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KANKE/リンク

2006欧州視察

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    2006年11月 JELFA欧州視察の個人写真記録。菅家博昭撮影。

2006年12月冬の沖縄

  • 20061203img_3812
    2006年12月の沖縄県内。花の生産地や街の様子。菅家博昭撮影。

2007年1月から

  • 20070401img_9892
    2007年1月から奥会津などの風景、菅家博昭撮影。

2007静岡カスミサミット東京

  • 20070201img_9619
    2007年2月1日に東京都内・大田市場で開催。

2007年4月から

  • 20070426img_5713
    2007年4月から、奥会津の風景、かすみ草生産作業風景など、菅家博昭撮影。

2007年5月の風景

  • 20070520img_0193
    2007年5月の奥会津の風景、かすみ草生産。菅家博昭撮影。

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  • 20071011ifexdsc02602
    144枚、菅家博昭撮影。幕張メッセ花の展示会。

2007年11月

  • 20071108dsc04006
    2007年10月オランダ、アムステルダムのホルティフェア、アールスメールマーケットでの印刷物資料

2010年1月

  • 20100131dsc00811
    2010年1月25日~27日、熊本県

2010年02月 かすみ草栽培

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    2010年2月12日 かすみ草ファンタイムの砂あげ苗のポット仮植作業。撮影菅家博昭。

かすみ草写真集1

  • 20061010img_3904
    348枚。菅家博昭撮影。かすみ草生産地での撮影。

奥会津の風景01

  • 20060801img_4064
    387枚、菅家博昭撮影。おもに昭和村など。

2006北海道かすみ草サミット写真誌

  • 20060715img_0143
    2006年7月13日、14日。北海道夕張郡由仁町で開催された第4回全国カスミソウ北海道サミットinみなみそらち・ゆに

2006年夏の記憶

  • 20060913img_9418
    2006年の奥会津・昭和村、カスミソウ栽培の風景。菅家博昭撮影。

2006年秋の記憶

  • 20061114img_1169
    2006年秋の福島県奥会津の風景、カスミソウ栽培の様子など。菅家博昭撮影。

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2011年2月28日 (月曜日)

菅家福次日記:1943年2月28日 春風

■2月28日(日)快晴、四俵。
 晴れやかな春日和である。屋外は暑き陽照る。夕方 朝まで硬い道がぬかるのだ。寒さも減じた。北風だが肌さはりが何やら春風らしくかすめる。今日は出した出炭した。行ったら辛煙、青煙の内に出し初める。口はまさに岩が没せんとして居る。気があせるやうやくのことで夕方彦兄に助けられ ふるふ。

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2011年2月27日(日)曇り、小雨。岩山の雪崩があった。

2011年2月27日 (日曜日)

圃場除雪はじまる

■2011年2月27日(日)

 晴天が1週間ほど続いており、かすみ草のハウス建設予定地の除雪がはじまった。

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↑博士山頂1482m  ↓王博士

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↑志津倉山

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菅家福次日記:1943年2月27日(土)橇(そり)

■2月27日(土)雪
 連日の寒さ全く苦しめられる。今日も切手袋より指が出たが痛さとつめたい。荷造りをし兄貴と一緒に木を運ぶ。荷縄で挽くので肩が痛い。今日は一回切りに道が吹くわる。橇は雪がつく走らない。降雪がある夜は近頃余り降らないらしい。母上も大部全快して炬燵の中で針仕事したとのこと。発信新八君へ葉書一。

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2011年2月26日、福島県昭和村大岐。

2011年2月26日 (土曜日)

菅家福次日記:1943年2月26日 配給と兔食う

■2月26日(金)
 家庭用砂糖清酒の配給。兄貴小中津川へ。積雪は余りなく、降雪甚だし。仕事を憂へて家を出たが幸いして三時頃まで晴れて風はあったが好天気である。窯は朝辛煙で二時頃やっと無理出しする。出炭産量は三俵と七貫目位はあった。夕方は吹雪となり伝暖きは帰り。夜家まで喜八、広、彦氏と共に兔を食ふ。兔は昨夜広兄が山中より買って来たもの。

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2011年2月25日 (金曜日)

菅家福次日記:1943年2月25日 橇挽き(そりひき)

■2月25日(木)
昨日よりは良いが教も吹雪と云って良い。寒さも相当だ。降雪があり風もある。朝荷造りをして木を補道際から挽かうとした一橇はひいて見たが全くひどい目にあった。汗はだくだく、それも牛ごろのを二本きりつけて、昼食後、彦兄の小屋にて大休止。夕方兄貴が小野川に行って来たので、押し挽くして三間ばかり歩く。全く走らない。発信葉書次房子、手紙昭三。

