« 奥会津の人物:滝谷村 山内吉右衛門  | トップページ | 1674(延宝3)年「青苧造様之覚」、指南した谷屋又右衛門とは? »

2014年3月28日 (金)

1673(寛文13)年、からむし・青苧根を最上へ買いに参る

■2014年3月28日(土)アサ霧、晴れ

 日中、喜多方市内で、近世江戸時代の文献調査。
 ある場所で、書籍を読み、購入しました。
 たいへんなことが書かれていました。山形の最上(もがみ)からカラムシ根を買った、という記録です。
 1年に数回しか訪れない、史料発見の喜びがありました。
 

 夕方より、金山普及所・長谷川浩さんの送別会(昭和村花き振興協議会事務局八名)でした。かすみ草の原発事故後のたいへんな時期にほうんとうに、お世話になりました。
 
■その書籍は、神明宣夫(しんみょう のぶお)さんが自家に伝わった史料を翻刻され刊行された『肝煎文書にみる 会津藩の八十年 神明家文書集 巻二』(喜多方市押切南2−20 おもはん社 2012年刊、448ページ 4600円)。
 
 この37ページ。寛文十三丑年(1673)の項目に、以下のようにあります。
 からむし植候様ニ被仰付、最上より買参、与(くみ・組)中ニて少宛作、大塩善左衛門、高柳五郎兵衛、最上へ買ニ参候。
 
 青苧(からむしのこと)根代金、当年無利ニ御貸、三年目卯年より巳年迄三年以上納ニ帳面上ル、壱駄二付三分三百三十文宛
 
20140328dsc07764

 

 
 神明氏の五代の祖八野右衛門重俊(文化四〜明治六)が、小沼組雄国新田村獅子沢(喜多方市熊倉町雄国)の肝煎高橋家から婿入りする際に持参した記録の一冊目です。→ 雄国新田村
 
 1643(寛永20)年、保科正之は最上(山形)から会津に来ています。そして南山御蔵入領も会津藩預かりとなります。
 1673(寛文13)年、雄国新田村で、「からむし植候様ニ被仰付、最上より買参、与(くみ・組)中ニて少宛作、大塩善左衛門、高柳五郎兵衛、最上へ買ニ参候」「青苧(からむしのこと)根代金、当年無利ニ御貸、三年目卯年より巳年迄三年以上納ニ帳面上ル、壱駄二付三分三百三十文宛」
 
 
 1674(延宝2)年に、旧・南郷村の界村(南会津町)の「青苧造様之覚」が残されています。八月七日、泉田(和泉田、旧南郷村・現南会津町)村の久太郎と簗取村(只見町)の助太郎が、青苧(からむし)の栽培の仕方について指南を受けた。教示したのは、河原田 谷屋又右衛門。
 

 今回確認した1673(寛文13)年、雄国新田村では、からむし・青苧根を最上に二名で行き、買ってきて植えた、その指示は会津藩(郡奉行)から出されていると思われることから考えると、会津に植えたからむしの根の供給地のひとつには山形県の最上地域であることがわかります。
 
 山形県内の調査が必要になっています。雄国新田村で苗を買い付けに行った先の最上地域内の苧麻産地では、根の確保とともに、そこでの栽培技法や繊維製造技法も伝授されたと考えることも通常のことです。その最上と会津のお百姓をつないだのは会津藩上層部でしょう。
 

 
 1677(延宝5)年、黒谷組(現在の只見町)布沢村で、苧畑の肥料の文書が残っています。延宝3年の野尻組(昭和村)の文書資料としては、からむしとは異なりますが、会津藩の服部安休が来村し、神社仏閣の整理指導をしています(小野川村の雷電神社と大岐の山神社、小中津川村の気多神社、下中津川村の八幡神社への記録がある)。会津藩役人が村をたびたび訪れる、という契機がわかります。
 

 
 1684(貞享元)年、会津城下に近い幕ノ内村の佐瀬与次衛門の『会津農書』にはアサと苧(からむし)の栽培技法について記述がありますが、作業ごとに必要な人数を克明に記し人時生産性が把握できているアサ栽培は、与次衛門そのものが生産していたであろうこと、あるいは近くに栽培地があることを感じさせますが、苧については紹介とアサと異なる点の簡単な紹介にとどまっています。産業としての意欲に欠けた記述とみえます。
 
