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2013年1月 3日 (木)

大山柏による、九月二十四日の大芦付近の戦闘

■大山柏『戊辰役戦史(下)』(時事通信社、一九六八年刊)の二四三頁より

 中部山地方面大芦付近の戦闘(九月二十四日)

 先ず官軍側の状況を見ると、中央隊は九月十、十一日頃には中央地区の喰丸、両原、大芦、小中津川(いずれも野尻南東)に金沢二隊、尾一隊、高崎一隊の四隊で守備し、主として南東の田島方面に対し警戒していた。野尻には派遣隊本部があったらしく、ここに軍曹淵川忠之助がいて指揮をとったらしい。また野尻には飯田一小隊が警備していたらしい。

 ところが九月十八日、官軍高田攻略の結果、敗退した会軍は漸次田島に向かい後退して来る。田島付近を領有する限りその安全を確保し、かつ給養を充実させるためには、山間の谷地をなし得る限り広く保有しなければならない。この地は会津領なのだから、住民は会軍についてくる。この主旨に基づいて九月十八日敗戦以降、漸次敗兵を田島に集結した。

 上述のごとく、九月二十二日にはその一部を南方に出動せしめている。それは高田にいた佐川兵団のみでなく、更に福永に集結していた元の一順兵団も九月十八日に同じく南方に後退して合同したから、全兵力は幾分充実してきた。しかし打続く戦闘で各隊人員の消耗は申すにおよばず、兵器、弾薬の補給も甚だ不十分である。衣服如きも正規兵といえどもまだ夏服を着用(戊辰は閏年で平年よりも一ヶ月遅れだから、九月末ということは平年の十月末に当たり、山地ではそろそろ雪を見る)している有様である。

 而して九月二十二日砲兵隊の南方出動とともに、大芦、喰丸、沼尻等の官軍を撃撰すべく、朱雀三番士中隊(長、小野田雄之助)、進撃隊(長、武井柯亭。この隊の内容未詳。兵力五十余名のごとし)に出動を命じた。別に朱雀三番寄合組隊(隊長未詳)も協同戦闘している。朱雀三番士中隊(以下、小野田隊と略称)と進撃隊とは同じく二十三日田島を発し、浅布(田島北西三キロ)に宿営、次の諜報を得た。即ち「大芦には加賀、高崎の兵六百余が胸墻を両原、喰丸に築いて守備している」とのことで、両隊は翌二十四日をもって、この敵を攻撃することに決した。

