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2014年4月19日 (土)

会津蝋漆改役 川嶋与五右衛門重英と 漆木の無い野尻組

■2014年4月19日(土)

 本日は、昨日到着した新かすみ草苗(カネコ種苗)のスターマインのポット仮植作業。
 
 昨日、終日調査した結果は以下の通りです。 
 
 
■昭和48年に刊行された『昭和村の歴史』の98ページに「漆木(うるしぎ)のない組」があり、年代不詳寅九月に書かれた文書として紹介されています。
 
 去る未(ひつじ)年からは尾岐の漆役人川島与五右衛門が出張され喰丸村にお泊まりになった。野尻組(昭和村)の各村々の三役人が呼ばれて、漆(うるし)の苗木を植え付けぬとは不届千万とおしかりをうけた。
 村役人も昔からの成木せぬ事情を説明しても承知してくれず、やむなく漆木を植え付ける試みをしたが、やはり駄目であった。
 
 このたびも、また漆木を植えるよう催促をうけたが、野尻組は畑が不足しているところで、またその畑にも麻や青苧(からむし)がいっぱい植えてあり、これを売って年貢を納めている所柄だから、漆の植え付けは御容捨願いたい。
 
 会津若松市の会津稽古堂3階の会津図書館にて、川嶋与五右衛門重英について『会津人物文献目録』(歴史春秋社、1980)で調べてみました。102ページに略歴があり、5件ほど文献記録が掲載されていました。それを調べて、それに掲載されていないことについて『会津藩家世実紀 人名録』(二巻ある)で、調べると、『家世実紀』15巻の629ページに蝋(ろう)役人川島のことがある。
 
 川嶋与五右衛門は幼名を与一郎、諱を重英。
 1776年(安永6)4月10日の生まれ。
 1800年(寛政12)25歳で会津藩の蝋漆(ろう・うるし)改役となる。
 1812年(文化9)江戸に上り訴状提出
 1814年(文化11)11月25日、会津若松城下の牢内にて刎首され死亡。39歳。
 
 未(ひつじ)年は、1799年(寛政11)、1811年(文化8)で、川嶋与五右衛門が着任した後のことを考えると、野尻組喰丸村に来たのは1811年(文化8)年と考えられる(※下記太田氏の論文で1799年未年に着任ともあり、1800年寛政12年に喰丸村に来たとも考えられます。)。
 

川嶋与五右衛門が職を賭して訴え、刎首後の12月25日に会津藩主は江戸にて大赦を与えるが、すでに存命していない。 後任が廻村して漆木の植え付けを勧める「このたびもまた、、、」とする寅(とら)年9月とは、  1818年(文政元年)が考えられます。その後の寅年は1830年(文政13年)、1842年(天保13)。

 
 『昭和村の歴史』に紹介されている松山文書(佐々木太市家)の年不詳寅九月とは、1818年(文政元年)と推察されます。文書そのものは提出控えであると思われます。
 ここで注目すべきは、「野尻組の村々の畑には麻と青苧(からむし)が植え付けられて、いっぱいで、漆を植える場所は無い」ということが書かれていることです。
 なお、文書の原本「乍恐以書付奉願上候事 寅九月」については佐々木太市家文書の管理者の承諾を事前に得て、寄託先にてマイクロフィルム撮影保管された印刷冊子にて確認しました。
 『昭和村の歴史』の近世執筆は会津田島町史編さん室の室井康弘先生で、本文書の釈文(読み下し)も担当しています。
 
■川嶋は川島とも表記し、会津高田の田中家(田中重好)史料の分析をしている太田素子氏の『和光大学現代人間学部紀要 第6号(2013年3月)』の研究ノート「田中月歩と『袖塚集』について 近世会津地方の郷学師と地域文化」にも奥会津漆蝋(ろう)出入事件が紹介されています。
 この表1では、1799年に23歳で川島与五衛門重英、南山御蔵入蝋漆改方総取締役就任とあります。
 先述の『会津人物文献目録』では1800年に就任とあり、太田素子氏の1799年に蝋漆改方就任となると、1799年が未(ひつじ)年であるため、初任時に廻村し、喰丸に来た、ということが妥当といえるでしょう。
 着任年月等についても調査が必要です。
 太田氏は、川島与五右衛門重英は1811年3月に「覚悟の上で上京し、不正を正すことはできたが、帰藩した彼は藩から打首を命ぜられた」。
 与右五衛門は箕作村名主馬場安佐衛門に家族を託した。
 また弟・川嶋(島、与五衛門と、異なり別人の可能性もと記述)雄蔵24歳は尾岐には帰らず高田町に住み、弟・栄次郎も記録されており、田中家が高田町で川島家を存続させていったこともうかがわれる、としています。
 与五右衛門の母親多賀は17歳で、田中家より川島恭重に嫁ぎ、その恭重が早世したため、祖父知重から漆蝋改方役人を継いでいます。いずれも与五右衛門を名乗ります。
 2014年11月25日、川島与五右衛門重英、没後200年。
 
 
■2005年に刊行された会津史学会編『歴史春秋』の第61号、62号に三島町桧原の海老名俊雄先生の史料紹介(翻刻)「川嶋与五右衛門 一件 御吟味の始終」 (総計70ページ)があります。
 
 1813年(文化10) 酉 二月中旬 中丸良助が写した記録です。
 
 2007年の第65号には「蝋漆(ろう・うるし)関係の二文書」も紹介しています。宮崎村(現・金山町)名主家文書です。金山町教委収蔵の1845年(弘化2)、会津若松市史研究会所蔵の1848年(弘化5)。
 
 
■かすみ草仮植を終え、4月19日の午後、会津美里町東尾岐地区の現地調査をしました(18時、追記)。
遅沢(関根対岸)の北水田の山際中の不動堂境内に川嶋与五衛門の追善供養費(巨大な石造物 250cm高さ?)を詣りました。
正面に「重英霊神」。裏面には以下の文が刻まれていました。縦書きで16文字で6行です。
 
重英霊神
霊神藤原氏其先仕葦名氏云霊神住陸
奥大沼郡某邨嘗興御買上餘蠟利郡民
徳之亦善書遠邇受業者数百人其謝丗
距今五十年人猶追慕不巳茲建石以祭
為文久癸亥春三月庚戌門人曁有志等
敬識
 

■2014年4月21日追記。
『会津高田町誌』(1966年・全1巻の旧版)では、「大沼郡某村(邨)」としたり匿名である由来を書いています(1003ページ)。この供養費は沼平村の長嶺治郎太輔らが建てた、ことがわかります。町史執筆者は家屋再建の時に、重英(幼名与一郎)生後わずか数ヶ月して父を失い、母の手で教育されたが、祖父知重は孫の成育の将来の成人を祈った祈願文が発見されたとして掲載しています。また打ち首になる前の最後の母への手紙も掲載されています(338ページ、1003ページ)。
 
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不動堂 右に古峯神社石柱(1952年:昭和27年7月)、二十三夜供養(1790年:寛政2年10月)、重英霊神(1863年:文久3年春)。
 
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背景は東尾岐川右岸の関根地区
 
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重英霊神(川嶋与五右衛門重英) 義民碑
 
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蠟(ろう、漆の実から絞る)
 
 
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遅沢 
 
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尾岐窪 興雲山 龍門寺境内の堂宇(会津美里町、旧・会津高田町)
昭和7年、絵は、永井野 河原田
 
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尾岐窪 興雲山 龍門寺 山門。小野川の大乗寺の本寺であった。
 
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新国上総介頼基夫妻五輪塔(会津美里町 指定史跡)
 

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