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2013年1月 2日 (水)

1868年9月12日、喰丸峠付近の戦闘、大山柏『戊辰戦役史』より

■地名や『復古記』の前後関係(遊軍隊が追撃した会津藩兵は下谷ヶ地から沼ノ平陣、あるいは、下谷ヶ地から入谷ヶ地、桑取火を経由して田島に向かったと思われる)に一部誤りがあると思われるが、大山柏『戊辰役戦史(下)』(時事通信社、一九六八年刊)の百四十四頁から百四十八頁に明治元年(一八六八)九月の喰丸峠、小野川、下谷ヶ地、観音村、沼ノ平までの新政府軍の進攻について記述しているので紹介する。 

 喰丸峠付近の戦闘(九月十二日)

 九月十日中向に到着した遊軍隊と同日野尻に達した松本兵は、翌十一日喰丸村(中向南東八キロ)に斥候を出したところ、喰丸村で金沢、高崎両藩の斥候に出会し、付近で聞知したところ「喰丸峠(喰丸村北東二キロ、標高八七八メートル)付近に敵兵が出没し、小野川村(喰丸峠の東一キロ)を根拠としている模様」という報告を得た。諸藩連合の斥候隊は喰丸峠に向かい、この報告を受けた遊軍隊(二小隊)は直ちに喰丸村に前進した。斥候隊が喰丸峠に進んだところ、果たして優勢な敵がいて射撃を受ける。遊軍隊が喰丸村より峠下まで到着はしたが、最早や日没に近いので戦闘を止め喰丸村に後退、宿営した。


 翌九月十二日未明、遊軍隊は再び喰丸峠に向かい攻撃前進した。ところが敵は案外火力が微弱で容易に肉薄できたので、敵はあっさり抗戦を止めて小野川村方向に退却した。これを追撃して遊軍隊は小野川に達したが、敵は兵器、弾薬を捨てて田島(小野川l田島間は直距離七キロ)に向かって退却した。その時刻は正午頃であった。だが遊軍隊隊長(姓名を逸す)は田島に向かって追撃せず、見沢(小野川南東二キロ)の手前から道を北東にとり、険難な博士峠(小野川北東三キロ、標高一○七一一メートル。この峠付近が分水嶺をなし、北東に下ると会津平野に出られる)を越え、小谷ヶ地(遊軍隊日誌には小谷ヶ池とあるも、地と池の誤写のごとし)に至って宿営した。この小谷ケ地には宮川なる小流が北走し、高田の傍を流れているから、この河谷を北進すれば高田に出る重要な戦術要点である。敗敵に目もくれず、一意剣山を克服して小谷ヶ地を占領した遊軍隊長の戦術眼は賞讃に価する。しかしながら小谷ヶ地に進出したのは遊軍隊だけで、松本兵は喰丸に、金沢の今井隊は小中津川(喰丸西北西二キロ)に宿営し、高崎兵は大芦村(中向南東七キロ、喰丸南西二キロ)の守備を会議所から命ぜられ、同地に至っている。

 一方この喰丸峠で抗戦した会兵については「会戊戦史」に見当たらない。この当時若松城では、食料その他の籠城用品を収集する目的で、九月七日佐川官兵衛の指揮する一隊を城から脱出せしめ、その一部が九月十日田島に達している。恐らく十一日未明小野川に宿営していたのは更にその一部で、喰丸から中向等の野尻川河谷方面の物資収集班とでも申すべき部隊であったのではあるまいか。

 九月十二日前述のごとく小谷ヶ地に達した遊軍隊は、敵が沼平(高田南西六キロ、小谷ヶ地と同じ河谷内)を根拠とし、観音(沼ヶ平の南一キロ)に陣地を占領しつつあることを知り、これを攻撃すべく九月十四日午後、小谷ヶ地を出発した。午後二時頃観音前面に対し攻撃を開始し、交戦約一時間にしてこれを撃退、観音の敵陣地を占領した。引き続き迫撃して沼ヶ平に達したが、敵は同地を放棄して北走したので、遊軍隊は沼ヶ平に止まり、宿営した。敵城外支隊の根拠地高田からは、僅かに六キロしかないのに、遊軍隊が単独で進出したものである。他の友軍はどうしたかといえば、中央方面の松本兵は喰丸に、金沢兵は大芦にいて一向に前進していない。何ゆえに前進しなかったのか著者には全く想像できない。また、その翌九月十五日には、前述のごとく尾張の五味真一隊が喰丸に到着している。(略)
 いつ到着したかは未詳だが、小中津川付近にいた金沢今井隊より砲一門と砲手十名が険路を越えて応援に到着し、砲なき遊軍隊を勇気づけた。而して遊軍隊は翌十六日には永井野南側の設堡陣地を攻撃すべく、午後一時頃松岸(永井野南一キロ)付近に到着した。

■父を薩摩藩の大山巌、母は会津藩子女の捨松 → 大山柏

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野尻組の会津戊辰戦争」カテゴリの記事

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