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KANKE/リンク

2006欧州視察

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    2006年11月 JELFA欧州視察の個人写真記録。菅家博昭撮影。

2006年12月冬の沖縄

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    2006年12月の沖縄県内。花の生産地や街の様子。菅家博昭撮影。

2007年1月から

  • 20070401img_9892
    2007年1月から奥会津などの風景、菅家博昭撮影。

2007静岡カスミサミット東京

  • 20070201img_9619
    2007年2月1日に東京都内・大田市場で開催。

2007年4月から

  • 20070426img_5713
    2007年4月から、奥会津の風景、かすみ草生産作業風景など、菅家博昭撮影。

2007年5月の風景

  • 20070520img_0193
    2007年5月の奥会津の風景、かすみ草生産。菅家博昭撮影。

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  • 20071011ifexdsc02602
    144枚、菅家博昭撮影。幕張メッセ花の展示会。

2007年11月

  • 20071108dsc04006
    2007年10月オランダ、アムステルダムのホルティフェア、アールスメールマーケットでの印刷物資料

2010年1月

  • 20100131dsc00811
    2010年1月25日~27日、熊本県

2010年02月 かすみ草栽培

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    2010年2月12日 かすみ草ファンタイムの砂あげ苗のポット仮植作業。撮影菅家博昭。

かすみ草写真集1

  • 20061010img_3904
    348枚。菅家博昭撮影。かすみ草生産地での撮影。

奥会津の風景01

  • 20060801img_4064
    387枚、菅家博昭撮影。おもに昭和村など。

2006北海道かすみ草サミット写真誌

  • 20060715img_0143
    2006年7月13日、14日。北海道夕張郡由仁町で開催された第4回全国カスミソウ北海道サミットinみなみそらち・ゆに

2006年夏の記憶

  • 20060913img_9418
    2006年の奥会津・昭和村、カスミソウ栽培の風景。菅家博昭撮影。

2006年秋の記憶

  • 20061114img_1169
    2006年秋の福島県奥会津の風景、カスミソウ栽培の様子など。菅家博昭撮影。

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2011年6月30日 (木曜日)

2011年6月 かすみ草 出荷量前年比 40%

■2011年6月30日(木)

 本日、午前8時より、三島町川井(第3集荷所)で目揃会を開催します。なお、同役場広報誌担当より出荷開始の取材があります。

 岩手県内で今週末に311津波で婚礼を行えなかった被災地での婚礼装飾用に昭和花き研究会のかすみ草を提供送付いたしました。また7月16日に世田谷で開催される被災地支援の催事にも昭和花き研究会はかすみ草を提供いたします。

■6月が終わる。前年比40%の出荷量でした。

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■7月1日(金)販売は269箱と同量。注文数84箱。10社(仙花41、福島13,宇都宮13,郡中12,埼玉12、柏5,世田谷13,板橋28,大田61)。7月11日(月)より沖縄、福岡、広島、姫路、名古屋を開始する予定です。

 注文染め104箱

 スノーベール80箱↑(第2、第3)

 アルタイル14箱↑(第2)

 ホワイトベール1箱↑(第3)

 マリーベール5箱↑(第3)

 ホワイトロード10箱→(第1、2)

 メレンゲ60箱→(第1、2)

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2011年6月29日 (水曜日)

かすみ草記事掲載

■2011年6月29日(水)

 1週間、雨が続いています。

 定植したかすみ草が腐ってしまうため(露地雨除け、開花時期にビニル屋根を被覆)、すこしづつ屋根ビニルを被覆して降雨から、定植苗を守っている生産者が多くなっています。今後、斑点細菌病も多発してきます。

■6月28日、日本農業新聞7面(流通経済面)に記事が掲載されました。24日の午後に記者氏が来村され取材されたものです。

宿根カスミソウ 七夕向け品薄 7月上旬まで堅調 小売店・産地、日程を変更(8段記事、写真、図有り)

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喰丸一戦之事と栃尾沢城(1525年 中津川郷)

■大正12年に大沼郡役所から編集・刊行された『大沼郡誌』は、福島県の会津地方西部の大沼郡域の歴史文化をまとめた712ページの大冊である。昭和47年に東京の名著出版から復刻版が500部出ており、それが古書店等で1万円ほどで流通している。また会津地方の図書館等でも閲覧は可能であり、ウェブ等でも内容は公開されている。→近代デジタルライブラリー

 復刻版で587ページ(デジタルライブラリーで310ページ、そして311ページ

 これは、「喰丸(くいまる)一戦」で、大芦村に掲載されている。昭和2年に合併するまでは大芦村と野尻村であった昭和村の喰丸は大芦村に属していた関係からである。

 両原聚落(当時はいまの場所ではなく古屋敷と呼ばれた上流域に原聚落があり後に移転)と喰丸聚落の間、喰丸峠のタテノコシ(舘の越)に、南会津田島(南山勢長沼氏)から舟鼻峠を二百騎が襲来し拠点として、喰丸等が戦場になった、というもの。その後、一時田島に撤退したが、再び長沼勢は野尻まで侵攻したが敗退している。そのことを書いている。

 『大沼郡誌』では、喰丸の陣場という地名、畑より鏃(やじり、縄文時代のものと思われる)出る、野尻中向の八幡に塚が五個有り、左近塚(長沼氏の家来)という、、、という大正十二年当時の伝承を付記してまとめている。

 昭和48年に昭和村が刊行した『昭和村の歴史』では中世の章で会津若松市の当時・会津史学会長の山口孝平氏がこの「喰丸一戦之事」について資料の存在をあげ、内容を一部紹介している。

 (55ページ)近世初期、おそらく元和年間あたりに、野尻山ノ内氏の最後の領主だった、山ノ内実勝によって書かれたと思われる文書(「喰丸一戦之事」)の写の中に、野尻山ノ内氏のその後のことと、戦国期の軍事的組織を記しているので付記しておこう、、、、、、

 として、後半部分の書き下し文を掲載している。課題は前半部分である。

 (44ページ)には大永五年(1525)、田島の長沼勢が野尻領に兵を出し、野尻勢と喰丸の猿舘で合戦したとき、、、(略)栃尾沢城に拠って奮戦し、長沼勢を走らせている、、、、、

■走らせている、、、というのは敗走することである。

 昨年から私が問題として調べているのは「猿舘(さるだて)」の場所、「栃尾沢城」の場所である。国有林の施業図を森林管理署から求め、調べたところ、「猿舘」の位置は、下中津川の気多渕にあった。「おあたごさま」である高舘山の稜線伝い北方である。志津倉山の南麓。

 そして、「栃尾沢城」について現在調べている。まず「喰丸一戦之事」の所在調査は、野尻山ノ内氏の子孫が旧・南郷村におられるので、山口・台の月田禮次郎さんに依頼していたが、6月中旬に電話連絡があり、その文書は不明との連絡であった。

■現在の南会津町田島には中世・長沼氏が拠点を構えてたびたび峠を北に越え侵攻していた。ひとつは現在の会津若松(当時・黒川)の芦名領への出兵で、野尻領に侵攻する4年前に下郷町大内(現在は宿場保存地区)から会津美里町(旧・本郷町)に入り、聚落を焼いている。

 『田島町史』第1巻 昭和60年(1985) 261ページ
大永元年(1521)、長帳は、「みなみの山勢桧玉に入り、ことごとく焼き候、皆々打死つかまつり、一騎も返らず候」「4月26日、屋形(芦名盛舜もりきよ)さま南の山へ御馬を出され候、5月上旬に御父いたて(伊達)よりして、御扱いにて御馬を入れられ候」とある。桧玉村は近世の福永村で、長沼勢の特攻隊のような一隊は大内から峠を越して桧玉村まで出て来て民家を焼き戦を挑んだ。芦名方の対応は早く、長沼勢一騎残らず討たれた。これが4月20日前後で、26日には盛舜は大内峠を越して南山へ侵入した。このしらせを聞いた伊達植宗(盛舜の妹を妻とする)は和睦を斡旋して芦名勢を返させた。(略)
 この戦闘が長沼氏が芦名氏に対する抵抗のはじまりで、この後たびたび小戦闘が行われる。大永四年(1524)には「旧事雑考」だけであるが「南山平らぐ」がある。

■さて、会津若松市内にある福島県立博物館の中世(歴史)担当の高橋充さんにお願いして、この「喰丸一戦之事」の所在がわかった、という連絡を受けてその原本(写)を閲覧することができました。私は、現在、体調不良で病院への通院・検査をしており、そのなかで、この資料のことを考えています。6月28日、病院の待合室で半日考えて、ひとつわかったことは、「栃尾沢城」とは「途中沢城(牛首城)」で現在の野尻にある、ということです。

  大正12年の『大沼郡誌』は、その時点での理解で補正しながら書かれたことがわかり、この時点で栃尾沢城を牛首城と表現しています。昭和48年の『昭和村の歴史』は表現そのまま栃尾沢城と表現しています。現在の地図には途中沢・途中山という記載になっています。また書いた人は中世末の野尻山ノ内当主ということで、山ノ内氏は当時、1400年代に牛首城と表現されているものを栃尾沢城と呼び、伊達侵攻により廃絶したものかもしれません。(以後、加筆します)

2011年6月27日 (月曜日)

雨天続き、数量減少へ

■2011年6月27日(月)雨

 雨天続き。昨日は大雨でしたが、洪水にはいたらずに済んでいます。日照量が無いためカスミソウは咲きません。水曜販売分は減少し、明日出荷します。

 雨が続き、高湿度のため、染色も苦労しています。

 今日は受診のため、来村された大田花き・花の生活研究所の内藤さん、かどのさんは、敬君に雪室案内、赤木さんに案内をお願いしました。明日も検査で通院です。

■文化とマーケティングの関係 → 法政大・小川教授

■カスミソウは少量ながらアルタイルが第2地区から出荷がはじまり、この27日(月)の価格は高値で170円でした。

■29日販売で6月分は終了です。前年6月末での数量を本年と比較すると、出荷は前年比40%となっており減です。

2011年6月26日 (日曜日)