 1685(貞享2)年の会津圏の風俗等の書上帳を見ると、南山領内で会津藩士の飯田兵左衛門がクリ・ウルシ・クワのほかカラムシの栽培を推進していることが「楢原郷(下郷町)」「伊南古町(南会津町)」に記録されています。この飯田は最上から保科正之とともに会津に来た人です。
 
---
 1673/1674年に、会津藩がからむし栽培・製造技法、そしてその根を最上から導入したのではないのか?ということが、いま、新しく出てきています。
 
 
 
 
■時代は200年も下がりますが、1858(安政5)年、野尻組松山村(昭和村)の佐々木志摩之助が「青苧仕法書上」を会津藩郡奉行に提出しています。この時点で現在につながる栽培技法、商品規格は確立しています。
 この文書は喜多方市立図書館に所蔵されています。喜多方、今回は雄国山麓の村のカラムシ栽培ですが、山形県と接する会津喜多方に苧麻(からむし、青苧)栽培の鍵があるようです。
 保科正之の家臣団は、会津以前の山形(最上)での産業政策を会津に持ち込んでいる、と思われます(地域のつながりとしては湯殿山等出羽三山参詣)。地域的に奥会津・南会津には越後から、喜多方には山形から、苧麻栽培が導入されているのかもしれません。 
 そして重要な点は、保科氏会津就封した1643(寛永20未)年以降1673(寛文13)年の雄国新田村がからむし植え付けのため根を買う場所として、会津内にからむし生産の拠点産地が形成されていたとすれば、会津圏域からからむし・青苧根を購入したのではないでしょうか?
 あるいは山形最上産の青苧品種にすぐれた形質があるため、会津地苧とは異なる品種を導入し、新しく形成した新田村への産地形成をはかったのかもしれません。
 
 からむしは上杉氏とともに越後から来た(青苧は上杉公に随きて会津へ行き足たり)、という言葉が残っている、と言われていますが、「生業と生産」という概念で捉え直すと、1600年頃の上杉氏の果たした役割はウルシの木の1本単位の把握と課税と、伊南川流域で産業化されていたアサ栽培への課税、からむしを作る奨励ではなかったかと思われます。
 
 上杉以前の蒲生時代(1556~1595)に「御役植物」として『邑鑑』(慶長末から元和はじめころ?)に苧畑の有無が調査項目として記載があります。
 古代・中世から「生業」として暮らしの周囲に植栽したカラムシという植物からの繊維取り出しの小規模栽培から、普遍性をもつ経済普遍性を持つ「産地化」という藩域の内外(集落外も含む)への搬出・販売を含む、外部からの位置づけが行われるような施策としては、上杉氏や保科就封時から政策として村(集落)で新しく増やすように藩から推進(被仰付)されたと思われます。
 
 1670年代以降、越後小千谷でのからむしを原料とした新商品「縮(ちじみ)」という商品開発および製造の増加にともない、素材品質の開発も含め、栽培地が拡大し、会津域内の現在の昭和村大芦地区に主産地が形成されていく、と推察されます。その産地の商品規格は、山形米沢の「撰苧(えりそ)」という素材新規格を契機とする大芦苧の「陰苧(かげそ、影苧)」の誕生となったのではないか?と考えています。
 この会津(大芦)産からむしの影苧は『北越雪譜』に、日本国内で最上品質のものであると記載されます。
 
 現在把握している、大芦村でのからむし(青苧・青麻)の畑が記録に出てくるのは1783(天明3卯)年の6月28日、7月1日の信州浅間山噴火で、冬の大吹雪のようになり火山灰がアサやからむしの葉に積もり、火山灰を落として歩いたが、収穫した青苧の品質が悪くなったという記録です。
 
