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2013年1月 4日 (金)

会津藩側の記録

■会津藩側の記録を見ていく。

 昭和八年発行(昭和五十三年復刻、東京大学出版会版)の続日本史籍協会叢書『会津戊辰戦史 二』は、会津藩兵の記録をもとに編成され、山川健次郎の監修である。

 「巻九 南方の戦」の六百三十八頁から該当項目を紹介する。本書の特徴は文末に出典を明記していることであり、課題としてはこれら原典を探し今後あたる必要がある。

 なお、幕末・戊辰戦争関係の復刻本を多く出している山口県徳山のマツノ書店からは平成十五年復刻で、殉難者名簿を合わせ『会津戊辰戦史』として刊行されている(一万五千円)。

 会津若松城を出て市街戦、会津高田での戦い等を経て大内(現在の下郷町の大内宿)に駐屯し会津田島に移った会津藩兵は佐川官兵衛のもと現在の南会津地域、大沼郡昭和村域に兵を進める。すでに二十二日に会津若松城は降伏している。

 田島から駒止峠(針生峠)から進軍する砲兵隊、深夜に大芦村に向け船鼻峠(浅布口)と転石峠(黒沢口)を進軍する。針生から山口に進軍する砲兵についても記する。以下適宜句読点を入れ時間系列をわかりやすく表記する。※は筆者の追記である。

九月二十二日

 夜、砲兵隊 伊南、伊北に進軍の令あり、鈴木多門、田中左内の後を襲ぎ砲兵隊々頭と為り暁天出発す(砲兵隊戊辰戦記)。

間諜報じて曰く、敵大芦村、両原村、喰丸村に集合し大芦村を本営と為すと、是に於いて進撃の令 朱雀三番士中隊(小野田)、進撃隊(武井)に下る(若松記)。

九月二十三日

 砲兵隊針生峠を越えたる頃、先鋒戦起こり砲声山岳に震ふ。河原田治部先鋒たり、山を下る頃河原田隊弾薬尽きて退却す。是に於て砲兵隊の弾薬を供給して軍を反さしめ共に進撃して入小屋に至れば、西兵(新政府軍)自ら屯営を焚きて遁逃す。我が軍追跡して山口に至る。西兵己に退却す。偶々別選組隊(三坂)舘岩の西兵前岸を敗走するを見て之を追撃す。砲兵隊は本道の西兵を追撃して宮床に至れば日巳に暮る。乃ち此に次す(若松記、砲兵隊戊辰戦記)。

 朱雀三番士中隊、進撃隊、田島を発し浅布に次す。明日早天を以て進撃の期と為す(若松記)。津田範三を軍監と為し朱雀三番士中隊に属せしむ(津田範三筆記)。

 小野田雄之助、鈴木一郎右衛門、津田範三浅布村に至り、武井柯亭と会し大芦襲撃の部署を定む(同上)。

 是より先き、田島にて捕らえたる大芦村の農夫に地形敵状を問ふに西軍の大芦に在るは加州、高崎の兵六百余人 胸壁を両原、喰丸の二村に築き戌(※じゅつ、守り)を置き防備を厳にすと云ふ。

 然らば即ち大芦の方面は船ヶ鼻の険を越え山地を跋渉し早天に襲撃せば如何と問へば、農夫曰く、其の地険阻にして樹木密生して行くべからずと、津田範三云ふ、山地連亘せば従令険なりとも何ぞ行くべからざんと、乃ち農夫二人を響導と為し、