らい Rai

■奥会津・昭和村の大岐で父上ら世代は「らい(雷)」とよく言う。「らいさま(雷様)」の「らい」。

 たとえば「今日は、らい、でっつお」(今日は雷が出るぞ)。

■2005年に武蔵大学人文学部 日本民俗史演習『鹿沼市見野の生活と伝承』(2006年発行)の12ページ。

 あらしよけ 現在では4月10日に行う。昔は4月の中頃に行われていた。農作物が嵐やライ(雷のこと。この地方では普通ライという)、ひょうの害にあわないように行われる。

■栃木県鹿沼市は野州麻の本場で、夏のアサの収穫後の乾燥は、雷雨とのやりくりであった。それは奥会津・昭和村でも同じである。ライとアサは関連している。

つねのコトバ

■近世、いわゆる江戸時代、会津地方西南域は金山谷とよばれ三島町・金山町・昭和村等、つまり奥会津と重なる地域を言っている。

 村人たちの暮らし(民俗)をまとめた『金山谷風俗帳』には、「常の言葉」(つねのことば)という、土地で話されている言葉も収録されている。

 常(つね)、つまり、日常の言葉である。優れた表現である。

■先日、農作業の途中、軽トラックで仕事場に移動しているときに、畑仕事をしている2名の男女を見守る杖をついた老翁がおられた。小中津川に五輪の石塔があり、その近くだったので、私は車を停めて初対面の老翁に名乗ってから話しを聞いた。

「おおまたの、ひろあきといいます。ひとつおしえてください。あそこの石の五輪の塔はなんですか?」

すると老翁は笑顔で即答された。

「にわとり抱いて、ほういんさまが、のまりやったあ  だわ」

常の言葉で、そして敬語であった。

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2011年5月28日 菅家博昭撮影(昭和村小中津川)

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こぶがはらさま、野州麻

■奥会津一帯には中世の山城関連施設(烽火台等)と聖なる場所である「おあたごさま」が重なり現在まで維持されている。おあたごさま、がその土地の防火神であり、また村人を救う地蔵様なら、明治期以降に外来の防火神となっているのが「こぶがはらさま」である。

 栃木県鹿沼市にある古峰ヶ原、古峰神社は聚落の春の総会等で代参者が決められる。また聚落内に石塔(石柱)の御札納めを持つものも明治期以降に設置され会津各地に存在する。

■栃木県鹿沼市が発行した鹿沼市史編さん専門委員会編集『かぬま歴史と文化』第3号(平成10年発行)に次の論文が掲載されている(43ページから54ページ)。

 同委員の菊池健策氏による「福島県における古峰原信仰」

 この論文の末の註記を見ると、平成元年に福島県立博物館が刊行した『町の歴史と民俗』に谷口貢氏が「古峯原信仰の受容と展開」という論文を参考にされていることがわかる。また郡山市歴史資料館蔵の市川家文書(旧南学院文書)で、近世の三春藩領であった郡山市鬼生田の石堂山南学院という本山波の修験の記録が紹介されている。

 なお、2011年6月21日、古峰ヶ原調査(野州麻についても)を行った。

■国学院大学民俗学研究会刊『民俗採訪 栃木県鹿沼市旧西大芦村』(昭和56年)は井之口章次氏が編集されたものである。古峰ヶ原を抱える村の民俗誌を読んでいると、以下のような記述が出てくる(16ページ)。

 八岡の飲料水は山からひいたもので、ぜいたくな人だけが井戸を掘った。川の水は飲まない。

■6月19日に奥会津・三島町西方の西隆寺で行われた会津学研究会例会で、栃木県北部と奥会津の関係について議論したなかでふれたことが、前述報告書には記載されている。

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栃木県鹿沼市の大芦川の源流に古峰ヶ原はある。

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野州麻   鹿沼市の粟野民俗資料館

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昭和村の「おあたごさま」参り

■6月24日は村内各集落で「おあたごさま」の日。写真は大芦。父・菅家清一(78)撮影。地区の役員の人たちが出ていやった。

 →大芦家(佐藤孝雄氏)

  →大芦

 →小中津川

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沖縄からの来村・かすみ草に学ぶ人々

■2011年6月26日(日)霧雨

 未明、2時に起きて、昨夕に染色しはじめたかすみ草を引き揚げ、エチレンを止めるためSTS前処理剤に浸漬し5度で保冷しました。今朝集荷となるかすみ草を保冷庫から出庫したりして午前3時に仕事は終了しました。これからまた休みます。

 数日前より体調が悪くなり休んでいましたが、昨日は沖縄県の中央卸市場に入場している沖縄県花卉(かき)という荷受会社(花市場)から平社長ら3人が急遽、来村されました。取引先(顧客)ですので家の近く(大岐聚落)のかすみ草圃場・試作品種等を見ていただき、花芽分化時期の見分け方、苗の質、染色技法や品質管理などを紹介しました。その後、夕方、福島市に向け村を出られました。

■2011年、東北地方南部の福島県会津地方(当地、昭和村がある)は6月21日に梅雨入りしました。23日、24日は時折強雨となりました。一方、沖縄県は4月20日に梅雨入りし、6月9日に梅雨明けしています。

■昭和村は昨日が議員選挙最終日で8割の候補者が選挙カーを出して聚落内の隅々まで歩いておられました。そうしたなか、沖縄からのお客様を圃場(畑)に案内しました。今日(26日)が投票日となっています。本来4月選挙ですが、311の東日本大震災と、315の東京電力の原子力発電所事故と大量の放射能排出公害により延期となっていたものです。

■さて、100年後、奥会津の大岐聚落(家数9軒)に沖縄からなぜ人が来たのか?理解されるであろうか?かすみ草を求めて海を渡ってきたことを。

 たとえば100年前に隣国・越後から「カラムシ買い」(商人)が来たということを思い浮かべてみればわかる。

 商品作物(農産物)は、そのもの自体の流通は簡単だ。機構・機能がそれを可能にしている。しかし、それを作る人々、扱う人々が「交流」している実態についてはあまり知られていない。人がいるから遠路、人がやってくるのであり、それは山間僻地ということ、あるいは南方の島々という地域的隔離(首都を中心に見た場合)は障害になっていないことを意味する。

 日本国内各地から、現在、奥会津の昭和村に良質のかすみ草を求めて花市場・卸関係で働く人々が採訪する意味は、かつての「カラムシやアサ」「獣の毛皮や薬」を求める人々が来たであろうことを想像させる。3年後に世界中で発売されるであろう新しいかすみ草も、昭和村で試作されている。「交流」という意味は、生産地は来訪された人々に情報を与えることが目的ではない、ということ。つまり来訪された人々の仕事をていねいに聞き、そして来訪者の人生をたずねることがとても重要である。生産者はいつも熱心に自分の花作り哲学を語るが、それは「交流」ではない。ていねいな仕事の意味を、よく考慮して今年も花作り・かすみ草作りに臨みたい。奥会津産のかすみ草は、那覇を拠点としつつも、新聞包みのかすみ草が、人から人への手渡しで小さな舟で南の島々の隅々まで届けられ、その小さな島の公民館で地元の人たちが主催し、地元の人たちで装飾される催しで使われている。古来、日本列島弧で栽培・生産・活用されていた植物繊維のカラムシ(苧麻choma)は、この100年の間に人々は暮らしから消し去った。しかし沖縄と奥会津ではまだ連綿とそのカラムシを暮らしの中で続けている。

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2011年6月23日 (木曜日)

降雨、台風5号北上

■2011年6月23日(木)雨。

 終日、カスミソウの採花・調整・染色作業。20時40分まで。午後1時40分頃、首都・東京よりNN新聞のK記者来村。5時まで村内を案内しました。土曜版に掲載?

 今朝は家向13コモ、午前川流10コモ。カスミソウ極早生のメレンゲ採花。切ると残った枝茎がまた咲く、、、切り進めば早く終わってしまう、、、、

■昨日より雨、今日も暗い雲で雨、、、洪水になる可能性が出て来た。日照があればカスミソウは開花するが、、、雨が続き台風が月曜火曜に、、、来る。日本海側、、、、強風が懸念される。

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フォレスト、、、、間に合うか?

歴史手帖第145号

■2011年6月23日(木)雨

 午前4時より、かすみ草の採花。

 午後1時30分頃、東京よりN新聞のK記者がかすみ草取材で来村。27日午後は2件取材応接。

■1985年に名著出版から刊行された『月刊 歴史手帖』第13巻11号は、特集 南会津の歴史と文化財。

室井康弘:南会津の在地領主の動向 南山長沼氏を中心に

佐藤克:阿賀川(大川)流域の狼煙制

西ヶ谷共弘:近世初期の南会津の城と町の形成

渡部力夫:南山御蔵入領の展開

藤田定興:南会津の観音信仰

安藤紫香:南会津の古民家と聚落

玉川寿一:大内宿の町並と保存策定計画

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2011年6月22日 (水曜日)

かすみ草の検査結果

■2011年6月22日(水)晴れ

 朝から大岐の家向の圃場(パイプハウスと呼ぶビニールハウス、欧米ではトンネルという)のかすみ草:メレンゲという品種の採花をしました。8コモ。極早生種で4月22日植え、現在開花です。集落南方の高畠の川流の圃場(ハウス)の4月29日植えのメレンゲも開花して2コモ採花しました。高畠のクイナ(喰名)山ではアカショウビンが2個体鳴き交わしを盛んにしています。

■昨夜(21日)遅く、この奥会津・昭和村大岐産の我が家のかすみ草メレンゲの放射能(核種)検査の結果が到着しました。6月16日採花、通常のかすみ草立箱で17日にヤマト便で発送していたものです(最低500g必要)。「ヨウ素131、セシウム134、セシウム137」いずれも不検出NDでした(検出限界は1Bq/kg)。厚労省「緊急時における食品の放射線測定マニュアル」に準ずるγ線スペクトロメーターによる核種測定で、サンプル調整は文科省環境試料採取法で行われました。

