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2013年1月 1日 (火)

1868年9月8日から11日 会津 野尻組 喰丸峠

■明治元年(一八六八)九月。

 東京大学史料編纂所所蔵の『大日本維新史稿本』の明治元年九月十日から十二日のところに新政府軍を構成した各隊の記録が手書き文字で掲載されている。三谷博「明治維新の史学史 社会科学以前」で、これら史料の背景について詳細が紹介されている。

 遊軍隊日誌、金澤藩記、大河内輝声旧高崎藩家記、戸田光則旧松本藩家記の順となっている。本来であれば、これら原本を探し、確認する必要がある。

 この『復古記』は新政府が時間をかけ編纂し二九八巻となったが、公開されず、昭和五年に全十五巻として東京大学史料編纂所が刊行した(桑原伸介「近代政治史料収集の歩み一 復古記を中心に明治初年の官撰修史事業」一九七九)。

 『復古記』のうち、「復古外記 越後口戦記 第十三」に同じ内容で掲載されている。ただ内容を比べると活字版の『復古記』には誤記がある(大河内記は「藩」と記載されているものが『復古記』には「薩」となっている)。

 「遊軍隊日誌」では、「九月十日、会津郡中向村マテ進軍、同十一日夕景、喰丸村斥候兵差出候処、、、、、」とある。

 「戸田光則旧松本藩家記」は「弊藩鶴見六野右衛門隊、九月十日、野尻村迄著陣イタシ候処、賊兵数百人、小野川村二屯集罷在、追々繰出、野尻村之方ヘ廻リ候趣相聞候ニ付、、、、、、」

 新政府軍は越後(新潟)長岡から八十里越を通り、現在の只見町叶津に進軍。さらに、叶津から小林、布沢、吉尾峠を経て新政府軍の遊軍隊と松本藩兵は、、九月十日に中向村、野尻村にまずは着陣したという記録である。当時、野尻村、中向村は野尻組を構成し、それは現在の昭和村域である。

 野尻組(現在の昭和村)は野尻川流域の下流、北より松山村、野尻村、中向村、下中津川村、小中津川村、佐倉村、喰丸村、両原村と集落が続く。その支流の玉川、野尻川の西に大芦村があり、喰丸峠・柳沢峠を経て東側に滝谷川の上流に小野川村があり、ここより博士峠を経て、下谷ヶ地(現在の会津美里町)を経て会津若松城下に道は続く。

 さて、現在の昭和村営診療所すみれ荘や老人ホームがある小中津川折橋地区に生家があるが、当時の小中津川村名主の栗城浜三義綱は、幕末から明治期の記録『公私摘要』六巻を残している。それは嘉永五年(一八五二)から明治四十二年(一九〇九)まで五十七年に及ぶ。

 二〇一二年に亡くなった馬場勇伍氏がまとめた『乱雲戊辰の晩秋 会津戊辰の役 大芦の戦い』(昭和村教育委員会、二〇〇一年、八四頁)では、栗城浜三は天保一二年(一八四一)頃の生まれで、戊辰戦争当時は二十七歳くらいであろう、としている。馬場氏の本書内の『公私摘要』の翻刻についても誤記があるため(たとえば薩州を芸州としている等)、引用時には原本にあたる必要がある。また栗城浜三そのものにも年月日等誤記もあるため留意が必要である。

 昭和四十八年に刊行された『昭和村の歴史』(昭和村教育委員会)は一〇九頁から百十四頁まで野尻組の戊辰戦争について当時の田島町史編纂室の室井康弘氏が執筆されているが、『公私摘要』が基礎となっている。

■栗城浜三は、組内の各名主職と同じように会津藩(田島代官所等)から文書を受け、その控え(写し)を残しており、それが『公私摘要』の元となっており、そこに村内・組内で起きたことを著述している。また野尻組には中世からの拠点であった野尻村に御用場(代官所出張所)が置かれた。組をまとめる郷頭も野尻村に置かれた。そのため名主役として組内の同職と野尻村に行くことが多かったことがわかる。

