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2013年6月 4日 (火)

麻・からむし(苧麻)と戊辰戦争 その1 公私摘要と著者

■2013年6月4日(火)曇り

 午前五時ころより、大岐の東方、お愛宕様のかくれ里で、ホトトギスが盛んに鳴く。

 昨夜、下中津川の本名信一氏より電話があった。彼とは昭和村文化財保護審議会の同じ委員としてよく行き来している。昨夜は、石質鑑定について、であった。

■会津史学会の機関誌『歴史春秋』第五十七号(二〇〇三年四月刊)に、星甚惠氏が昭和村小中津川の史料を紹介している。この「栗城義綱「公私摘要 初編」について」は誤記訂正をした別刷があり、それを参考にする。会津若松市内の会津図書館所蔵本でも、別刷合冊のものと、そうでないものがあり、別刷を参照にされたい。

 さて、六冊ある『公私摘要』の第一冊は「戊辰初編」として、嘉永五年(一八五二)より慶応四年(一八六八)九月まで十七年間のもので、同年秋のまとめである。

 幕末から明治期を生きた『公私摘要』の著者の栗城義綱は、浜三(濱三)といい、奥州野尻組小中津川村(現・昭和村)の百姓(農民)であり、名主(肝煎)であった。星甚惠氏は義綱については未調査である、としている。

 小中津川上田にある墓石をみると、子・小太郎が建立したと思われる「義綱墓」が確認できる。その墓碑によれば、「(左面)明治三十二年(一八九九)三月一日亡 小太郎父」とある。「(右面)栗城累代後裔五郎光重九 代一八義綱壽六十歳而死 法号積功院大円義綱居士」と三行刻まれている(空欄は改行部)。

 これからみると、義綱は一八であり、浜三であることが今回はじめて確認された。一八は明治二十二年(一八八九)成立の野尻村の初代村長である。明治二十六年(一八九三)七月三日まで在職している(『昭和村の歴史』)。

 また、生年は墓碑からは天保十年(一八三九)生まれと推定できる。また、明治三年の古戸籍写しからは名主浜三は三十二歳とあることから、天保九年(一八三八)頃の生まれと推定される。墓地、生年等ついては上田の湯田哲朗氏の教示を得た。ここでは墓碑から算出した天保十年を生年として数え年で記載する。

 さて、浜三が明治元年にまとめた第一号冊の『公私摘要 (戊辰初編)』に記載をはじめた嘉永五年(一八五二)は、十三歳。慶応四年・明治元年には名主として二十九歳であった。

 第二冊は「戊辰中編」で明治元年九月より明治二年十月までの記録を同年十二月にまとめた。この巻が、『田島町史』『只見町史』『昭和村の歴史』等に多く引用されている。

 第三冊は「戊辰下編」で明治三年十二月のまとめ。

 第四冊は明治四年から五年のまとめ。

 第五冊は明治六年より明治十五年(一八八二)までの記録で四十三歳。

 第六冊は明治十七年から明治四十二年までの各年の主な出来事について簡略に記したものとなっている。墓碑では明治三十二年三月に死去しているから、この巻は筆者が異なる、と考えられる。筆跡等をみてもこの巻は二名による書き手が追記したものであることがわかる。これまで栗城義綱が全六冊を書いたとして記述され、またそのように理解されているが、今回、第六冊(最終巻)については、義綱が記述したものではない、ことが明らかとなった。

 類縁者の聞き取り調査を終えていないが、「一八(いっぱち)」名乗りは、野尻村村長時からではないか、と推定している。幕末から明治期、西暦では一八〇〇年代であり、博学の浜三は明治期になり義綱と著作『公私摘要』に記載し、新たな時代を生きようとするたび名乗りを変えた、と思われる。一八〇〇年代の一八であろう。

 昭和村の人々には小中津川の折橋の栗城一八は、周知の人であるが、この人が義綱(浜三)である、と認識できた人は私のこれまでの聞き取り調査のなかでは小中津川上田の湯田哲朗さんだけであった。「一八義綱のことを調べているのか、、、、」と最初にお聞きした。

 星甚惠氏は『公私摘要』戊辰初編の表紙裏の序文下書に着目している。ほとんど誰も見ない大きく×字が記されたものである。そこに本書著述の意図がかかれている。以下星氏の翻刻文を掲載する(明治期の公文はカタカナ混じりの文章である)。

「自今世ノ治乱盛衰ハ必人ノ能知所ナリ、然ニ其度毎ニ諸家ノ勝敗又種々ノ事其録書ハ有貴賤カ祖曽□ノ書跡モ無ク、今目前ニ天下形成事変ヲ見テ愚意を全三冊ニ編録シ、事変万事公私録ト題シテ我□□後世ノ咄ノ種ト為事爾、、、、、」

 これによれば、『公私摘要』は、『事変万事公私録』と題して後世のために編纂したこと。その発意は目前に天下形成の事変(戊辰戦争・明治維新)を体験したことからである、ということがわかる。

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義綱墓とある。自然石台座の上に西面を向いている。

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