 かすみ草は食品ではありませんが、取引先から検査要請があり、今回実施しました。安全が確認され、生産地としては安心して今年の花もおすすめできます。

 正式な検査報告書については、今朝、取引先各卸等にファクスにて送付いたしました。

 3月11日の東日本大震災は日本社会を大きく変えるものです。なかでも3月15日の東京電力が第一原子力発電所から放出した大量の放射性物質は拡散し日本全域に及んだため、大きな影響が出ています。

■6月22日(水)午後2時30分〜矢ノ原圃場給水所にて、昭和村花き振興協議会主催による「かすみ草栽培のあぜ道講習会」が開催されます。「かすみ草の植物保護」と「かすみ草の2回摘心(ピンチ)」が指導されます。福島県金山普及所の長谷川浩先生と、山梨県(株)ミヨシの谷氏(アルタイル)による指導です。

■6月22日(水)午後2時30分頃から、大岐センターにて、かすみ草開花圃場確認のための産地視察会が昭和花き研究会(菅家博昭・本名敬)と、ヨークベニマル加藤バイヤー、あさかのフレッシュ、開成生花林社長等にて行われます。7月2日開催の会津若松市YB一箕町店等のフェアと今後の染色等について現場で協議します。

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2011年6月21日 (火曜日)

奥会津での地域(集落・邑)の調べ方(試案)

■7月28日開催の第2期:奥会津大学の拙講の概要試案を掲載します。午前9時より昭和村下中津川でのフィールドワーク(地域遺産を散歩しながら調べるワークショップ・踏査)、午後2時より公民館2階研修室でPPTスライドを使用した解説と地域の調べ方講座。

 → 奥会津大学ブログ(苧麻倶楽部)

 → 奥会津ネット(PDF1面しかリンクがないので、裏面の申込書をダウンロードできませんが、、、)

■2011年7月28日 奥会津大学 地域の調べ方(予稿・試案)昭和村大字小野川字大岐 菅家博昭(農業)

1.現地を歩いて(フィールドワーク、踏査)して、「台帳(リスト)」を作る。
 年号、材質、石材ならどこから切り出したか?、由来・由緒、現状、スケッチ(写真)
 観察の仕方(地勢学的・歴史学的・考古学的・自分が時代区分ごとに当事者になりきってみる)→まとめかたは「事実」と「意見・考え方・推察」は分ける。

2.地図を作る
 グーグル(インターネット)の航空写真、国土地理院の航空写真(過去)
 2万5千分の1、5万分の1
 地元自治体 1万分の1
 国有林(森林管理署)施業図・林班図
 字切図

3.文献調査をする

4.聞き取り調査をする
 地名(呼称・呼び名のまま記録する)
 できごと、、、など

5.わかったことと、わからないことを、まとめてみる

6.はじめてその集落(村)に来た人に案内するガイドをすると想定して、見所(名所・遺構)、名産(過去・現在)、人々のていねいな暮らしの紹介(家廻り、畑、里山)を考えてみる。

7.時代区分と奥会津モデル
(旧石器・縄文時代)→ほとんどの地域にある→地勢学的立地環境が異なる→なぜか?
(弥生時代)
(古墳時代)
古代
中世→1400年代後半から蘆名(芦名・あしな)、山ノ内、川原田、長沼の4家の支配下
 各集落に城館柵等跡・関連地名・愛宕山の分布など、、、巡回ルートを考える。
 寺・神社等の建立もこのころから近世にかけて。
近世→石像物や現在につながる産業。木地屋遺跡。
近代→石碑類、地域の開発、堰の改修など。
現代→

8.各教育委員会等の専門家の監修を受けた後に、集落毎に案内板と、現地標識を作り、現状での保存活用を考える。石仏等は盗難に注意(すべてを公開しなくとも良い)。写真掲示等。

2011年6月20日 (月曜日)

大田市場の中央花卉の店頭にかすみ草

■6月20日(月)から、昭和花き研究会のかすみ草が大田市場仲卸の中央花卉店頭にて販売を再開しました。 → 中央花卉 

 写真は同ウェブサイトより転載しました。

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■6月22日(水)より少量ながら早生かすみ草:メレンゲを、仙花(15日より、担当上原さん)、大田花き(担当高塚さん)、東日本板橋花き(大坂さん)、世田谷花き(西尾さん)、宇都宮花き(山野井さん)、埼玉園芸(山下さん、横溝さん)、福島花き(橋本社長)、群馬中央(相馬社長)に出荷再開いたします。少量で継続します。卸相場80cm白@150~180円。圃場は昭和村内(下中津川・中向上ノ山・大岐)。

 → 本会・集荷所情報

  3月1日に入荷したプラグ苗をたいせつに育てました。3月11日以降、東日本大震災の影響で輸送が止まり、苗の入荷は無く、また県の作付延期要請もあり、栽培圃場の土壌分析を行い安全性を確認してからの作業となりました。現在出荷しているかすみ草は1週間ほどの出荷はありますが、その後、一時極めて少量になり、7月11日頃からの再出荷となる見込みです。天候推移で多少の前後はあると思いますが、本年もよろしくお願いいたします(昭和花き研究会 会長 菅家博昭)。

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奥会津大学2期、6月30日開講

■2011年6月20日(月)晴れ。

 朝と夕、採花。メレンゲ7箱分。明日出荷。

 午後、雪室(第2)にバケット用段ボール・スリーブ160枚運び、帰路、下中津川の昭和村公民館に立ち寄る。馬場勇五さんが平成四年にまとめた村内鳥居等石像物の報告書を拝読する。同館東手山際の「うばがみさま」も踏査する。安永年間造。

 ついでに小中津川の気多神社を見るが、昭和館側から東に道を上るが、その右手(南)に木製鳥居と木造小祠があるのがわかったが、祭神は不明。

■6月19日の福島民報新聞会津版に「30日に奥会津大学開講、地域のリーダー育成、27日まで受講生募る」と掲載。5段記事・写真有り。

■奥会津昭和村(近世は金山谷野尻郷)内の信州高遠藩笠原村等の石工による石像物。 

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2011年6月17日 (金曜日)

地域営農活性化プロジェクトチーム発行

■2011年6月17日(金)

 昨日は、曇り。未明に小雨。

■6月15日付け『プロジェクトミニ情報誌』(A3両面印刷)が村内各戸配布された。昭和村役場産業建設課・地域営農活性化プロジェクトチーム発行。農協部会は5月31日より出荷開始、昭和花き研究会は6月15日より下中津川産で少量出荷開始。6月9日の昭和村花き振興協議会主催の学習会・ドイツセレクタ社リチャード氏の講演の様子の記事も掲載されている。新かすみ草の銀河・セレブレイション・ブロッサムの栽培法。→ PDF 2011-06-15-47

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2011年6月16日 (木曜日)

出荷の準備

■2011年6月16日(木)晴れ、曇り。

 会津若松市の会津パッケージの岩崎喜一郎さんが来村。バケット用の段ボールスリーブの打ち合わせ(市場、SCレンタル廃止による版面変更等)。生産者出荷伝票発注しました。6月末に会宛納品されます。それまでは用紙を問わず利用して下さい。

 我が家で昨年作った圃場を除雪して4月21日、29日に定植したかすみ草早生種:メレンゲ(カネコ種苗育成品、3月1日の震災前苗導入分)が、どちらも開花をはじめました。採花は20日以降の見込みです。

■最終となるパイプハウスを建てました(境の沢圃場)。フラワーネットを7棟分、支柱を立て伸展しました。かすみ草の倒伏防止用。生産者は最終プラグ苗の入荷、ポット仮植の様子です。圃場に人は出ていません。

 新苗定植10圃場に今後、フラワーネットを張ります。

■我が家では55棟のハウスを建て終え、9000株の定植を26棟に終了しました(越冬株含む)。今後、6月20日以降かすみ草苗を圃場(畑)に定植していくのは7000株、8月下旬出荷分からとなります。

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ファンタイム・ウルトラ

■2011年6月16日(木)

 エクアドルのエスメラルダ社育成のかすみ草を日本国内に供給していたキリンアグリバイオ社が3年前に消滅したため、ファンタイムという優良なかすみ草が国内で生産されなくなった。愛知県名古屋市のフクカエン種苗がこのたびファンタイムを日本国内で販売することとなり、昨日、試作苗が200本、当家に到着した。ファンタイムは、しなやかでハンドリングが優れている。

 キリンが国内販売していたファンタイムは、実は「ファンタイム・ウルトラ」という中輪花の種類である、という。「ファンタイム」自身はミリオンスター様の小さな花である、ということが昨年(2010年)に明らかになった。キリンはファンタイム・ウルトラを日本国内でファンタイムとして販売した、ということになる。しかし現状は2000年代のオランダ・アムステルダム等でのホルティフェア等でエスメラルダ社が自社ブースで展示していたものは中輪花のファンタイムである。

 エスメラルダ社は、イスラエルのダンジガー社の品種であるミリオンスターというかすみ草を生産し北米大陸と欧州向けに出荷する農園であったが、そのなかで、ミリオンスターのなかから、ダブルタイムという品種を発見し増殖して製造直売していく。品種の見立てのなかで、これまで1枝しか出なかったものに数枝でる(ダブルタイム)ため、つまり花数が倍以上になる、という「枝数密生」の発見に価値を見いだしたところが優れていた。育種家は花びら・花しか見ていない人が多い。

 →エクアドル エスメラルダ社農場2008年9月23日訪問

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2007年頃、アムステルダムで菅家博昭撮影。

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2011年6月15日 (水曜日)

千年持続学とサルボダヤ

■日本学術振興会の「千年持続学の確率:心性の持続性に関する学融合的研究」の成果がまとまって出版されている。

 木村武史編著『サスティナブルな社会を目指して』(春風社、2008年刊)

