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2012年12月21日 (金)

淵川忠之助 fuchikawa

■明治元年(1868)、会津戊辰戦争時、西軍(新政府軍)が八十里越(只見町叶津)から布沢村、吉尾峠を経て、野尻組(現・昭和村)に九月八日から信州・松本藩兵士が十人ばかり偵察で中向に入って来る。九日に下中津川まで来て引き返し野尻に泊まる。十日は小中津川から柳沢峠から琵琶首に、小野川をまわり下中津川に泊。野尻組に繰り込んだ官軍は六百人ばかり(小中津川村名主栗城義綱『公私摘要』)。

 この野尻組の会津藩代官所が置かれていた野尻村に、西軍は駐屯本部である野尻会議所を設置した。

 『復古記』では、九月十日に着陣したのは信州松本藩兵(『復古記』戸田光則家記による)と、御親兵(遊軍隊日誌)。野尻組内、数名の村人を案内とし斥候(偵察)。

 九月十一日に野尻村に着いた高崎藩兵は、野尻村で会議所より指図(御差図)を受け、大蘆村(現・昭和村大字大芦)の守衛と、喰丸峠に斥候兵を出すよう言われる(大河内輝声家記)。十一日に喰丸峠の戦いが行われる(後述)。ここで松本藩兵は野尻会議所の参謀代河野利助から指図され即刻喰丸峠へ派兵する。

 小野川から来た会津藩と、喰丸沢の戦争で官軍勢四、五人怪我(『公私摘要』)。

 十二日、西軍の遊軍隊(御親兵)は喰丸側から峠を進み小野川村へ侵攻、小野川村で会津藩兵が捨てた器械弾薬等を見て、すぐ博士峠から下谷ヶ地に進み戦闘、会津藩兵一名死、生け捕り一名。小野川の会津藩兵は田島に退却した(遊軍隊日誌)とするが、桑取火から退却できるが、沼ノ平の陣に退却したと考えられる。遊軍隊はさらに会津高田に向け宮川を北に進撃する。

 十四日、遊軍隊は会津藩兵が守っていた沼ノ平村(会津美里町)を侵攻し本陣を置く。博士峠から増員された、加賀藩今井久太郎隊は大砲一門と兵十人を付す(金沢藩記)。十六日に観音村より進撃。砲門は中冑村に据える。

 十六日、冑村の水戸藩兵と永井野村に遊軍隊は、侵攻しようとするが会津藩兵の反攻が激しく、水戸藩は藤江村まで退却、御親兵(遊軍隊)は沼ノ平村まで退却。加賀藩の砲兵は十七日に観音村まで退却し、田島口間道を守る。

 九月十三日に高崎藩兵は野尻会議所より黒沢口(転石峠)斥候を命じられ村人を案内とし一分隊で行ったところ、道筋の右嶺から会津藩兵二十、三十人に射撃され、引き返す(大河内輝声家記節略)。

 二十三日、野尻組外で戦闘していた西軍は西谷村(現・金山町西谷)まで退却したところ、野尻村会議所より市川助一郎出張致居り、指図を受ける(本多助順家記)。

 二十四日、山口村(旧・南郷村山口)で西軍三藩は形勢不利で退却し、野尻会議所に応援を注進する(内藤頼直家記略)。

 十津川郷兵は九月十八日に中向に着陣していたが、二十四日大芦奇襲の報を加賀藩から聞き、布沢口(只見町)へ進軍する。山上より会津藩兵七十、八十人ばかりが迫り富山藩とともに戦う。会津藩兵は小林口へ敗走(十津川郷兵出張事録)。

 この間、博士峠を進攻した遊軍隊・金沢藩兵は野尻組に戻っている。大山柏『戊辰役戦史(下)』239ページで、

 「野尻から増援に来た御親兵(遊軍隊、二小隊編制)に出会った。九月十八日の(会津)高田攻撃に参加後、二十三日は中向に到着、翌二十四日に吉尾峠から布沢に進撃する。

 斥候を出し、野尻組を囲む峠ごと会津藩兵が進攻しようとしている。中向は吉尾峠(布沢口)、下中津川・大芦の鳥居峠(界口)、大芦の転石峠(ころぶし峠、黒沢口)、両原と大芦の船鼻峠(田島口)を固める。喰丸は博士峠から喰丸峠。そこで田島陣屋の佐川官兵衛により指図され、浅布に滞陣していた会津藩三隊が二十三日夜から進軍し、大芦村の西軍を二十四日早朝に攻撃する(会津藩の動きは後述)。

