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2013年1月 5日 (土)

会津藩進撃隊士 荒川類右衛門勝茂「明治日誌」の大芦戦

■会津藩士の手記で荒川類右衛門勝茂の「明治日誌」は、会津若松図書館にその写しが蔵書され公開されている。これらをもとに、様々な小説が書かれた。たとえば早乙女貢の『続・会津士魂』第一巻(集英社文庫、二〇〇二年)の冒頭は大芦の戦いで荒川類右衛門勝茂が何度も登場してくる。
 また、綱淵謙錠『戊辰落日(上下)』(文春文庫、一九八四年)も「明治日誌」が利用されている。

   中村彰彦『鬼官兵衛烈風録』(歴史春秋社、二〇〇八年)も三百八十六頁に「大芦村の戦い」が掲載されている。

 星亮一編『荒川勝茂 明治日誌』(新人物往来社、一九九二年)に全文が掲載されている。またその要約は、中公新書から『敗者の維新史 会津藩士荒川勝茂の日記』(一九九〇年刊)として発刊されている。後者の八十二頁から大芦の戦いを短縮して掲載している。
 前者の四十九頁から以下に紹介する。会津城下から高田、大内、田島と進軍し、進撃隊の兵士として大芦駐屯の新政府軍をを攻撃する。見出し文は一で始まるが、○とした。

九月二十二日
○ 鈴木隊及ヒ山内隊、針生村方面ノ敵ヲ撃ツト云フ、其砲声、山二響キ激烈ニ聞ユ、大二軍利アリシト云フ、亦(また)今日、水藩(水戸藩)ノ兵士、南方面へ出兵スト云フ、兼テ入魂ノ別レヲ惜ミヶリ、其行ヤ何故ナルヲ知ラス、街説ニ云フ、旧国へ入リテ積憤ヲ散シ、討死セントノ覚悟ナルヘシト此事信シ難シ

○ 今日、軍事ナキニ任セ渡部彦太、日下部三郎ト共二当所(会津田島)ノ愛宕山へ登り参詣シ、二君ノ御勝利ト次二家族安全ヲ祈念ス

○今日、当所二於テ隊入り被仰付侯人員
 三村権助 中野与五郎 赤井伴助 清水良之助 宝田勇八

○今日、佐川太夫(官兵衛)ヨリ一統へ御酒被下候

九月二十三日
○進撃隊、小野田隊、麻布村(浅布村)へ出兵スヘシトノ令アレハ、両隊列ヲ正シテ繰出ス、高野村二暫時休足シ、麻布村へ着ス
○ 今夜、隊長ヨリ労酒下サル

九月二十四日
○ 今夜、此村ヨリ行程四里ノ山路ヲ経テ、大芦村二至ラントス用意セヨトノ令アリ、其策ハ、敵加州(加賀藩)及ヒ高崎等五六百人屯集ス、其不意ヲ襲ハントス、然ルニ、敵ノ斥候ナルヤ、四五人山路ヲ潜行スト、村民告ケレハ、直ニ小野田隊ハ路ノ右ノ山上、我隊ハ左ノ山腹二潜伏シテ待ツニ、

亦村民来リテ、敵ハ最早逃去リシト云フ、故二、先ツ帰宿シ、夕食ヲ食シ、腰兵糧ヲ貯ヘタリシニ、二十年前ノ米也ト云フ、珍シト云フヘシ然ルニ、

大芦村ノ民一人、此村二来居スルヲ諭シ、間道ノ響導トシ、今ヒ辞(ことば)ハ誰カ松ト定メ、夜既二五更ノ頃出兵ス、小野田隊ハ先鋒、我隊ハ後軍、亦此時、大砲隊ハ山間ヨリ路ヲ異ニシ、喰丸方面二向フ、扨(さて)潜行スルコトナレハ、灯火言語ヲ禁ス、

且ツ、闇夜ニシテ足二任セテ歩行スルニ、柴根或ハ岩根ヲ伝へ、或ハ渓谷二下リ、亦ハ山上二攀チ登リ、棘薮(きょくそう)ヲ分ケ、上下回行スルニ、東ハ白ラミタリ、山ノ頂上二登リ、広地ヲ遥二両眼鏡ヲ以テ望見スレハ、彼所コソ大芦村ナリト云フ、朝霧掩フテ屋舎定カナラス、