 『公私摘要』のなかで、栗城浜三は「八十里口御繰込ニ相也候諸藩之覚」に次のように書いている。

 先繰込上通 松本、御親兵(長州・薩州之由申伝候)、加州、尾州。後として上田、水戸、小浜、高崎、飯田、高遠、飯山、富山、須坂、高田新発田少々

 そして、九月になり

 八日拾人計布沢村より七ッ時分中向へ参り、会津方落人並長岡浪人参居不申候哉、厳敷御探索、其外刀鎗鉄砲兵器之類預り置不申候哉御尋、明早朝参り村中尋候趣ニ而同日直様御引返ニ相成、九日尚又参り下中津川村迄参り、右之廉々御尋ニ而是又引返野尻泊リ、其翌日十日当村迄参り、上筋村々江御出ニ可相成と在居候処、直ニ柳ヶ沢通御案内、当所より弐人罷出びわ村より小野川通、喰丸より御返り、下中津川御泊りニ相成申候、尤先陣ハ松本勢。

 十日ハ、官軍御人数六百人計御繰込ニ相成申候。

■これは九月八日午後(あるいは午前)四時頃、布沢村から吉尾峠を経て、先陣の松本藩兵が十名ほど中向村に来て、村内に会津藩兵や長岡藩から退去した兵士がいないか、兵器がないか探索、九日にまた来るとして布沢村まで引き返す。

 九日、同様に、中向村から下中津川まで集落内を探索し引き返し野尻村に泊。

 十日、小中津川村(当村)の名主栗城浜三宅まで松本藩兵が来る。上流の佐倉村、喰丸村、両原村などに行くと思っていたところ、柳ヶ沢からびわ村(琵琶首)、小野川村に行くことになり、小中津川村で案内村人を二人出した。これは喰丸峠から喰丸村を経て返り、下中津川村泊。これは松本藩兵である。

 十日に官軍は六百人ばかりが野尻組に着陣した。

■ここで、『復古記』の「戸田光則旧松本藩家記」は「弊藩鶴見六野右衛門隊、九月十日、野尻村迄著陣イタシ候処、、」とある。少数兵を斥候として九月八日、九日と出して行き先の安全を確かめながら、本隊を進軍させていることがわかる。十日には六百人ほどの兵士(藩士)・陣場方・夫者が野尻組内各村に入っている。

 栗城浜三『公私摘要』では松本藩は九日に野尻村泊としているが、「戸田記」では「十日に野尻村迄着陣」としている。「遊軍隊日誌」は「十日、会津郡中向村まで進軍」としている。「金澤藩は十一日」「大河内高崎藩十一日」である。

■馬場勇伍氏が史料を発掘し『乱雲戊辰の晩秋』にはじめて紹介した「尾州藩士名簿」(慶応四年九月、会津戊辰戦争野尻組 両原村守備)を見ると、藩士七十五人、陣場方五名、夫者五十二名(計百三十二名)。尾張藩の構成は、兵士(藩士)のほか、荷物運搬等の従者がその隊の半数を占めることがわかる。

 六百人が野尻組に着陣したとしても兵士はその半数の三百人と思われる。

■大山柏『戊辰役戦史(上)』(時事通信社、一九六八年)の五頁によれば、

 各藩の兵力編成は五〇名程度の小隊、それを四ないし十隊集めて一大隊を編成。

 軍隊といっても戦兵(通常士分)と総員とではかなりの開きがある。先兵以外に後方勤務者や従卒等がいる。

 藩によっては戦兵の中に往々藩で門地の高い家老等の二、三男がおり、彼等の中には親心で俗に筒持ちといった下男を付けてもらったものがおり、行軍の間などは戦兵の若殿に代わって銃を負う。また戦闘に当たっては後に控えて若殿の安全を守る。これは全くの私物の従卒だから、定員外である。だが兵食は食う。こうなると人員は多くなるし、糧食の勘定も合わないので、しばしば禁令が出ている。

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『大日本維新史稿本』

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『復古外記』

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栗城浜三義綱『公私摘要』 原本複写に赤字で翻刻 

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