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2013年1月 2日 (水)

喰丸峠の戦い

■『復古録』「復古外記 越後口戦記 第十三」明治元年九月十一日の喰丸峠の戦闘部分の、各隊の記録を見る。
「戸田光則 旧松本藩家記」は
①弊藩鶴見六野右衛門隊、九月十日、野尻村迄著陣イタシ候処、賊兵数百人、小野川村二屯集罷在、追々繰出、野尻村之方ヘ廻リ候趣相聞候ニ付、加藩(加賀藩)一小隊、弊藩(松本藩)一小隊、小中津川村辺迄進撃可致旨、
②翌十一日、参謀代河野利助方ヨリ談示有之ニ付、即刻兵隊繰出シ、喰丸村迄相進候処、③賊兵同所峠へ押来リ、八ッ時(午後二時)過ヨリ、発砲及び戦争、七ッ時(午後四時)過ニ至、賊徒悉打払、尚夫々厳重守衛罷在候。

「遊軍隊日誌」では、
④九月十日、会津郡中向村マテ進軍、
⑤同十一日夕景、喰丸村斥候兵差出候処、於彼地加州(加賀藩)兵並大河内兵隊(高崎藩)等行逢、互ニ示合い、喰丸峠ニ相進候処、於同所賊兵ニ出会、砲戦相始候趣知有之二小隊共、直ニ喰丸峠繰出候処、及暮、双方砲戦相止ミ、加州勢、大河内勢共ニ引揚ケ候ニ付、当隊二小隊、同所ニ対陣、
⑥翌十二日未明ニ到進撃、昼十二字比(十二時頃)、小野川村マテ相進ミ候処、賊兵、器械並弾薬等打捨、及敗走候間、其儘(そのまま)下谷ヶ池(地)村ニ到進軍候処、賊兵田島ノ方ヘ敗走候事、於同所討捕一人、生捕一人。会藩服部留吉、

「金沢藩記節略」(加賀藩)
⑦今井久太郎隊、九月十一日、野尻村ヘ進ム、賊来襲ントスルヲ告ク、転シテ小中津川ヘ進、又小野川村ノ屯賊襲来ルヲ告ク、因テ斥候十一人ヲ進ム、喰丸峠ニテ賊百余人ニ逢フ、直チニ激戦奮撃、賊敗走ス、然レトモ衆寡不偶、因テ、暫時喰丸村ヘ引ク、又高崎藩ト代リ、小中津川ヘ進。

「大河内輝声家記」(高崎藩)
⑧弊藩一小隊、九月十一日、野尻村迄進軍、会議所ヨリ御差図、大芦村ヘ繰込守衛可仕旨ニ付、小中津川村ニテ加藩(加賀藩)ニ出会候処、小野川村辺ヨリ、賊徒五百人ノ先触相越候旨ニ付、喰丸峠迄斥候ノ者差出置、可打合ト談有之、同村ヘ繰込候、斥候ニハ加藩七八人、松本藩五六人、御親兵一両人罷越居、即今、見張リヨリ賊八十人程、当村へ襲来候由申聞候間、直様、弊藩斥候両三人差出、一分隊跡ヘ可相進、手組外半小隊ハ大芦村入口守兵相配候処、無間喰丸嶺ニテ砲声相聞候ニ付、直ニ繰詰、烈シク砲戦シ、賊徒散々打退ケ候候間、其場所取固罷在候処、暁八時頃、御親兵為交兵相越候ニ付、引渡、大芦村ヘ繰込申候、同村田島口、黒沢口両所、半小隊宛分隊ニテ相守。

 これらの記録から十一日の復元を行ってみる。

 九月九日、松本藩兵は会津藩兵が野尻村に進軍してくる情報を受け、①十日に、松本藩一小隊と加賀藩一小隊に小中津川村まで進軍することになる。松本藩は小中津川村から柳ヶ沢峠を経て琵琶首、小野川村の斥候で、博士峠から小野川村を経て会津藩兵が進軍してくる情報の確認をする。
 ただし⑦加賀(金沢)藩の今井久太郎隊は十一日に野尻村に着き、小中津川村に転進した、としている。十日の金沢藩兵一小隊はその先陣かもしれない。

