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2014年4月27日 (日)

会津青苧への道(その1) 会津苧は最上苧を始原とする

■  近世会津の麻(あさ)・青苧(からむし)(一)

 

                                                昭和村大岐1723 農業 菅家博昭

資料一:谷野新田村 谷野又右衛門、羽州最上より苧(からむし)根を求め植える

 会津藩が1809年(文化六年)に編纂し、幕府に献上した地誌『新編会津風土記』全百二十巻。現代読める刊本で最新のものは会津若松市門田町中野の歴史春秋出版株式会社が発行したもので、今回取り上げるのはこの2002年(平成十四年)の第四巻二百五十二ページです。原本では巻之九十「陸奥国河沼郡之五 坂下組」となります。
 参考までこの百十九ページから巻之八十二「陸奥国大沼郡之十一 野尻組」が掲載され現在の昭和村の約二百年前の姿が書かれています。

 谷野新田村(タニヤ シンデン)
府城ノ西北ニ当リ行程六里、
此地東西ハ河原田村ノ山ニ界ヒ、
南ハ田中村ノ山ニ接シ、東西五町・南北八町、
寛文十二年谷野又右衛門ト云モノノ闢ケル所ナリ、
又右衛門ハ信州高遠ヨリ肥後守正之ニ従ヒ来リシモノニテ、
後此地ニ陸田ヲ開キ羽州最上ヨリ苧根ヲ求テ種植セリ、
延宝二年村名ヲ与テ谷野新田ト云、
彼子孫一家相続テ寛延中マテ此ニ住セシカ、
高敞ノ地ニアリテ用水ノ便少ケレハ、
今ハ堰沢村ノ東一町ニ移レリ


 文意は、谷野新田村(喜多方市、旧・山都町堰沢)は、会津若松城の西北、行程六里にあり、河原田村、田中村に接しています。
 1672年(寛文十二年)に谷野又右衛門(たにや またえもん)が開いた所です。
 又右衛門は、信州高遠藩(長野県)より藩主の保科正之公に従い、最上藩(もがみ、山形)を経て会津に移ってきた家臣の一人です。
 陸田(おかだ)を開拓して、羽州最上(うしゅう・もがみ、山形県西村山郡の大江町等)より「苧根(からむしのね)」を求めて、植え付けました。
 1674年(延宝二年)に谷野又右衛門が開いたこの土地を「谷野新田村」と名付けました。彼の子孫は1748年から1751年ころ(寛延中)までは、ここに住んでいましたが、高所の土地のため用水が不便で、現在は、堰沢村の東に移りました。
 最上(現在の山形市)は保科正之公が会津に来る前にいた場所で、「最上苧」(もがみそ)を産する中心地域(現在の大江町等)に隣接しています。


資料二:1669年(寛文九) 会津で苧(からむし)作立 最上より苧之根

 会津藩の正史『家世実紀』巻之百三、1716年(享保元年)十一月十日条では、以下のようにあります。歴史春秋社編・吉川弘文館刊本『会津藩家世実紀』(一九八〇)では第六巻二百九十二ページに掲載されています。

十一月十日、坂下組 谷野新田村 又右衛門義、土津様御代 からむし新田場 被下候処、見彌山御遷宮以来 御祭礼之毎度 青苧致奉納候ニ付、為御褒美 米三俵被下、

又右衛門は勢州之産、大田小太夫倅にて家名谷野と申、京都四条室町ニ致居住候処、土津様御上京之節、御用被仰付宜相勤候を以、御家人に可被召拘旨蒙仰候得共、固く辞退申上候得者、御供仕罷下候様被仰付候ニ付致供罷下、

寛文九年 会津にて苧作立度旨申上、最上より苧之根致調儀、当所松原之内被下候新畑開発致し植殖候を以、此所に致居住、則谷野新田と名付、子孫相続致居住、

土津様見彌山御鎮座以来四拾余年、御祭礼之毎度青苧致奉納候ニ付、見彌山社司西東左内義被称被下度由願出候、依而加判之者共吟味頭へ相尋候処、数十年無懈怠青苧致奉納候義奇特成者ニ有之、且被者内証兼而困窮いたし、御年貢も漸々皆済いたし候得共、御厚恩忘却不仕、卑賤ニ者奇特成者候間、為御褒美米三俵も可被下成之旨申出候、

又右衛門義 四十三年以来 御祭礼之節、無懈怠青苧致奉納候義、
卑賤之者志不相変、殊ニ連々及困窮候得共 別而奇特成義ニ候間、吟味頭申出候通米三俵被下可然哉と、僉議之上致言上候処、又右衛門義奇特成者ニ候間、言上之通為褒美米三俵被為取之旨被出之


