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2014年5月 4日 (日)

会津青苧への道(その4)米沢苧北条郷:南陽市吉野地区の青苧

会津青苧への道(4)
1.『南陽市史 中巻』(山形県南陽市、1991年)の第二章第五節「北条郷の青苧一揆」は、菊池登喜子南陽市立漆山小学校教諭により執筆されました。
 449ページ「上杉氏と青苧」については、越後から会津を経て米沢に来た上杉氏は青苧(からむし)栽培を勧農(推進)しますが、すでに中世(戦国時代)には栽培がはじまっていたようです。米沢苧と呼ばれるようになる青苧は、最上(もがみ)より根を取り寄せたものと、しています。先に書いたように、会津の保科正之公の家中も、最上よりからむし(青苧)の根を移入しています。最上が東北地域の青苧(からむし)の中心地であることは間違いないようです。江戸時代中期以降、越後で縮生産が盛んになると、それに適した越後の品種の青苧が米沢藩内に移入された記録が出てきます。最初は最上の品種で天日干し出荷、後期は越後の品種で短く切り揃え(米沢の撰苧、会津の影苧や私苧)で、陰干しというような変遷があるように考えられます。
 米沢藩内の青苧植立については、宮村(山形県長井市、総宮神社がある)の青苧下役菅卯左衛門の先祖が、藩から勧められて、最上(もがみ)から青苧を取り寄せて植立てたのがその始めとされており、慶長の頃から大瀬、栃窪(白鷹町の最上川をはさんだ山間部)から植え始められ、だんだんと周辺の平坦地へ広がって植えられるようになった。
 慶長年間(1596-1615年)に作成したといわれる「邑鑑」には「青苧有」の村が三十カ村(十四パーセント)、「少し有り」が九カ村(四パーセント)、「なし」が百七十九カ村(八十二パーセント)になっており、北条郷(南陽市)では、鍋田・小滝・荻・漆山・池黒・(伊佐沢)の村々が青苧有となっている。
 上杉越後時代にも、直江兼続が青苧栽培に力を入れて、増産を計り、青苧課税の強化によって財源拡大に力を注ぎ、米沢入部後もその政策は引き継がれることになる。
 寛永十五年(1638)の検地帳には、「からむし畑」として一筆毎に記されており、上畠の位付になっている。紅花・漆木などについての記載がなく、「からむし畑」だけが特別に扱われているところからみても、財源確保を青苧に求めていることがわかる。
 454ページ。
 青苧は、風を嫌うので、畑の周囲に「風かこい」をした。萱(かや)で編んだものを特に風上に立てた。また、外側に麻を植え立てたりもした。それでも、青苧畑の外側の苧(からむし)は、風に痛められ「外苧(そとそ)」と呼ばれ品質の落ちたものであった。畑の中央部の苧は「中苧(なかそ)」と呼ばれよい苧に生育した。
 「八十八夜」を基準にして、一回畑の上部を耕した。その時、「飛び芽」を雑草とともに削りとった。これを「青苧畑耕(うな)い」といった。
 青苧の刈り取りは、嘉永三年(1850)の「青苧取日記」によると、青苧刈は七月二十三日から八月二十一日まで約一ヶ月間続いていることがわかる。青苧刈りは、ひと朝に三把刈るのが一人前であった。刈るときは、鎌を苧の根元にあてて水平に引き切り、あとが平になるようにする。そのあと、葉をかき取る。「外苧」は別に束ねるし、長い苧・短い苧・その中間の苧と四通りに区別した。
2.この栽培事例の執筆の資料となったのは1980年10月末に発刊された『南陽市史編集資料 第六号』で、南陽市編さん委員会の錦三郎編集主任(市史本編編集委員長)。文献は小滝の小関吉左衛門、漆山の多勢吉雄、太郎の川合芳吉らの家の所蔵されてきたもの。そしてその安政四年(1857)青苧畑位置の特定には市史編さん調査協力員の小滝の江口平馬が協力しています。
 
 青苧栽培と繊維取り出し等についての伝承は、吉野川流域太郎地区の川合太吉、芳吉、太兵衛と、小滝の江口平馬の話をまとめた、としています。
  このなかには風よけとして青苧畑の周囲に麻を植え立てたという記述はみられません。
 会津青苧の中心地である大芦地区では、青苧畑のまわりを麻で囲み風よけとした事例、青苧畑内に「うせくち(失せ口)」(パッチ状の青苧無し空間)が出た場合に、そこを耕し麻の種を蒔き、からむし(青苧)の横枝が張らないようにした工夫も見られました。
 青苧栽培、実演は、『第六号』の発刊の年の夏・1980年7月28日、南陽市太郎の川合芳吉宅で、川合太吉氏が「青苧剥ぎ」「青苧挽き」を実演し写真に撮影されています。
 
3.南陽市下荻の漆山英隆さんの『よみがえる南陽の青苧』(2013年7月14日刊)によると、1989年(平成元年)6月、南陽市青苧製品開発推進協議会設立準備会があり、8月には青苧自生地から取り出し(剥ぎ・そぎ作業)で350kgを収穫しています。また自生地から青苧を畑10アールに移植(3年目の1991年に600kg収穫)。9月に「市や県に、剥ぎ・そぎの文献が無く」先進地視察を行います。
 1992年(平成4年)7月、福島県昭和村へ先進地視察を行い、その年は、青苧繊維を1200kg収穫します。
 2013年7月、25周年記念青苧フェスティバルを開催。
 『よみがえる南陽の青苧』にある現在での南陽青苧の収穫は、三段階で会津青苧(大芦苧)の例になっていますが、栽培、剥ぎ、挽き等には北条郷の米沢苧古風が見受けられます。『第六号』『南陽市史中巻』にあるような古風(在地技法)の聞き取り調査と、復元が必要と感じました。そのためには、同地域でも行われていたと思われる麻の栽培・製繊技法も調査をすることが必要です。麻の栽培・製繊技法が基層にあり、そこに青苧の技法が開発されてくると私は考えるからです。(2014年5月4日記:菅家博昭)
 
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南陽市史 中巻  アサ挽きを想起させる写真
 
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南陽市史編集資料 第6巻 川合太吉氏 1980年7月28日
 
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2本剥ぎ、2~4本挽き(会津青苧は2本剥ぎ、2本挽きで、現在は1本の人が多い)
 
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『よみがえる南陽の青苧』(2013年)現在を記録されたたいへん貴重な報告書です。
 
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日本の青苧(からむし)栽培地10カ所:渡辺美紀2012

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