 編者による最終章:「ボトム・アップのサスティナビリティ探求」では、精神文明に立脚した生活向上運動としてのスリランカのサルボダヤ・シュラマダーナ運動を紹介している。この運動は1958年ころにはそのヴィジョンをもって農村の生活向上運動をはじめており、21世紀に入って欧米の理論家が提唱している考えを実践的に先取りしていた。

 A・T・アリヤラトネは、ガンジーが全員の向上、福祉という意味で用いたサルボダヤという語を、「すべての人の目覚め」という意味で用い、ガンジーの思想を継承している。

■1984年10月14日、アリヤラトネ氏は、会津若松市に来ている。その講演を聴き、また当時関わっていた民間の博物館(発掘調査)で身近に話しを聴いた。英国のアレック・ディクソン氏に会ったのもこの博物館である。

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2011年6月14日 (火曜日)

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■2011年6月14日(火)首都・東京でJFMA国際セミナーが開催された。盛会でした。

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2011年6月12日 (日曜日)

ていねいな仕事へ、中央花卉

■大田市場花き部仲卸・中央花卉の中谷さんの6月9日の報告 → 中央花卉ブログ

 → セレクタ社リチャード氏講演

 福島の使命 → 会津MPS連絡会(手代木明美さん)

■バラ生産者の意欲減退に喝 → 岐阜大・福井先生

■→ 花職人Aizuの花良品でのトルコギキョウのフェア

■会津本郷(美里町)のこの陶土採取崖を見るたびに、エチオピアのアディスアベバ南部のバラ、かすみ草農園を思い出す。赤褐色の火山山(岩)を崩し、砕いて客土しそこに植物を植えている。そのため土壌消毒はしない。

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(上下)エチオピア 2011年1月22日、菅家博昭撮影。ヒトも、動物もみな裸足で元気に前に歩く。外で遊べない311原発由来の放射能汚染の日本と、素足のアフリカ、どちらが豊かで安全であろうか? 人類はアフリカ東部の大地溝帯から数度にわたり地球上に素足で歩いて拡散した。

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×11という日

■2011年6月12日(日)曇り

 11日のたび、大震災・原発公害を想起する。

 300年前の6月11日は会津農書を著した佐瀬与次衛門の命日である。

 400年前の夏は慶長の会津大地震で七層の天守が傾く。

■裏山より採取したカクマ(標準和名:ヤマドリゼンマイ)を食べる。タケノコ(地竹、細竹とも)と出てきたシイタケ。

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ていねいなしごと、ていねいなくらし

■2011年7月から昭和花き研究会プロモーション

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上:ミズナラ(博士山標高1000m)   下:ブナ(博士山1000m)

2011年6月12日 菅家博昭撮影

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上下:博士山(菅家博昭2011年6月12日撮影)

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布沢のかすみ草(マリーベール)

■篤農家・菅家和義さん圃場(JA会津みなみ)

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菅家和義さんは20年来、私の師匠だ。しっかりとしたかすみ草を作り続けている。

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2011年6月11日 (土曜日)

工人まつり

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会津坂下町 笊屋敷 zaru-yashiki

■一志茂樹先生が『信濃459号』(昭和51年11月、信濃史学会)の「大和朝廷による古代越地方開発の新局面を捜し得て 東日本に創置された越後城存在の意義を匡す」で、都岐沙羅柵と想定した「笊屋敷」。

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会津坂下町気多の宮、気多神社

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奥会津:金山町横田 山ノ内屋敷跡、伊夜彦神社

■雨なので踏査の一日。

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福島民報新聞に掲載されています

■先日9日に昭和村花き振興協議会により開催されたカスミソウ栽培講演会が、福島民報6月11日に掲載されています。

 PDF → カスミソウ農家、世界の栽培法学ぶ 昭和村(3段記事・写真有り)

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2011年6月10日 (金曜日)

明日は朝、月田農園へ。日曜は夕方に福島市。

■明日(6月11日)の朝は、月田農園(南会津町南郷)を訪問する。遅れていたヒメサユリ(オトメユリ)が開花しはじめた。夕方電話して訪問することをお伝えしました。

■12日の夕方は福島市に子どもを送っていきます。

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後背地は志津倉山。左手前が猿舘山で山ノ内の山城で地蔵岩も見える。右手▲の山は高舘山で山頂下に「おあたごさま」お堂がある。愛宕神社であり、ここも烽火(のろし)と舘跡。手前丘陵状が花坂山でこの麓が花坂の外記の舞台。

6月14日、15日の圃場巡回指導会(協議会・長谷川先生)

■6月14日、15日、以下の内容でかすみ草栽培指導会が開催されます。

6月14日(火)

 9時~10時 松山(下根岸)
10時30分~11時30分 中向(上ノ山)
13時30分~14時30分 小野川(権現様前のT字路)
15時~16時 大岐センター前

6月15日(水)9時~10時30分 矢ノ原 給水所
(15日、15時30分から大岐センターで新規就農者限定の講習会)
 
■6月14日(火)都内市ヶ谷・法政大でJFMA国際セミナーが開催されます。博昭が参加してきます。スイスの生協・ミグロスの仕入れ担当者によるフェアトレードの花、オランダのフラワーウオッチ(温度時間CH)。国内の量販店、卸、業者が100名集まります。情報交換をしてきます。

■6月10日夕方、以上等の内容は昭和花き研究会会員宛ファクス配信しました。

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上・ミズナラ。下・コナラ。葉抦のある、なし。

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かすみ草 610生育調査

■2011年6月10日(金)晴れ後、曇り。

 我が家のかすみ草の生育調査をしました。出荷予定順から。今年は全55棟。22棟まで定植管理中。今後は8月下旬の盆明け出荷分の定植を6月16日以降から再開。

<新苗促成>
1:メレンゲ(早生・3月1日苗、4月21日定植、家向奥ハウス)草丈90cm、発蕾、脇芽欠き終了、開花待ち

2:メレンゲ(3月1日苗、4月29日定植、川流中ハウス)草丈70cm、脇芽欠き終了。

3:フォレスト(昨年秋堀上株、4月20日定植、家向中ハウス)草丈70cm、脇芽欠き終了。

<新苗試作>
4:試作FG466(早生、住化、4月29日定植、川流中)草丈30cm、ドミナント。

<越冬株>
5:ベールスター 草丈30cm(境の沢道下2号ハウス)

6:セレブレイション 草丈25cm(岩下上)

7:フォレスト 草丈20cm(角畑1号)

8:フォレスト 草丈20cm(川流右)

9:フォレスト 草丈20cm(境の沢道下3号)

10:フォレスト 草丈15cm(大田下3号)

11:ブロッサム 草丈20cm(境の沢道上2号)

12:フォレスト 切り戻し抑制 発芽(角下1、2号)

<新苗>
13:試作FG 草丈3~15cm(大畑)5月11日定植露地

14:銀河 草丈10cm(川流左)5月19日定植露地

15:銀河 草丈5cm(大田下1号)5月21日定植露地

16:フォレスト (角畑上1号)6月4日定植

17:フォレスト (角畑上3号)6月7日定植

18:セレブレイション(岩下上3、4号)6月7日定植

19:セレブレイション(大田上右)6月7日定植

20:フォレスト(大田上左)6月7日定植

21:ブロッサム(岩下上1、2号)6月6日定植

22:試作538(岩下上2、ノーピンチポット)6月10日定植

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ていねいな花仕事の意味

■2011年6月10日(金)晴れ

 6月9日は午後3時以降、雷雨となった。11日午後1時30分、三島町川井の角田亀好さん宅・かすみ草生育調査。

 今日は、圃場のかすみ草株もとへかん水(水やり)作業。

■6月9日(木)午前9時から13時まで昭和花き研究会の取引会議・圃場視察。午後1時30分から3時まで昭和村花き振興協議会のかすみ草栽培講演会(セレクタ社の新かすみ草銀河、世界のかすみ草生産の現状)。進行は金山普及所長谷川浩先生。終了後、協議会の今後の行事について簡単な打合会があった。

 午後の講演には福島県内新聞2紙が取材に来られ、出荷繁忙期で立川幸一会長が欠席しているので副会長の私(菅家)が、講演中の1階図書室にて取材応対をしました。 

■ → 本名敬 の報告

  → 大芦家

  → 6月11日、池袋にたくみさん

  → 6月8日、矢ノ原

  → 中央花き(大田市場仲卸)

■「ていねいな暮らし」という基層(精神)文化を支えるために、わたしたちは今年、花を届ける、、、「ていねいな仕事」「ていねいな流通・販売」というのが今回の取引会議のテーマでした。311以後の社会では、私たちの暮らしにほんとうに必要なものがなにかが問われています。

  福島県・金山普及所の長谷川浩先生に311後の東電原発由来放射能の汚染状況と、昭和村産の農産物等は、現況が安全である旨の説明があった。

 クリザール・ジャパンの海下展也さんに、現状の国際情勢と花、品質管理の最前線を講話いただきました。

 また参加された卸・商品制作(花束加工)・小売りの方々からも、「ていねい」に話しを聞きました。国内各地の消費地でおきている精神文化の変化のきざしを語っていただき、そこにどのように花を提案するのか?北海道から九州地域まで卸の方々の意見を聞いた。

 いくつかの傾向が読み取れました。震災後、供給が少なくなる中で、単価は上昇する。たとえば60cmを使用されていた人は、必要な本数に限定してしっかりした価値のある80cmを使用する、、、という傾向。葬儀需要での地域別変化。品質のなかみ。またコストだけではない花の価値の創造。

 アルタイルという品種が主流となり、生産技術も登場時よりも向上し、どの産地からくる商品にも差異がなくなり、ことなるのは段ボールパッケージだけである。しかし、一方で購入者として選択できない品目にかすみ草がなってしまった。時代にあった、用途にあった品種というのはアルタイル1種類では実現できないし、海外でアルタイルが栽培されるなか(日本むけトルコギキョウ生産が盛んな、台湾の台中域でアルタイル満天星・牽牛星の栽培がはじまっている)、国産のかすみ草の生かす道を探ることも必要になっている。

