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2014年3月22日 (土)

1670年代に、からむし(青苧)を植えることを勧めた、会津藩士 南山御蔵入 郡奉行 飯田兵左衛門重成の調べ方

■2014年3月23日(日)

 福島県会津若松市栄町 会津若松市立の図書館(会津稽古道3階)。
 郷土史の書棚。  

 

 
■まず、事典類で調べます。
 
①野口信一『会津人物文献目録』(会津若松市門田町中野 歴史春秋社、昭和55年、8200円)で、氏名を調べる。
 
 会津藩士の飯田氏には数家あり、該当の飯田氏は、『諸士系譜14 』(会津藩・天保4年・1833年)飯田大次郎系譜:重久、重成、茂光、重明、重羽、重陽、重連、布旧、重要
 飯田久兵衛重長-久佐衛門重久-兵左衛門重成-兵左衛門茂光-兵左衛門重陽-兵左衛門重連-九十郎布旧-大次郎重要
 ★ 飯田兵左衛門重成 貞享3・3・22没(64歳) 藩士 南山奉行。父は久左衛門
 
 で、引用の掲載文献があり、その文献をすべて見ます。必要なページは、申請してコピー(一枚10円)をとります。
 また貸し出し可能な本は借りてきて読みます。
 
Dsc07361
 
Dsc07362
 
②『福島県史22巻 人物』(1972年、福島県)52ページ
Dsc07360  
 
③菊池重匡編 『続 会津資料叢書(上巻)』(歴史図書社、1974年)
 
④『会津藩 家世実紀 第4巻』(歴史春秋社刊、1978年)281~282ページ 貞享三年三月二十二日、御蔵入郡奉行 飯田兵左衛門病死、
 原本は巻之六十八 徳翁様之十二
 
⑤山口孝平『近世会津史の研究(下)』(歴史春秋社、1978)、
 代官所のあった田島町(南会津町)『但馬町史』、『下郷町史』等、借りてきて詳細を読みます。
 
Dsc07372
『田島町史』
Dsc07371
 
Dsc07380
 
 
 
■庄司吉之助編『会津風土記・風俗帳 巻二 貞享風俗帳』(歴史春秋社、1979年)  貞享二年(1685)
 会津郡郷村之品々書上ヶ申帳 伊南古町組(貞享二年)211ページ
Dsc07323
 飯田兵左衛門様御蔵入御仕(支)配以来、郷村御巡見之度々、又ハ郷頭肝煎罷出(まかりいで)候度々ニ 地下身持家業之筋 委細ニ御教ヘ被遊候ニ付、段々家業無油断風俗直り申候、郷村御巡見始候比(頃)より村々ニ而(にて)、からむしを植、漆之苗木を調植候へと被仰付、或ハ桑を沢山ニ植立蚕養を能仕絹紬を致習候ヘと被仰聞、、
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 地下風俗覚書 会津郡楢原郷(貞享二年)252ページ
Dsc07344
 
 栗林(略)、延宝二年(1674)寅年 飯田兵左衛門様被仰付候ニ付、村々ニて立林候
 
 からむし作候様ニ右同人様(飯田兵左衛門)より被仰付候付、たね(※根)もとめ次第段々植申候得ハ、ゑき(益)に罷成候(まかりなりそうろう)。
 
 くわの木 右同断
 
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■寛文七年(1667)から貞享三年(1686)まで二十年(一説に十七年)、現在の福島県南会津郡・大沼郡・河沼郡を含む幕府直轄領の南山御蔵入を会津藩の郡奉行、飯田兵左衛門が治めています。
 
 貞享二年(1685)の『地下風俗覚書 会津郡楢原郷』の資料を見ると、延宝二年(1674)、現在の昭和村の東隣の下郷町(楢原組)に飯田兵左衛門は栗、桑、からむし(青苧)の栽培を奨励しています。
 また同じ貞享二年の『会津郡郷村之品々書上ヶ申帳 伊南古町組』では、その飯田兵左衛門がどのように、漆の苗木や、からむしなど植えるように、諸産物を推奨していたのかがわかります。麻の大産地である伊南古町にも、巡見をはじめたころ(1670年頃から?)より、からむしを植えるよう巡見の度々に教示していたわけです。
 
昨年11月2日に昭和村公民館で行われたシンポジウムで取り上げた資料「延宝二年(1674年)青苧造様之覚」が、まさにこの背景のなかで用いられたのではないか?と思うのです。
 また、飯田氏は藩主保科正之とともに先任地は高遠から最上と、諸産業とともに、からむし(青苧)の栽培地でもあることも推奨した根本にあると思われます。
 からむしを原料とした上布から、縮が開発された寛文・延宝年間の時期、産地の越後小千谷等も会津藩預かりとなること等、時代背景にあると思われます。
 
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2013年10月17日 (木)再掲
 
 

谷屋又右衛門とは誰か?延宝二年(1674年)青苧造様之覚
 
■江戸時代がはじまったころ、延宝二年(1674)寅年の八月七日、泉田(和泉田、旧南郷村・現南会津町)村の久太郎と簗取村(只見町)の助太郎が、青苧(からむし)の栽培の仕方について指南を受けた。
 教示したのは、河原田谷屋又右衛門。
 河原田は村名か?氏かわからない。
 それを筆写した、という文書である。
 南郷村界の故斎藤兵平氏宅にあった古文書である。現在は福島市の福島県歴史資料館蔵。
 本件を最初に取り上げたのは同館の村川友彦氏。一九八一年に刊行された『福島県歴史資料館研究紀要 第三号』に、「会津地方の近世における麻と苧麻生産 伊南・伊北麻を中心に」で、である。一部翻刻に誤りがあるが、重要な資料紹介であった。
 一九八五年に刊行された『南郷村史 第二巻』の六六五ページに畑作九として掲載される。谷屋又右衛門、としている。
 次いで、『田島町史 第六巻』(1987年)171ページ、文書番号32、が取り上げている。
 三番目に『只見町史 第四巻』(1999年)675ページ、文書番号264は、年号を延享二年(1745年)としているが誤りである。歴史資料館の原資料を10月14日に閲覧したが「延宝」であった。
 そして『伊南村史 第三巻』(2003年)610ページ、文書番号316。
 以上四つの資料紹介があり、翻刻されている。が、そのくずし字の解釈には、少しずつ異なりがある。ただ大枠の内容は合致している。
 この文書に、「本畑に(苧麻を)植え申し所は、毎年、麻を作り申よく御座候」(書き下し意訳)と書かれている。

 
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