夫レヨリ山ヲ下ラント生ヒ茂リタル篠原掻分ケ行ハ、村民ノ通路力小路二出テタリ、主将軍議シ、此村ハ屋舎離居セシ由也故ニ、隊配シテ小野田隊ハ左ノ民家二向ヒ、我隊ハ右ノ民家二向フ

砲鎗組共二駆迫シテ打掛ルニ、合戦スルモノナク、唯、村民ノ驚キ騒擾スルノミナリ、故二、敵ナキカ如シ 益進ンテ村中二打入レハ、今朝餉スル所へ不意二打入リケレハ、箸ヲ投ケ哺(ふくむ)ヲハキ、踝跣シ狼狽シ奔走ス、

味方、得タリト短兵急二刀ヲ抜テ切テ入り、此所彼所二戦ヲ始メタリ、予モ後レハ取ラシト助太刀セント馳セ行キシニ、蔵ノ傍ヨリ一人現ハレ出テタリ、予ヲ見ルヤ否刀ヲ抜真向ニ振リ上進ミ来ル。

之レ能(よ)キ相手ナリト鎗ヲ捻テ進ミ、汝一突ニ斃シ呉ント突キ入レタリ、彼者鎗切払ヒテ進マントス、二ノ鎗ヲ入レシニ、亦払ヒタリ、残念逃サシト亦突鎗ヲ払ヒ、直チニ鎗ニ乗ツテ進ミ手元マテ来ル、予、柄ヲ鎗首マテ引シヲ得タリト切込タリ

予、手早ク太刀下潜テ脆キ、鎗首採テ岩ヲモ通レト臍下二突当テタリ、蹣跚(まんさん)遼巡スルヲ透サス胸板突テ斃シタリ、扨亦(さてまた)此日、縦横奮撃有功ノ人々ニハ、三沢与八刀ニテ、佃源次右衛門鎗ニテ、大竹義助刀、五島経之助刀二テ、主将分ノ者山田熊之助刀ニテ、鹿目幸之助刀ニテ、林田六郎右衛門鉄砲ニテ、何レモ壱人ツツ討取タリ、其他、砲撃セシ屍ハ数有レ共何レノ手ナルカ分明ナラス、

生捕ハ下人一人、分取ノ諸口ハ廩(くら)一ツ、其品物ハ弾薬、千両箱、長持、両掛、天幕、駕篭其外食物等ナリ、弾薬十筒、金箱ハ邑民ヲ以テ運搬セシメント、高田庄作、伊藤伝吾、佐藤祐之助、警固ヲ命セラレタリ

而シテ、分取ノ酒食ヲ十分二飲食シ、暫ク時ヲ移シケルニ、敵早クモ野尻村二屯集スル、敵軍へ応援ヲ告ケタリケン、西山ノ峯ヲ伝ヘテ雲霞ノ如押寄セ、烈シク発砲ス、此方ヨリモ劣ス接砲ス、

然ル弾薬既ニツキナントス、主将佃、村松、荒川へ命シ小野田隊ヨリ乞上受ケヨトアリケレハ、馳駆(ちく)シテ三名行キシニ飛丸来テ、武井隊長ノ脚ヲ貫キタリ、

荒川半途ヨリ引返ヘシ、赤井伴助ト共ニ力ヲ合セ主将ヲ肩ニ負ヒ、本営迄ヒキ取リ、疵口ヲ養フ所ニ、敵向ノ山ヲ嶺伝ヘニ来リ、本営ヘ発砲スルコト急ナリ

主将、機ヲ見テ退クヘシト令アリケレハ、赤井、三村、荒川、奔走シ人夫ヲ雇ハント促スニ、皆々、逃ケ隠レントスルヲ押留、汝ヲ逃ケナハ切り捨ント声ヲ励マシ、主将ヲ扉ニノセ、右三人護送シ、先ツ本路ヲ退ク、夫ヨリ追々路ヲ異ニシテ引揚ケタリ、小野田隊討死一人、手負一人ナリト云う

