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2013年5月 6日 (月)

残された記憶を訪ねる旅

■2013年5月6日(月)

 今日で5月の連休が終わる。かすみ草の栽培用のハウス建てが本格化する。今日は帰省から帰る子どもを送り福島市まで、福島県立図書館でも文献調査する。

 今年の4月下旬からのこの連休では、所用のほかに半日は時間を作って、昭和村の各集落を歩き、古老のお話をうかがった。9月2日から12月1日、村内佐倉にある「からむし工芸博物館」での企画展のための聞き取り(インタビュー)調査をしている。

 「会津戊辰戦争~野尻組(現在の昭和村)に残された記憶と記録から」(仮題)

 昨年に亡くなった佐倉の郷土史家、馬場勇伍さんのまとめた『会津戊辰の役 大芦の戦い』(昭和村教育委員会発行、2001年)の聞き書きをもとに、訪ね歩いている。新しい事実を少しでも掘り起こし、それをまとめ、百年後に残すことを目的としている。

 せっかくなので、アサやからむしを栽培していたころのこと、それらを支えた草肥農業のおおもとであるコガヤ草地(カヤ場)の管理、、、土地の名前、、、、

 現場で、考えながら聴き、出てきた言葉の背景を考え、そして様々な宿題を持ち帰る。調べて、また村人の家へ、出かける。

■5月5日の午後は、下中津川の上平の2軒と、大芦の数件を訪問した。上平は、先(4月30日午前)に訪問したが不在だったため、あらためてうかがった。

  菅家和孝さん(昭和4年生、83歳)の案内で、舟木栄志さん(昭和7年生、80歳)の話を聞いた。「このへん(下中津川上平地区)は、会津戦争のときには、『そでのくぼ』と呼ぶ山中に小屋を建てて隠れていた、、、という。

 野尻では『はかま沢』に避難した(佐藤庄市さん、大正12年生、90歳)。4月30日午後。

 松山ではここが『おおつち山』と、川向は『駒越沢の奥』の2カ所に避難した。官軍が来る、というので皆で逃げたと、明治23年生まれの祖母サカミからこの話を聞いた(栗城金一さん、大正14年生、88歳)。4月30日午後。

村中の雪は消え、私自身、畑や花の仕事だけの日常に戻るので、時間をかけて話を聞くことができなくなる。そうしたこともあり、いろいろ考えながら、受け取ったお話をどのように残し、伝えたらよいのかも考えている。一人でやっていることではないので、相談もしなければならない。

■からむし工芸博物館の吉田有子さんが、『広報しょうわ』5月上旬配布号に、記憶の提供を求める文を掲載している。

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■昨日、村内を歩いていて、ふと思い出したのが、2009年に1号を発刊し、この3月で5号となった年刊『奥会津こども聞き書き百選~1枚の写真から~じいちゃんありがとう』(奥会津書房編、只見川電源流域振興協議会発行)である。

 2010年3月に発刊された第2号に次のような聞き書きが寄せられていることを思い出した。昭和村の二人の小学五年生からの原稿であった。

 昭和19年の出征時の白黒の写真で、家族が写されている。その写真について昭和20年(1945)生まれの祖父に話しを聴いた小学五年生がまとめたものだ。

 明治元年、そのとき十八歳だった女性は、集落に官軍兵士が攻めてきた記憶が、九十歳になった昭和15年(1940)頃、よみがえることが記されている。

 会津戊辰戦争が当時の昭和村内でも戦闘が行われたとき、村人は集落の裏手にある糸沢という沢の奥に逃げた。十八歳のときのその記憶が、九十歳のころによみがえり、認知症になったこと等あり、「敵が来たから、たすけてくろ(助けて下さい)」と、隣の家にたびたび駆け込んだという。

■この連休に、集めようとして聴いていたことは、会津戊辰戦争の時、昭和村の各集落ごとに山中に小屋を造り避難場所があり、そこに老人と女性、子どもが避難している。その場所の特定作業をしている。村人の抱えている、小さな過去の記憶の断片を集めている。

 145年前の明治元年(1868)の村人の記憶を訪ねている。現在の村人の記憶を頼る調査だが、いくつか新しい事実が出てきている。

 その話は、いつごろ、誰から聞いたか?かつて、語ってくれた人の年齢(生年)も、いま話を伝えている人についても生年(年齢)も聞いている。そして避難先とは、どこか?を特定する。各集落の坪ごと(小字単位)で避難先は異なり、それは前もって組織的に村人により準備されたことが推察される。

 424年前の天正17年(1589)に伊達政宗軍勢が、現在の金山町の横田山ノ内氏を攻撃する際にも駐屯された経験を昭和村は持つ。その際にも村人は山中に避難したと思われ、そのことが明治維新時の戦争が村に近づいてくる時にも想起されたであろう。

  先の昭和20年夏に敗戦で終わった戦争の前後、食べ物が無くなった時代にも、村人を支えたのは山であり、山中を伐開し、カノ(焼畑)で穀類・野菜を作った。野尻中向の菊地宗栄さん(昭和6年生まれ、82歳)は、「戦後の食糧難のときにカノ(焼畑)刈ったところは、イシポロとか、昔に人々が暮らしたという伝説のあるところだった」という。それは中世の村落跡などのあるような山中である。昔人が暮らした場所は、数百年樹木が繁茂しても、再開発が容易であるのだ、という。

 私たちの地域にとって、戦争(内乱)という災難から村人の身体・生命を守ったのも山(やま)であった、ことがわかる。しかし、その山は2011年3月に東京電力の原子力発電所を起源とする、飛散した放射能により汚染されてしまった。

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正徳六年(1716)

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やまびこ

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