 各卸から出されたのはトルコギキョウの国内事例のようにあたらしい品種が毎年出てくること、購入者側で選択する余地があること、そのためには昭和花き研究会には品種多様化の先陣としての責任産地であってほしい、という要望であった。そのため現在・大田花きでしか販売していないセレクタ社の銀河・セレブレイション・ブロッサムの3種かすみ草の早い出荷(2012年以降はオープン)を求める。

 また心性として、思いのこもったかすみ草としてフォレストに込められたブナの森の土地で生産される意味としての落葉の利用など、「杜の都・仙台」の復興に必要としている、、、、等。昭和村の生産者の皆さんの澄んだ心で作り、使う側の私たちの心を動かすかすみ草を、ていねいに作ってほしい、、、、。

 どの卸からも、絆kizuna、縁en、地縁(コミュニティ)が今年の鍵の言葉や概念になる、と語られた。

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海下さんには昨年も生産者向けで当地で講演いただき、今回は流通品質管理の共有化を図った。

仙花の上原氏。

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下中津川 4月8日ハウス内定植本名幸一郎氏メレンゲ。その隣のパワースポット。

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2011年6月 9日 (木曜日)

リチャードさん、来村。かすみ草圃場を歩く、見る、話す。

■2011年6月8日(水)晴れ

 午後2時、セレクタ社のリチャードさん、宇都宮の深水孝明さんの運転する乗用車で来村された。大岐の境の沢圃場・奈良布圃場・岩下圃場・大田圃場、菅家育苗ハウス、矢ノ原高原、大芦家と案内しました。標高千mの博士峠を越え、会津若松市栄町のカゴタ(籠太)の2階で、会津MPS連絡会に参加しました。

■この数年、早生品種アルタイルをどう作るか?という技法のなかで仕事を進めてきていることが、どのような弊害を生んでいるかを自ら気づく案内役となった。中生、晩生を導入して、気象変動を吸収し安定出荷に繋げるという発想にいたったものの、栽培技法は、「その花に合わせて管理ステージを再考する」というあたりまえのことが、よく見えた一日でした。

■6月9日、今日の午前9~11時は下中津川の昭和村公民館で北海道から九州までの取引先卸の方々と昭和花き研究会の生産者との会合。午後はセレクタ社のリチャードさんによる講演会で参加者は協議会生産者会員全員となる。

 3年目となるセレクタ社育成品3種(銀河、セレブレイション、ブロッサム)の試作で、はじめて当人らが来村され、どのようにかすみ草を育ててほしいのか、環境を見るなかで一緒に考える。

 リチャードさんはオランダ人、スペイン在住19年、48歳。ガーベラやカーネーションを担当し、アフリカと中南米のかすみ草産地の育成にかかわりながら、今回アジア地区(日本、韓国、中国、インド等)へ。

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↑奈良布の菅家君と。   ↓矢ノ原の工(たくみ)さんと。

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上の写真1枚は中央花き中谷さん撮影。居酒屋でPPTを見ながら新しい栽培法を議論した。

2011年6月 7日 (火曜日)

海下展也さん

■愛知県は花の生産・販売でも中心的な歴史を持つため、花の雑誌・新聞も愛知県内で製作・全国向け発刊されているものがある。

 グリーン情報の『ガーデンセンター』は今年から隔月刊となり、カラー版を多く用いている。

 JFMAの常務理事の海下展也(クリザール)さんには、6月9日の昭和花き研究会の取引会議で花の品質管理について講話をいただく予定になっている。

 2011年1月、3月、5月号に、海下さんは、「切花の鮮度を保つ基礎知識」を1ページ連載している。

 1:大地に咲く花のように切り花の条件を整える

 2:実用水揚げ方法(常識のうそ)

 3:お店の衛生管理をするだけで

 また、2ページ見開きで、「海外の切花販売の動向」も連載している。

 1:花の文化度と求められる花を知る

 2:日持ち歩哨販売と効果、リピーターを増やし流通の健康診断をする

 3:安心安全の花を求めて、認証のある花と社会貢献をもとめるMPS、カーボンフットプリント、フェアトレード

■6月8日、18時30分から、会津若松市栄町籠太(かごた)での会津MPS連絡会にも海下さんは参加されます。参加者にはこの資料は配付します。

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到花日数による組み合わせ

■2011年6月7日(火)

 晴天続き、干ばつ気味の天候が続き、家の前を北に流れる滝谷川の川底の石表の上のカジカガエルの鳴き声も午前1時半を過ぎると、その声は聞こえなくなる。水田のカエルも同じ。草木も眠る時刻に入っていく。

 1990年代中頃に発売された小さな花のかすみ草・ミリオンスターは欧米での中心品種としてハンドリングが優れ、花束加工や日持ち保証に適合した品種で生産が拡大した。欧米は大きな花のかすみ草パーフェクタが主流であった(それをニューホープというかすみ草は受け継いでいる)。

 高温・長日下の夏でも草丈が伸び、硬質化に改善したギャラクシー・ミリオンスターが開発された、とかすみ草種苗会社から連絡があった。試作苗が届くことになった。

■2005年頃から日本のミヨシという会社がアルタイルというかすみ草の品種、早生で冬季の生産に向き原油高で暖房費高騰するなかで熊本県内を中心に栽培が急速に拡大した。これは晩生種で夏季に高温障害に強い雪ん子という品種群が1990年代半ばにブリストルフェアリー(BF)という中生品種に置き換わったものが、10年経過してさらに置き換わったものである。

 日本のかすみ草栽培は明治時代にアメリカで育種されたBFが接ぎ木で栽培され、それが40年ほど前からの細胞増殖技術メリクーロンにより茎頂培養の無病苗の生産が可能になった。

 中生品種BFは、1990年代になり、日本のバブル経済の破綻による価格急低下から品種の改善に目が向くようになり広島県下で宮本仁郎さんがBF種のなかから早生で草姿がシャープな品種を発見しニューフェイスと名付け販売し、日本国内での多品目化の道を作った。冬期間軟弱徒長する欠点を補うのが早生品種である。

 早速、奥会津・昭和村でもニューフェイスの栽培が行われるが夏場は到花日数が短くなることから草丈も短くなり、また高温障害(団子花・集合花・着色花)が出るため導入は難しかった。夏場の高温障害に強く伸びる花ということになると晩生種のなかからの選択となる。冬は早生、夏は晩生、そのなかで雪ん子が登場してきた。北海道を中心として夏秋生産に投入された。しかし低温期や乾燥で花が赤色化発色する欠点があり、様々な枝変わりが登場してくるが、基本は晩生種であった。

 2005年頃からのアルタイルは早生系への揺り戻しで冬春産地が品種選定の主体となっているが、それがこの気象変動が激変する時代になってから、安定生産が不可能となっている。気象変動を吸収できずに一斉出荷するのが早生系品種群である。たとえば昨年の夏などがそうであった。アルタイルと同型品種にベール系がありそれも同じであるが、中生の品種ベールスターは花も美しく北海道や奥会津を中心にこの夏秋の導入が急速に増えた品種である。また晩生種に近いフォレストという品種も昭和花き研究会を中心に導入され本夏出荷が本格化する。低温期はロゼットして抽台が難しいので夏向け品種である。

 夏に伸びない早生系品種で、おなじような風合いで中生、到花日数が1週間以上遅れる「ロング」という品種がアルタイルやベール系に出ているが、少し低温期になると伸びすぎ軟弱徒長する欠点がある。それを修正したM(Lに対してM)が今夏から試作で出てくる。

 気象変動を考慮していけば、早生・中生・晩生をうまく組み合わせて行くことが必要で、それはかすみ草を使用してくださる顧客生花店への説明が必要になってくる。同じ品種を年間使用して感じることは、その風合い・表情が全く異なること、品種間の差以上に同一品種の年間栽培は異品種のような印象があるにもかかわらず、品種呼称名優先での仕入れ・調達になっている。それがもたらす弊害が産地間連携を崩壊させ、端境期を多く生む結果になっている。

■昭和花き研究会は夏秋期の日本国内のかすみ草生産の責任産地として2010年の酷暑化での早生系品種だけの栽培による前進開花・品薄問題を改善するために、到花日数の分散化で2011年から対応している。つまり早生系品種群(アルタイル・ベール系)、中生品種群(ベールスター)、晩生系(フォレスト)の3本柱を組み合わせた作付で気象変動を吸収しようとしている。

 多大な国費を投じている気象観測と予報・予測でも、この夏の天候を予測できないなかで、気象変動対応への生産農家の苦悩は続く。台風が5月に2個も発生し北上していることも夏秋生産地域では考慮している。農地を山間異谷に分散しているのはそのためである。

   → 2010年の暑い夏は20日間前進開花・短茎。

■夏秋産地では良質な中生品種を望んでいる。日持ちに優れた中大輪で純白。出荷コスト(輸送費、梱包)の入れ本数が多くとも枝折れしにくいハンドリングにすぐれた伸縮性・柔軟性を持つ茎と枝、、、、中生品種で銀河、数日はやいセレブレイション。晩生種でブロッサムがセレクタのかすみ草。ブロッサムは草丈を確保できるがアントシアンによる茎の暗赤褐色化は緑色の茎の時代では仕入れ筋から異論がある。また剛直であることを改善するよう、伸びる品種でありながら2回摘心を本夏行う。

  → 2010年6月22日植え、8月18日開花

 高冷地夏だしの品種として早生も必要で、現在はかすみ草メレンゲしか無い。夏出荷すると短く開花し高温障害による着色花(緑色)になるため、初夏までの出荷に使用している。