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↑2010年春

2011年のかすみ草栽培計画

■2011年2月25日(金)

 本日は宮城県仙台市へ。

   野尻中向の花の集出荷施設(雪室)の雪入れ作業は2月25日より→敬君

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■2011年の昭和花き研究会のかすみ草の栽培品種集計(新苗)がまとまった。なお7月開花の越冬株については5月の集計(雪消え後圃場調査)で確定する。約20万株新苗を導入するが、前年比で1割減となっている。2010年の早生種中心の品種選定により高温夏ですべて前進開花し一定量の納品ができなかった反省から、気候変動に対応できるように主力品種を早晩性により3種(早生・中生・晩生)を選択して、集約した。

 中生種ベールスター(構成比26%)

 晩生種フォレスト(構成比23%)※10月ロゼット有

 早生種アルタイル・マリーベール・ホワイトベール

■取引先卸に順次訪問し詳細を配布します。

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■送り手は消費者のことを第一に考えるべきなのに、ともすると「良いものを作ること」「競合に負けないもの」を優先させがちだ。だからこそ「店はお客様のためにある」にはあらゆるブランドが立ち返ってみる視点が含まれている、、、川島容子『ブランドのデザイン』(文春文庫、2009)。

 コロンビア、ケニアなどの花の農園を視察してわかることは、自社農園の花束製造のために、カスミソウやソリダゴを自社農園で新たに栽培することが増えているということ。その際の品種も、市場調達品種ではない。卸の統計には出てこない品種がほとんどであり、情報の持つ意味が変わってきている。

  花束用自家栽培品種(たとえばカスミソウ)はジェネリック医薬品に似た機能であるが、実は、電照不要、マイナーリーフ対応など、低コスト・耐病性・対虫性に優れている品種で、現実的な品種群で、土地環境に合った品種が育種されている。Ball Plants (Mirabella Gyp), ボール社のミラベラがそれである。電照不要で花芽分化する・マイナーリーフ(ハモグリバエ等に強い葉)。育種の品質(花の美しさだけから、環境対応型へ)が変化している。そのためPolar bear ホッキョクグマ(CO2温暖化防止)をイメージに使用。中南米とアフリカで躍進。

Mirabella

■山脇直司『公共哲学とは何か?』(ちくま新書、2004年)。地域の農業生産部会は中間集団。どのように「私益」だけを追求せず「人々を担い手」とするのかが課題となっている。市場の論理にすべてを委ねない、、、「人間形成という大きな目的」という道元の道を思い出す(角田泰隆『禅のすすめ 道元のことば』(NHK出版)

先日到着した『季刊 東北学 第26号』(柏書房、2011年2月)の特集は「縄文の河川景観」。岡村道雄・安斎正人の対談。東北北部の円筒土器文化の構造変動など(前期末)が各地の研究者により述べられている。

2011年2月24日 (木曜日)

雪害対応

■2011年2月24日(木)晴れ

 午後、一晩に120cmの降雪があった12月25日の大雪で倒壊した第3集荷所(三島町川井)の復旧について角田亀好さんと相談をする。

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■2月23日午前、大田花きにてドイツのセレクタ・カットフラワーズの担当者(ドイツ、エクアドルより来日)と、大田花きの担当者と海下さんを通訳として2011年の取り組みについて相談をした。日本国の日本人の代理人の方も選任され参加された。宿根カスミソウの新品種パール・セレブレイション、銀河、ブロッサム(これのみ晩生種)。苗生産の拠点はケニアにある。福島県内の生産拠点は今年は3ヶ所に増える。商品は大田花き専売。

 → 大田花き 2010年8月下旬展示

 → 中央花卉 2010年10月下旬

 → 2010年10月20日

 → 6月22日定植 8月20日開花

■2月23日午後、福島県郡山市のあさかのフレッシュ社屋にて花担当者、YB加藤バイヤー、開成生花の林社長・狩戸さんらと、本年のカスミソウフェアのスケジュールや商品規格等について話し合った。次回は4月下旬。

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2011年2月19日昭和村大岐坂ノ上

菅家福次日記:1943年2月24日 猛吹雪

■2月24日(水)
積雪一尺位。意外であった。それは降雪し風強い奈良布原の風、実に言語外。仕事始めよりこんな猛吹雪は三日也。自分と広兄は出炭、外は皆早く帰家せり。全く居られるものでない。口柴切りに丸山に上る。呼吸さへ苦しい位、気温は余り低くないが風にて十位もの寒さを感ずる。夜一貴君に青年団幹部の所物全部引き渡す。

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2011年2月23日 (水曜日)

