールスメールマーケットでの印刷物資料

2010年1月

  • 20100131dsc00811
    2010年1月25日~27日、熊本県

2010年02月 かすみ草栽培

  • 20100212dsc00221_2
    2010年2月12日 かすみ草ファンタイムの砂あげ苗のポット仮植作業。撮影菅家博昭。

かすみ草写真集1

  • 20061010img_3904
    348枚。菅家博昭撮影。かすみ草生産地での撮影。

奥会津の風景01

  • 20060801img_4064
    387枚、菅家博昭撮影。おもに昭和村など。

2006北海道かすみ草サミット写真誌

  • 20060715img_0143
    2006年7月13日、14日。北海道夕張郡由仁町で開催された第4回全国カスミソウ北海道サミットinみなみそらち・ゆに

2006年夏の記憶

  • 20060913img_9418
    2006年の奥会津・昭和村、カスミソウ栽培の風景。菅家博昭撮影。

2006年秋の記憶

  • 20061114img_1169
    2006年秋の福島県奥会津の風景、カスミソウ栽培の様子など。菅家博昭撮影。

« からむしひき、はじまる | トップページ | 1箱不足、、、、 »

2010年7月15日 (木曜日)

川口紙

■和紙は、近世金山谷(金山町川口)の川口紙。野尻川下流域の玉梨などが生産の中心であったようだ。その隣接地としての昭和村松山地域の和紙生産がある。

 昭和65(1985)年に福島県金山町が発行した『金山の民俗』は金山町教委の編修。297ページから和紙生産についての記述がある。「コーズ」(コウゾ)の作業が詳述されている。

 畑での生産については、298ページに

 コウゾは当地では山野に自生していないので、畑の周辺(ほとり)に植えたり、桑畑等に混植しておくのが普通であったが、玉梨方面では専用の畑もあった。

■『福島県立博物館研究紀要第24号2010』に松山在住の鈴木克彦さんが「奥会津 暮らしの物語 地域の風土の中で」で奥会津の金山町三条地域での紙生産を聞き書きしている。107ページ「三条の和紙づくり」。

 三条の和紙の原料となる楮(コウゾ)は、本名集落の農家が畑の一部に植えおいたものを利用していた。また、楮の謝礼には漉いた和紙を楮の量に応じて渡していた(略)。昭和30年頃に廃れてしまう。

 鈴木さんは『研究紀要第20号2006』にも「昭和村松山物語 2005年聞き書きから」を報告している。松山地域での聞き書きで、ウルシの実のロウ(蝋)についての記載があるが、和紙についての記載は無い。

■昭和48(1973)年の『昭和村の歴史』(昭和村役場 教育委員会)にも、昭和村での和紙生産は一部しか記載されていない。

 96ページに、元禄七年(1694)「野尻村差出帳」に、米、麻、大豆、小豆、稗、蕎麦、粟、菜、大根、きのこ(特にしめじ)、養蚕、真綿、布、紙 と記載されている。明治六年(1873)の小中津川物産帳(公私摘要)には紙の掲載はない。

 → 7月10日の松山、下根岸の畑のほとりのコウズ(コウゾ)

■会津藩編纂の『新編会津風土記』(文化六年、1809)の大石組の項では、「冬月ハ(略)紙ヲ製シ布ヲ織リ、多ク府下ニ出シテ諸品ニ易ヘ生計ヲ資ク」とある。

 河口村の項には、「紙 近村ヨリモ出ス、中ニモ此村ノ産ヲ最トス、質厚ク堅強ニシテ、合羽ニ作レハヨク雨ヲ堪フ、多ク府下ニ□出ス、俗ニ河口紙ト称ス」

  滝谷組の項には「里民大抵蚕ヲ養ヒ紙ヲ漉キ」。西方村の項に「紙 本組ノ諸村ニテ多ク製ス、此村ノ産殊ニ勝レタリトテ、総テ西方紙ト称ス」

« からむしひき、はじまる | トップページ | 1箱不足、、、、 »

会津学」カテゴリの記事