■アメリカのボール社が開発したかすみ草ミラベラはこの数カ年で中南米や東アフリカ諸国での花束製造農場での新規栽培が増えている。冬場の電照が不要なこと、である。またマイナーリーフ(ハモグリバエ等)に強いという葉の構造を持っている。草姿はかつてのBFであるが、環境配慮型生産の中心品種で、花束農場に特化したハンドリングにすぐれた伸縮性・柔軟性も備えている。低コスト(電照不要)が今後の課題になってくる。CO2削減、温暖化防止からミラベラは白いポーラ・ベアー(ホッキョクグマ)が品種マスコットでプロモーションを展開している。ミラベラは欧米の卸への出荷は少なく、自社花束加工用となって増えていることから卸統計だけでみていると見逃すトレンドとなっている。日本国内への投入は生産も生産物でも無い。

 → 2008年9月25日エクアドル・キト市アグリフロールのポーラベアかすみ草ミラベラ

  → 2011年1月25日 ケニアのかすみ草ミラベラ

 日持ち性に加えて無臭化も育種での課題になっている。スミカのFG450(ノート、写真)、セレブレイション。ニューホープは低臭。

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2011年6月 6日 (月曜日)

かすみ草の植え付けの日、続く

■2011年6月6日(月)晴れ

 午前、通院。柳沢の出口の電話線にサシバ1羽が止まっていた。大岐の川前の水田転作の照子姉のハウスの天にノスリが1羽止まっていて、ワンナ沢の方に飛去。

 午後より、かすみ草の定植作業。大岐集落の南西後背地の高畠の角畑にかすみ草(品種名フォレスト)を定植。これで高畠地区(大畑・角畑・川流畑)は定植終了。

 岩下(上)圃場の上より1号、2号にハウスにもかすみ草を定植。

 大芦家を訪問し6月9日の昼食の打ち合わせ。貸し切り・蕎麦。来村卸関係者21名予約。なお佐倉のからむし織の里・苧麻庵でも食事ができます。

■6月7日19時締切の市場調査票ファクスが到着した分。柏、石橋さん、名古屋花き水野さん、ひめじせいか山本さん、宮西さん、TFS西城さん、宇都宮花き山野井さん、福岡花市場小川さん、仙花上原さん。

 東日本板橋花き大阪さん、フラワーネットワーク作田さん。

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2011年6月 5日 (日曜日)

雨とミズノキ(標準和名ミズキ)の白い花

■2011年6月5日(日)曇り、雨。

 昨日定植したかすみ草にはこの雨は「よい、しおいであった」。会津若松市の会津稽古堂(会津図書館)で調べ物。7月28日の奥会津大学のための準備。会津在住であれば昭和村の私でもここは貸し出しカードを作成できる。返却ポストもあるので夜間に対応できる。

 いま村内を囲む広葉樹林帯では、葉の上に白い小花をたくさん咲かせたミズノキ(標準和名ではミズキ)がたくさん目立つ。両原の左岸山には群落で咲いているのが喰丸峠から下がって行くときに見える。水田に1本、堤防沿いに3本ほど植えてある。舟鼻峠でも見える。

 ミズノキはその実を秋に最初に熊が食べる。

白い花、だんごさし。

■現在、便利商店で販売されている隔月刊雑誌『oz  plus  2011−7月号」(5月28日発行、スターツ)の14ページと17ページにかすみ草が掲載されている。花は市村美佳子さん。女性が抱えているかすみ草はたいへん大きな花の白いかすみ草で通常は見ない品種(雪ん子系の、雪の舞、、、?)。

白い花、カスミ草。

■『ヨーガンレールとババグーリを探しに行く』(PHP、2009年刊)は、6月14日のこれからの花の生産と販売についての多くの示唆を含む。フェアトレードという商標ではなく、基本的価値を見つけることへ繋ぐ。

シンプルなものを作り出すには、どのくらい複雑なプロセスがあるかを現場を見てあらためて思いだし、驚嘆しました。(略)

 作り手の方々と私の生活の視点や価値観は、ていねいな手仕事で作られたものがもつ価値を考えず、軽率に作られたものに取って変わられようとしています。普段目にする多くの人は、典型的なアメリカ式の生活に影響を受けているように思います。強欲な製造と消費。どうしてそうなるのか、なぜそうするのかを考えもせず、その結果、次世代や環境にどんなものが残されるのか想像しようともしません。世界は、域もつかせぬ早さで、醜い方向へ変わっています。(あとがきより)

■6月9日の昭和花き研究会の取引会議のテーマは「ていねいな仕事、ていねいな暮らし」。かすみ草の生産・販売も311を契機に大きく転換しました。量的重視の販売は終了し、新しい価値観を持つ人たちとゆるやかにつながるような取組に大きく舵をきりました。「掌中の森、かすみ草」。

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2011年6月 4日 (土曜日)

6月9日(木)13時30分~15時、昭和村公開講演会。14日都内法政大JFMA国際セミナー。

■平成23年度 昭和村花き振興協議会 第1回学習会が、主催:昭和村花き振興協議会で開催されます。村外等からも自由に参加聴講(無料)できます。

 ドイツ、セレクタ社のリチャード氏(通訳:深水孝明氏)を招き、国外のカスミソウ生産の動向や今後の展望について講演いただきます。豊富なスライド写真50枚にてかすみ草栽培の現在の地球上での現況にて詳細に報告が行われます。

 加えて、今後のカスミソウに求められる品質等について学ぶため、セレクタ社が開発したパールシリーズについてもスライド20枚、紹介いただきますので、お誘い合わせの上、ご参加ください。
 なお、今回、紹介いただく新品種については、今後、矢ノ原での試作・展示を予定しております。

~海外の事例紹介~
国外のカスミソウ生産の現状と
セレクタ社のかすみ草新品種について

2011年6月9日(木)午後1時30分から午後3時 奥会津:昭和村公民館 2階研修室

セレクタ社リチャード氏 通訳:深水孝明氏

参集者:花き(カスミソウ)生産者、その他関係者(無料)※村外者も聴講できます。
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■講演資料

        2011年6月9日
  Selecta Cut Flowers
 

1.演題:「カスミソウの世界現状と我が社のカスミソウ新シリーズ紹介」
 
2.Selecta Cut Flowers社 エリアマネージャー Richard Buis
 
3.講演要旨
 
(1) カスミソウの世界現状
  ・世界の栽培面積は、925ha
  ・南米 エクアドルのカスミソウ栽培
  ・アフリカ ケニアのカスミソウ栽培
  ・カスミソウの生育特性、気候条件、生育特性、生産性
  ・実際の栽培生産状況

(2) カスミソウ新シリーズ(PearlsⓇ Series)の紹介
   ・もっとも新しい世代の優れた特徴を持ったシリーズ
   ・生産者のみならず市場や花屋さんにも好評のシリーズ
   ・主な特徴
         花持ちが長い
         エネルギーコストの削減
         高品質・多収で適応気候が広い
         栽培しやすい
         環境にやさしい
         ハウスでの露地でも周年栽培可能
         アレンジやブーケにも使いやすい
   ・品種(2011年は大田花きを通じての販売、2012年から開放)
      GINGA
      Blossom
             Celebration      

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■ 6月5日追記:講演での予稿スライド70枚を事前に拝見いたしました。現在、世界各国で行われている栽培技法が明確に紹介されているほか、ロゼット打破のためのジベレリン処理や、環境負荷を低下させるための新しい植物保護技術も紹介されています。

 また品質管理では、採花後管理(ポストハーベスト)技術についてもたいへんていねいに報告されます。バケットの洗浄、保冷室等の衛生管理。採花(収穫)のタイミング・切り前。採花時は採花後10分以内でSTS溶液にて水揚げすること。開花室(オープニングルーム)でのトリートメント(管理法、時間、温度湿度)、その後、冷蔵保管(温度帯・時間)。

 通訳していただく宇都宮の深水孝明さんには以上の細部についても、よく説明いただくようメールで依頼いたしました。6月8日の午後2時に昭和村大岐の当家(菅家博昭)圃場にセレクタ社のリチャード氏・深水氏にきていただき、圃場視察をします。9日の午後に講演されます。

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■ なお、JFMAでは6月14日午後、都内・法政大にて花の国際セミナーを開催します。2004年1月20日のJFMAセミナーで、自身が開発に携わった花のフェアトレードについてスイスのミグロス(スーパーマーケット、SM)のニコル・メイヤー女史が講演されます。その後、社会環境の変化等で現状がどうなっているのかが明らかにされます。

 またエルフバケットのJELFAが主催した欧州花産業視察では2007年11月に、フェアトレードの花の加工を行っているスイス・チューリヒのアグロトロピック社やミグロス、コープの店頭を調査しています。アグロトロピック社は量販店へ花束を納品するだけでなく、スリランカでMPS・フェアトレードでのグリーン(葉物)生産や、スイス国内での花専門小売店の経営もしていました。

 世界の花の生産地は熱帯高地である中南米コロンビアやエクアドル、アフリカのケニアやエチオピアになっています。そうしたなかで大陸間輸送がジェット航空機から海上コンテナ船輸送に転換しています。その品質(温度・時間 CH値)を管理している新しい企業がフラワー・ウオッチ社(オランダ)です。この事業概要が報告されます。

 ミグロスはフラワー・ウオッチ社と合弁会社を持ち、また新たな花の品質管理をしています。

 フェアトレード(マックスハベラー等)は、大陸間、あるいは他国の農産物に依存せざろうえないスイスなどの事例からコーヒー、バナナ、花(バラ)などで取り組まれていますが、大きな商流が産地と消費地が直接繋がるダイレクト流通のなかで、どのような利点があり課題があるのかを明らかにします。それは日本国内での生産農家の立場と、卸・小売店、消費者との関係が変化しつつある(たとえば産地立地での農産物直売所の盛行)なかで、どのような取引関係が今後展望できるのか? 生産と販売の関係のあり方、、、あるいは構想され創造されなければならないのかを考えます。

→ JFMA

テーマ : 大震災後の日本の文化や生活環境を花を通して再生する、お花屋さん活性化セミナー「『消費者の目線に立った花売り場の作り方』と『日持ちする花の流通技術』」

  • ■日 時 : 2011年6月14日(火) 13:30~17:20
  •  
  • ■場 所 : 法政大学 ボアソナードタワー 26F スカイホール
  • ■参加費 : JFMA会員 15,000円(非JFMA会員20,000円) 情報交換会費込
  • ■内 容 : 