菅家福次日記:1943年2月23日

■2月23日(火)
朝行く小さな窯は辛煙であり荷造りを少々して木伐りにかかる。補道際の木全部伐り終わる。夕方までは午前は暖かくて春のやうであったが、午後は雪となった。兄貴も今日は少々木を挽いた。仲々長道で容易でない。夜は喜八氏の理髪。新聞もろくろく見ず。予算ばつれ。手紙葉書等書く。受信葉書一、書物、カタログ(書籍)一。

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2011年2月22日 (火曜日)

ジュアカリ

■ → 南山六義民

■新妻昭夫さんが2010年11月9日に亡くなっている。『マレー諸島』(ちくま文庫)の翻訳のほか、新妻昭夫 『種の起原をもとめて-ウォーレスの「マレー諸島」探検』 朝日新聞出版、2007年 ISBN 4861430704(増補版で、旧版.朝日新聞社 1997年、第51回毎日出版文化賞受賞/ちくま学芸文庫 2001年)。

 私は1997年、交通事故入院の1年余、新妻さんの本に支えられた。

 新妻さんは1980年からウォーレスの12年間の足跡を8年かけてたどる取材がはじまり、『マレー諸島』翻訳に着手して、1988年夏に鶴見良行さん、村井吉敬さんらとインドネシアの島々をめぐる航海に参加した。ウォーレスが書いた論文や報告、手紙をそれが書かれた場所で読んでみる、、、、

 赤坂憲雄さんが柳田国男の足跡をたどりながら著作を読んだように、古くは歌枕の地を松尾芭蕉が訪ね、芭蕉の足跡をさらにたどる旅、、、というように。

 時間と空間の統一的把握。文献作業を現地にて探し読み解くという作業もフィールド・ワークになっている。

■河合信和『ヒトの進化 七百万年史』(ちくま新書、2010年12月刊)

 かつて「猿人→原人→旧人→新人」という単純な梯子状の進化図式。今では全く成立しない。猿人のいた時代に原人に当たるホモ・エレクトスが早くも現れていたし、旧人の代表とされたネアンデルタール人の時代にアジアにはなおホモ・エレクトスが生き残っていて、さらにアフリカではネアンデルタール人よりも早くに早期ホモ・サピエンスが活動している。(略)複数の人類種が、時には同時同所的に共存し、何らかの文化的交流を行い、時には空間的棲み分けを行いつつ独自の生き方をしていたが、最終的には彼らはすべて絶滅した。

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蘭 プリースマン倒産

■2011年2月22日(火)

 今朝未明のツイッターで、オランダの花種苗会社プリースマンが倒産した、と報じている。1月末には業界15位の花輸出仲卸も倒産している。

■2月23日(水)午前・都内大田市場内にてドイツ:セレクタ社とカスミソウ新種試作等打合せ(パール銀河、セレブレイション、ブロッサムは2010年に試作)。1月、エチオピアのカスミソウ農園でも栽培されていた。

 午後4時、郡山市大槻町のあさかのフレッシュ社にて今期のYB店頭販促取り組みを協議(開成生花林社長)。

■2月25日(金)午後6時、仙台市内一番町のエルパーク仙台にて花卉商青年部・仲卸青年部等新年会で講演(60分)。

■3月2日(水)18時、昭和村大芦:大芦家。福大生と。

■3月3日(木)午後2時~3時40分、大沼郡昭和村下中津川:昭和小学校図書室にて「昭和村のよさを見直す集会」。①菅家講演「学問のすすめと昭和村の素晴らしさ」 ②卒業祝い「ひなまつりコンサート」(なかよしバンド佐藤+菅家ほか)。

■3月7日刊行の雑誌『花時間』(角川)に「拝啓、花の故郷から」を1ページ執筆しました。奥会津・昭和村のカスミソウのことです。

■3月19日(土)午前10~12時、大沼郡三島町宮下の役場隣・三島町町民センター大ホールにて「第3回奥会津こども聞き書き百選」発刊記念発表会が開催される。主催は只見川電源流域振興協議会(問い合わせ先:奥会津書房)。なかよしバンドの演奏会も依頼有り。

菅家福次日記:1943年2月22日(月)割れない木

■2月22日(月)
積雪は昨夜より三寸で漸次快晴となったので兔狩りには最適日和であったが、出炭が各所で鉄砲の音が聞こえる。全く暖かい日である。今日の出炭も遅かった。木割は割れない木のみでへこたれてしまった。「かけや」はこはれる。木が太い上に「ふし」が多い、性が悪いときて居やがる。母は益々困っている。受信、小野川区長より雑丁年齢検査書在中の手紙。

