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2013年1月 9日 (水)

大芦村の会津戊辰戦争、あたらに確認したこと

■もと会津藩士の記録集成『会津戊辰戦史』(一九三三年刊)では、朱雀三番士中隊書出等を根拠に、田島にて大芦村の農民二名を捕らえてそれを大芦村奇襲の道案内にした、としている。これをもとに『昭和村の歴史』(一九七三年)の戊辰役関係は室井康弘氏により編まれている。

 この書出の原本(原出典)を探し、原文がそのままであるのかを確認しなければならないが、四番士中隊誌は公刊されているが、三番隊のものはいまだ探し出せない。
 しかし今回新たに原典にあたり検証した結果、会津藩進撃隊士二名の手記(荒川勝茂、渡辺多門)では、大芦村の農民一名が案内している。そして彼が詳細な新政府軍の野尻組内の配置情報を自主的に伝え、そのことにより守備兵を唯一置かない輪の沢からの奇襲戦が立案されている。そして道案内(朱雀三番士中隊でも斥候を二名)。

 進撃隊の荒川兵士は田島駐屯中の九月二十二日の休暇に同僚と、田島の愛宕様に登り、祈念している。愛宕様は勝戦の神仏である。彼等が九月二十四日の午前八時の大芦村落内への突入を行うのだが、仮に大芦村の愛宕山頂を経由して下山し大山祇神社境内から村落内に突入したとすれば、愛宕様の石祠・堂宇の存在を手記に書いたと思われるが、それが無い。また大芦村の愛宕山は中世の山城跡であり、参道(山道)も二箇所あるため、新政府軍による見張り場として既に利用されていたと思われる。
 大芦村の農民の情報というのは、見沢口(船鼻峠)、黒沢口(転石峠)に守備隊が砲台を構えている、また本営がどの家であるか、弾薬等荷駄の置き場を確認して分隊進軍している。大芦村の中組の本営の名主宅を襲うのは朱雀三番士中隊(小野田隊)、山崎と中見沢を急襲し物品の分捕の担当が進撃隊である。
 転石峠から進軍する朱雀三番寄合組隊は、黒沢口から転石峠付近および畑小屋木地村落と進むと思われるが、こちらも当然、農民の案内が付いたと思われる。そして新政府軍の兵士のいない山中を迂回していると考えるのが常識で、危険な畑沢川沿いを北進せずに、畑小屋から輪の沢に抜ける村人や猟師、木地屋が使う山道ルートで進軍するはずである。この輪の沢が大芦村落と出合う場所が屋敷原である。
 分捕り品は大芦駐屯の新政府軍兵士が撤退したため、主街道の見沢口船鼻峠、黒沢口(畑沢川)転石峠を経ていると思われる。これは大芦で調達した農民を人足として運搬させているためである。撤退時に、一部、道に迷う兵士らも出ているが、会津藩の主隊は街道で移動したと思われる。

 また会津藩進撃隊士の渡辺加門の手記に、先鋒の朱雀三番士中隊は神社境内から鉄砲で撃ちかけ、同時に本営を抜刀して襲撃しているが、その際、新政府軍(加賀藩・高崎藩)が「放火」したため、分捕り品が少ない、と、たいへん重要なことを書いている。これは、名主家は新政府軍が母屋と土蔵に放火したという伝承に一致する。これも今回の検証で新しくわかった事実である。
 放火で焼失したのは二十五軒(『大沼郡誌』)、あるいは二十九軒という記録になっている。当時の茅葺き家屋は一軒でも火が付けば、民家はすぐに類焼し数十軒村落全体が焼失する、というのは過去の火災記録で明かである。


 会津藩の朱雀三番士中隊(小野田隊、二十五名)による大芦村の新政府軍の拠点の初期突入時(午前八時)に、新政府軍が自らの本営の名主星友之助(朋之助とも)家に放火し、矢ノ原道、田の沢口を撤退した。進撃隊は二隊に分かれ山崎の荷駄類、中見沢(砲台)を占拠。これは現代流に表現すれば本営や砲台をピンポイントで襲撃し、占拠、収奪を少ない人数で効率的に行うためには敵営の正確な情報によるもので、進撃隊士の渡辺多門は浅布村の宿舎でそれを聞いたなかで、彼(農民)による情報が奇襲戦のすべてである、という意味の評価をしている(「辰之日記草稿」)。
 大芦村落の中組から出火した火が数軒に広がり延焼するなか、二隊は民家・倉庫に立ち入り散乱した物品から必要なもの(千両箱、兵器類、食糧類等)を捕獲し、折から新政府軍の人足で召集されていた村人を人足として船鼻峠筋での運搬を開始し、その人足の離脱を防ぎ、新政府軍の追撃から運搬班を守るため数名の進撃隊兵士を随行させている。
 会津藩使用の兵器類に不適合の弾等は大山祇神社境内に運搬する。
 遅れて朱雀藩三番寄合組隊が到着。同隊は先陣の二隊は、分捕り品の運搬等をすでに行っていることから、さらに現状の把握のために、赤田の佐藤音之助と政十を道案内に野村新平等の斥候兵士が付き、下中津川・野尻等の偵察に出発。こうしたことから考えれば、大向から田の口沢、鳥井峠筋、小矢ノ原から喰丸までの三方に道案内と斥候兵士を派遣したと考えられる(正午頃)。
 矢ノ原で会津藩の斥候隊は新政府軍本隊により撃破される。下中津川新田の屋敷平に砲台二基(鳥井峠)、下中津川矢ノ原口の八幡神社、小中津川村の田の沢口の愛宕様・ハゲ山、千石沢や喰丸峠の小矢ノ原口、両原の赤坂峠口も新政府軍は固め、下中津川八幡神社の矢ノ原口から本隊を大芦村に進軍させたものだろう。

 会津藩の退路についての検証も今後行うが、その際の篝火や木地小屋の畑小屋の放火等、それは事実であるのかどうか?ということも重要なことである。
 進撃隊士の二名の手記は共通する項目が多く、また朱雀三番士中隊書出(未見)も、戦後謹慎中の越後高田で戦争調書の形で、記述する語句や形式に共通なものが見られ、戦犯として裁かれること、周囲の戦争協力者への悪影響も考慮・想定し隊ごとに基準となる調書記録が作成され共有化されていたと考えられる。
 いずれ書かれた記録は記録としそれをどのように検証するかは重要である。
 進撃隊士は正規兵ではなく藩の官僚たる文官出身者が多く、記録者という気質および物品の調達隊で二陣目に行き、最初に撤退するから、全体像を見ていないが、それゆえ、共通の戦闘記述のほかに、私情を記している。たとえば渡辺多門は舟鼻峠で流星火(見張りの連絡のための花火)を見ている、荒川勝茂は必ずその日の合い言葉を書いている、、、、本来、敵に捕縛された場合の本隊の情報流出を防ぐために、こうしたことは記録し所持しない(後日、想起して書いていると思われる)。矢ノ原で戦死した会津藩士朱雀三番寄合組隊の野村新平の所持品でもわかる。

 村人の伝承と、会津藩兵士の手記による九月二十四日の時系列を考えた詳細な復元は可能である。

(昭和村大岐 農業 菅家博昭二〇一三年一月九日記)

20130106

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