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2013年1月18日 (金)

尾張藩兵士(斥候・探索方)の柳沢峠越え

■新潟県長岡市の稲川昭雄編『北越戊辰戦争史料集』(新人物往来社、二〇〇一年刊)に、「尾張藩 北越日記」(百九十九から二百二十頁)が掲載されている。

 稲川氏の解説と野尻組に関するところを掲載する。尾張藩兵は・小中津川・喰丸・両原の守備のため明治元年に昭和村に駐屯している。そこを訪ねている。

 尾張藩士佐久間鍬三郎の草稿と思われる『北越日記』を紹介する。北越戦争史料集のなかでは唯一、西軍側の資料である。
 佐久間は尾張藩の正気隊士。正気隊は尾張藩の正義党が結成した勤皇隊である。下級藩士・足軽層が多く参加し、百二十二名で結成された。そのうち七十九名が北越戦争に従軍した。佐久間はその探索方もしくは嚮導役であった。
 文中に出てくる磅礴隊は、尾張藩領内で国学を信奉する豪農層によって結成された勤皇隊。松山省庵が隊長で隊士は百七十四名。初め征討大総督の有栖川熾仁親王を護衛したが、のちに北陸に転戦した。
 また集義隊は尾張藩軍事局で結成された領内博徒による義勇兵。一番隊は甲州黒駒の勝蔵の兄弟分、雲風の亀吉こと平井亀吉が指揮をした。以上の二隊は凱旋後、尾張藩正規兵となり、隊士は士族の取り扱いをうけることになる。
 文中にしばしば登場する千賀与八郎は、尾張藩先鋒総括。長岡城攻撃などの中心的人物。その功によって、戦後、陸軍少佐となった。
 尾張藩が新政府軍の一翼を担って出陣し、北越の地に転戦した様子が、この手記によってうかがうことができる。
 はじめ、東山道先鋒総督府軍に従っていたものが、北越戦線の拡大により、会津征討越後口総督府軍の旗下となり、尾張藩兵も、会津若松城攻撃に参加したことが描かれている。特に戦争下の会津城下の様子は貴重な検分であるといえる。凱旋も含め、尾張藩勤皇党が北越戦争に参加した様子が生々しく記録されている貴重な戦争記である。

明治元年 北越日記 景武
越後日記 明治元年戊辰
一、四月二十六日夜、軍事奉行ヨリ信州ノ賊徒、斥候スヘキ命ヲ被ル。二十七日大雨午ノ下刻発行川ニ出水、漸ク夜ニ入テ、善師野ニ着ス(以下略)

一、(九月)十七日午後、会城ヘ着ス。夫レヨリ城ノ所々斥候。大手門ハ薩壱番隊責之。大手ヨリ西北ノ門ハ土州責之。東門亦薩責之。戦争此手最烈シ。日光口今日大戦争城外ニ七百人余屯集ス。官軍討之、賊敗走散乱ス。焼討ニシテ、火口五六ヶ所ニ騰ル。

一、昨十五日ヨリ、城ノ四方ヲ囲ミテ、日夜雖責(攻)之未落城。然レ共、賊勢日々縮リ窮泊ス。賊ノ勢ハ二三千モ有リト云ヒ、或ハ七八百人ニ不過トモ云フ。諸説不分明。官軍已ニ三ノ丸(外郭へ入ル)ヘ踏込、賊必死之躰也。

一、坂下村南会城マテ道路、殺セル死人ニ気難堪(敵死者数ヲ不知多シ)、城溝中死人マタ多シ。奥羽口ノ官軍、士中諸士ノ屋宇ヲ打毀チ、家財ヲ分取。其余商家ニ入テ、家財取テ、売店ヲ市中ニ開キ、農民ニ売之。嗟嘆之憐之。

一、十五日城中ヨリ必死之士、以槍衝テ出、二百余人討死スト云々。

一、十五日、十六日之戦ニ御蔵入ト云地ヲ責(攻)取、日光口ヲ開キ、此地ヨリモ官軍討入。城ノ四方ヲ取囲ム。

一、城外、高田ト云地ニ賊屯集ス。長勢坂下ヨリ繰リ出ス。

一、城下不残諸藩ノ宿陣ニシテ宿スル所無シ。故ニ大垣藩ノ宿陣ニ投シ宿ス。

一、十八日陰ル。早天若松ヲ出、白川口滝沢ニ至。東海道ヨリ来ル尾州勢ヲ尋テ至ル。此地ヘ尾州勢ハ不来ト云フ。引返シ若松城ノ西北門並日光口斥候シ、夫レヨリ道ヲ替テ、東北之方高久村ヘ出ツ。