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2011年2月21日 (月曜日)

菅家福次日記:1943年2月21日

■2月21日(日)
朝、軽き雪が積もって居たが、漸次風となり降雪もひどくなった。昨日の炭を荷造り鋸をすって昼食をし補助焚きに来て木を伐る。仲々の天気だが人通りある日だ。今日も一窯余は伐ったらう。母上が風邪を引き今夜は痰咳で又目まいする等と云ってる。吾が病気をしてねるより嫌だ。受信、昭三より葉書一、房子の所は葉書来る。

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2011年2月20日 (日曜日)

菅家福次日記:1943年2月20日(土)観音講

■2月20日(土)
 朝、坊さんのお務めの御教の声を現に聞かされて思のだ。今日の寒さも寒中と同じで案る。寒き位。木割は困難する。煙土(クド)をつめ過ぎて辛煙が出、夕方になって出す。だが品質は良い。量も重さも最高記録であらう。四俵に一貫目位不足であったかしら。夜は寅吉宅観音講。坊さん泊まる。

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2011年2月18日撮影

2011年2月19日 (土曜日)

知足

■2011年2月19日(土)曇り

 雪雪、千里万里

■知足 → 飯豊の空の下から 2月15日

   → 2月20日・大芦家訪問記

■平成の開国TPP → 中日新聞(東京新聞)社説2月18日

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スローライフ×

ていねいな暮らし◎

MPSデータによるCFP(カーボン・フット・プリント)

■2011年2月17日の河北新報(4段記事、写真)→記事

 エコ香る大輪 バラ農園がCO2排出量表示の認証取得。宮城県名取市の梶農園、山形県鮭川村の安彦園芸。

■2月19日、魚沼・すずきの百合・5カ年の最終へ → 新潟県鈴木健市さん

■岐阜大・福井博一先生のコラム → 小菊、キクの杞憂

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菅家福次日記:1943年2月19日(金)シバ伐り

■2月19日(金) 
 寒き日である。窯の旁らは木がないので奈良布補道余の昨年の新分の木を伐る。あそこより窯まで運ぼうとする兄は過日より風邪引き。窯の加減は見なくてはならず遠方のため困難だ。夕方早く帰って裏山に行き口柴を伐る。夜は勝■氏来訪。種々様々な話しに更ける。

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2011年2月18日撮影。博士山西麓(現・奈良布集落)と山頂。

2011年2月18日 (金曜日)

福井市のソースかつ丼と、雨読晴耕

■福井市内。

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福井県

■2011年2月18日(金)雨

 体調優れず帰郷した昨夕と今日・明日は静養する。

■2月16日(水)福井県福井市。講演は無事終了し、17日朝に帰郷列車に乗車。

 JR福井駅。西、近くに古城堀石垣内に県庁がある。東側山塊の麓に農業試験場がある。コシヒカリを育成した場所だ。その研修センターで花の講演会が開催された。

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菅家福次日記:1943年2月18日 もらい風呂

■2月18日(木)
 今日も出炭に午後。年末頃よりは全く仕事が楽になった。木を割る。出炭の準備をする、そして出炭までの時間唯遊んで居る。「今日は割れなくて腹がへったから昼飯だ」等と十一時であったろう食べた。夕方も早く帰る。そこで丸柴を少々伐る。夜は家衆皆風邪引きなので風呂たてず。広、彦兄等と共に寅吉氏宅に行ったがこれもだめ。

2011年2月17日 (木曜日)

菅家福次日記:1943年2月17日(水)バンドリ撃ち

■2月17日(水)
 今日は窯を辛煙(からけむ)として山遊びにいってこようと思いど彦兄に頼まれて彦兄の炭木を伐る。快晴で全く春日和。朝は酷寒期よりも寒さを感じた位。泣くとこうかそう思った。夕方早く来て丸柴を切らうと思うが駄目。遅くなる。夜善次氏と一郎と三人で「おそばの峯」に晩鳥射ちに行ったが、これも駄目。八時頃帰る。良い晩である。発信、新八君へ葉書、おひまち和尚さん泊まる。

2011年2月16日 (水曜日)

菅家福次日記:1943年2月16日 梅干一個

■2月16日(火)
 寒さ益々温歳征ふ。炭窯の溜水寸時の間は薄氷炭を出すも流汗くないさま。顔はだんだんのぼせ気分が悪い日であった。夜は新聞を詳細に読んだ。感嘆せざるを得ない。昨日リス広兄と焼いて食べる。或々関洋の島の皇軍が梅干一個を配給されて泣いたといふ思い。

石川県金沢市から、福井県福井市へ

■2011年2月16日(水)