 九月二十四日、信州・飯田藩兵は野尻会議所の軍曹・淵川忠之助同道で下中津川村まで進軍したところ、高崎藩・加賀藩が駐屯守衛する大芦村を会津藩兵に奇襲放火され、官軍不利と伝令を受ける(飯田藩記)。飯田藩は鳥井峠の下中津川新田奥の屋敷平に台場二箇所を築き野陣。夜に淵川軍曹からの伝令で、さらに一里(4kmほど)奥の峠付近まで進み界口(旧・南郷村界)からの敵兵に備えるよう指示され進軍する。

 早朝に大芦村で奇襲を受けた高崎藩兵・加賀藩兵らは、小中津川村口(田の口沢)まで退却したところ、野尻会議所の軍曹・淵川忠之助に会い、指図される(大河内輝声家記節略。二十四日より淵川軍曹が記述される)。その後、

 下中津川村から八幡神社、矢ノ原に向かう矢ノ原道、小中津川の田の沢口から大芦へ進軍する。

 喰丸村に駐屯している尾張藩五味眞一隊は、大芦村が会津藩兵に奇襲されたことから、両原村へ進軍する(徳川義宜家譜)。船鼻峠から野尻組の守備。

 二十九日に十津川兵は中向に引き返し、総勢陣払御沙汰となり、十月九日に新発田まで引き上げる。

 十月九日に大芦村を金沢藩今枝民部一中隊が引き上げ、十三日に新発田着。

■以上は、明治二十二年、明治政府編『復古記』(復古外記 越後口戦記 第十七 明治元年九月二十四日、二七三・四ページ)前後の西軍を構成した各派兵隊の記述から引用した。

 御親兵(薩長等)は進軍しながら戦線の拠点ごとに会議所を設営し司令所としている。野尻村会議所は伊南伊北、金山谷の司令所として機能している。これは会津藩が野尻に御用場(代官所)を置き、若松城や田島代官所からの指示を受けた。会津藩撤退後、西軍の会議所が置かれ、大小荷駄(後方支援)も置かれた。

■明治二十二年東京生まれの大山柏は、昭和四十五年逝去。終戦後、栃木県西那須野に居住し戊辰戦争の研究をし、昭和四十三年に『戊辰役戦史』(上下巻)を時事通信社より出版する(上巻九六五ページ・下巻九三〇ページ)。

 下巻二四三ページには、野尻には官軍の派遣隊本部があったらしく、ここに軍曹淵川忠之助がいて指揮をとったらしい。また野尻には飯田一小隊が警備していたらしい。

 下巻一四一ページで、各藩報に軍曹淵川忠之助なる人が下令をしているが、果たして指揮官であるのか未詳である。また参謀代河野利助という名も出て来るが、果たして最高指揮者か、これも未詳である。だからこれを八十里越派遣隊と仮称し、支隊と言わない。その兵力編組も一向に判らないが、最初に八十里ないし六十里越を越えて会津領叶津に達した。松代藩、松本藩、須坂藩、尾張藩、金沢藩、高遠藩、飯田藩、高崎藩、御親兵(遊軍隊)。

■十二月になり、この三週間ほど、この淵川忠之助について調べたところ、ようやく昨日にわかった。

 慶応三年(1867)、京都白河の土佐藩邸で、中岡慎太郎が結成した浪士隊である陸援隊士に水戸(常陸)藩出身の淵川忠之助(渕川忠之介)がいた。西軍の指令者としては理解できる履歴である。

 一方、戊辰戦争では、水戸藩士はふたつに割れ、水戸藩士は会津藩内でも会津藩とともに戦闘参加しているが、西軍にも水戸藩は派兵している。

 野尻組小中津川村名主の栗城浜三義綱が記録した『公私摘要』にも、十月十二日の野尻大小荷駄様宛の御手形頂戴調之分として、西軍駐屯時の小中津川村分費用として米四石余分を代金受け取りしている。それには、

 加州 今枝民部様隊(加賀藩)

 加州 今井様(加賀藩)

 尾州 五味様(尾張藩)

 水戸様 十人(水戸藩)

 松本様 八十人様 御一飯(松本藩)

 松本 鶴見様隊 御三人分(松本藩)

 松代 牧野様(松代藩)

 松代 小見山様(松代藩)

 松代 軍監方二人(松代藩)

 松代、松本、水戸四人(松代藩・松本藩・水戸藩)

 松本藩 一番小隊六十六人

 須坂様 (須坂藩)

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