然ルニ、人夫云ヒケルハ、敵二百人程本道逃去リタリ、必ス路二潜伏スルナラン、
武井将日ク、若シ路二行逢ハハ、我首切レトアリ、斯テ路ヲ急ク程ニ、鈴木隊ノ応援ノ為メ来ルニ会ス、両隊引揚ケシヲ聞キ、一戦モセス退クハ、残念卜云ヒシカ、止ミ得ス

渡部多門、斎藤市太郎両人警固シタル分取ノ弾薬ヲ護送シ山路ヲ越ルニ、村民ハ己力家屋焔上センコトヲ恐レテ、皆暇ヲ乞フヲ諭解シ、漸ク山背ヲ下り、本路へ出レハ、麻布(浅布)村ノ人民、今日ノ軍ノ勝利ヲ聞喜ヒテ駈ケ来リケレハ、彼ノ器品運送ノ人夫ヲ麻布村ノ村民二代ラセ、大芦人夫ヲ帰ラシメハ、大二欣ヒテ帰リタリ

而シテ、後レシ兵士、追々纏ヒケルニ、日ハ既二昏レタリ、路ハ峻岨、且シ戦二疲憊(ひはい)シ、皆々、歩行二苦ミタリ、折フシ村民、兵糧明松ヲ負ヒ来リケレハ、先ツ飢ヲ凌キ、明(あかり)ヲ得、盲目ノ杖ヲ得ル心チシテ、五更ノ頃、麻布ノ村宿ヘ凱旋シ、分取リ諸品ヲ纏メテ寝息ス

九月二十五日
○午餉(ひるめし)後、俄二小野田隊ト共二高野村へ出起スヘキ令アレハ、諸器械、諸品共人夫二負セ、高野へ行キ、隊ハ二屋ニ分レ止宿ス

○隊長ヨリ金弐分シシ手当トシテ、諸士一統へ給与セラ

九月二十六日
○今日、宿亭餅ヲ搗キ、一同へ饗ス

○高田、伊藤、佐藤、大芦村退陣二先チ、分取ノ金、弾 薬等数十荷ヲ警固シ、間行セシニ、今二帰陣セス、其行クエヲ探ラン為メ隊中ヨリ弐人ヲ出シケルニ、漸ク伊藤、佐藤両人二行逢ヒ伴ヒ昏暮二帰宿ス、其所以ヲ問フ

両人云フ、深山ノ路二迷上、彼所此所道ヲ索レトモ得ス、日ハ夜陰トナリ、人夫ハ息フト擬シ密二逃遁ス、為スヘ方無ク、先シ諸品ハ所々ニ埋メ、夜ノ明ルヲ待チ、山谷ヲ下り、所々狂ヒ迷ヒ、漸ク村へ尋ネ出テ道ヲ問フテ来リタリ、高田ハ路ヲ異ニシ、其往途ヲ知ラス云フ

附録 此時、高田庄作ハ山中ヘ吟ヘ渓谷ヘ転倒シ、其夜ハ山中ニ苦ミ夜明ケテ漸ク木地小屋ヘ至リ助ケヲ得テ痛所ヲ養ヒ居リシニ、雪ニ閉チラレ、歩行能ハス、且ツ、六十有余ノ老人ニシテ速ニ痛所平癒セス、数日ヲ経テ塩川ニ出タルナリ

九月二十七日
○今日、田島駅ヘ引キ返スヘキ命ニヨリ、小野田隊ト共ニ陣列ヲ正シ、分捕ノシキン(四斤砲)二門、弾薬数荷、諸器品ヲ連列シ、威儀竟竟(けいけい)トシテ田島ヘ凱陣ス、村中ノ人民、寄宿ノ諸隊、宿前ニ出テ参観スル夥シ、予ケ止宿ハ元ノ新角屋ニ着ク

九月二十八日
○佐川陣将ヨリ手当トシテ、金壱両ツツ下サレ候事
○主将、宿中ノ政府ヘ召レ 宰相公御直翰ヲ布告セラル 但シ、御文面ハ甲日誌ニ記載ス

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星亮一『敗者の維新史』(中公新書)より

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