13:00-13:30  受付 セミナー会場入口(セミナー開始5分前にはご着席をお願いいたします。)

13:30-13:35  開会挨拶  法政大学経営大学院 教授  小川 孔輔 氏 

13:50-15:00  講 演 Ⅰ 「消費者の目線にたった花売り場の作り方」
ミグロ生活協同組合連合 切花・鉢物マーケティング部門 
シニアプロダクトマネージャー ニコル・メイヤー 氏(2004年1月以来、2度目の来日講演です)

15:00-15:15  休 憩

15:15-16:00  講 演 Ⅱ 「フラワーウォッチについて –花の流通における日持ち管理技術」 フラワーウォッチ社 代表 イェロン・バン・ダー・ヒュルスト 氏

16:00-17:15   パネルディスカッション 「大震災後の日本の花き業界は?」        
コーディネーター  ●小川 孔輔 氏   
パネラー  ●ニコル・メイヤー 氏
●イェロン・バン・ダー・ヒュルスト 氏
●昭和花き研究会 会長 菅家 博昭

●㈱大田花き 業務専門店チームリーダー 宍戸 純 氏
●フルーロン花佳  代表取締役  薄木 健友 氏

17:15-17:20   閉会挨拶   ㈱ゼントクコーポレーション 代表取締役副社長 伊藤 瞳 氏

17:30-19:00   情報交換会

■2004年1月、来日時の記録より。ニコル・メイヤー女史。JFMA菅家撮影。

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■2007年11月 JELFAスイス視察。菅家撮影。

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開花速度計測・測定記録をしながら花持ち試験をしている。優れた創造的な取り組み。

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会津MPS連絡会・例会(6月8日)18時30分、籠太

■2011年6月8日(水)午後6時30分より、会津若松市栄町8-49 居酒屋・籠太(KAGOTA)にて、開催いたします。参加申込者(締切済)は22名。名刺をお持ち下さい。ゲストはJFMA常務理事の海下展也さん、花の品質管理について短いあいさつをいただきます。

 なお14日には東京都内でJFMA国際セミナーが開催されます。渡欧して視察・インタビューすると旅費だけで30万円かかりますが、セミナーは15、000円の参加費で花最新事情を聴取できます。→ JFMA

■6月9日午前9時~11時の昭和花き研究会取引会議は卸等村外参加者23名と昭和花き研究会生産者。昭和村公民館で開催。昼食は大芦家。

 参加社には本日(4日)ファクス・メールにて4枚の資料を送付いたしました。参加されない卸も含め、調査票1枚を6日19時まで返送下さい。

 311東日本大震災・原発事故の関係から、作付延期指示を受けたことから、本年の出荷は6月末からの予定です。また予約相対等対応は7月11日から、七夕フェアの対応はできません。11日以降のかすみ草フェアの対応は致します。

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新しいかすみ草品種の試作

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2011年6月 3日 (金曜日)

3ヶ月ぶりの首都・東京訪問

■2011年6月3日(金)晴れ

 朝、上京。いくつかの会合に出席しました。深夜帰郷。

■6月2日の日本の国を揺るがした国会議事堂。

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都内便利連鎖商店の花売場。

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昭和村の歴史、批判。『火華』

■奥付では、昭和48年(1973)11月に昭和村より発刊された『昭和村の歴史』であるが村内各家が購読した。執筆者は3氏が会津若松市の研究者、原始:小滝利意氏、古代・中世:山口孝平氏、近世:室井康弘氏(田島町)、近代:酒井淳氏。資料編 民俗:安藤紫香氏(南郷村)、自然:齋藤慧氏(塩川町)、図解史料:五十嵐朝良氏(昭和村大芦)

 しかし、昭和51年(1976)4月に昭和青年会が発刊した文芸誌『火華 (みつ)』第1号は、その批判が行われている。

 小柴健一氏「村史雑感」では、長い間この村史的書籍を発行するために多くの労をなさった村史編集委員の皆様が執筆者として腕をふるわれなかったことは、まことに残念です。というのは執筆陣を拝見しまするに本村にはあまり無関係のように思われる。地方史を書きなれた凄腕の人々ばかりで、地方史の地方史ともいえる村史には、もったいない気がしました。執筆陣によれば、近世、近代史の豊富さにくらべて、古代、中世前期史の貧弱さは資料がないという一言ですましているような書き方で、古代史にいたっては、5ページもあるうちに昭和村または昭和という活字がでてくるのが表題を含まなければただの一度きりです。それではあんまりではないかと考えて、一人の歴史愛好家として古代と中世前期史の空白を埋める気持ちで二、三点について書いてみます。(略)

 小中津川気多神社のこと

 野尻の経塚について

 中向集落について

■小柴健一氏は小中津川の気多神社由緒書によれば鎮座されたのは延喜三年三月(903年)とあり、班田収受の法に関係があったのではないか?古代の地積単位の刈(かり)という地名が全村的に残っていることを述べている。つまり古代・中世に由来する気配があるのに、それを調べていないし書いていない、という主張です。

■昭和56年の『角川日本地名大辞典 7 福島県』の小字一覧を昭和村域でみると、12の刈が確認できます。

(下中津川村)二十刈、三百刈、四百刈、百刈田

(野尻村)八十刈、二百刈

(大芦村)二百刈、下三百刈、上三百刈

(佐倉村)三百刈

(両原村)八十刈

(小野川村)四百刈

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■北陸(能登)を拠点とする気多(けた)神社は、会津地方には2社しか確認されていない。昭和村小中津川の気多神社と、会津坂下町塔寺近くの「気多の宮」の気多神社である。こちらは古墳群が近接地に多く所在する。

 昭和村の中津川(下中津川・小中津川)で見ると、下中津川に沢を渡御する際の地名の気多渕(けたぶち)、小中津川に気多神社があり、小中津川のそれは当初山中にあった、とされている。

 気多渕はいわゆる中世山ノ内の山城・猿舘山の入口にあたる沢の出合いで、1525年の田島の長沼氏の侵攻時の「喰丸一戦」にまつわる場所と比定されている(『大沼郡誌』)。

 会津地方の越後拠りに所在する気多神社、金山・西山の伊夜彦(弥彦)神社、喜多方の古四王(越王)神社は、古代大和朝廷の会津開拓を示す古社として認識されている。地名としては御坂(みさか)、御坂山。

奥会津・小中津川、気多神社由緒 keta

■2011年6月3日(金)

 今日の仕事は、花の販売の打合せ等での、日帰り上京。

 昨日午前、群馬県のカネコ種苗の徳弘さんがバイオロジカル社(イスラエル)の3種の新・かすみ草試作苗を持参された。午後は会津若松市で外部監査。下中津川の渡辺稔雄さんから、電話にて下中津川の髙舘山系の呼称地名の教示をいただく。

  法政大・小川孔輔先生の6月1日付け日本政府のオランダのフロリアード出展について具体的な批判をしている。→ 小川先生 グリーン・エクスペリエンス(緑の経験経済)、もの商品を買ってもらう時代は、終わっている。体験を通じて文化理解を高め、それが販売(即売)につながる。そのような仕組みを取り入れるべきだ。

■2010年秋、昭和村両原のフィールド・ワークをする前の事前調査で、同集落の羽染兵吉さん宅を訪問した。そのときに、いろいろな資料を拝見したなかに、小中津川の気多神社の由緒書きの写しがあり、それを以下に紹介する。原文はカタカナと漢字による縦書き表記であるが、カタカナをひらがなに改め、(西暦年)を示す。原本は近世の延宝三年(1675)。昭和54年に作られた現在の神社入り口の由緒写真と比較してほしい。当時の呼称でいえば中津川郷(いまは小中津川)の気多神社は903年(延喜三年)に創建され、会津藩の神社改めにより再勧請を1675年(延宝三年)に行った。

■由緒 気多大明神 勧請 延宝三年乙卯年三月吉日(1675年)

 元の御社は當(当)境内より東の山中に鎮座たりしを野火洩らし焼失し其時(そのとき)御社の大門前に杉古木あり。其処に御幣落ちあり故に其処に近郷の人集まり屋敷を造り御社を建て御勧請は延喜三年(903年)三月吉日たりと。

 其の御社は御本殿雨さらしにて御扉に錠なし。万治年間頃(1658年~)、行者体のもの来たりて御勧請持出し行きたりとのこと。其の後は後神の御勧請の代わりに御幣一本ありたりと。

 延宝三乙卯年(1675年)三月、服部安休殿、當社御改めに相成り、御勧請無くしてはならぬと仰せられたり。元とより御扉に錠なくしてならぬと仰せられし。其の時、新らしく御扉を造り錠を附け雨ざらしの宮を本殿にして五間半(約10m)四面の拝殿を建て御本殿を包みたり。

 御神の言い傳(伝)えには能登の國(国)羽咋の郡に鎮座気多の大神より移されたりとのこと。能登の國よりの御道中、當(当)社より西二十町程の処に沢あり。其の沢を越ゆる時、御神の御勧請を落とし申したり。其の処を気多淵(けたぶち)と名附けたりと傳(伝)ひあり。

 延宝三乙卯年三月吉日 謹書

■由緒中にある服部安休については、昭和48年(1973)に発刊された『昭和村の歴史』115ページに次の記載がある。これは田島町町史編纂室の故・室井康弘先生による執筆である。

 会津藩主の保科正之は寛文五年(1665)、六年の二ヶ年で、領内及び南山御蔵入領(現在の昭和村を含む奥会津・南会津)の寺院調査を行った。(略)

 寛文七年より十二年にかけて領内の神社改めを行った。その意図は、近世に入った統治の基本を武よりも文を重んじ、いわゆる文治政策に置いたが、治める者、治められる者ともに日本古来の神を尊び、神道に則った精神によって理想の政治を行おうとするところにあった。

