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2014年5月 2日 (金)

会津青苧への道(その3) からむし(青苧)繊維の色と規格、性差の分担

■2014年5月2日(金)曇り


 5月1日午前は金山町川口の開発センター3階で、県立川口高校の全生徒の皆さんを前にお話をしました(奥会津風土体感プログラム)。この数年この時期に依頼があり講話しています。現在のかすみ草の仕事と社会環境、奥会津の産業の歴史、自然環境と村人の関わりなどを語っています。
 駐車場で奥会津博物館の調査員渡部康人さんに合いました。金山教委に町内山入の農村歌舞伎舞台の調査等(報告書)での打ち合わせのようです。
 
 我が家は、5月1日は留守班で、岩下(上5)に管理機で畝立てして、かすみ草メレンゲ(群馬県カネコ種苗育成、早生種)を定植したようです。
 
 5月2日は、ハウス建て等の継続作業です。
 
 5月4日は博士峠水芭蕉まつりですが、朝から会場滞在していますが、途中で取引先の来村もあり午後は不在の可能性で調整中です。

 
■昭和花き研究会ニュースを会員向けファクス配信しました。4月下旬の取引先来村報告と、5月来村予定市場等の日程です。5月9日午前8時30分、三島町川井であぜ道講習会(昭和花き研究会主催)。無加温促成栽培の管理について。(8時30分追記)
 
 

 
会津青苧への道(3) 
 
1.からむし(青苧)の繊維の色と規格
 
 植物繊維のうちアサ(大麻)の出荷規格と、青苧(からむし)はどのように同じで違うのか?という興味を持っています。繊維を加工する側の用途と主力織物産地の時代の変化にそれは対応しているはずです。
 アサや青苧は繊維を取りだして乾燥するときに独特の形を作り乾燥させます。そのときに使われる用途別(出荷規格)に乾燥・形付けをしています。
 圃場(畑)で植物を採取するときにも、それを想定しての作業が行われます。こうした一連の記録はあまり残っていません。
 現在、奥会津・昭和村のからむし(青苧)栽培では、畑での収穫時に三種類に繊維の質で分類して、品質分類(商品分類)を後戻りできないように長さを大・中・小の三段階に分けて両端(茎の根元と先)を圃場で切りそろえてしまいます。これが「親苧(おやそ)」「影苧(陰苧、かげそ)」「わたくし(私苧)」で、越後向け縮加工用に特化した原料規格といえます。江戸時代の中期以降に発案され後期には定着し、鈴木牧之『北越雪譜』(1837年、天保八年、江戸で出版)に最高級の原料として会津産(昭和村大芦産)の青苧である「影苧(かげそ)」が採録されています。
 現在公刊されている羽州苧(最上苧・米沢苧)の記録を見ると、剥ぎ・挽きした青苧(からむし)の繊維は「天日干し」をすることが多くみられます。
 
 一方、会津産(昭和村)は室内に「陰干(かげほ)し」することが一般的です。現在も母屋の座敷内に竿を並べて陰干ししています。風の通し方や、直射日光には当てないように窓からの採光にも工夫をします。これが原料繊維の乾燥技法でも羽州苧との差別をして生産していますという行為(コンテクスト)を込めた商品規格名「影苧(陰苧、かげそ)」の発明だと私は思います。
 
 昭和村(会津産)の青苧の三種分類は親・子・陰(影)です。太く長く枝をさす「親苧」、いちばん短い「わたくし(私苧)」は子供苧とも言います。また言葉表現でわたくしとは現在のへそくりに近い概念で、その販売分はその人のもの「わたくし」になることから、手習いとして子供の女に挽かせて、挽いた分がおこづかい(わたくし)になったことから命名されています。
 そして商品力としては最大のブランドとしての「影苧」の品質を示すのは薄緑色(あおいろ)の光沢を呼ぶ「きら」という概念です。
 
 しかしこの陰干し技法は白色化をうながす「晒(さら)し」ではありません。また経年劣化により繊維は黄化することから、商品の鮮度(フレッシュさ)を要求されていた(原料不足で経年保管の必要もなかった)ために、鮮度を表現していたと考えられます。
 