 アサは、1500年代にすでに、小さな暮らしを支える生業ではなく、域外流通・産地化をともなう生産地として伊北麻としての確立が伊南古町を中心として形成され、それがさらに拡大していき、1670年代より地域によってはアサとからむし生産を併存させながら、1800年代から、からむしが主力となる野尻組のような産業構造の地域が確立していったのではないかと推察しています。
 からむし産地では栽培地の連作障害を忌避する関係上、アサの栽培が必須となることが理解され、アサ前作・からむし後作の輪作体系が1858年の「青苧仕法書上」が記載されています。加えて草山からのコガヤの採取、それを家屋の冬囲いとして利用し、さらに、春のからむし焼きの焼き草に使用するという、流れも確立しています。
 
 「ちいさな自家使用のための生業」と「面的な量を持つ生産」の概念等を考えると、会津藩がウルシ奨励だけの政策から、冬期間の紙生産地の拡大、多様な農業商品生産物の拡大という流れの中に、からむし(青苧)の拡大があるように思います。アサはすでに産業として中世後期には伊奈川流域(伊北麻)で確立していた、と思います。
 
 
 ※(本文はウェブ上で直接記述しています。誤字等は今後修正します)
 
20140328dsc07765

 

 
20140328dsc07766

 

 
20140328dsc07762

 

 
20140328dsc07739

 

 
20140328dsc07747

 

三十三間蔵(喜多方市)
 

« 奥会津の人物:滝谷村 山内吉右衛門  | トップページ | 1674(延宝3)年「青苧造様之覚」、指南した谷屋又右衛門とは? »

会津学」カテゴリの記事

September 2020
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

KANKE/リンク

かすみ草写真集1

  • 20061010img_3904
    348枚。菅家博昭撮影。かすみ草生産地での撮影。

奥会津の風景01

  • 20060801img_4064
    387枚、菅家博昭撮影。おもに昭和村など。

2006欧州視察

  • 20061101dsc00245
    2006年11月 JELFA欧州視察の個人写真記録。菅家博昭撮影。

2010年1月

  • 20100131dsc00811
    2010年1月25日~27日、熊本県

2010年02月 かすみ草栽培

  • 20100212dsc00221_2
    2010年2月12日 かすみ草ファンタイムの砂あげ苗のポット仮植作業。撮影菅家博昭。

2006年夏の記憶

  • 20060913img_9418
    2006年の奥会津・昭和村、カスミソウ栽培の風景。菅家博昭撮影。

2006年秋の記憶

  • 20061114img_1169
    2006年秋の福島県奥会津の風景、カスミソウ栽培の様子など。菅家博昭撮影。

2006年12月冬の沖縄

  • 20061203img_3812
    2006年12月の沖縄県内。花の生産地や街の様子。菅家博昭撮影。

2007年1月から

  • 20070401img_9892
    2007年1月から奥会津などの風景、菅家博昭撮影。

2006北海道かすみ草サミット写真誌

  • 20060715img_0143
    2006年7月13日、14日。北海道夕張郡由仁町で開催された第4回全国カスミソウ北海道サミットinみなみそらち・ゆに

2007静岡カスミサミット東京

  • 20070201img_9619
    2007年2月1日に東京都内・大田市場で開催。

2007年4月から

  • 20070426img_5713
    2007年4月から、奥会津の風景、かすみ草生産作業風景など、菅家博昭撮影。

2007年5月の風景

  • 20070520img_0193
    2007年5月の奥会津の風景、かすみ草生産。菅家博昭撮影。

IFEX2007_TOKYO_01

  • 20071011ifexdsc02602
    144枚、菅家博昭撮影。幕張メッセ花の展示会。

2007年11月

  • 20071108dsc04006
    2007年10月オランダ、アムステルダムのホルティフェア、アールスメールマーケットでの印刷物資料

2015 からむしフェア

  • 201507_19img_6580
    2015-07-18,19福島県’奥会津’昭和村で開催された第30回からむし織りの里フェアより。昭和村佐倉(からむしフェア)、喰丸小学校(新作記録映画 春よこい)大芦(からむし畑見学・からむし剥ぎ、からむし挽き。保存協会)地内。菅家博昭撮影。76枚掲載(372枚撮影)。キャノンEOS、ソニーTX。
無料ブログはココログ