 そのために領内に於ける神社を改め、神仏習合の平安時代以来の信仰のあり方をつとめて神と仏の分離をはかり、神社の整理、淫祠の破却、名社復興の政策を打ち出した。

 神社改めには家老友松氏興、郡奉行木村忠右衛門、侍講服部安休が全会津を巡村してひとつずつ調べた。その結果領内全域より大小1800余の神社を公認し、残りは破却あるいは合祀を命じたといわれる。即ち神社は清潔の地に本社を定め、他は相殿(一社殿に合わせ)に祀ること。民間の居住地にある社は全て取り払って相殿とすること。社跡の地はなるべく田畠に開き、一郡限りまとめて社倉に納め、神社の修復料にあてること。神社の修復を村民自力で行いたき由願い出たときは許可することなどがその内容である(『会津若松史』巻三)。

 ※神社改めは寛文十二年(1672)までと、それを受けて小中津川気多神社の再勧請は延宝三年(1675)と読める。

 ※後段に下中津川の熊野神社は村主佐瀬、代官入善は山ノ内氏の代官であろうから、と室井先生は書いているがそれは誤りである。蘆名氏(芦名氏)の宿老の佐瀬氏である。『昭和村の歴史』46ページ、中世は山口孝平氏による執筆で、「戦国末ではあるが、下中津川の半分が蘆名の重臣佐瀬源兵衛の知行地、半分が川口の山ノ内左衛門佐の領地であったと伝えられているが、佐瀬源兵衛の知行地はおそらくはじめはこの文書(長享二年、1488年の奥州會津大沼郡中津河の村の中、のしり(野尻)のむら、、、この時代はこの地方を広く中津川郷といったと思われる)にある松本氏の知行地であったものが、松本氏に代わって守護人になった佐瀬氏の知行地になったものであろう」としている。なお、36ページで山口氏は「会津の中世というと『会津四家(蘆名、山ノ内、河原田、長沼)合全』なる書が会津地方に流布していて、(略)この書は江戸時代の中期頃、民間で系図づくりの流行したとき、地方を廻って歩いた系図書きといわれたものがつくった偽書であって、何ら中世の史料的価値のないひどいものである」と断じている。

■写真は現在神社参道入口(国道400号沿い)右手に設置されたもの。昭和54年(1979)4月。内容は潤色されている。延宝三年の由緒に書かれていないこととして、東の山のなかに旧の社跡があり、石灯籠が埋まっていて、それの記銘は、「文和三年壬辰建之」と切り付けている、と書かれている。文和三年は1354年であるが、甲午年である。壬辰年は文和元年は1352年であるので、「文和元年壬辰年(1352)」であろう。

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2011年6月 1日 (水曜日)

花坂の外記 hanazaka-no-geki

■2011年6月2日(木)

 『農耕と園芸』七月掲載原稿を誠文堂新光社の編集部・新出さん宛送付した。大田花きの宍戸純さんからの書簡に応える内容です。

 6月1日は雨、気温10度と寒い日。ビニルハウス内でかすみ草のわき芽欠き作業。午後は入荷したプラグ苗をポットに仮植する作業。MPS現地審査官の案内も終了。帰途、田島の田部の湯田浩仁さん宅の水無川右岸の圃場を訪問。あじさいの株の管理をしているところでした。6月8日の会津MPS連絡会の諸連絡と、先日の御礼を申し上げた。住化農業資材(大阪)のかすみ草担当の西川晶さんが、花の事業から別の事業部に転出された。かすみ草の日本のビジョンや産地育成にたいへんお世話になった。

 今日(2日)は群馬県のカネコ種苗の徳弘さんが来村される。早生種メレンゲのかすみ草種苗を担当されている。

 明日(3日)は花の品質管理の打ち合わせ会があり、松島さんに会う予定。

■昭和48年(1973)に奥会津・昭和村が発刊した『昭和村の歴史』195ページに、「花坂の外記」という伝説が掲載されている。大正12年の『大沼郡誌』には美女峠の伝記が詳細に書かれ、それを受け、『昭和村の歴史』も、伝記の1にそれを掲載している。内容は郡誌が詳細である。伝記の2が、下中津川開村伝承にまつわる伝説である。採録したのは大芦の五十嵐朝良(ともよし)先生(故人)で、からむしの栽培等についても業績のある郷土史家。

 このところ中津川(下中津川・小中津川)を歩き、文献も渉猟しているが、6月1日夜、野尻のYさん宅で『会津四家合全』の山ノ内家の系図等を見るなかで、人物である外記そのものが掲載されているのを確認した。『合全』の内容の信憑性については議論があることも事実である。

■現在の金山町川口の「川口山ノ内俊甫 其子 俊満家頼(家来)明記」として「家老四人」、「諸士役不知」の144名のなかに現昭和村域のものとして「栗城帯刀 松山二住む」。「近習足軽八十人並小頭四人」そして、「旗下一族」として「本名但馬 下中津川 其子雅楽 其子外記 家頼二十人 足軽十人」

■また現在の昭和村の域内には、中世には、支配者の野尻山ノ内氏の所領だけでなく、川口山ノ内氏、会津若松(黒川)の蘆名氏の所領が混在している、ということがわかる。中津川(小中津川・下中津川)が川口の山ノ内氏の所領である、ということ。川口山ノ内氏は伊達の会津侵攻後、秀吉による奥州仕置きで米沢、仙台へと移転しているが、それに臣従して片倉小十郎(景綱)の白石城下に行っている。川口山ノ内氏の動静は、金山町出身の栗城正義さんの『忠誠日本一』(歴史春秋社、2009年刊)に詳しい。

 川口山ノ内氏の所領で現在の昭和村域集落名:松山、小中津川、下中津川、荒屋敷(現在の下中津川字新屋敷)、根岸(下中津川字根岸)、上平(下中津川字上平)の6地区がそうである。

 また下中津川の半分は蘆名家宿老(四天王)の一人、「佐瀬源兵衛領でその代官入善三郎右衛門住」と明記している。この二名の名は、当時の熊野神社棟札にある。下中津川中心部の現在の役場北側にある熊野神社は、昭和26年の火災で焼失して再建したものであるが、これ自体、会津若松の覇者・蘆名氏の宿老佐瀬氏が造営したものである。

■『福島県史』第7巻(昭和41年)の1061ページに、資料が掲載されているが、棟札そのものは失われ、『会津旧事雑考』に掲載されている、としている。

永禄七年八月二十四日

大沼郡中津川下村 熊野権現社造営

邑主 佐瀬源兵衛

代官 入善三郎右衛門 本願也

■永禄七年は1564年。野尻山ノ内氏の所領であるなかに川口山ノ内氏の所領が現在の松山、下中津川と小中津川にあり、その下中津川の熊野神社付近は蘆名氏宿老の佐瀬氏が所領し代官が住み、熊野神社を造営している。

 なぜ野尻山ノ内氏領内に、蘆名氏の領地があり、それを川口山ノ内氏領が取り囲むのか?が課題であるが、田島の長沼氏の野尻領への二度の侵攻(1525年・大永五年)に遠因は求められると思っている。

 中津川(小中津川・下中津川)は野尻山ノ内領内でありながら、川口山ノ内氏が領有しており、この川口山ノ内氏は伊達に臣従し宮城県の白石城下にあること、そうした中世から近世初頭の状況が「白石」と、中津川(現・昭和村)を結びつけていると思われる。さらに開村伝承の山際から平地(水田開発)への進出をうかがわせる川沿いへの杉の植林、それが明治期には伐られる、という社会の変化が予見される伝説が「花坂の外記」であろう。以下紹介する。

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■花坂の外記(『昭和村の歴史』五十嵐朝良参考資料より)

 昔、下中津川はじまりの頃、中村賀茂・沖の織部・宿の原雅楽・花坂の外記の四人が住んでおりました。

 この人たちを下中津川の四座と里人は呼んでおりましたが、なかでも字田中の東の方、山際の小高い丘を花坂といって、ここの住人栗城外記が全盛をきわめており、「花坂の外記さま」と呼んでおりました。

 主(あるじ)外記が盛んな頃は、その名が奥州の白石(現在の宮城県白石市、伊達仙台藩)にまでとどろきました。

 そのころ、白石に年を経た大蛇が住んでいましたが、このうわさを聞いて、そんな大尽のところに住みたいと思い、ある夜、一晩のうちに山河を越して花坂の外記屋敷にやってきました。

 大きな屋敷を見ますと、土蔵があり、そのなかに住もうとしますと、戸締まりが固くて入ることが出来ませんでした。

 まだ夜のことでもあり、長い旅でもあったので大蛇はひと休みしようと蔵の戸前の石を枕にうたたねしているうちに、ぐっすり寝てしまいました。

 夜が明けてからこの家の下男が、見廻りに蔵の前に来てみると、大蛇が戸前の石を枕に寝ているのに驚き、屋敷中大騒ぎとなりました。奉公人たち四、五人集まって、相談のうえ、そのうちの力持ちの者が大きな掛矢(かけや)をもって、大蛇にしのびより、その頭にむかって力一杯に打ち下ろしました。

 長旅の疲れもあって、さすがの大蛇も石の上の頭を打たれて、七転八倒のたうちまわって死んでしまいました。

 奉公人たちは、大蛇の死体を宿の原の下手の川べりに運んで埋め、そのうえに杉の木を一本植えました。

 それからというものは、この花坂の屋敷に何か不吉なことばかり、たび重なってついに外記屋敷は絶えてしまいました。

 大蛇の埋めたあとに植えた杉は、その後、大人四、五人でやっとまわるような大木になりましたが、明治のはじめのころ伐ったといわれています。

 

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上:熊野神社(下中津川)  下:花坂(下中津川)  菅家博昭撮影2011年6月1日 

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5月末の台風2号被害・沖縄の花

■2011年6月1日(水)

 昨日(5月31日)は、MPS現地審査の圃場案内で矢ノ原高原等を歩きました。

■台風2号による沖縄県内の花栽培の被害が出ています。

→ 沖縄県花卉

→ 中央花卉

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