 会津苧は後発であることと、先行していた最上川舟運の羽州苧とは異なり、峠越えで背負運搬という制限と、縮布原料に特化した青苧生産を目指した(重量当たり高単価)ため「影苧」を基本品質、栽培目標にしたのだと考えられます。
 物を大切にする心からすればアサのように育ったままの長さを大切に収穫し製繊する技法が日本古来の技法だと考えられます。畑で生育長に合わせて分類して、販売規格を合わせることが基本です。しかし会津青苧に限っては長さを切りそろえる、ということをしています。そしてその繊維の色に鮮度表現を加味しています。
 
 アサの長い黄褐色繊維は畑で生まれたままの形です。アサの茎はまず乾燥させます。それを湯通ししたり白くなるような工夫が産地では行われ原料出荷されていきます。しかしからむしはその日に挽く(加工)分のみを収穫するという鮮度管理と製繊取り出し技法(つや・きら)があるため「青苧」と呼称されたと考えられます。アオとは緑色のことです。茎が緑色のうちに作業をする必要がありアサと区別するための呼称です。
 
 植物としてのカラムシを繊維化して「青苧(あおそ)」となります。昭和村では繊維になっても「からむし」と呼びます。一方、山形県では繊維は青苧呼称が多いように思います。
 
 青苧を購入して利用していた新潟県(越後)側の大家・西脇氏の著述(昭和7年、10年、改訂再版昭和45年)の刊本を見ると以下のようです。
 
(1)西脇新次郎『小千谷縮布考』(昭和7年初版、昭和11年再録、『越後のちぢみ』(東峰書房、昭和45年)353ページ
 
 苧麻の色沢は、其産地によりて各異れり、会津産(福島県大沼郡)は青味を帯び、米沢産(山形県置賜郡) 最上産(同県村山郡)は赤味を帯ぶ。是れ品種地味に依れりと雖も、其主なる減員は製線(繊)後乾燥方法の如何に基づくものとす、則ち剥皮の後金引きして甘皮を除去し、数日間朝霧に晒し日影干し、又は夜干しにするものは青味を帯び、之を日干しにすれば青味を失ふに至る、何れの製法によりたるものも、晒し、染め、織り上げたる後に於いては変わりなし、併し白縮の最優等品には重に会津産を用ふ。
 
(2)西脇新次郎『小千谷縮布史』(小千谷縮布史刊行会、昭和10年)320ページ  
青苧の産地に付て
 
先著縮布考に会津、米沢、最上の三産地それぞれ其苧色が違ふ様に書きましたが、それは土地固有の色が一定してある意味ではなく、夜干し又は蔭干しせし品と、日干しにせし品とによりて青味にも赤味にもなるものであります。故に三産地共青苧問屋の好みによりて如何様にも作り出されるものであります。三産地の苧は其八割は小千谷商人の手に買収されたものであります。
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2.最上苧(山形県朝日町)の事例
 
 朝日町エコミュージアムのウェブサイト、情報データベースに五百川苧(最上苧の上位ブランドのひとつ)について記事があります。ここの青苧は天日に干します。 →和田新五郎さんの青苧 →エコミュージアムノートPDF
 
(1)『和田新五郎さんの青苧』(朝日町エコミュージアム協会制作DVD、平成19年) として報告されています。また平成16年8月に宮森友香さんのまとめた報告もあります。
 大谷浦小路の和田新五郎さんは大正11年生まれ。昭和10年、十五歳のときに祖父の元治さんと青苧を植え、それをいまも栽培して糸を取っています。「青苧はぎ」は母のふみえさんの仕事で、繊維は馬具用の縄に綯い使用。
 取り出した繊維は「一束ずつ天日に軽く干す」。和田さんは現在は故人のようです。
 
(2)朝日町大谷六の志藤富男さん(昭和3年生まれ)。「売り物の青苧は、先の方をきれいに筆の先のようにして格好よくしていた。最後に一束ずつ天日に干して、真っ白く仕上げていた。売り物として出荷するには、色や形は大分やかましく言われていたな。特に色が重要で、真っ白いものが一番だった」(平成19年取材)
 
(3)朝日町大谷一の掘敬太郎さん(昭和3年生まれ)。「農家による青苧生産は栽培から「日干苧」として出荷するまでで、青苧糸を使って布を織るということはなかった」
 
(続く)    昭和村大岐 農業 菅家博昭(5月2日記述)
 
