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2013年10月 7日 (月)

明治24年(1891)9月、会津藩戦死二人之墓 建碑広告(大芦村 五十嵐伊之重)

■2013年10月7日(月)


 明日、午後、上京。千葉市の幕張メッセのIFEXのブースの設営。9日から11日が展示会。
 そのための準備と、留守になる間の手配(採花)。

■昨日(10月6日午前)、南会津町糸沢の奥会津博物館に渡部康人さんを訪ね、建碑広告の原本を調査した。以下、未明より広報しょうわの原稿を書き、送付した。

連載・新史料紹介
野尻組の戊辰戦争 第5回
 かすみ草の販売を進める花の展示商談会(IFEX)が千葉市の幕張メッセで十月九日から三日間行われ参加するため、家を留守にします。そのため花を採る作業を進めておく必要があり十月はじめはいそがしい日々でした。
 十月五日の夕方電話があり、六日の朝に自動車を運転して小野川から喰丸峠、両原から舟鼻峠を越え、南会津町糸沢の奥会津博物館に行きました。私に連絡をよこした同館調査員の渡部康人さんから、厚さ三センチほどの冊子が出てきました。
 黄ばんだ表紙には毛筆で手書きで「明治以後ノ分 南山誌料雑纂 室井平蔵」と書かれています。このなかに、今回紹介する一枚の紙が貼られていました。
 その紙は縦十六・六センチ、横二十一センチで文字が書かれた版面は十四センチ、十六・六センチで活字の縦書き印刷で、明治二十四年(一八九一)九月に作成されたものです。一部の漢字を現代の字にして、ひらがな、句読点を付けて読みやすくして以下記載します。
 
会津藩戦死者建碑広告
 
明治元年戊辰九月二十四日、岩代国大沼郡大芦村において戦死せし会津藩士野村新平・角田五三郎の二氏は、村民、骸(むくろ)を集めて仮に埋葬し、わずかに口碑(※こうひ)を存するのみ。もし、かくのごとくにして歳月を経てはその跡、湮滅(いんめつ)して知るに由なきに至らん。そもそも二氏は不幸にして当時朝敵の汚名を蒙(こうむ)りつつ、屍(しかばね)を戦場に暴露すといえども、赤心(※)以て主命を奉し、終始二心なく臣事したるに至ては、その情想あえて国家の忠臣と優劣あることなし。しかるにその墓は荒徑(こうけい)野草の中に委して吊祭甚た疎なり。余輩、人情の通義に訴へ、実に痛歎に耐えざる所なり。方に今、昌平の時、百時條緒を得るの際、前事を追懐して思い浮かぶものあり。よって、余輩発起となり有志の賛成を仰ぎ、二氏の為に墓碑を建設し、名跡を百世に垂れいささかその魂魄(こんぱく)を慰めせんとす。切に望む有志の諸賢、資を捐してその費を賛けられんことを。
 
明治二十四年九月
 
 発起者
 五十嵐伊之重
 五十嵐熊重
 五十嵐徳次
 星 甚太
 
義捐金取扱法
 
一 義捐金郵便局為替(かわせ)をもって、御寄贈下され候節は、大沼郡高田局とし、五十嵐伊之重・五十嵐熊重の両名に宛て、御送金くだされたく候
 
一 義捐金は御送金の順序により福島新聞紙に金額及び御住所・氏名を記載し、もって受領の證(あかし)となす
 
一 建碑工事落成は明治二十五年六月となす。その落成の上は精算をたて、福島新聞をもって広告す 
一 精算のうえ、残余金これあるときは、多少にかかわらず祭資(祀)料基本とし相当の利子付にて預入をなし、その利子を以て将来の掃除料及び祭典費に充つ
 
※口碑(口伝え、伝承)
※赤心(ありのままの まごころ) 
 
 今回、昭和村佐倉のからむし工芸博物館で「野尻組の会津戊辰戦争展」を開催するため、昨年十二月から奥会津博物館には様々な協力をいただきました。今回の史料は、奥会津博物館が所蔵する田島町(南会津町)金井沢の名主家であった室井家文書(五八四六点)のなかにあったものです。明治期を生きた同家の室井平蔵(一八六五~一九二八)が収集保存していた冊子にありました。
 
 町村制が施行され明治二十二年(一八八九)に大芦村の初代村長に五十嵐伊之重が就任します。その伊之重ら四名が発起人となり明治二十四年九月に野尻組内で亡くなった会津藩士二名の供養費を建てるから寄付を広く募る、というチラシです。この史料からは明治二十五年六月に建てられることになっています。 
 
 現在の大芦の小矢ノ原にある昭和の森キャンプ場近くにある石碑が、このような経緯で建てられたことは、今回はじめて知ったのですが、以下のような記録がすでにあることが渡部康人さんの指摘で、確認しました。
 
 会津史学会編『歴史春秋』第三十八号(一九九三年)に大塚実「官修墳墓と明治政府」に、大芦にある官軍戦死九人之墓、佐藤音之助之墓、会津藩戦死二人之墓のことが紹介され、今回、原本が確認された広告についても記載されていました。 
 
 今後は「福島新聞」という当時のものを各地の図書館等で調査し、だれが寄付をしてどのような結果となり供養費が建てられたのかを確認していく必要があります。
 からむし工芸博物館の企画展のために、近日、報告書が出版されますが、それに今回紹介した史料は入っていません。
  → 室井平蔵
 
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昭和村大芦・小矢ノ原。会津藩戦死二人之墓(供養碑)の左面。
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裏面基台
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右より4番目が会津藩戦死二人之墓
 
■11月8日、9日、10日と現地視察会(からむし工芸博物館主催)が開催され、菅家が案内します。9日、10日は県外からの申し込みがあり催行が決まっています。→からむし工芸博物館
 

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