 これは、1669年(寛文九年)に会津藩主保科正之公より下賜された松原に新しい畑を開いて最上(もがみ、山形県西村山郡大江町付近と推定)より苧(からむし)の根を調達して会津で苧栽培をしたいと谷野又右衛門は申請しました。そこは、谷野新田と名付け子孫が住み続けています。
 保科正之公(土津様)が亡くなり、猪苗代の見彌山に埋葬以来四十余年、毎年祭礼には又右衛門は、自ら栽培した青苧を奉納し続けた。このことについて1716年(享保元年)11月10日に米三俵を褒美として与えました。


資料三:新明宣夫『肝煎文書にみる会津藩の八十年 新明家文書集巻二』(喜多方市押切 おもはん社、二〇一二年)

 喜多方市の雄国新田村獅子沢 高橋与惣右衛門宅に生まれ、1829年(文政十二年)に新明家に養子となった新明家八代の重俊は、そのときに持参したと思われる記録が、翻刻出版されました。三十七ページ。

 寛文十三丑年(一六七三)

 からむし植候様ニ被仰付、最上より買参、与中ニて少宛作、
 大塩善左衛門、高柳五郎兵衛、最上へ買ニ参候

 青苧根代金、当年無利ニ御貸、三年目卯年より巳年迄三年上納ニ帳面上ル、壱駄ニ付三分三百三十文宛

 これは、本年(2014)3月28日に、喜多方市内の物産販売所に陳列してあった本所を立ち読みして、すぐに目にした記録で、すぐ定価4600円で購入し、その日のうちに448ページを完読しました。本書はたいへん重要な記録を残しています。

 1673年(寛文十三 丑年、この年の九月より延宝元年)、会津藩から、からむしを植えるように言われ、大塩善左衛門と高柳五郎兵衛の二人が最上(もがみ・山形県)に行き、からむしの根(青苧根)を買ってきて組(与・くみ)中にて少しずつ作った。
 この雄国新田村(小名 七本木 本林 蘆平 獅子沢)は、陸奥国耶麻郡に属し、小沼組下九か村あります。小沼組は、雄国新田村、漆村(端村 谷地 戸合 上吉)、中目村、上利根川村、金森村、常世村(小名 中道地)、金沢村(端村 山神新田)、宮目村(小名 反田 端村 与蔵新田)、辻村です。
 二人が最上に行く、ということは青苧根の買い付けだけではなく、当然、栽培地をよく見て、その栽培方法を視察し教授され、繊維にする技法や道具などもよく視察、聞いて来たと思われます。
 この青苧根の代金は、丑年の今年は無利子ですが、三年目の卯年(1675年・延宝三年)から巳年(1677年・延宝五年) 上帳に記載され、壱駄について三分三百三十文。壱駄にはどれほどの青苧根があるのでしょうか?
 

資料四:青苧造様之覚
 昨年十一月二日に、昭和村公民館で行われたからむし織り体験生二十年のシンポジウムで、1674年(延宝二年八月)の「青苧造様之覚」を取り上げ、解読しました。
 まさにこの時期のことが、資料三の雄国新田村の青苧植えで、明確に出てきました。そしてそれは山形県(最上苧)を移入したものということが確実です。

 青苧造様之覚は、文末に「延宝二年寅ノ八月七日 右ハ 河原田 谷屋又右衛門方より之指南 泉田久太郎殿、梁取助太郎書付 被遣候写如此」とあります。

 この「青苧造様之覚」は南郷村界(南会津町界)の斎藤兵平家文書(福島市 福島県文化センター歴史資料館蔵)です。村川友彦「会津地方の近世における麻と苧麻の生産」(『福島県歴史資料館 研究紀要 第三号』1981年)、『南郷村史第2巻』(665ページ、1985年)、『田島町史第六巻下』(171ページ、1987年)、『只見町史第四巻』675ページ、1999年。延宝を延享と誤植あり)、『伊南村史第三巻』(610ページ、2003年)に記載があります。

 資料一、二で見た通り、保科正之公が最上(山形県)から会津に移り、谷野又右衛門が最上苧の根を植え、それを会津藩が各地に勧めていることが読み取れます。
 南会津郡からも谷屋(谷野)又右衛門宅に和泉田村(南郷村、現南会津町)と梁取村(只見町)から二名(名主と思われる)が指南(指導)を受けています。

 南郷村界は鳥居峠をはさみ大芦村(野尻組)に隣接し、南郷村では青苧(からむし)も麻も栽培してきた記録があります。
 『只見町史 第一巻』(2004年)942ページで、飯塚恒夫氏は「延宝年間(1670年代)からカラムシの栽培がはじまり、小千谷縮の原料となる「会津青苧」の生産が盛んとなった」としています。これは妥当なことだと思います。

 最上青苧の根 → 谷野又右衛門 → 会津藩の青苧勧農 → 産業としての青苧生産へ → 小千谷縮の原料へ特化 → 野尻組(大芦村)の本場化 → 『北越雪譜』の会津苧(大芦苧)のかげそ(影苧、陰苧) という流れが想定されます。

                                                      (2014年4月26日記)

 

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