 而して朱雀三番寄合組隊の方は黒沢(田島の西六キロ、針生道上)から転石峠(黒沢北為西五キロ、標高一一一五メートル)を経て大芦南西部に攻撃することとし、二十三日正子(午前零時)をもって両隊は浅布を出発した。約五キロにして舟ヶ鼻峠(標高一○二七メートル)を越え、更に三キロにして大芦道と両原道との分岐点に達した。ここで兵を区署し、大砲(砲を有していた記事はこれまではなく、ここに初見。会戊戦史六三九)を備えた農兵隊(内容未詳。これも初見)をして、両原方面に近づき砲撃して、ここの敵を牽制せしめ、主力両隊は直路大芦に向かうが、進撃隊は本道上を大芦東北端に進み、小野田隊長は隊士二十五人を率い本道南西の山を越え、大芦中央部に突入するという計画で進んだ。而して払暁にはそれぞれ予定地に到着したが、両原口で官軍を牽制する筈の銃砲声は少しも聞こえない。しかし、これを待っていては時機を失する恐れがあるので、小野田隊は構わず大芦に突込んだ。最早や小銃戦の余裕なく、会兵は白兵突撃した。これと相前後して進撃隊五十余名もまた突込んだ。
 官軍は全く不意の奇襲を受けたため哨兵以外は何の備えもない。取るものも取りあえず若干は抗戦したが忽ち大敗走、各方面にテンデンバラバラに逃げる(大芦から小中津川、下中津川(いずれも野尻南東、野尻川河谷)には三本ほどの山道が在る)。この報をどこで受けたか未詳だが、淵川軍曹は飯田一小隊を引率して小中津川(野尻南東五キロ)に至り、敗兵を区署して備えを立直させ、時刻は未詳だが、加賀二隊、高崎一隊の大芦守備隊をして、下中津-小中津の中間にある山道より大芦に向かわせ、新鋭の飯田兵は左翼の別路を守らせ、回復攻撃に前進した。高崎兵のごときは金沢兵より兵器、弾薬の補給を受け、淵川軍曹の指揮で下中津川より約三キロの矢ノ原において会軍と遭遇した。ここは原とは言うが小丘が連続し、低地には湿原在る地方だから、軍隊の運用不便で、忽ち火兵戦となった。こうなると兵力上では倍近い官軍銃火に会軍は次第に圧倒され、止むなく歩々後退。官軍の方は勢いづいて進んでは撃ち撃っては進み、ついに大芦に達した。会軍は僅かに朱雀三番寄合組隊の半小隊(人員未詳)が黒沢よりから増加しただけで、火力が足りない。官軍の砲は淵川軍曹が督戦しているから、弱腰になれないで、一生懸命攻撃前進、ついに夕刻におよんで悉く大芦を回復した。会軍は再び山地に退き、ついに浅布に引上げ、折角いったん占領した大芦を取返されてしまった。而して会軍が退却して両原との分岐点に達してみると、両原攻撃に向かう筈の砲と農兵隊は影も形もない。戦いもせず、とっくに後退してしまったのである。これでは官軍に対し、有利な牽制攻撃も出来ず、なんの為にきたのかわからない。余りにも不甲斐なき者共で、勇戦会軍の盛名に汚点を付けたに等しい。だがすでに著しく敗勢に傾いた際には、無理もするので兵質も著しく低下しているから、決戦等最後の努力に当り往々生ずる現象であり、兵家としては常に心すべき要件である。
 一方官軍は、この二十四日に、いずれの藩兵が両原を守備していたのか明かでないが、喰丸守備の尾一小隊は「敵襲」の警報により直ちに出動、両原に至り、同地の守備についていた、だから会兵の陽攻があっても備えはあった。
 特筆すべき件は松代兵の増援行動である。九月十八日に高田攻撃に参加した松代兵の一部、即ち八番狙撃隊と二、三、四番の四隊は、永井野に滞陣中、九月二十四日野尻方面への増援を下令された。このうち二番小隊のみは沼沢の守備に向かったが、他の三隊は即日出発、徹夜夜行軍、剣難な山地二十五キロを踏破し、翌二十五日には早くも所令地点の野尻に到着している。勿論二十四日の戦闘については知る由もないが、その任務に対して忠実なる行動は、当時各藩のなし得ない所であり、誠に立派な行動である。特に右翼隊方面は敵襲を受けて潰走中であり、中央方面でも前日撃退はしたものの、大芦方面に不安のある際、この勇兵の到着で淵川軍曹も定めし大きな悦びと安心感をもったと思われる。これでこの方面も安泰となった。それだけではない。松代藩では万一をおもんぱかり、右翼隊方面にほ援兵を送るとともに、更に小山(高田南西四キロ)守備の六番狙撃隊と五番小隊に追加出動を命じ、両隊も二十五日には野尻に追及したから、松代兵は五隊となった。これで中央方面も充実した。
 前述のごとく右翼隊方面では、松代、上田兵の前進により道は開けたが、九月二十九日に会砲兵隊の退却により、この地方は再び官軍の有に帰し、秩序は全く回復した。また中央隊方面では、九月二十四日大芦付近の戦闘を最後として、戦闘らしき戦闘は起こっていない。会軍は大芦戦後九月二十四日浅布に退却したが、翌二十五日には更に高野(田島北一キロ)に後退したところ、若松開城の報が至り、一同大いに落胆した。だから官軍中央隊方面も平穏になった。

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