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2014年5月20日 (火)

漆木(うるしぎ)のない組(昭和村)。なぜ喰丸か???

■2014年5月20日(火)

 
 本日の午後は下中津川の昭和村公民館で、昭和村文化財保護審議会。明日の午後は田島の御蔵入交流館で駒止湿原調査報告会。6月2日午後は駒止湿原保護協議会(田島御蔵入交流館)。
 

 
■漆(うるし)木のない組

 昭和48年に発刊された『昭和村の歴史』(福島県大沼昭和村、1973年)の近世は、南会津郡田島町の室井康弘先生が執筆されました。近世、いわゆる江戸時代の田島町(南会津町)は南山御蔵入領の中心地として代官所がおかれました。康弘先生は、田島町史編さん室長として御蔵入領の野尻組(昭和村)についてもよくご存知の方でした。私も何度か、樋口弘一さんの案内で、編さん室に康弘先生を訪ねたことがあります。
 
 『昭和村の歴史』98頁に、「漆木のない組」という項があり、以下に紹介してみます。康弘先生によるものです。

 近世会津の特産として全国に名を馳せたもののひとつに漆(うるし)と蝋(ろう)があり、会津全域に栽培され、藩も奨励し、専売制をとり、役漆、役蝋としてだけでなく、一部自由販売も認めたものである。
 ところが野尻組(昭和村)は土地柄か漆木が生長せず、藩の数度にわたる強制的なすすめがあっても、ついにみのらなかった珍しい組である。
 年代不詳、寅九月の松山文書(佐々木太市家文書、現在、福島県立博物館寄託)は、この間の事情をよく物語ので要約してみる。

 私共の村々は、往古より漆木だけでなく、柿も、梅も一切成木しないところで、以前に郷頭渡部甚右衛門が、小前の助けで、村々に植え付けさせ、自身も試みてみたが成木しなかった。その後(寛政以降か?)、藩の漆方役人より厳しく植え付け方を申しつけられ、試みるのだが、雪深のため雪まけするのか、どんなに手入れをしても根が枯れてしまう。
 御蔵入の漆方役人・黒川大蔵殿に植え付け用捨を願っても許されず、去る未(ひつじ)年からは尾岐の漆役人・川嶋与五右衛門殿が出張され喰丸にお泊まりになったとき、各村々の三役人が呼ばれて、苗木を植え付けぬとは不届千万とお叱りを受けた。村役人も昔からの成木せぬ事情を説明しても承知してくれず、止むなく試みたが、やはり駄目であった。
 この度もまた催促をうけたが、野尻組は畑の不足なところで、その畑は、麻や青苧(からむし)がいっぱいで、これをもって年貢を納めている所柄だから何とぞ漆の植え付けによる小前の労費をご用捨願いたい、というものであった。

 漆が成木しないから、したがって、蝋になる漆の実の役蝋もない。ただ、山漆があって山蝋が若干絞られたようである(「松山文書」)。

(写真1枚掲載、その解説)
 植栽漆が無い野尻組でも山漆はあるのでこれより蝋をしぼって会津藩に納入した。山漆の実から蝋絞りの許可をもらっているものを釜本と称し、松山村儀八が行っていた。

■ここで、漆蝋改役・川島与五右衛門重英(1776-1814)は尾岐からどのような経路の道路を歩いてきたのか?季節はいつか?服装は?随行者は誰が?なぜ、喰丸に泊まったのだろうか?誰の家に泊まったのだろうか(名主宅か?)、当時の野尻組で集まった30名ほどの人々の氏名と年齢は、、、、ということをいま考えています。

 この漆木栽培の集会が喰丸で開かれた理由はなぜでしょうか?
 