 九月十一日、②野尻村にある会議所の参謀代河野利助より松本藩鶴見六野右衛門隊は指示があり喰丸村まで行く。⑦加賀(金沢)藩の今井久太郎隊は十一日に野尻村に着き、小野川村から会津藩兵が進軍してくるため小中津川村に転進した、⑧高崎藩一小隊は十一日に野尻村に着陣したところ、会議所より大芦村の守備という指示を受け、向かう。しかし小中津川村の加賀藩に会い、小野川村から会津藩が進軍してくることを知る。
 加賀藩と高崎藩では相談し喰丸峠に情況調査のために本隊を喰丸まで進めながら先発に喰丸峠に斥候を出すこととする。
 喰丸峠への斥候兵の内訳は⑧加賀藩は七、八人、松本藩より五、六人、御親兵一両人(十三から十五人であるが、⑦加賀藩の記録では斥候十一人)、即今、見張りより会津藩兵が八十人程、喰丸村へ襲来するというので、すぐ、高崎藩も斥候三人差出す。
 これをみると、加賀藩、松本藩、御親兵(遊軍隊)、高崎藩が喰丸村に詰めていることがわかる。

 高崎藩は半小隊を喰丸村の大芦口(喰丸の寺から小矢ノ原を越える峠の入口と想定される)を固めていたが、喰丸嶺(尾根)で砲声があり喰丸沢に進軍し交戦する。その後、喰丸峠口を守備していたが、十二日の暁八時(午前二時)に御親兵(遊軍隊)が来たので、大芦村に移り、大芦村内の田島口(見沢川)と黒沢口(畑沢川)をそれぞれ半小隊で守備する。加賀藩記では高崎藩が来たので加賀藩は小中津川村まで引き返す。
 これを見ると田島陣屋に本拠を持つ会津藩の佐川官兵衛隊の野尻組への進軍を予想して守りを固めていることがわかる。十五日には尾張藩の五味真一隊が喰丸村に到着し両原村の舟鼻峠口を守る。

 加賀藩は小中津川村まで戻り(後に大芦村の守備につく)、高崎藩が未明に大芦村に移動し、残った松本藩が喰丸峠(喰丸村)の守備につく。遊軍隊(御親兵)の二小隊は十二日の未明から喰丸峠を進撃して小野川村、博士峠、下谷ヶ地まで進軍する。

 十二日、博士峠を進軍し下谷ヶ地に着いた遊軍隊二小隊は会津藩の一名を殺し、一名を捕虜とする。⑥会津藩兵の服部留吉が戦死している(会津藩士の慰霊記録にもある)。
 下谷ヶ地で会津藩兵は田島に敗走したことを知るが、これは桑取火村への峠を経て行ったと思われる。ただ、この情報は捕虜から入手したか村人から聞いたのだろうが、下谷ヶ地の下流の沼ノ平に会津藩は陣を構えており、通常であれば高田・永井野側に敗走したと考えるが、あえて違う道を言い、敗走の時間を稼いだ可能性がある。それは会津藩兵は沼ノ平と谷ヶ地の間にある観音村に陣地を築くことをはじめたことからも推察できる。
 九月十三日は野尻村の会議所(新政府軍本部)に連絡をし、砲撃隊の支援要請をして、会津藩の観音村陣地、沼ノ平村の陣地も新政府軍の遊撃隊により九月十四日に占拠される。
 小中津川付近にいた加賀藩の今井隊より砲一門と砲手十名が博士峠を越えて遊軍隊のいる沼ノ平に到着し、遊軍隊はこれと翌十六日には永井野南側の会津藩を攻撃すべく、午後一時頃松岸(永井野南一キロ)付近に到着し、交戦するが、観音村、沼ノ平村まで退却する。

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