是ヨリ津川街道也。塔寺村ニ至テ、同勤千賀等ニ出会ス。八十里越ヨリ来ル五味隊ノ在ル所ヲ問フ。是ヨリ八十里街道ニ出テ、柳津ニ至リ宿ス。当初ハ日本三所ノ霊場、虚空蔵ヲ安置ス。円蔵寺ト云、臨済宗ノ巨刹ニシテ、御朱印三百石ヲ領ス。

当村家数二百有り。只見川ノ川添ニシテ、風景ヨシ。恰(あたか)モ仙境トモ云フヘシ。下流ハ揚ノ川也。賊先日以来高田村を根拠トシ、其辺処々ニ屯集、今朝大戦争放火処々ニ見ユ。賊敗北官軍高田ヲ乗リ取ル。今朝ノ戦争ハ沖田村也。

一、十九日好天気。早朝発途、駒鳴セ峠・美女峠、二嶺ヲ越テ、薄暮中津村(※中向の誤りか?)ニ宿ス。

一、十日好天気。小中津川村ニ至リ、五味隊長ニ面談シ千賀総括ノ命ヲ伝ヘ、巳之中刻、当村ヲ出、琵琶ノ峠(柳ヶ沢峠のこと)ニ至ル。是嶺也、二里許、海道ノ四里ニ当ス。極テ嶮難也、北下スレハ則琵琶(琵琶首)村、山中ブナ・ナラノ木多シ。大ナル物ハ二三囲モ有リ。往昔ヨリ之ヲ伐ラスト云フ。暮景、沙子原(砂子原)村ニ至リ、渡辺謙之助宅ニ宿ス。大家(巨室)也。

一、二十一日好天気。五畳敷村下ノ温泉ニ浴シ、多日遠路ノ労ヲ安ン、当村ニ 一日滞在ス。

一、二十二日晴ル。五畳敷村ヨリ滝谷村ニ掛リ、泉村ヨリ間道ヲ経テ、塔寺ニ出ツ道スシ。只見川之岩石切リ通シヲ伝ヒ、危嶮深淵ヲ臨見レハ、碧流矢ノ如シ。午後神ヲ傷マシム。本道ヨリハ壱里程近シ。午後塔寺ニ着シ、同勤奥田謙之助ニ逢テ、惣括ヲ尋ルニ、若松城巡邏之由。因テ帰陣マテ当駅ニ滞在ス。

一、二十三日陰ル。藤井弥次郎来テ曰。昨二十二日会候降参。城外寺院ヘ立開キ、謹身武器兵具尽ク官軍ニ渡之。今夕惣括会城ヨリ帰陣。

一、二十四日午後、船渡村ヲ発シ、上野尻村ニ宿、其夜津川ヨリ新発田ヘ退陣之儀来ル。

一、二十五日払暁、上野尻村ヲ出、午時津川ニ至ル。雨リ。鳥井・焼山・諏訪之三嶺ヲ越テ、兵士辛労、新谷村ヲ宿陣トス。

一、二十六日且雨リ。且ツ晴ル。昨夜ヨリ烈風落紅粉々、寒気徹骨、暮天新発田ニ着陣。是ヨリ後、当所ニ滞陣。

一、二十七日小雨。

一、二十八日前ニ同。

一、二十九日 八十里越口斥候ノ命ヲ蒙ル。午後発、輿急行、風雨烈シ。天明笹岡ニ至ル。

一、十月朔日、加(鹿)峠ニ至リ霰(あられ)降リ雷鳴ル。寒気新発田ヨリハ甚シ。夜ニ至リ暴風猶不止。当駅ニ宿ス。

一、二日終日大雨。午後葎谷ニ着。大小荷駄方ニテ、叶津鎮静。事実ヲ探索シ、昼夜急行。

一、三日晴ル。午後新発田ニ帰命。(以下略)

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