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2013年1月17日 (木)

加賀藩津田玄蕃隊の敗走(入小屋村・布沢・中向)

■2013年1月17日(木)雪

 15日より首都降雪のため上京せず。

 18日降雪のため予定を早め、今日17日・午後2時頃、下中津川本名信一君宅の古文書撮影。連絡済み。

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■昭和四十九年(一九七四)刊の『石川県史 第二編』、明治元年九月二十三日からの戊辰・北越戦争での新政府軍の加賀藩・津田玄蕃隊の動きは、越後から八十里越を経て蒲生、駒止峠の旧・南郷村入小屋に砲台を据え(台場を築き)、そこから山口、界、梁取、小林、滝原、布沢、吉尾峠、中向、野尻と敗走してくる動きが書かれている。新政府軍の本部たる会議所が野尻に置かれている関係から援軍要請があり、大芦から鳥井峠を、あるいは野尻中向から吉尾峠を経て布沢へ、という兵の移動がある。以下掲載する。

  (加賀藩の)津田玄蕃隊は、先きに八月朔日を以て今町に入りしが、六日見附を経て栃尾に進みしに、津田十之進隊・今井久太郎隊も亦(また)この地に在りき。之より津田玄蕃隊は遅場・吉ヶ平を過ぎ、九月九日を以て奥州蒲生に入れり。この間に八十里越あり。道程八里に過ぎずといへども、行旅の困難之に十倍するを以て名づくといはる。而して本隊のここを通過するや、偶天寒くして飛雪繽雪、夫卒為に命を殞するものあり。

 次いで十一日蒲生を発し、十四日山口村に達し、前方入小屋村に台場を築きて之を守る。然るに二十三日払暁、敵急に台場に迫りしを以て、その地に在りし半隊は直ちに防戦せしが、敵左右の山地に展開するに及び、銃丸後方より飛来して忽ち三人を傷けしのみならず、我が大砲は悉く鵞管を消費したりしが故に、遂に砲車を分解して退却するの已むを得ざるに至り、之と同時に敵は益勢威を加へたりき。この時、山口村の本陣には尚半隊の残留するものありしも、未だ山小屋に戦闘の起きれるを知らざりしが、夫卒の報を得て直に赴援し、且つ急を宮床村なる富山藩兵に告げ、相協力して防御せり。

 而も敵は山地に拠りて発射し、我が軍、頗(すこぶ)る苦境に陥りしを以て、火を民家に放ち、焔煙の裡に隠れて暫く銃丸を免れ、次いで我が軍もまた左右の山上に登り、本道と共に夾撃して敵を駆逐したりき。

 その後、敵軍来襲の浮説頻々として至り、飯山藩兵も亦ここに駐るの不利なるを勧告せしを以て、津田玄蕃隊は一たび兵を界村に退けたりしが、界村も亦防守に便ならざりしかが、既に日暮れて将卒の疲憊せるに拘らず、再び下山・梁取の間に退きて野営を張り、篝火を焚きて夜を徹せんとせり。然るに飯山・高遠二藩の兵が大倉に退くに及び、敵はこれに乗じて和泉田に入り、我が軍二面に敵を受くるの形勢に陥りしを以て、夜半復背進を初め、天明小林村に在りしが、敵梁取に進みたりとの報を得、戦闘準備を整へてその来るを待ちしに、昼四ッ時大蔵村なる飯田・高遠二藩は使を使はして、官軍の後方既に敵の為に占領されて防戦の術なく、将に只見村に退かんとするが故に、津田隊も亦行動を一にするの利なるに若かざることを忠告せり。

 津田隊乃ち背進するに決し、七ッ時滝原村に達し、その半隊と富山藩兵とをして先づ布沢に入らしめき。
 これより先、津田隊は援兵を野尻に請ひしかば、親兵隊長鳥山堅三は一小隊中の半隊を率いて来り会せり。既にして敵の斥候が本道より進むを望みしを以て、鳥山隊は右方山上に登り、津田隊は左方川を渉りて展開し、その一部を本道に残し、進むこと一町余にして本道の津田隊先づ敵に向ひて射撃を開始せり。然るに山上の親兵隊は彼等が官兵なることを告げしを以て直に発砲を止めしが、更に進むこと数歩にして、その官兵と信ぜしもの突如として我に猛射し、為に死傷を出すに居たれり。

 因りて親兵残余の半隊及び布沢に向かひたる津田隊の半隊・富山藩兵等皆来り援けてこれを駆逐せり。かくて日暮全体布沢に入り、松明を照らして中向に進みしに、その道程四里に過ぎずといえども険難甚だしくて行歩に難(なや)み、払暁に至りて部落に入るを得たり。次いで、津田隊は二十六日に野沢に入りしが、ここに初めて会津陥落の報に接したるを以て、二十九日新発田に帰り、十月十一日その地を発して二十四日金沢に凱旋せり。

津田玄蕃家臣(四名死)
長田佐左衛門種因 四十五歳 司令役 九月二十三日入小屋村にて負傷、十一月十二日柏崎病院で死

森川余所之助氏里 二十一歳 戦士 九月二十三日入小屋村にて重傷自刃

加賀能美郡一針村 市三郎 二十八歳 役夫 九月二十三日入小屋村にて死

大田治右衛門貞索 二十七歳 司令役 九月二十四日 滝原村領にて戦死

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