 子の刻(夜十二時)朱雀三番士中隊、進撃隊、朱雀三番寄合組隊、浅布村を発し兵を分って両道より進む。

 朱雀三番寄合組隊は黒沢通よりし、朱雀三番士中、進撃の両隊は浅布よりす。

 朱雀三番士中隊士名越治左衛門、安恵又三郎をして偵察せしめ、隊伍を整ひ浅布峠の険を越えて行くこと二里余にして両原、喰丸と大芦との岐路あり。

 此の要地に大砲を装置し第二陣幌役原直鉄、農兵差図役頭取一瀬一馬をして農兵を率いて西兵(※新政府軍)を抑制せしめ、且其の砲声に応じて船ヶ鼻の険路を越えて将に大芦村の背後を衝かんとす(朱雀三番士中隊書出、津田範三筆記)。
 

 朱雀三番士中、進撃の両隊は兵を按して日の来るるを待ち、夜に入り月黒く満天墨の如きに乗じ、船ヶ鼻峠に至り、広原の村落を経て両原、喰丸と大芦との岐路より左方の険阻を攀ぢ、密林の間を行くこと四十町(※四キロほど)にして翌朝大芦村を瞰望す(津田範三筆記)。

九月二十四日

 朝霧冥濛として人家を見ざるも山上は晴天にして日漸(ようや)く登る。

 両原、喰丸の方面砲声未だ起こらざれども兵機失ふべからず。

 小野田雄之助隊士二十五人を率いて左側の山腰を巡りて大芦村の敵営を襲ふ。

 武井柯亭も亦(また)、三沢與八を先頭とし隊兵五十余人を率いて右側よりす。

 兵皆銃を発するに暇なく刀を揮(ふる)って敵営に突入し立どころに二十余人を斬る。

 朱雀三番士中隊は熊野(※大芦村中組の大山祇神社の誤り)の社地に拠りて射撃し下りて敵営を衝く。

 西兵眠り未だ覚めず狼狽して潰乱し中津川方面に遁逃す。

 首を獲ること七級、生捕一人、弾薬糧餉小銃器械等を鹵獲す。

 会々朱雀三番寄合組隊半隊頭丸山友吉先鋒と為り、黒沢方面より来り援け東軍(会津藩)大捷(たいしょう)を得たり。

 然れども両原、喰丸に備へたる第二陣の将士機を失ひて発せず。遂に退却せしかば西兵(高崎、加州)、中津川より来り、敗兵を援けて返戦し衆盛にして弾丸雨注す。

 柯亭、雄之助衆を督して戦ふ。偶々柯亭敵弾に左脚を射られて指揮すること能はず。板扉の上に横臥し之を舁(か)かしめて退却し、途上一詩を賦して曰く
 
 豈耐西軍毒牙我民、 半宵銜枚度嶙峋、 羸将拙計君休笑、 元是吟嘯月人

 朱雀三番士中隊士 角田五三郎も重傷を負ひたるも戦急にして扶(たす)くること能はず。岩田秀三郎之を介錯し首級を携えて退き浅布村に埋む(若松記、朱雀三番士中隊書出)。

 東軍(会津藩兵)追分(大芦を距る一里余)を扼する為め役夫を募り山上に登り声援せしめんとし、幌役原直鉄之を監す。募に応ずる者四十人に満たず、農兵は遁走して留まる者僅(わずか)に数人。追分に至れば一人も留まらず。

 是に於て附属兵を左右の山上に登らしめ、大砲を装置して西兵の援路を絶ち、火を木地小屋に放ち篝火を船ヶ鼻峠に焚きて疑兵と為し、除々に退却し亥の刻(午後十時)頃、浅布に至り、村酒を全軍に給し戦闘の労を慰む(朱雀三番士中隊書出)。

 属事掛鍬柄伴之進、服部藤九郎此の日、追分に至り、西兵の遺棄したる小銃弾薬諸器械若干を鹵獲し浅布に搬送せしむ。納富六郎、近藤務右衛門役夫を督して糧食を供給す(朱雀三番士中隊書出)。

 此の日我が公は桃沢彦次郎、北原半助をして親書を大内、田島在陣の陣将上田学太郎、諏訪伊助、佐川官兵衛に到さしめ、開城の事を告ぐ(若松記、七年史)。

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