 朝、金沢からJR北陸本線で福井駅まで移動。ふくい農林水産支援センターへ。

■2月15日(火)午後2~4時半、金沢市の城跡近くの広坂合同庁舎1階で開催された研修会で講演をしました。近くには金沢21世紀美術館があります(公園をはさんで南側)。

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2011年2月15日 (火曜日)

石川県金沢市香林坊

■2011年2月15日(火)曇り

 昨日、雪を懸念していたため早めに卸入荷調査をして首都圏から金沢市内に移動した。昨日、今日の首都圏のわずか数センチの降雪による交通機関の麻痺の影響を受けずにすんだ。

 映画『武士の家計簿』が昨年末に公開された、その地域に宿を取っている。今日の午後、広坂合同庁舎・北陸農政局にて講演をすることになっている。昨夕、主催機関を訪問し資料をお渡しした。

  今日(15日)午後2時から。講演プロットを昨日の市内散策と主催者打ち合わせで構成を昨夜見直した。

■1月20日からアフリカ向け航空機内にいたが、その機内で見た3本の映画のひとつが『武士の家計簿』である。江戸時代、加賀藩の御算用者(会計係)の物語である。電線地中化された金沢市内の犀川橋の近くに主人公の猪山家はある。今回、その近くに宿を取った。講演会場にも近い。

■雪を警戒して早く金沢市内に到着したので近江町市場を歩いて見た。加賀野菜のほか、百合根が多く売られていた。 伝統野菜が復活する時代になっている。

■明日(2月16日午後)は永平寺にちかい福井市内寮町の農業試験場近くの、ふくい農林水産支援センターに行く。アフリカ帰国依頼体調が悪く、終了後帰郷する。

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菅家福次日記:1943年2月15日 キネズミ(リス)

■2月15日(月)
 朝早目に起きて裏山へ「きねずみ」射ちに行って一匹射って来る。発砲一発、今日は終日寒中なるも稀なる寒さである。雪は降る。相当良好とはいいにくき日であった。炭窯も今日で分目の木はなく出炭しない日となってしまった。夕方早く帰って過日の兔を煮て彦兄を招いて来る。貯金喰丸局へ。

2011年2月14日 (月曜日)

菅家福次日記:1943年2月14日 炭焼き

■2月14日(日)
 今日もたらたら少々雪が降って曇空といふ天気だが、相当何もかも凍ってる寒さだ。今日出炭したが自分が受け持ってからも始めて重量だ。三俵と八九分位あったろう。兄が焼いてる頃二俵半の時が一二度ではなかった。質も良好だが出初めたのは二時位にもなったらう。遅かった。夜は貯金(青規)集金自分はこれまで前別れと云ふわけ。夜喜八試四十二歳祝。祝は母上、小生、清一の三人きり。発信葉書四、房子、昭三、潮文閣。

2011年2月13日 (日曜日)

北陸出張へ

■2月14日より北陸へ。

15日午後2時 金沢広坂合同庁舎・金沢市(北陸農政局)平成22年度花きセミナー。「花のブランド化に向けて」。

 16日午後1時30分~4時 福井市寮町52-21(社)ふくい農林水産支援センター研修館(農業試験場隣)。「これからの花き農家・産地が取り組むべき経営戦略」。

 18日はMPS日持ち保障販売(都内)。

■2月13日(日)午後より上京。

菅家福次日記:1943年2月13日 風邪

■2月13日(土)曇り
 風邪気分が心がハッキリしない。兄は藁仕事で自分一人で木を伐る。二窯余は伐ったらうが仕事に気乗りがしない。面白くない。鼻がつまった。今日の補助たきは、少々ですんだ。朝に三寸ばかり降雪があったが、後は曇空で仕事をするには適し日和。新聞はこないので夜葉書を書く。昭三へ、房子へ、潮文閣へ、青年文化祭集金本請求。

2011年2月12日 (土曜日)

菅家福次日記:1943年2月12日 風邪

■2月12日(金)
 朝は大夫よい天候であったが、漸次変わって午後は雪となった。今日の炭出しは午後遅くであったが荷造り終了。余り汗が出て後で冷寒いと思ったら今夜は風邪をひいたやうで鼻汁が出初めた。夜銃等手入れして、そして善次氏と試発して見る。弾丸四発込める。早く寝る。炭出しは三俵、兄清次と自分(福次)で作業。

2011年2月11日 (金曜日)

全国放送

■2011年2月11日(金)雪

■2月10日(木)18時よりNHK福島・東北、19時より22時までの全国放送は、福島県会津の只見町の雪の量と除雪費が無くなったこと、猪苗代湖畔の郡山市湖南町での高校生による独居老人の居宅除雪ボランティア、会津若松城の雪、、、という放映であった。