 本来、野尻組の行政拠点は野尻村で、郷頭宅(渡部寛医院自宅で現存、『昭和村の歴史』75頁に、延享三年(1746)野尻村郷頭渡部甚右衛門宅間取図が掲載。巡見使宿のため座敷修理の際。大工、大芦村皆川平右衛門外、野尻組大工全員、とある)が、泊地であったろうと思われます。
 
 また川島与五右衛門重英が出張したという未(ひつじ)年とは?いつでしょうか?彼が役を祖父から世襲したのは1800年(寛政十二年)といわれていますから、その後の未年は、1811年(文化八年)だけとなります。
 そして何月何日に来たのでしょうか?
 
 この松山文書は寅(とら)九月とあり、1818年(文政元年)の寅年9月と思われます。その後の寅年は1830年(文政十三年)です。

 今年の4月18日に松山の佐々木太市家文書の閲覧をしました。所有者の事前承諾を得て、寄託先の福島県立博物館(会津若松市城東町)でこの該当する一紙文書のマイクロフィルム撮影複写冊子から探して原本の写しを見ました。この松山文書は868点ほどあり、全11冊に写しが製本されてあります。
 
 原本HK017485は表題が「乍恐以書付奉願上候事」、文末に「寅九月」「野尻・中向・松山」とありました。文の書き出しは「当組」が消され右側に「私共」と附記されています。提出文書の下書きと思われました。
 文書後段に『昭和村の歴史』には紹介されていない内容も記されていました。「川嶋与五右衛門殿江戸表へ御申之後、、、」ということで、全体の印象からすれば、江戸幕府に会津藩の漆蝋の扱いの不正を直訴した川島事件の後に、後任者らにより改めて漆木の植え付けを要請された際に、川島が貸与した漆の苗木はどのようになったのかを釈明しています。

 
 当時の野尻組(昭和村)には、小野川村・両原村・喰丸村・大芦村・佐倉村・小中津川村・下中津川村・野尻村・松山村の9カ村あり、その各村より三役(名主ら)が喰丸に集められたのですから27名のだれかが記録を残しているはずです。そのうちの一人が松山村名主の佐々木太市家の祖先であったはずです。  
 

 
■豊臣秀吉が日本の統一をして蒲生氏郷を会津黒川(若松)に配して、蒲生家中は会津各村の土地を調べます。その文禄三年(1594)の検地帳が「大沼郡大芦村」「大沼郡中津川村・喰丸村」があり、その記録が『福島県史』『田島町史』に掲載されています。
 
 それを読むと「大沼郡中津川村・喰丸村検地帳」には、畑には漆木の本数、桑の木の記載が附記されています。この時期は畑で漆木を栽培していたことが明らかです。現存している文禄の検地帳を会津の自治体史資料編等で調べてみると、このような漆や桑の木を附記している事例はありません。
 写しですから当時の写本者が書き入れたのか、租税対象として書かれたのか、類例を調査する必要もあります。
 
 中世(室町時代~戦国時代)には、昭和村(中津川郷)では、漆木や桑が栽培されていたと思われます。それが、江戸時代中期に栽培されなくなり、畑には麻とからむし(青苧)がいっぱいになっていた、と推察されます。それは畑には木を植えないという現在の価値観につながる景観の誕生です。桐の木も、柿の木も、梅の木も、平地の畑には、植えられていません。
 しかし、一方、現在の金山町・三島町・柳津町・会津美里町等は平地の畑に桐の木、柿の木が植えられており、こうした景観は、農のあり方を含め、昭和村の私たちの現況からしても理解しがたい、、、内容です。かつて、この地域の桐の木の前には漆の木が植えられていたはずです。


  → 竹川重男論文(1994) 近世初期における東北諸藩の藩政確立の実態と特質

 
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今朝(5月20日)の福島民報新聞。記事をクリックする(押す)と大きくなります。
5月15日に電子メールで投稿しました。19日の昼に新聞社より、20日に掲載しますという電話がありました。このように掲載していただくと、たいへんありがたいものです。(400字以内)。昭和村では常連投稿者の両原の羽染兵吉さん、中向の菊地宗栄さん、昨年からでは小中津川の束原静さん(19日にも掲載有り)が投稿され掲載されています。
 

 
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