※青苧の復活活動の場合は、原初の規格(古風)に戻すことから始めることが肝要です。なぜならその地域にあった繊維採取技法を復元すること、現在行われている他所の行為より、その地の技法を聞き取りにより探ることに意味があります。そのことがかつて暮らしを支えた植物繊維の次の時代の位置づけを考えることにつながります。各地に存在した、多様な技法を発掘することが重要です。この点で、山形県朝日村のエコミュージアムの聞き書き資料は重要です。
 そして販売することをしない、産業としないことを目標として青苧(からむし)や植物繊維の利用方法を位置づけることもたいせつです。いまの暮らしで必要なものを自分や家族、たいせつな人に贈るために栽培する、生産に取り組むことです。いまの暮らしを見直すため、自らの精神の健康の維持のため、伝統文化・基層文化の掘り起こしと継承は行われます。
 
 
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今回購入した西脇新次郎2冊。豪華本は45,000円。
 
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苧麻の布見本が付いています。
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見本布が欠けている本は古本で、5000円ほどです。
 
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北越雪譜
 
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 かやぶき家並の大芦村(昭和村) 赤田の丘より撮影したと思われ、遠望に博士山(ふたこぶやま)が見える。左が博士山頂(三角点)・黄金沢(くぼみ)・王博士。写真中央の長い建物は大芦小学校。
 
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母屋(家屋)の座敷に陰干しする(大芦村)
 
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小千谷縮布史 昭和10年刊
 
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青苧皮はぎ作業(山形県南陽市吉野川流域の太郎地区)
『南陽市史(中)巻』(1991年)
舟(苧舟、苧挽盤)の使い方が奥会津・昭和村とは異なります。
舟には剥いだ青苧(皮)を置いています。
挽き板、金具(こ)は、舟の脇で使用します。
繊維もかなり長いですね。アサの挽き方に似ています。
すばらしい記録写真です。
 
写真の米沢苧を含む羽州苧は、女性が剥ぎ、写真のように男性が挽くというのが一般的のようです。会津苧は男性が剥ぎ、女性が挽くことが一般的です。羽州苧の男女の分担は、たとえばアサ栽培生産の群馬県高島麻なども女性が剥ぎ、男性が挽く、ということと共通しているように思います。それは繊維の長さに規定されているように思われます。昭和村の長い繊維のアサ挽きも女性です。(昭和村では苧麻もアサも女性が挽くのですが、家により男性が挽くこともあったといいます)
 
この4月30日の雨の日に、南陽市の吉野川流域を太郎、下荻、おぎ、小滝と歩き、その後、小滝越えから白鷹町、長井市の草岡まで現地調査、資料収集をしながら、見ました。
 
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南陽市(吉野川流域の、かつての北条郷)4本挽きです。昭和村は1本か2本挽き。漆山英隆『よみがえる南陽の青苧』(2013年)より。
本書には、青苧品種として、在来種として、
葉の茎の青い一般の青苧と、葉柄の紅がかった最上苧の2品種ある、と記述しています。
 
 
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青苧剥ぎの行程も作法が異なります(長い繊維に対応した古い技法と考えられます)。
 
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あめふりばな。花を閉じます。
 
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柳沢峠
 
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金山町役場・開発センター
 
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金山町川口。中世の山内氏の山城のひとつ玉縄城。ブナの新緑。右側には川口高校グランド。左下に旧・役場跡、福島県金山普及所。
横田山内氏は1543年7月21日に会津黒川(若松)の蘆名盛氏に横田中丸城を攻められ負け(横田くずれ)、翌年1544年山内俊清がこの大沼郡川口村に玉縄城を築いた。
 
 
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中央の山の尾根頂部が野尻山内氏の「牛首城」。ブナの新緑。
左尾根はおあたごさまのある大手通。稲荷神社、いしょいり(居所入)と続き、昭和村からむし保存協会のからむし畑がある。
右の山との沢が地図上表記は「途中(とちゅう)沢」となっているが、近世初期の松山村(昭和村)佐々木太市家文書では「栃尾沢」としており、牛首城を「栃尾城」と表記している。
 
 会津の歴史年表等では、1354(文和三)年に野尻邑に山内俊行が牛首城を築く(異本塔寺長帳)ともあるが信憑性には疑問がある。同じく中向に南泉寺建つとも。
 『中世城郭研究 第15号』(2001年)に、松岡進「牛首城跡・丸山城跡(福島県昭和村)について」にも掲載。
 
 
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