■→ フローレ21の小池社長のブログ

 → フローラルコレクション 白ひげ社長

 → MPS松島社長

 → 奥会津昭和村の雪室倉庫

■ナラ枯れ調査批判→農業情報研究所

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菅家福次日記:1943年2月11日 冬に汗

■2月11日(木)
 今日も快晴となった。炭を出す。日窯といっても暑さはすごい。汗流れる。のどのかはくことは又、ひどい。水のうまさ。何でもこのやうなるうまいものはないだろう。兄も今日は行き木を伐る。明日又出す。スピードだ。夕方は遅い。広兄が川口に行って帰る。新聞二日分で仲々読みだてない。もう十一時になる。昨夜も十一時半まで。受信房子より葉書、発送小包昭三へ。

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2011年2月10日 (木曜日)

菅家福次日記:1943年2月10日(水)炭焼き

■2月10日(水)晴れ
 昨日と同じで快晴。何もかも凍てる位。炭を出す。量は大であったが、品質悪。明日又出すやうに加減して来る。今日は天気が不変で全く良き機日和だ。夕方遅く帰ると兄等の夫婦喧嘩。全くあきれる面白くない。昨夜小野川の綱叔父宿る。夜富民を読む。受信富民二月号。製炭三俵。

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2011年2月 9日 (水曜日)

3月に定例会を開催します

■2011年2月9日(水)雪

 昨日まで六日間、小雪はあったものの晴れ間が続いた。今日から雪になっている。里雪で、関東北部、福島県中通りなどに湿った重い雪が降る春の雪である。今日は帰省する子供を迎えに福島市に昼に行き、会津に帰る。

■2月8日(火)午後1時30分から3時まで、昭和村下中津川の昭和村公民館2階視聴覚室で、販売会社である有限会社昭和花き研究会の出資者による総会を開催した。原案通り議事は承認された。

 昭和花き研究会の定例会(月1回)は、雪が落ち着く3月から再開。日時は未定である。作付計画書が出そろったので販売計画をまとめる。

 2月23日(水)に来日したセレクタ社担当者と大田市場内で午前中に打ち合わせすることになっている。同日夕方は開成生花の林社長らと本年の取り組みについての打ち合わせ会が郡山市内で行われる。

 2月25日(金)は、宮城県仙台市内で開催される宮城県花卉商業協同組合青年部新春講演会で講演する予定です。18時30分~エルパーク仙台。

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2011年2月8日撮影 大岐坂ノ上圃場

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↑王博士山頂部のブナの霧氷

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↑昭和村大岐(oomata)  ↓滝谷川

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菅家福次日記:1943年2月9日(火)ウサギ狩り

■2月9日(火)
 今日は出るかな、、、、と行ってみる。出ないのだ。晴天であるから全く兔狩りには最適かなと善次兄と一緒に「上畑」を上って行った。兔の跡は桧はらの上からあれより下には一寸もなし。跡を見付けると天候が変わった。全く悪天候。兔が暗くなったのかと思ったのが走り出して居る。やっと一匹とって来る。善次氏がうつ。自分は「もも鳥」一匹、銃砲不発でまたしても兔山鳥を逃がしてしまふ。夜は寅吉氏の四二年祝。夜の仕事、昭三へ小包造り、兔皮むき。

■(解説)炭小屋に炭出しに行くが焼けておらず、炭出し仕事ができない。それで天気も良いから博士山西麓の黄金沢左岸の上畑(うわはた)に狩猟に善次兄と行く。ハタヤマと呼ぶ場所はブナ林である。国有林であり、戦後カラマツが植えられた。そのハタヤマには近世(江戸時代)木地屋集落が営まれ現在も墓石・住居跡が森林内に残されている。ハタヤマの標高上部がウワハタ(上畑)である。黄金沢(オゴンザア)左岸の桧原(ひのきはら)より標高の低いところにウサギの足跡は無い。寒い日は高標高地にウサギは集まっている。茨城県日立の軍需工場に動員されている末弟・昭三に送る小包を造る。大岐の寅吉氏の四十二歳の祝。

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2011年2月 8日 (火曜日)

切り花の輸出

■→ 白川さんの仕事

■2月7日(月)矢ノ原高原除雪隊  → 敬君  →立川さん

■→ 魚沼の雪

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菅家福次日記:1943年2月8日 廻戸

■2月8日(月)雨、雪
 九時頃帰途につく。スキーだから廻戸を通って帰る。そして炭小屋へ行く。大気はだんだんよくなる感があった。夕方になって又降り始める。出る方も遅かったが荷造りまで行って又明日出すわけにして来る。夕方遅く帰る。

■(解説)夏冬の歩いて通う道は、岩下から辻原、五本松、権現様、小野川と現在言うところの丘の道、滝谷川左岸の旧道を行き来している。昭和四〇年代の冬期間までは雪道は旧道を歩いていた。戦後の電線は旧道に沿っている。しかしスキーだから滝谷川右岸の河谷平野の水田上を岩下まで帰っている。廻戸(まっと)とは川が蛇行する場所で上(かみ)と下(しも)がある。炭焼きをしている場所(炭小屋)で仕事をしてから大岐に戻る。

2011年2月 7日 (月曜日)

菅家福次日記:1943年2月7日 雪の花

■2月7日(日)
 吹雪。青年団役員引渡しが一時から開催される予定だが二時半頃になった。そして新団長より部長の使命があり自分は興亜(?)部長となる。終わって慰労会。暗くなり風が強く雪も少々ふる。吹雪が学校より。九時頃行って泊まってしまった。昨夜は雨であったので木の梢は雪の花。

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2011年2月 6日 (日曜日)

来週(14日~)は出張

■2011年2月6日(日)

 雪は降らず、小康状態。

■2月14日より北陸へ。15日午後2時 金沢広坂合同庁舎・金沢市(北陸農政局)平成22年度花きセミナー。「花のブランド化に向けて」。

 16日午後1時30分~4時 福井市寮町52-21(社)ふくい農林水産支援センター研修館(農業試験場隣)。「これからの花き農家・産地が取り組むべき経営戦略」。

 18日はMPS日持ち保障販売(都内)。

■週末に作成し、15日、16日の予稿送付。

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菅家福次日記:1943年2月6日 炭焼き

■2月6日(土)東風強 曇
 兄が木伐り僕は窯の出し方を受け持って行ふ。出すときの暑さ全く七月土用のやう汗が流れる目に入る。昼前に木を入れ終る。昨日兄が木を割って置いたので自分も朝の内は木を伐る。荷造りを早く終えて夕方兄の伐った木を全部運ぶ。橇(ソリ)の走る日だ。夜は武君。

■(解説)長兄・清次と、炭焼き作業。

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2011年2月 5日 (土曜日)

菅家福次日記:1943年2月5日 学芸会と日食

■2月5日(金)小雪
 学芸会の開会は九時といふわけであったが、■餅のせいか集まらぬ。十時開会となった。出演者は気分の良いほど真剣だが、現方聴方々が悪かった。子供ががやがや強く目録は三十二番まであって四時四十分閉会後、スキー面白い程走る。今日は進行をやる。乾曇って居て日食見ること能ず。発信葉書、兄受信星氏出征、昭三に手紙一。

■(解説)小野川の学校で青年らによる学芸会が開催された。大岐からスキーで行き来。この日は皆既日食があったが見られなかった。

 →皆既日食1943年2月5日午前  →写真

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2011年2月 4日 (金曜日)

菅家福次日記:1943年2月4日 豆まき

■2月4日(木)雪
 窯の具合が良かったらか量も大で三俵半という大記録を作った。兄貴も行って木を伐る。夕方は早く帰る。節分で豆撒きが例年通りに行われ。明日よりは春で光陰矢の如く。夜彦兄の家に遊びに行って来てより読書。新聞、家の光(小説)。

■(解説)山で炭焼きを続ける。集落内で豆まきがあるので夕方早く家に帰る。

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2011年2月3日撮影。奥会津・トウホクノウサギの足跡

2011年2月 3日 (木曜日)

晴れの冬

■午後、村の診療所に通院。村内は晴天。

■3間のハウスが雪に埋もれていた。積雪は3mを超えている。↓昭和村大岐の坂ノ上圃場

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菅家福次日記:1943年2月3日 スキーを履き小野川へ

■1943年2月3日(水)曇、小雪
 朝食後すぐに、一郎君のスキーを借りて勝四郎君と共に小野川校に行く。舞台作り何の芸もやらずなので全部小野川の青年に委ねて御客様位。良い骨休めとなってしまった。午後等は二階の火鉢の端を離れず友達と話しを語る。昼食は中島に寄り御馳走になる。夕方帰る。夜は新聞と家の光等の読書する。受信葉書二枚。製炭(炭焼き)は兄の清次。

■(解説)大岐村内の一郎のスキーを借りて装着し、勝四郎と一緒に小野川に片道4kmを行く。5日の学芸会の準備をする。昼食は出征した新八宅である小野川本村の中島で食べている。

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2011年2月3日、菅家博昭撮影。博士山

2011年2月 2日 (水曜日)

菅家福次日記:1943年2月2日 炭三俵

■1943年2月2日(火)快晴
 今日は雪かと思ひど意外、快晴となった。昨夜の積雪五寸位。窯は思ひ通り燃たり。量と云へ質といい正窯以上なり。三俵と一貫程。自分が出し初めてより初てなり三俵突破は。帰宅すると、宗七君より手紙きて居り、五日学芸会開くと決定と。明日準備に青年生全は勤て召集する由。夜、勝四郎君に伝言に行き長居する。受信手紙(青年学校)

■(解説)朝15cmの積雪だが快晴。炭焼きは順調で三俵が出て喜んでいる。小野川から手紙があり青年学級の学芸会が行われる。その打合せで大岐村内の勝四郎宅に行く。

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2011年2月 1日 (火曜日)

ホクチダケ、カツラの葉の抹香、こうばこ

■昨日、只見町の会合で話題になったホクチダケ、カツラの葉の抹香、コウバコ(香箱)。

 → 月田農園

 → セット

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見事な雪の只見町

■2011年2月1日(火)

 原稿を書く一日。

■1月31日(月)は只見川沿い道路を遡行し只見町只見に。昭和村の雪からみれば倍ある積雪量、電線に届きそうな積雪深。見事な雪である。2月は奥会津各地で雪まつりが行われる。途中、金山町等では道路中央から噴水する消雪道路の側溝排水がつまり推進50cmくらい冠水している場所も多く、近隣の民家はたいへんのようでした。

 午後1時より4時まで奥会津大学の講座があり、その後、実行委の皆さんとの懇談会が5時まであった。私は「地域の調べ方」を担当しました。夜8時に帰宅しました。

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↑圧雪道路。↓消雪道路

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雑誌:農耕と園芸1000号

■月刊誌『農耕と園芸』は、2011年2月号で創刊より1000号となった。大正15年(1926)の創刊で、83年。

 縁あって、大田花きの宍戸純さんと往復書簡を今号も担当している。85頁。花事放談第13回「生産性と採算」。

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菅家福次日記:1943年2月1日 あかぎれ

■■1943年2月1日(月)雪。
 積雪五寸ばかりあり降雪時々猛威。炭を出し三俵荷造す。明日も又出さんと欲して夕方昨日伐りし木を運ぶ。十分に口だきをなり出し。炭出しは午前中。夜は種々話し後、宗教問題を。なも寒き益々牛の荒れは益々で今日は赤切れになやまされる。

■(解説)1寸は3cm。15cmの新雪があった。一日中山の炭小屋で仕事。赤目(白炭)3俵出し、木を運ぶ。手などが凍傷(あかぎれ)になってきている。夜は宗教問題の話しをした、という。

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閉じた目にしか見えない自然と社会

■1970年頃、日本列島の中央部 岐阜県の中津川でフィールドフォークという活動が笠木透らによって行われていた。

 『THE FIELD FOLK vol.1 FROM NAKATSUGAWA』 というアルバムのA面7曲目、最後が「私の子供達へ」という笠木透作詞・作曲のものである。

 高石ともやは『ザ・ナターシャー・セブン・107SONG・BOOK・シリーズ VOL.7 山と川 フィールド・フォーク編』で、この曲をA面6曲目、最後に入れている。1977年10月17日録音。この時には「私の子供達へ ~父さんの子守歌」とサブタイトルが付いている。同封のソングブックには次のようなコメントが付いている。

 1973年8月、めずらしく笠木透さん自身の作曲です。彼自身動きまわっている人で、きちんと夕方に帰る人ではない。ある日、夜おそく帰ってみると4つになる彼の子がフトンからはみ出して眠っていた。それを見るうちにこの詩が湧いてきたといいます。「お前ら何人愛してもいいし何回結婚してもいいし何人子供をつくってもいい。だがその子が大きくなった時代のことを考えられるように生きとれよ」カムトゲ座はじめ彼の周辺の若い物達に言う笠木さんの口ぐせのひとつ。

   アフリカを旅していると、1980年当時に結成したばかりのなかよしバンドが歌ったこの「私の子供達へ」が、いつもあった。

 生きている君たちが

 生きて走りまわる土を

 あなたに残しておいて

 やれるだろうか 父さんは

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素朴なアフリカのユリ

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竹の道具

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道具、道具入れを作る

■アフリカ

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植物の茎、竹のような繊維を裂いて束ねてホウキになっている。この農場だけでみた手作り道具(ナイロビ)

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エチオピアのかすみ草栽培

■→ 2011年1月22日菅家博昭撮影。

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